榎下陽大

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
榎下 陽大
Yodai Enosida, pitcher of the Kyushu Sangyo University, at Meiji Jingu Stadium.JPG
九州産業大時代
(2010年11月14日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 鹿児島県鹿児島市
生年月日 (1988-07-21) 1988年7月21日(30歳)
身長
体重
179 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2010年 ドラフト4位
初出場 2011年7月26日
最終出場 2017年5月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

榎下 陽大(えのした ようだい、1988年7月21日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

伊敷台小学校1年時に野球を始め、6年時には県選抜のメンバー入りし、全国大会で優勝。伊敷台中学校時代は軟式野球部でプレー。

鹿児島工業高では3年夏の甲子園(2006年第88回選手権大会)に出場している。鹿児島県勢では県立高として53年ぶり(同校としては初)の出場ながら、4強へ進出。準決勝で同大会の優勝校である早稲田実業高校と対戦し、斎藤佑樹に無得点に抑えられて敗れた。

九州産業大学進学後は1年春からベンチ入りし、同年と2年秋、3年秋、4年秋の福岡六大学リーグ優勝を経験した。2年春にはベストナイン、4年秋にはMVPに選出された。リーグ通算31勝7敗。同リーグでは馬原孝浩九州共立大学)以来となる30勝投手。

2010年のNPBドラフト会議で、北海道日本ハムファイターズから4巡目で指名。 契約金5,000万円、年俸900万円(金額は推定)という条件で入団した。早稲田大学の投手としてドラフト1巡目指名を受けた斎藤と同期入団で、背番号は35。ちなみに、ドラフト会議翌日(10月29日)に登板した九州大学野球選手権の準決勝では、名桜大学打線を相手にノーヒットノーランを達成している。

プロ入りに関して意中の球団は特になかったが、福岡Yahoo!JAPANドームとの相性などから福岡ソフトバンクホークスでのプレーを夢見ていたという[1]。前述の通りドラフト会議ではソフトバンクではなく日本ハムから指名され、会議後の九州大学野球選手権決勝戦後に「ソフトバンクに取っておけばよかったと思わせる投球をしたかった。いつかまたここ(福岡Yahoo!JAPANドーム)で投げたい」と語った。

プロ入り後[編集]

2011年には、7月26日オリックス・バファローズ戦(帯広の森野球場)8回表に一軍公式戦へデビュー[2]。しかし、一軍公式戦への登板はこの試合のみで、翌2012年には二軍での調整に終始した。

2013年には、一軍公式戦9試合に登板。10月4日の対福岡ソフトバンクホークス戦(札幌ドーム)で一軍公式戦初勝利を挙げた。

2014年には、一軍公式戦1試合に登板。1死を取っただけで2点を失うと、翌2015年には再び一軍から遠ざかった。

2016年には、一軍公式戦でロングリリーフを中心に自己最多の16試合に登板し、1勝0敗、防御率3.56という成績を残しチームのリーグ優勝に貢献したが、ポストシーズンでは登板の機会がなかった。

2017年には、一軍公式戦8試合に登板。防御率を2.38にまで向上させたが、球団から戦力外通告を受けたことを機に、11月24日のファンフェスティバルで現役引退を発表した。

現役引退後[編集]

日本ハムの球団職員に転身。2017年12月7日には、チーム統轄本部国際グループへ配属されることが発表された[3]2018年から、業務提携球団のテキサス・レンジャーズへ派遣。

選手としての特徴[編集]

真上から振り下ろすオーバースローから最速150km/hの速球フォークボールカットボールスライダー、90 - 100km/h台のスローカーブを投げ分けていた[4][1]

かつて日本ハムに在籍していた左投手の岡島秀樹と同様に、顔が横を向く投球フォームが特徴。小学6年時の野球教室で稲尾和久に「投げる時は、捕手をしっかり見て投げなさい」と指摘されて以来、何度もフォームを変えようとしたが、結局上記のフォームに戻っている[1]

現役時代には、尊敬する選手としてティム・リンスカムを挙げていた[5]。その一方で、右肩にルーズショルダー(非外傷性肩関節不安定症)の傾向が見られたため、キャッチボールの前にはチューブトレーニングを欠かさなかった[1]

人物[編集]

英語ができれば世界の色んな所に行けるから」という憧れから幼い頃より英語に興味を持ち、野球は高校で辞め、大学卒業後の留学を考えていた。しかし両親の説得により、野球ができて英語の勉強にも取り組める大学への進学を決め、九州産業大学では国際文化学部英文コースに在籍。以前は日本人学校の教師を目指していたが、日米親善高校野球大会の高校日本代表のメンバーとしてアメリカ遠征やロサンゼルスでのホームステイを経験し、今では「メジャーリーグに挑戦する日本人選手の通訳」を夢見ている[1]。また母校の鹿児島工業高校で教育実習を行い、英語の教員免許を取得している[6]

同学年の田中将大と親交があり、同世代では田中と斎藤が別格だったと語っている[4]

理容組合北海道日本ハムファイターズ後援会が球団とコラボレーションして、毎年の最新ヘアデザインのモデルを若手選手の中よりファン投票で選出している企画「ファイターズスタイル」の2012年度モデルに選ばれている[7][8]

現役を引退してからは、日本ハムの球団職員として、英語での高度なコミュニケーションが求められる国際グループへ配属された[3]2018年3月には、派遣先のレンジャーズへリンスカムが移籍したことから、現役時代に叶わなかった本人との対面やコミュニケーションを実現させている。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2011 日本ハム 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 6 1.0 2 0 1 0 0 1 0 0 1 1 9.00 3.00
2013 9 0 0 0 0 1 0 0 1 1.000 47 12.1 8 1 2 0 1 9 0 0 5 5 3.65 0.81
2014 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 3 0.1 1 0 1 0 0 0 0 0 2 2 54.00 6.00
2016 16 0 0 0 0 1 0 0 1 1.000 119 27.2 22 5 17 0 1 21 1 0 11 11 3.58 1.41
2017 8 0 0 0 0 0 1 0 0 .000 51 11.1 14 1 4 0 0 6 2 0 3 3 2.38 1.59
通算:5年 35 0 0 0 0 2 1 0 2 .667 226 52.2 47 7 25 0 2 37 3 0 22 22 3.76 1.37

記録[編集]

背番号[編集]

  • 35 (2011年 - 2017年)

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d e 『野球小僧』2010年10月号、白夜書房、雑誌18801-10、156 - 159頁
  2. ^ ホロ苦プロ初登板 榎下「斎藤世代の1人として…」 スポーツニッポン、2011年7月27日
  3. ^ a b スタッフ就任のお知らせ 北海道日本ハムファイターズ公式サイト、2017年12月7日
  4. ^ a b 運命の日を前に ドラフト候補インタビュー『アマチュア野球』第29号、日刊スポーツ出版社、2010年、雑誌66835 - 98、96-97頁
  5. ^ 本人のTwitter2011年9月12日
  6. ^ 注目の候補たち(3)九州産業大・榎下陽大~リーグ通算30勝を記録した九州の雄 田尻耕太郎 Web Sportiva、2010年10月21日
  7. ^ 日本ハムのおもしろ“髪ラツ”企画 若手選手がヘアデザインのモデルに 今年はダレ?ZAKZAK、2017年7月3日閲覧。
  8. ^ ファイターズスタイルカットハウスしばた、2017年7月3日閲覧。
  9. ^ “【日本ハム】3年目榎下が涙のプロ初白星”. nikkansports.com. (2013年10月4日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20131004-1199717.html 2014年5月8日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]