ダレル・ポーター
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基本情報 | |
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国籍 |
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出身地 | ミズーリ州ジョプリン |
生年月日 | 1952年1月17日 |
没年月日 | 2002年8月5日(50歳没) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 193 lb =約87.5 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 1970年 MLBドラフト1巡目(全体4位)でミルウォーキー・ブルワーズから指名 |
初出場 | 1971年9月2日 |
最終出場 | 1987年10月4日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ダレル・レイ・ポーター(Darrell Ray Porter, 1952年1月17日 - 2002年8月5日)は、アメリカ合衆国・ミズーリ州ジョプリン出身の元プロ野球選手(捕手)。右投左打。
経歴[編集]
1970年のMLBドラフト1巡目(全体4位)でミルウォーキー・ブルワーズから指名され、プロ入り。翌1971年に早くもメジャーデビューすると、1973年には正捕手となり、117試合出場で打率.245・16本塁打・67打点を記録してアメリカンリーグ新人王投票で3位に入った。1974年にはMLBオールスターゲームに初選出された。
1977年よりカンザスシティ・ロイヤルズへ移籍。移籍3年目の1979年には10三塁打・20本塁打・112打点・101得点、さらにリーグトップの121四球の大活躍を見せた。ロイヤルズ時代は1978年から3年連続でオールスターに選出された。
1981年にセントルイス・カージナルスへ移籍。1982年にはポストシーズンで大活躍を見せ、まずアトランタ・ブレーブスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.556と打ちまくって、シリーズMVPを受賞した。続く古巣・ブルワーズとのワールドシリーズでも打率.286・1本塁打・5打点と活躍を見せてチームは世界一、自身はMVPを手にした。
その後、テキサス・レンジャーズでプレーしていた1987年に現役引退。
引退後は解説者やアンティーク家具関係の仕事をしていたが、2002年8月5日にミズーリ州シュガークリークで死亡が確認され[1]、後に死因は薬物中毒であることが分かった。
詳細情報[編集]
獲得タイトル・表彰・記録[編集]
- MLBオールスターゲーム選出:4回(1974年、1978年 - 1980年)
- リーグチャンピオンシップシリーズMVP:1回(1982年)
- ワールドシリーズMVP:1回(1982年)
背番号[編集]
- 15 (1971年 - 1985年)
- 17 (1986年 - 1987年)
脚注[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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