ジョニー・ヴァンダー・ミーア

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ジョニー・ヴァンダー・ミーア
Johnny Vander Meer
Johnny Vander Meer.png
(1948年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ニュージャージー州
生年月日 1914年11月2日
没年月日 (1997-10-06) 1997年10月6日(満82歳没)
選手情報
投球・打席 左投両打
ポジション 投手
プロ入り 1933年
初出場 1937年4月22日
最終出場 1951年5月7日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ジョニー・ヴァンダー・ミーアJohnny Vander Meer, 1914年11月2日 - 1997年10月6日)は、元メジャーリーグ投手。本名ジョン・サミュエル・ヴァンダー・ミーア(John Samuel Vander Meer)。左投両打。アメリカニュージャージー州ミッドランドパーク出身。ニックネームは“The Dutch Master”。

メジャーリーグ史上唯一の2試合連続ノーヒットノーランを達成したことで知られる。

経歴[編集]

オランダ出身の石工の息子として生まれた。ニューヨーク・ジャイアンツの投手カール・ハッベルがあこがれの選手だった。

1933年ブルックリン・ドジャースと契約し、その後ボストン・ブレーブスシンシナティ・レッズに移籍。1937年4月22日にレッズでメジャーデビュー。

1938年6月11日クロスリー・フィールドで行われたボストン・ブレーブス戦でノーヒットノーランを達成。3四球、4奪三振。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
ボストン 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
シンシナティ 0 0 0 1 0 2 0 0 X 3 6 1


4日後の6月15日エベッツ・フィールドで行われたブルックリン・ドジャース戦で2試合連続ノーヒットノーランを達成した。8四球、7奪三振。9回は1アウトから3四球で満塁のピンチを迎え、ビル・マケシュニー監督がマウンドに向かい声をかけた。次の打者をサードゴロ本塁封殺に打ち取り2アウト。最後のバッターレオ・ドローチャーを浅いセンターフライに打ち取り大記録を達成した。故郷ミッドランドパークから両親も観戦に訪れていた。また、この試合は球場初のナイター試合だった。フランクリン・ルーズベルト大統領から祝辞を贈られた。達成した記念ボールは、アメリカの歌手で野球グッズコレクターのSeth Swirskyが所有している[1]

1 2 3 4 5 6 7 8 9 R H E
シンシナティ 0 0 4 0 0 0 1 1 0 6 11 0
ブルックリン 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2


次の登板試合となった6月19日のボストン戦では4回1アウトまでノーヒットピッチングだったが、デブス・ガームスに左中間にヒットを打たれ、3試合連続ノーヒットノーランはならなかった。しかし、21回2/3イニング連続被安打ゼロのナショナルリーグ記録を作った。同年7月6日にレッズの本拠地クロスリー・フィールドで行われたオールスターゲームに初出場し、ナショナルリーグの先発を務め勝利投手となった。

1940年にはワールドシリーズ優勝を経験。1941年から3年連続でナショナルリーグ最多奪三振第二次世界大戦中は海軍に入隊し、戦後メジャーに復帰。その後も1956年までマイナーリーグや独立リーグでプレーした。

1997年10月6日、フロリダ州タンパの自宅で死去。82歳。

通算成績 346試合登板 119勝121敗 投球回2104回2/3 奪三振1294 防御率3.44

記録・タイトル[編集]

  • オールスター4回選出
    • 1938年 先発し3回1安打無失点1奪三振、勝利投手
    • 1939年 (出場せず)
    • 1942年 3回2安打無失点4奪三振
    • 1943年 2.2回2安打1失点6奪三振、オールスター1試合最多奪三振タイ記録
  • 最多奪三振3回 1941年 - 1943年

外部リンク[編集]