デイブ・リゲッティ

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デーブ・リゲッティ
Dave Righetti
ニューヨーク・ヤンキース時代
(1981年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州サンノゼ
生年月日 (1958-11-08) 1958年11月8日(65歳)
身長
体重
6' 3" =約190.5 cm
195 lb =約88.5 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1977年 1月MLBドラフト1巡目(全体10位)でテキサス・レンジャーズから指名
初出場 1979年9月16日
最終出場 1995年9月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

デビッド・アラン・リゲッティDavid Allan Righetti, 1958年11月28日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンノゼ出身の元プロ野球選手投手)、野球指導者。左投左打。

愛称はラグスRags)。先発投手としてノーヒットノーランを達成し、救援投手としてリーグのセーブ王に輝いた最初の投手。通算252セーブ[1]

経歴[編集]

現役時代[編集]

1977年1月のMLBドラフト1巡目(全体10位)でテキサス・レンジャーズから指名され入団するが、メジャー昇格することなく1978年11月10日に5対5の交換トレード[2]ニューヨーク・ヤンキースへ移籍した。 当初は先発投手で、1979年9月16日に背番号「56」のユニフォームでメジャー初登板・初先発を果たす。 1980年は再びマイナーに降格し、メジャーでの登板はなかったが、1981年には背番号「19」となる。これは1994年途中にトロント・ブルージェイズに移籍するまでは、チームを変えても変わらなかった。 その1981年は50日間に及ぶストライキのためシーズンが中断・短縮されたが、15試合に登板(すべて先発)して8勝4敗、防御率2.05の成績を挙げ、ア・リーグ新人王に選ばれた。 チームもワールドシリーズに進出。ロサンゼルス・ドジャースとのシリーズ第3戦に先発したがロン・セイに3ランを打たれ2回0/3で降板、これがリゲッティにとって最初で最後のワールドシリーズでの登板となってしまった。 1982年は11勝10敗。1983年アメリカ独立記念日にあたる7月4日ボストン・レッドソックス戦でノーヒットノーランを達成し、この年14勝8敗をあげる。ノーヒットノーランは、ヤンキースの投手としては1956年のワールドシリーズドン・ラーセン完全試合を達成して以来27年ぶりで、左腕投手に限れば1917年以来66年ぶりの快挙となった。

その年のオフにリリーフエースのリッチ・ゴセージ(のちダイエーでもプレイ)がサンディエゴ・パドレスに移籍したため、1984年にはリリーフに転向。 早速31セーブをあげると、以後7年間平均32セーブをあげて、リーグを代表するクローザーの一人となった。 特に1986年には、シーズン最終戦となった10月4日のレッドソックスとのダブルヘッダーの両試合でセーブをマークしてメジャー新記録(当時)[3]の46セーブもを記録。ダン・クイゼンベリーブルース・スーターが持っていた45を更新した。また、同年はオールスターにも初選出された。ノーヒットノーランを達成し、リーグのセーブ王になった最初の投手にもなった。[4]1987年もオールスターに出場し、2年連続で最優秀救援投手に選ばれた。

1990年オフにFAで故郷サンノゼに近いサンフランシスコ・ジャイアンツと契約。 移籍初年度の1991年にはメジャーの左腕投手の通算最多セーブ記録を更新[5]したが、年間を通じて24セーブに終わり、1992年以後は中継ぎに降格となった。

1993年限りでジャイアンツを解雇されると、サンフランシスコの対岸・オークランドアスレチックスと契約。 しかし1994年開幕から7試合の登板で防御率16.71の散々な成績で途中で解雇され、トロント・ブルージェイズへ移籍した。ここでは背番号19は後にアメリカ野球殿堂入りするポール・モリターがつけていたため、背番号「24」をつける。

シーズン終了後再び解雇され、翌1996年スプリングトレーニング(日本でいう春季キャンプに相当)中にホワイトソックスと契約。背番号は「45」となった。ここでは主に先発投手として起用されたが3勝2敗の成績に終わり、シーズン終了後に解雇。現役続行を志したが契約するチームはなく、この年限りで現役を引退した。

通算252セーブのうち、224セーブはア・リーグで記録。これは現在でも左腕投手のリーグ記録である。1987年オフに外国人投手の獲得を進めていた読売ジャイアンツが興味を持っているとの報道もあった。結局この時巨人が獲得したのはビル・ガリクソンであった。

引退後[編集]

引退後は2000年から18年間ジャイアンツの投手コーチを務め、2017年シーズン終了後からはフロントへ異動する[6]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1979 NYY 2 2 0 0 0 0 1 0 -- .000 67 17.1 10 2 10 0 0 13 0 0 7 7 3.63 1.15
1981 15 15 2 0 0 8 4 0 -- .667 422 105.1 75 1 38 0 0 89 1 1 25 24 2.05 1.07
1982 33 27 4 0 0 11 10 1 -- .524 804 183.0 155 11 108 4 6 163 9 5 88 77 3.79 1.44
1983 31 31 7 2 1 14 8 0 -- .636 900 217.0 194 12 67 2 2 169 10 1 96 83 3.44 1.20
1984 64 0 0 0 0 5 6 31 -- .455 400 96.1 79 5 37 7 0 90 0 2 29 25 2.34 1.20
1985 74 0 0 0 0 12 7 29 -- .632 452 107.0 96 5 45 3 0 92 7 0 36 33 2.78 1.32
1986 74 0 0 0 0 8 8 46 -- .500 435 106.2 88 4 35 7 2 83 1 0 31 29 2.45 1.15
1987 60 0 0 0 0 8 6 31 -- .571 419 95.0 95 9 44 4 2 77 1 3 45 37 3.51 1.46
1988 60 0 0 0 0 5 4 25 -- .556 377 87.0 86 5 37 2 1 70 2 4 35 34 3.52 1.41
1989 55 0 0 0 0 2 6 25 -- .250 300 69.0 73 3 26 6 1 51 0 0 32 23 3.00 1.43
1990 53 0 0 0 0 1 1 36 -- .500 235 53.0 48 8 26 2 2 43 2 0 24 21 3.57 1.40
1991 SF 61 0 0 0 0 2 7 24 -- .222 304 71.2 64 4 28 6 3 51 1 1 29 27 3.39 1.28
1992 54 4 0 0 0 2 7 3 -- .222 340 78.1 79 4 36 5 0 47 5 2 47 44 5.06 1.47
1993 51 0 0 0 0 1 1 1 -- .500 210 47.1 58 11 17 0 1 31 1 0 31 30 5.70 1.58
1994 OAK 7 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 42 7.0 13 3 9 0 1 4 0 0 13 13 16.71 3.14
TOR 13 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 60 13.1 9 2 10 0 0 10 0 0 10 10 6.75 1.43
'94計 20 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 102 20.1 22 5 19 0 1 14 0 0 23 23 10.18 2.02
1995 CWS 10 9 0 0 0 3 2 0 -- .600 221 49.1 65 6 18 0 0 29 0 0 24 23 4.20 1.68
MLB:16年 718 89 13 2 1 82 79 252 -- .509 5988 1403.2 1287 95 591 48 21 1112 40 19 602 540 3.46 1.34
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 56(1979年)
  • 19(1981年 - 1994年途中、2000年 - 2006年途中、2010年 - 2012年途中、2015年 - 2017年)
  • 24(1994年途中 - 同年終了)
  • 45(1995年)
  • 46(2006年途中 - 2008年)
  • 32(2009年)
  • 33(2012年途中 - 2014年)

脚注[編集]

  1. ^ “マー君選んだ 大投手の幸運背番「19」”. 日刊スポーツ. (2014年1月26日). https://www.nikkansports.com/baseball/mlb/news/p-bb-tp2-20140126-1249105.html 2020年2月18日閲覧。 
  2. ^ ヤンキースに移籍した際の5対5のトレード(厳密に言うとレンジャーズは5選手プラス金銭を得ている)では、ヤンキースからレンジャーズに移籍した選手に1977年サイ・ヤング賞投手スパーキー・ライルや、デーブ・レーシッチ1984年広島でプレイ。中日でプレーしたゲーリーの兄)が含まれていた。
  3. ^ のち1990年ボビー・シグペン(当時シカゴ・ホワイトソックス、のちダイエーでもプレイ)が57セーブをあげて、大幅に更新した。左腕投手としての記録も1993年ランディ・マイヤーズシカゴ・カブス)が53セーブをあげて更新。ただし、2008年終了時点で依然ア・リーグの左腕投手の記録となっている。
  4. ^ のちにデニス・エカーズリーが2人目となった。
  5. ^ 前の記録保持者はヤンキース移籍時の交換相手の一人・ライルであった。
  6. ^ Giants reassign Dave Righetti from pitching coach to front-office role”. ESPN (2017年10月22日). 2017年12月11日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]