谷戸

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谷津田から転送)
上谷戸(かさやと)親水公園(稲城市坂浜、現在の若葉台一丁目。2005年7月18日撮影。)
丘陵地の中の森林に囲まれた谷あいの土地で、水が集まるため古くからの集落がありが営まれている場合が多い。
写真は今も里山の風景を色濃く残しており、農業公園としての整備・保全が検討されている川崎市麻生区黒川西谷、奥ノ谷(おきのやと)付近(2006年5月5日撮影)。
谷津(田植え直後の谷津田)(千葉県香取市・2007年5月3日)
下総台地に入り組む谷津田(千葉県芝山町・2009年4月)

谷戸(やと)とは、丘陵地浸食されて形成された状の地形である。また、そのような地形を利用した農業とそれに付随する生態系を指すこともある。(や、やと)・谷津やつ)・谷地(やち)・谷那(やな)などとも呼ばれ、主に東日本関東地方東北地方)の丘陵地で多く見られる。なお、同じ地形について、中国九州などの西日本では迫・佐古(さこ)、岐阜県では(ほら)と呼ぶ[1][2]

地形[編集]

多摩丘陵三浦丘陵狭山丘陵房総丘陵武蔵野台地下総台地といった関東丘陵地・台地の縁辺部が、長い時間をかけて浸食され形成された谷状の地形は、谷戸・谷津・谷地などと呼ばれている。

これらの表記および読みは地域により分布に差が見られ、同様の地形を表す際にも、千葉県などでは「谷津」(やつ)を、神奈川県および東京都多摩地域では「谷戸」(やと)または「谷」(や)を、東北地方では「谷地」(やち)を使う場合が多い(#地名を参照)[3][4]

これらの経緯については史料が少なく詳細は分かっていないが、いずれの場合も意味は同じで、浅い浸食谷の周囲に斜面樹林が接する集水域であり、丘陵地の中で一段低くなった谷あいの土地であることを表している[5]

多摩丘陵・三浦丘陵における谷戸地形の成因は、主に約2万年前の最終氷期頃にかけて進んだ水・湧水による浸食で、その後の縄文海進期にかけて崩落土などによる谷部への沖積が進み、谷あいの平坦面が形成されたと考えられている[4]

土地利用[編集]

大量のを使う水稲耕作において水利の確保は重要な課題のひとつとなるが、日本列島において稲作が始まってからしばらくの間は利水治水技術が発達していなかった。当初の製品は朝鮮半島からもたらされる希少なものであり、農具製が多く、用水路開削などには多大な労力を要した。その頃には、集水域で湧水が容易に得られ、しかも洪水による被害を受けにくい谷戸は、排水さえ確保できれば稲作をしやすい土地であった。そのため丘陵地内で谷戸では古くから稲作が営まれており、中世までには開発が進んでいたものと考えられている[4][6]

こうした土地は森林が近接する谷あいの農地であることから、田に近接する斜面では日照を確保するため「あなかり」などと呼ばれる下草刈りが定期的に行われており、また近接する森林ではなどを取ることができ、そうした行為には慣例として入会権が認められていた[7]。労力さえかければ生活に必要な食糧・燃料・道具などの材料を調達するに適した土地であったと考えられている。

反面、こうした場所は尾根筋に挟まれた狭隘な地形であるために日照時間が短く、水はけが悪い場合には湿地状態となることが多い。また湧水地に近接する谷戸田へ農業用水を直接引き入れると、水温が上がらないうちに田に入ってしまうこととなり(多摩地域では谷戸に流れる冷たく分解前の腐植質が混じる水を「黒水」と呼んだ)、水を引き回すなどして温める工夫が求められる上、収穫されるの食味が悪くなるとの指摘がある[8]

戦国時代以降になると治水・利水技術が進展し、諸大名石高向上のための稲作振興策を推進したため、関東においても新田開墾が進み、沖積平野での稲作が盛んになった。

明治以降になると中央集権化が進められ、それまで地域毎に主導で行われていた農業振興策が縮小・廃止されるようになり、戦後高度経済成長」期になると農機化学肥料の導入をはじめとする集約農業化が進められ、エネルギー源も薪から化石燃料へと転換した。その影響を受けて、前述のような谷戸地形の優位性が失われるとともに欠点が目立つようになり、谷戸田は衰退することとなった。また湿度が高く宅地とするにも不向きであることから、耕作放棄後には荒れ地になっていたり、建設残土などにより埋め立てられている場合すらある[8][6]

しかしながら、都市化が進む地域においては緑地水源地としての希少性・貴重性が認められ、谷戸の自然を保全する動きが出てくるとともに、生態系上の価値も認められるようになっている。

生態系[編集]

生物多様性の重要性が認識されるようになるとともに、独特の条件がある谷戸の生態系に注目が集まるようになった[9][10][11][12]

たとえば、トウキョウサンショウウオヤマアカガエルなどの絶滅危惧種や地域固有種が、開発を逃れた谷戸に生息していることが多い[8]。また、急激な都市化が進められた関東地方において従来の生態系が残っている場合があることから、里山雑木林などとともに価値が見直されはじめている。


地名[編集]

関東地方近辺では、地域ごとに主に下記の呼称が使われている[3][4][13]

宮城県
やち
茨城県
や、やつ
谷田部(やたべ、東谷田川、西谷田川が存在する)
谷田部町
千葉県下総台地房総丘陵など)、鎌倉付近
やつ
谷津(習志野市;旧津田沼町の前身の一つ)
栃木県
や、やつ
群馬県
かいと、やつ
埼玉県狭山丘陵など)
やと(がいと)、やつ
神奈川県東京都多摩丘陵三浦丘陵
やと(相模野台地では「やつ」とも、武蔵野台地では「や」とも)
市谷大谷田(おおやだ)

地名例[編集]

生物に用いられた例[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ 自然科学のとびら 5巻4号「ライブラリー通信 迫(さこ)」神奈川県立生命の星・地球博物館
  2. ^ 谷筋(洞)集落 - 郡上市
  3. ^ a b 山田秀三 『関東地名物語 - 谷・谷戸・谷津・谷地の研究 再版』 草風館、1998年、ISBN 4-8832-3058-9
  4. ^ a b c d (PDF) 谷戸地形 2.谷戸地形の特質と推移(横浜市)
  5. ^ 谷戸の景観構造(慶應義塾大学 地球環境概論 厳 網林)
  6. ^ a b 多摩地域の谷戸の保全に関する調査 東京都環境局
  7. ^ 岡上村・梶家文書『連判証文之事』、宝暦5年 3月(川崎市市民ミュージアム蔵)などに記録がある。
  8. ^ a b c 廣井敏男『里山はトトロのふるさと』旬報社、2004年、ISBN 4-8451-0862-3
  9. ^ 日本の重要湿地500 房総丘陵の谷津田、湧水地環境省生物多様性センター
  10. ^ 生物多様性の観点から重要度の高い湿地 No.189 北総地域の谷津田環境省
  11. ^ 谷間の田に植物いろいろ 絶滅危惧種守る「谷津田」(朝日新聞、2008年01月30日)
  12. ^ 横浜の谷戸は生き物がいっぱい!−平成17年度 源流域水環境基礎調査(帷子川流域)の結果がまとまりました−(横浜市環境創造局環境科学研究所)
  13. ^ 自然科学のとびら 5巻3号「ライブラリー通信 谷戸・谷津」 神奈川県立生命の星・地球博物館

関連項目[編集]

外部リンク[編集]