平沼定晴

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平沼 定晴
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県習志野市
生年月日 (1965-03-27) 1965年3月27日(52歳)
身長
体重
178 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1982年 ドラフト2位
初出場 1984年5月23日
最終出場 1998年8月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

平沼 定晴(ひらぬま さだはる、1965年3月27日 - )は、千葉県習志野市出身の元プロ野球選手投手)。

2011年シーズンまでは中日ドラゴンズ打撃投手兼用具係を担当していたが、後述の理由で2012年シーズンからは用具係専任となる。

来歴・人物[編集]

ニックネームはジャミラウルトラマンに登場した首がほとんどない怪獣で平沼の風貌が似ているからだという。

千葉商科大学付属高校時代の1982年第54回選抜高等学校野球大会に出場、大会屈指の速球派として前評判が高かったものの初戦で敗退した。その年の夏は県予選の2回戦で12奪三振を奪う好投をしたが敗退した。

しかし喧嘩早く物怖じしない投手で、度胸が据わっていると入団前からプロ球界でも評判をとり、さらにセンバツ出場などの活躍が評価されその年のプロ野球ドラフト会議中日ドラゴンズから2位指名を受け、入団。

落合博満が中日に1対4でトレードされた際、上川誠二牛島和彦桑田茂3選手とともにロッテに移籍した。また、1996年には仁村徹酒井忠晴山本保司との3対3トレードで前田幸長樋口一紀とともに中日に復帰。2度の大型トレードによって古巣復帰を果たした珍しい例である。

平沼の気質が最も現れた試合が1989年9月23日の西武戦で、清原和博に死球を与えた際、逆上した清原からバットを投げつけられ、グリップエンドがヒザに直撃した[1]。平沼も怒って清原に向かって走っていったが、清原からヒップアタック(ジャンピングニーバット)にあってしまった[1]。試合終了後に平沼は、清原が帰るのを狙おうと駐車場で待ち伏せたが、周りに止められた[1]。乱闘の翌日、辻発彦に付き添われて清原はロッテのロッカールームに謝罪にきたが、ベテランの先輩に怒鳴られてしまったなどの要因で、その時には分かち合えなかった。その後の清原との対戦では内角に投げづらくなっていたが、人伝に(清原が)内角を投げてほしいと言っていたことを聞く[1]

また、2年前の1987年4月28日の日本ハム戦でも、死球を当てられ激高した二村忠美が付近にバットを投げつけてきて(これは当たっていない)、二村の態度に激高した有藤道世監督がベンチから飛び出してくるなど乱闘の当事者になっている。

現役引退後の1999年から打撃投手として選手の打ちやすい球を投げられず苦労したが、立浪和義には逆にそれが好評であった。立浪は引退するまで打撃練習の相手には必ず平沼を指名していた。2009年頃から右肘に痛みを感じるようになり、連日テーピングと注射で痛みに耐えていたが、2011年夏ごろに肘が曲がらない「ロック」という症状に陥り、その後秋に復帰するものの打撃投手からの引退を決意。2012年シーズンからは用具係専任となる[2]

現役時代から丸刈り頭がトレードマークで、かつてはCBCテレビサンデードラゴンズ」内の企画で平沼の散髪中にチーム内のこぼれ話を話してもらうコーナーがあった(打撃投手になった後であり、現役時代ではない)。

息子貴晴は大垣日大高等学校野球部で投手としてプレーしていた(全国大会の出場はない)。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1984 中日 4 0 0 0 0 0 0 0 -- .000 29 5.2 10 1 3 0 0 2 1 0 5 5 7.94 2.29
1985 20 0 0 0 0 0 1 0 -- .000 115 20.2 34 4 18 0 2 13 0 0 32 29 12.63 2.52
1986 34 2 0 0 0 1 2 0 -- .333 223 50.2 54 6 18 1 3 39 3 0 27 25 4.44 1.42
1987 ロッテ 35 1 0 0 0 1 0 0 -- 1.000 302 70.0 70 8 28 1 2 45 6 0 25 25 3.21 1.40
1988 8 1 0 0 0 0 1 0 -- .000 93 17.1 31 3 11 2 2 8 1 0 26 24 12.46 2.42
1989 36 1 0 0 0 1 3 4 -- .250 285 65.1 70 13 28 1 2 41 2 0 42 41 5.65 1.50
1990 18 3 0 0 0 0 0 0 -- .000 151 32.2 43 6 12 0 0 25 3 0 22 17 4.68 1.68
1991 40 0 0 0 0 4 6 1 -- .400 416 96.0 99 9 36 6 5 71 3 0 46 37 3.47 1.41
1992 40 3 1 1 0 6 2 0 -- .750 333 82.0 59 6 37 2 5 49 3 0 22 22 2.41 1.17
1993 36 0 0 0 0 3 2 0 -- .600 291 68.0 69 6 33 2 3 40 2 0 35 34 4.50 1.50
1994 38 1 0 0 0 2 5 0 -- .286 276 61.2 76 10 25 0 0 44 2 0 43 40 5.84 1.64
1995 10 0 0 0 0 0 0 0 -- .000 29 5.2 10 0 4 0 0 3 1 0 6 6 9.53 2.47
1996 中日 13 0 0 0 0 0 0 0 -- .000 67 14.0 23 1 6 0 1 8 1 0 12 10 6.43 2.21
1997 4 0 0 0 0 0 0 0 -- .000 15 3.2 6 0 1 0 0 1 0 0 0 0 0.00 1.91
1998 西武 6 0 0 0 0 0 0 0 -- .000 42 9.1 9 2 6 0 0 2 0 0 7 7 6.75 1.61
通算:15年 342 12 1 1 0 18 22 5 -- .450 2667 602.2 663 75 266 15 25 391 28 0 350 322 4.81 1.54

記録[編集]

背番号[編集]

  • 46 (1983年 - 1986年)
  • 25 (1987年 - 1995年)
  • 13 (1996年 - 1997年)
  • 50 (1998年)
  • 111 (1999年 - 2011年)

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 清原氏、26年前の“跳び蹴り事件”を平沼氏に謝罪”. スポーツ報知. 2015年10月11日閲覧。
  2. ^ 「竜が舞う2011 打撃投手から用具係へ 支える土台として」 - 中日新聞 2011年12月3日付夕刊 10面

関連項目[編集]