ウィリー・マギー

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ウィリー・マギー
Willie McGee
Willie McGee resize.JPG
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンフランシスコ
生年月日 (1958-11-02) 1958年11月2日(59歳)
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 外野手
プロ入り 1977年 ドラフト1巡目
初出場 1982年5月10日
最終出場 1999年10月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ウィリー・マギーWillie Dean McGee , 1958年11月2日 - )はアメリカメジャーリーグで活躍した野球選手。 外野手。右投両打(スイッチヒッター)。アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ出身。

人物・来歴[編集]

後に所属することになるジャイアンツニューヨークからサンフランシスコに移転した1958年に生まれる。 1977年ドラフト会議で、ニューヨーク・ヤンキースから1巡目に指名され、入団したが、メジャー昇格は遅れ、ヤンキースのピンストライプに袖を通すことなく、1981年10月21日セントルイス・カージナルスに移籍。

1982年の開幕は3Aルイビル・レッドバーズで迎えたが、メジャー昇格を果たし5月10日に初出場。 その年はルーキーながら123試合に出場し、打率.296、4本塁打、56打点、24盗塁の活躍。新人王ロサンゼルス・ドジャーススティーブ・サックスに譲ったが、遜色ない働きをみせた。 チームはその年ワールドシリーズ進出を果たす。 ミルウォーキー・ブルワーズ(当時はア・リーグ所属)とのワールドシリーズ第3戦では、ワールドシリーズの歴史に残る活躍を見せた。2本塁打を打ったが、これは新人としては1939年チャーリー・ケラー1957年のトニー・クーベック(いずれもヤンキース)に次いで史上3人目。後に1996年アンドリュー・ジョーンズブレーブス)が4人目となった。そのシリーズでは、ABCのアナウンサーによって「E.T.」と名付けられた。守備でも9回裏にゴーマン・トーマスの本塁打性の当たりをキャッチする活躍。このシリーズは第7戦までもつれ込んだが、最後はカージナルスがワールドチャンピオンに輝いた。

俊足を生かしてトム・ハーオジー・スミスロニー・スミスらとともに「ホワイティ・ボール」(監督ホワイティ・ハーゾグ好みの俊足)の一員として活躍。1983年には初のオールスター出場を果たし、1984年6月23日にはサイクルヒットを達成。そして1985年には、主に二番を打ち、スイッチヒッターのナ・リーグ記録となる打率.353で首位打者のタイトルを獲得。216安打、三塁打18もリーグ1位。この年新人で110盗塁したビンス・コールマンがいたこともあり、本塁打10ながら82打点をマーク。この活躍でMVPに選ばれた。チームはワールドシリーズ出場を果たしたが、3勝1敗の優位からカンザスシティ・ロイヤルズに敗れる。

守備面でも優れ、ゴールドグラブ賞を3回獲得している。1985年にはシルバースラッガー賞も受賞した。 その後も、1985年、1987年1988年にオールスターに出場。 1987年には自身三度目のワールドシリーズ出場を果たすが、ミネソタ・ツインズに敗れる。

1990年8月29日に、外野手フェリックス・ホセプラス、マイナー2投手との交換で、ア・リーグのオークランド・アスレチックスに移籍。この時点ですでに最終的な規定打席に達していて、しかも.335の打率を残し、ナ・リーグでそれを上回る選手がいなかったため、メジャー史上初の「シーズン終了時点でリーグに所属していないのに首位打者」という珍事となる。アスレチックスは3年連続の地区優勝・リーグ優勝への追い込みにマギーを獲得し、ワールドシリーズ出場を果たすがシンシナティ・レッズに4連敗に終わる。

オフにフリーエージェント(FA)となって、故郷のサンフランシスコ・ジャイアンツブレット・バトラー(ドジャースにFA移籍)の後の一番打者を探していたこともあって、契約。1991年から1993年までは3割前後の活躍を見せるが、1994年は故障で45試合の出場に終わり、自由契約となる。1995年6月6日ボストン・レッドソックスと契約するがこの年も67試合の出場に終わると、1996年には古巣カージナルスに復帰。アスレチックス時代の監督トニー・ラルーサのもと、出場数は少ないものの1996年、1997年は3割をマーク。1999年を最後に現役を引退。

背番号51」は引退後一度の使用のみであり、2001年以降誰も着用しておらずカージナルスの準永久欠番となっている。ファンの人気は絶大であり、永久欠番となる事が確実視されている。

受賞歴・記録[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1982 STL 123 439 422 43 125 12 8 4 165 56 24 12 2 1 12 2 2 58 9 .296 .318 .391 .709
1983 147 631 601 75 172 22 8 5 225 75 39 8 1 3 26 2 0 98 8 .286 .314 .374 .688
1984 145 604 571 82 166 19 11 6 225 50 43 10 0 3 29 2 1 80 12 .291 .325 .394 .719
1985 152 652 612 114 216 26 18 10 308 82 56 16 1 5 34 2 0 86 3 .353 .384 .503 .887
1986 124 539 497 65 127 22 7 7 184 48 19 16 0 4 37 7 1 82 8 .256 .306 .370 .676
1987 153 652 620 76 177 37 11 11 269 105 16 4 1 5 24 5 2 90 24 .285 .312 .434 .746
1988 137 600 562 73 164 24 6 3 209 50 41 6 2 3 32 5 1 84 10 .292 .329 .372 .701
1989 58 211 199 23 47 10 2 3 70 17 8 6 0 1 10 0 1 34 2 .236 .275 .352 .627
1990 125 542 501 76 168 32 5 3 219 62 28 9 0 2 38 6 1 86 9 .335 .382 .437 .819
OAK 29 123 113 23 31 3 2 0 38 15 3 0 0 0 10 0 0 18 4 .274 .333 .336 .669
'90計 154 665 614 99 199 35 7 3 257 77 31 9 0 2 48 6 1 104 13 .324 .373 .419 .792
1991 SF 131 543 497 67 155 30 3 4 203 43 17 9 8 2 34 3 2 74 11 .312 .357 .408 .765
1992 138 510 474 56 141 20 2 1 168 36 13 4 5 1 29 3 1 88 7 .297 .339 .354 .693
1993 130 519 475 53 143 28 1 4 185 46 10 9 3 2 38 7 1 67 12 .301 .353 .389 .742
1994 45 176 156 19 44 3 0 5 62 23 3 0 1 4 15 2 0 24 8 .282 .337 .397 .734
1995 BOS 67 217 200 32 57 11 3 2 80 15 5 2 5 3 9 0 0 41 5 .285 .311 .400 .711
1996 STL 123 331 309 52 95 15 2 5 129 41 5 2 1 1 18 2 2 60 8 .307 .348 .417 .765
1997 122 323 300 29 90 19 4 3 126 38 8 2 0 1 22 2 0 59 6 .300 .347 .420 .767
1998 120 286 269 27 68 10 1 3 89 34 7 2 0 3 14 5 0 49 6 .253 .287 .331 .618
1999 132 290 271 25 68 7 0 0 75 20 7 4 0 2 17 3 0 60 5 .251 .293 .277 .570
通算:18年 2201 8188 7649 1010 2254 350 94 79 3029 856 352 121 30 46 448 58 15 1238 157 .295 .333 .396 .729
  • 各年度の太字はリーグ最高

関連項目[編集]

外部リンク[編集]