オーランド・ロマン

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オーランド・ロマン
Orlando Roman
Lamigoモンキーズ #34
YS-Orlando-Roman20120313.jpg
2012年3月13日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 プエルトリコの旗 プエルトリコ自治連邦区バヤモン
生年月日 1978年11月28日(37歳)
身長
体重
185 cm
102 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1999年 ドラフト31巡目(全体946位)でニューヨーク・メッツから指名
初出場 CPBL / 2010年3月24日
NPB / 2012年4月7日
年俸 $430,000(2015年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム プエルトリコの旗 プエルトリコ
WBC 2006年2009年2013年

オーランド・ブルーノ・ロマンOrlando Bruno Román1978年11月28日 - )は、プエルトリコ出身のプロ野球選手投手)。

台湾球界での登録名は羅曼

経歴[編集]

1999年MLBドラフト31巡目でニューヨーク・メッツに入団。しかし、メジャー昇格することもなく、マイナー球団を転々としていた。

2006年に、第1回WBCプエルトリコ代表に選出された。

2009年にも、第2回WBCプエルトリコ代表に選出された。

2010年台湾中華職業棒球大聯盟兄弟エレファンツに入団。同年は、最多奪三振のタイトルを獲得した。

2011年は、最多勝となる16勝を挙げた。

2012年1月13日、東京ヤクルトスワローズと1年契約を結んだことが発表された[1]4月22日読売ジャイアンツ戦で来日初勝利を挙げる[2]

2013年にも、第3回WBCプエルトリコ代表に選出されている。[3] 最初は先発としてスタートするも、リリーフ陣の相次ぐ離脱、不調により中継ぎに回った。交流戦終盤からは先発に戻ったが精彩を欠く投球が続き、さらに外国人枠の関係もあって登板の機会が中々得られなかった。8月からは再び中継ぎとして、ロングリリーフから接戦時まで多様な起用に答えた。先発では防御率7点台と結果を残せなかったが、中継ぎでは23試合で防御率1.16と安定した投球を見せた。

2014年クリス・ナーブソンクリス・カーペンターの加入もあり、外国人枠の関係で二軍スタートとなった。4月12日に投手陣の補強のため、打撃不振のラスティングス・ミレッジに変わって一軍に昇格。
トニー・バーネットの不在、前年終盤に抑えを務めた石山泰稚の不調を受けクローザーを任される。しかし5月28日に右腕の変形性肘関節症と診断され全治不明の離脱となった。

2015年はセットアッパーを中心に、谷間での先発も行うフル回転の活躍を果たした。後半戦以降は疲れも見せたが、10月2日の阪神戦では2イニングを無失点に抑え、優勝を決めた試合の勝利投手となった。オフには第1回WBSCプレミア12のプエルトリコ代表に選出されたが辞退している[4]

2015年Lamigoモンキーズと契約し、2011年以来となる台湾プロ野球復帰となった。

選手としての特徴[編集]

先発、リリーフ条件関係なく適応できる万能タイプ。平均球速約141km/h[5]、最速156km/h(日本での最速は151km/h)のストレートを主体とした本格派右腕。変化球の主な持ち球は、スライダーツーシームチェンジアップなどである。

このほかに公式戦では投げていないが、ナックルボールをもっている。2012年のキャンプでは捕手の新田玄気がとりそこねるナックルを披露した。

投手ながら打撃面でも非凡さを発揮しており、2012年は安打数こそ石川雅規の47打数10安打より少ないものの51打数8安打で内3本が二塁打、5打点をマークしている。

人物[編集]

同じプエルトリコ出身のディッキー・ゴンザレスとは幼馴染であり、幼少期は実家が近所であった[6]

楽曲のサルサが好きであり、日本人サルサ楽団であるオルケスタ・デ・ラ・ルスが登場曲として「頑張れロマン」を提供した[7]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2010 兄弟 32 24 6 2 0 12 7 0 2 .632 807 193.0 161 6 68 2 18 142 16 0 73 65 3.03 1.19
2011 33 26 4 2 0 16 6 0 3 .727 840 203.2 185 11 60 1 8 161 14 0 83 76 3.36 1.21
2012 ヤクルト 26 26 3 2 0 9 11 0 0 .450 703 165.2 152 8 69 3 6 96 8 3 59 56 3.04 1.33
2013 30 7 0 0 0 3 6 1 4 .333 290 63.2 68 4 27 2 7 44 1 0 35 30 4.24 1.49
2014 16 0 0 0 0 1 0 5 0 1.000 65 16.0 11 0 7 0 1 9 1 0 2 1 0.56 1.13
2015 61 3 0 0 0 5 5 0 23 .500 330 78.2 66 2 35 2 3 58 2 0 25 21 2.40 1.29
CPBL:2年 65 50 10 4 0 28 13 0 5 .683 1647 396.2 346 17 128 3 26 303 30 0 156 141 3.20 1.20
NPB:4年 133 36 3 2 0 18 22 6 27 .450 1388 324.0 297 14 138 7 17 207 12 3 121 108 3.00 1.34
  • 2015年シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

CPBL
  • 最多勝:1回 (2011年)
  • 最多奪三振:2回 (2010年 - 2011年)

表彰[編集]

CPBL
  • ゴールデングラブ賞(金手套奨):1回 (2011年)
  • ベストナイン(最佳十人):1回 (2011年)

記録[編集]

NPB投手記録
NPB打撃記録
その他の記録
  • 1イニング3暴投:2012年7月16日、対横浜DeNAベイスターズ11回戦(横浜スタジアム)、5回裏に記録 ※史上11人目(日本タイ記録)

背番号[編集]

  • 34 (2010年 - 2011年、2016年 - )
  • 53 (2012年 - 2015年)

脚注[編集]

  1. ^ オーランド・ロマン投手と契約”. 東京ヤクルトスワローズ公式サイト (2012年1月13日). 2012年1月31日閲覧。
  2. ^ ロマン来日初勝利!ミレッジ勝ち越し打…外国人の活躍で勝利”. スポニチ Sponichi Annex (2012年4月22日). 2012年7月10日閲覧。
  3. ^ 第3回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)出場選手について 東京ヤクルトスワローズ公式サイト
  4. ^ 燕・ロマン、『プレミア12』の代表辞退「自分の仕事の方が大事」 SANSPO.COM (2015年11月2日) 2015年11月27日閲覧
  5. ^ 『2013 プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2013年、44頁。ISBN 978-4-905411-11-6
  6. ^ 幼なじみは巨人の助っ人…ヤクルト・ロマン来日”. スポニチ Sponichi Annex (2012年1月28日). 2012年1月31日閲覧。
  7. ^ サルサ好きロマン 中南米で大人気のバンドが登場曲提供”. スポニチ Sponichi Annex (2012年7月10日). 2012年7月10日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]