ルーク・アップリング

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ルーク・アップリング
Luke Appling
LukeApplingGoudeycard.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ノースカロライナ州
生年月日 1907年4月2日
没年月日 1991年1月3日(満83歳没)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手
初出場 1930年9月10日
最終出場 1950年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 1964年
得票率 84.00%
選出方法 BBWAA[1]選出

ルーク・アップリングLucius Benjamin "Luke" Appling, 1907年4月2日 - 1991年1月3日)は、1930 - 1940年代に活躍したアメリカメジャーリーグの選手。ポジションは遊撃手ノースカロライナ州生まれ。右投げ右打ち。ニックネームは"Old Aches and Pains"。いつもチームメイトに、あそこが痛い、ここが痛いと不満を漏らしたことからついたあだ名である。

経歴[編集]

ホワイトソックス時代[編集]

アップリングはオグルソープ大学を2年で中退し、サザンリーグのアトランタ球団に入団した。打撃はいいもののエラーが多かったことで、当初関心があったシカゴ・カブスは契約を見送り、結局1930年にシカゴ・ホワイトソックスに昇格しメジャーデビューを果たすが、デビュー2年間は82試合で失策46個と、守備のまずさは相変わらずだった。

打撃面では高い出塁率から1番を打つことが多く、4年目の1933年に初めて3割を超えた後は、9年連続で3割以上の打率を残すまでになった。1936年には打率.388で初めての首位打者を獲得し、オールスターゲームにも初出場する。

1950年までの現役生活の間、3割以上の打率を残したシーズンは14シーズンにもおよぶ。また守備面では、ホワイトソックス在籍中の21年間(1944年は出場せず)で、遊撃手としての刺殺数、補殺数、併殺数などのリーグ記録を持っていた(これらの守備記録は後にルイス・アパリシオが更新する)。1950年に現役を引退。21年間在籍したホワイトソックスでは、ついに1度もポストシーズンに進むことはなかった。

引退後[編集]

1950年の引退後、アップリングはいくつかのマイナーリーグ球団の監督を歴任し、メンフィスやインディアナポリスでは球団を優勝に導いている。1952年にはマイナーリーグの年間最優秀監督に指名された。1960年から1970年代はメジャーリーグのコーチを歴任、1967年には、シーズン途中から終了まで、アスレチックスの監督を40試合務めている。

1964年、記者投票によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。1982年7月19日、アップリングはオールスター期間中に開催されたオールドタイマーズ・ゲームに75歳で出場し、ウォーレン・スパーンからホームランを放っている。 1991年ジョージア州で死去。彼の背番号4』は、ホワイトソックスの永久欠番となっている。

プレースタイル[編集]

安打方向は右の流し方向に集中しており、打てる球が来るまで右方向へファウルボールを打ちながら打席で粘るのがアップリングの特徴だった。MLBではファウルボールを観客にプレゼントするサービスが実施されていたので、チームの従業員が「あまりファウルするなよ」と嫌味を言ったが、それから暫くして1打席で23球のファウルを打ったという。伊東一雄は同じく流し打ちが得意で、ファウルも多かった千葉茂を「和製アップリング」と呼ぶべきじゃないかと述べている[1]

通算成績[編集]

打撃成績[編集]

































O
P
S
2422 8856 2749 440 102 45 1319 1116 179 528 1302 11 74 .310 .399 .398 .797

獲得タイトル・記録[編集]

監督としての戦績[編集]



















1967 KCA AL 40 10 30 .250 10位 8月21日 -
通算成績 40 10 30 .250

脚注[編集]

出典・外部リンク[編集]