ジェイク・ドーバート
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| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | ペンシルベニア州シャモキン |
| 生年月日 | 1884年4月14日 |
| 没年月日 | 1924年10月9日(40歳没) |
| 身長 体重 |
5' 10.5" =約179.1 cm 160 lb =約72.6 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 一塁手 |
| 初出場 | 1910年4月14日 |
| 最終出場 | 1924年9月20日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ジェイク・ドーバート(Jacob Ellsworth "Jake" Daubert、 1884年4月7日 - 1924年10月9日)は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州シャモキン出身のプロ野球選手(一塁手)。左投げ左打ち。
1913年のナショナルリーグ最優秀選手で、首位打者2回を獲得、通算犠打数392は、エディ・コリンズに次ぎメジャーリーグ歴代2位である。
経歴[編集]
幼少のときから炭鉱で働いていたが、1906年に地元の野球チームに投手として入団、その後一塁を守るようになった。1908年に一度クリーブランド・インディアンズと契約したが、ドーバートはインディアンズでは試合に出場せず、すぐにマイナーのナッシュビルに送られた。翌1909年にブルックリンに入団し、2年目の1910年から打率3割を毎年記録する打者となった。この年の5月6日のゲームでは、1試合21刺殺(一塁手)という記録も作っている。
1913年と1914年にそれぞれ打率.350、.329で2年連続の首位打者となり、1913年にはナショナルリーグの最優秀選手に選ばれる。1916年にはワールドシリーズにも出場したが、打率.176と活躍できなかった。
1918年オフにドーバートはシンシナティ・レッズに移籍、1919年にはリーグ2位の79得点とリーグ最多の39犠打を記録するなど、レッズのリーグ優勝とワールドシリーズ制覇に貢献した。既に38歳になっていた1922年には205安打、三塁打22本(リーグ最多)、打率.336を記録している。
1924年シーズン後半、ドーバートは体調を崩しチームを離れていたが、チームドクターの助言を無視して9月20日のシンシナティでのシーズン最終戦に出場する。試合後10月2日に虫垂炎の手術を受けたものの経過が思わしくなく、手術から1週間後の10月9日にペンシルベニア州で亡くなった。
1966年にレッズの球団殿堂入り、また1990年にはドジャーズの球団殿堂入り選手となっている。
詳細情報[編集]
打撃成績[編集]
※数字の後の"*"は、記録不明箇所があることを示す。
| 試 合 |
打 数 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
得 点 |
打 点 |
盗 塁 |
三 振 |
四 球 |
死 球 |
犠 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2014 | 7673 | 2326 | 250 | 165 | 56 | 1117 | 722 | 251 | 489 | 623 | 54 | 392 | .303 | .360 | .401 | .761 |
獲得タイトル・記録[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Baseball-Reference (Register)
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