ホセ・クルーズ・ジュニア

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ホセ・クルーズ・ジュニア
Jose Cruz Jr.
ライス大学 監督
サンディエゴ・パドレスでの現役時代
(2007年6月24日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 プエルトリコの旗 プエルトリコ自治連邦区アローヨ英語版
生年月日 (1974-04-19) 1974年4月19日(49歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 外野手
プロ入り 1995年 MLBドラフト1巡目
初出場 1997年5月31日
最終出場 2008年6月5日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
プエルトリコの旗 プエルトリコ
WBC 2006年

ホセ・ルイス・クルーズ・ジュニアJose Luis Cruz Jr., 1974年4月19日 - )は、プエルトリコアローヨ英語版出身の元プロ野球選手外野手)、野球指導者。右投両打。ライス大学野球部の監督を務める。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

1974年プエルトリコで生まれ、テキサス州ヒューストンで育った[1]。父のホセ・クルーズの影響で少年時代から野球を始め、父の現役時代は直接指導を受けられずにいたが、1988年に父が引退するとバッティングと守備を重点的に教えてもらえ、上達していくのが自分でも分かったという[1]

1992年6月1日、MLBドラフト15巡目(全体425位)でアトランタ・ブレーブスから指名を受けたが、この時は契約せず[2]、地元のライス大学へ進学した。1年の時から3年連続でオール・アメリカンに選出され、1994年に行われた第23回日米大学野球選手権大会では5番打者を務めた[1]

プロ入りとマリナーズ時代[編集]

1995年6月1日にMLBドラフト1巡目(全体3位)でシアトル・マリナーズから指名され、プロ入り[2]。契約後、傘下のA-級エバレット・アクアソックスでプロデビューの後、A+級リバーサイド・パイロッツでプレーした。翌1996年はA+級ランカスター・ジェットホークス[3]、AA級ポートシティ・ルースターズ、AAA級タコマ・レイニアーズでプレーした。3球団合計で122試合に出場して打率.293、15本塁打、89打点を記録し、マリナーズのマイナー・リーグ最優秀選手に選出された[1]

1997年スプリングトレーニングでは左翼手のレギュラー最有力候補となり、プレシーズン・ゲームで22試合に出場し、打率.339、4本塁打、12打点を記録し、レギュラーは確定と思われたが、監督のルー・ピネラは経験を積ませるためマイナー行きを命じた[1]

当時マリナーズのGMだったウッディ・ウッドウォード英語版は「今シーズン中に必ず大リーグでメジャーデビューする」と明言し[1]、5月31日にマリナーズでメジャーデビューを果たした。メジャーに昇格したクルーズは、49試合で12本塁打を放つ活躍を見せた。

ブルージェイズ時代[編集]

1997年7月31日にマイク・ティムリンポール・スポルジャーリック英語版とのトレードで、トロント・ブルージェイズへ移籍した[2]。ブルージェイズでも長打を量産し、55試合で14本塁打を記録するパワーを披露した。最終的に2球団合計では104試合の出場で26本塁打を記録した。アメリカンリーグルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票ではノマー・ガルシアパーラが満票で受賞し、ガルシアパーラに次ぐ2位となった[4]

メジャー2年目となる1998年は本塁打の生産ペースが落ち、1997年よりも1試合多い出場試合数で、本塁打数は15本も減少してしまった。

1999年も成績が振るわなかったが、2000年にはシーズン全162試合にフル出場し、31本塁打を記録した。しかし一方では打率が.242に留まり、三振も129三振を喫してしまった。2001年は打率、本塁打、および盗塁数で自己最高の成績を残し、30-30クラブ(30本塁打30盗塁)入りを達成した。2002年は成績が急落し、オフの12月21日にFAとなった。

ジャイアンツ時代[編集]

2003年1月28日にサンフランシスコ・ジャイアンツと契約を結んだ[2]。同年は自身初の100四球を記録した。オフの10月22日には自身2度目となるFAになった。また、ゴールドグラブ賞を受賞した。

デビルレイズ時代[編集]

2003年12月17日にタンパベイ・デビルレイズと契約した[2]

2004年は前年と大きく変わらない打撃成績を残したが、守備ではア・リーグ最多となる10失策を記録した。

ダイヤモンドバックス時代[編集]

2005年2月6日にケイシー・フォッサムとのトレードでアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した[2]

2005年は開幕をダイヤモンドバックスで迎えた。

レッドソックス時代[編集]

2005年7月30日にケニー・ペレスカイル・ボーノの2選手(ともに当時マイナー選手)とのトレードで、ボストン・レッドソックスへ移籍した[2]。レッドソックスでは4試合に出場したのみだった。

ドジャース時代[編集]

2005年8月9日にはウェイバー公示となり、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍した[2]

2006年はシーズン開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)プエルトリコ代表に選出された。シーズンでは前年に引き続きドジャースで開幕を迎えたが、打撃成績が低迷し、シーズン途中の8月1日にFAとなった[2]

パドレス時代[編集]

2007年サンディエゴ・パドレスと契約した。7月31日に自由契約となった [2]

ヤンキース傘下時代[編集]

2007年8月18日にニューヨーク・ヤンキースとマイナー契約を結んだ。傘下のAAA級スクラントン・ウィルクスバリ・ヤンキースでプレーした。

アストロズ時代[編集]

2008年には父がコーチを務めているヒューストン・アストロズと契約した。プレシーズン・ゲームでは打撃好調で開幕メジャー入りを果たしたが、6月6日に自由契約となった。翌日に行われたインタビューで引退の可能性を示唆し[5]、その後はどの球団とも契約せずに引退した。

引退後[編集]

引退後はMLB選手会の選手担当特別補佐を経た後、2021年よりデトロイト・タイガースのコーチ(後に役職は打撃コーチ補佐に決まる)を務める[6]。シーズン中の6月9日にタイガースを退団して母校のライス大学野球部の監督に就任した [7]

クルーズ・ベースボール・ファミリー[編集]

ホセ・クルーズ・ジュニア(Jr.)とされている事からも分かるように、元メジャーリーガーのホセ・クルーズの息子である。叔父のトミー・クルーズヘクター・クルーズもそれぞれ元メジャーリーガーである。

また、息子のトレイ・クルーズ2020年MLBドラフト3巡目(全体73位)でタイガースから指名され[8]、プロ入りしている。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1997 SEA 49 198 183 28 49 12 1 12 99 34 1 0 1 1 13 0 0 45 3 .268 .315 .541 .856
TOR 55 244 212 31 49 7 0 14 98 34 6 2 0 4 28 2 0 72 2 .231 .316 .462 .778
'97計 104 442 395 59 98 19 1 26 197 68 7 2 1 5 41 2 0 117 5 .248 .315 .499 .814
1998 105 413 352 55 89 14 3 11 142 42 11 4 0 4 57 2 0 99 0 .253 .354 .403 .757
1999 106 414 349 63 84 19 3 14 151 45 14 4 1 0 64 5 0 91 5 .241 .358 .433 .791
2000 162 681 603 91 146 32 5 31 281 76 15 5 2 3 71 3 2 129 11 .242 .323 .466 .789
2001 146 627 577 92 158 38 4 34 306 88 32 5 2 2 45 4 1 138 8 .274 .326 .530 .856
2002 124 522 466 64 114 26 5 18 204 70 7 1 1 4 51 1 0 106 8 .245 .317 .438 .755
2003 SF 158 650 539 90 135 26 1 20 223 68 5 8 2 7 102 6 0 121 14 .250 .366 .414 .780
2004 TB 153 636 545 76 132 25 8 21 236 78 11 6 5 8 76 8 2 117 6 .242 .333 .433 .766
2005 ARI 64 245 202 23 43 9 0 12 88 28 0 1 0 1 42 2 0 54 6 .213 .347 .436 .783
BOS 4 13 12 0 3 1 0 0 4 0 0 0 0 0 1 0 0 4 0 .250 .308 .333 .641
LAD 47 179 156 23 47 14 2 6 83 22 0 1 0 0 23 1 0 43 4 .301 .391 .532 .923
'05計 115 437 370 46 93 24 2 18 175 50 0 2 0 1 66 3 0 101 10 .251 .364 .473 .837
2006 86 273 223 34 52 16 1 5 85 17 5 1 4 3 43 2 0 54 3 .233 .353 .381 .734
2007 SD 91 293 256 37 60 12 3 6 96 21 6 1 5 1 31 1 0 65 3 .234 .316 .375 .691
2008 HOU 38 60 49 6 6 1 0 0 7 1 0 0 0 0 11 0 0 9 0 .122 .283 .143 .426
MLB:12年 1388 5448 4724 713 1167 252 36 204 2103 624 113 39 23 38 658 37 5 1147 73 .247 .337 .445 .782
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

背番号[編集]

  • 23(1997年 - 2002年)
  • 22(2003年 - 2005年途中、2005年途中 - 2006年、2008年)
  • 32(2005年途中 - 同年途中)
  • 9(2007年)
  • 27(2021年)

代表歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 福島良一「明日のスーパースターを目指すニューウェーブたち ホセ・クルーズ・ジュニア」『月刊メジャー・リーグ』1997年8月号、ベースボールマガジン社、1997年、雑誌 08625-8、58頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j Jose Cruz Transactions” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年8月1日閲覧。
  3. ^ 1996年より球団名変更で1996年から2000年までマリナーズ傘下
  4. ^ Baseball Awards Voting for 1997” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年8月1日閲覧。
  5. ^ Jose Cruz Jr. Calls This a Sad Day” (英語). My Fox Houston. 2008年11月4日閲覧。
  6. ^ Jason Beck (2020年12月8日). “José Cruz Jr. named to Hinch's coaching staff” (英語). MLB.com. 2021年4月22日閲覧。
  7. ^ Jason Beck (2021年6月12日). “Hessman promoted to assistant hitting coach” (英語). MLB.com. 2022年2月26日閲覧。
  8. ^ Jason Beck (2020年6月17日). “Tigers reach deals with draftees Cruz, Keith” (英語). MLB.com. 2021年4月22日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]