マックス・キャリー

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マックス・キャリー
Max Carey
Bill McKechnie, John H. McCooey, and Max Carey NYWTS.jpg
マックス・キャリー(右)とビル・マケシュニー(1932年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗インディアナ州テレホート
生年月日 1890年1月11日
没年月日 1976年5月30日(満86歳没)
身長
体重
5' 11.5" =約181.6 cm
170 lb =約77.1 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 外野手
初出場 1910年10月3日
最終出場 1929年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg 殿堂表彰者Empty Star.svg Empty Star.svg Empty Star.svg
選出年 1961年
選出方法 ベテランズ委員会選出

マックス・キャリー(Max George Carey, 1890年1月11日 - 1976年5月30日)は、1910~1920年代に活躍したアメリカメジャーリーグの選手。ポジションは中堅手インディアナ州生まれ。右投げ、スイッチヒッター。ニックネームは"Scoops"(スクープス)。現役21年間で盗塁王を10度獲得した俊足の外野手だった。

経歴[編集]

彼の本名は"Max Carnarius"だが、名前が言い辛いという野球アナウンサーからの要望で、"Carey"に変えたのだという。1910年にマイナーのサウスベンド球団からピッツバーグ・パイレーツに入団。翌年から外野手のレギュラーとなる。1913年には持ち前の足の速さをで61盗塁をマークし自身初の盗塁王、また99得点を挙げて得点王となる。パイレーツには1926年シーズン途中まで所属していたが、1913年から1925年の13年間のうち、実に10度の最多盗塁を記録した。彼の盗塁の成功率は高く、1922年シーズンは51個の盗塁をマークし、失敗はわずかに2つだった。また1925年には打撃も好調で、自身最高の打率.343をマーク。初めて出場したワールドシリーズでも、キャリーは24打数11安打と活躍し、チームはこの年のワールドシリーズを制覇した。

1926年シーズンにパイレーツからウェイバーに登録され、ブルックリン・ロビンズに移籍。1929年に引退した。 引退後、1932年と1933年にブルックリン・ドジャーズの監督を務めた。その後は全米女子プロ野球リーグに関わり、1945年から1949年までリーグの理事長職をつとめ、監督としてもミルウォーキー・チックスやフォートウェイン・デイジーズを率いた。 1961年、ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。1976年フロリダ州マイアミで死去。

通算成績[編集]

打撃成績[編集]

































O
P
S
2476 9363 2665 419 159 70 1545 800 738 695 1040 77 290 .285 .361 .386 .747

獲得タイトル・記録[編集]

監督としての戦績[編集]

出典・外部リンク[編集]