東邦大学付属東邦中学校・高等学校

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東邦大学付属東邦中学校・高等学校
Tohohighschool.jpg
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人東邦大学
設立年月日 1952年2月27日
創立者 額田豊額田晉
共学・別学 共学
中高一貫教育 併設型→完全一貫制
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
高校コード 12522K
所在地 275-8511 
公式サイト 東邦大学付属東邦中学校高等学校
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東邦大学付属東邦中学校・高等学校 (とうほうだいがくふぞくとうほうちゅうがっこう・こうとうがっこう) (英称:Toho Junior & Senior High School, attached to Toho University) は、千葉県習志野市に所在し、中高一貫教育を提供する共学私立中学校高等学校東邦大学の付属校であり、旧帝国女子医学専門学校の流れを汲む。高等学校においては2017年度から生徒を募集停止し[1]完全中高一貫校となる。

概要[編集]

旧帝国女子医学専門学校の戦後改名校の東邦大学を設立した額田豊額田晉自然・生命・人間の観察の必要性を唱え、1952年昭和27年)創立。東邦大学の付属校と言う事もあり、理系としての強みを活かした実験中心の授業が行われているが、文系クラスもあり理系だけでなく部活動や課外学習を通して幅広く学ぶ。一般には受験生などからは理系に強いイメージが強く、実際、内部生の7割が理系志望者である[2]。観察・思考を育む方針で、自主的で大らかな校風が特徴である。

2012年に高校60周年、中学50周年を迎えた。その間、校地の習志野西地区(現・東邦大学習志野キャンパス)から現校地である習志野東地区への移転、男子部・女子部制から共学制への移行、読書マラソンでの総合的な学習の時間を含む「自分探し学習 (EXPLORING STUDY)」の開始、校内に設置していた「習志館」からテニスコートへ、「白羽寮」から天体観測室へ、高校募集可能[注 1]から中高一貫専門へ(2017年[1]と沿革している。

とくに、「自分探し学習 (EXPLORING STUDY)」の探求型の学習プログラムは多彩である。「社会科博士号」「レスィテーションコンテスト・英文絵日記」など、いくつか特徴的なプログラムがある。また、「学問体験講座」は大学の付属校の強みを生かして学内外から大学教授を招聘している。高校50周年、中学40周年である2002年度から開始された。

東邦大学への推薦枠がある。医学部が10名、薬学部が20名。理学部にも推薦枠がある。

当校を含む学校法人東邦大学の建学の精神については、創立者の一人である額田晋により1957年(昭和32年)に刊行された著書『自然・生命・人間』に詳しい。学校法人・同窓会(『自生人』)が復刻本を刊行している[注 2]

環境[編集]

50948.9㎡の校地に7つの理科実験室、外国語リスニング室、家庭科実習室、中高美術室、中高音楽室、天体観測室、図書室、カウンセリングルーム、2つの体育館(温水プールを含む)、弓道場、全面人工芝グラウンドなどが整えられている。東邦大学の学生寮が隣接されすぐ側に東邦大学理学部・薬学部が所在する。

県内での位置付け[編集]

千葉県私立学校として50年以上の歴史を持つ。千葉県立高校の全盛期(1950年代から1980年代末期のバブル期)でも、私立高校として千葉県理系教育のトップを握っていた。市川中学校・高等学校渋谷教育学園幕張中学校・高等学校と並び称され、進学校として千葉県私学御三家の中の理系専科と称される。校風は理数科中高一貫教育にあり、他校と比べて国公立大学私立大学問わず、医学部歯学部薬学部看護学部理学部工学部農学部などに進学する生徒が多い。 旧帝国系にて私立と言う事もあり資本主義を基礎とした日本では珍しい学園だけあり、全国各地や世界からも受験する児童が多い。

校長[編集]

  • 初代 額田豊 (1952- )
  • 第6代 下村弘毅 (1969-1978)
  • 第7代 島袋善吉 (1978-1981)
  • 第8代 相川勝衛 (1981-1992)
  • 第9代 細野直 (1992-1995)
  • 第10代 伊藤恒之 (1995-2001)
  • 第11代 秋山尚功 (2001-2010)
  • 第12代 小髙昌次 (2010-2015)
  • 第13代 松本琢司 (2015-)

沿革[編集]

銀杏祭(いちょうさい)
体育祭(中学校)
  • 1926年 - 額田豊額田晉両博士兄弟によって帝国女子医学専門学校が創立。
  • 1930年 - 薬学科が増設され、帝国女子医学・薬学専門学校と校名変更。
  • 1941年 - 帝国女子理学専門学校を併設。
  • 1941年 - 帝国女子薬学専門学校と帝国女子理学専門学校を習志野西地区(現在大学所在地)に移転。
  • 1946年 - 帝国女子理学専門学校が習志野東地区(現中高所在地)に移転。
  • 1950年 - 医・薬・理学部を擁する東邦大学発足。
  • 1952年2月27日 - 東邦大学付属東邦高等学校の学校設立の認可が下りる。
  • 1952年 - 東邦大学付属東邦高等学校として開校
  • 1957年 - 姉妹校の駒場東邦中学校・高等学校が開校。
  • 1961年 - 東邦大学付属東邦中学校が開校。東邦大学付属東邦中学校・高等学校として中高一貫教育が始まる。
  • 1970年 - 男子部・女子部制を共学制に改める。
  • 1973年 - 習志野東地区(現校地)に移転。
  • 2005年 - セミナー館完成。
  • 2007年 - 高等学校の制服変更(女子のみ)。
  • 2009年 - 校内にあった「白羽寮」を多目的宿泊研修施設「習志野館」に改修。
  • 2017年 - 高等学校からの生徒募集を停止、完全中高一貫校[1]

建学の精神・理念[編集]

「自然・生命・人間」の尊重
校門の入り口には次の石碑がある。
「無限なる天体のうちに 
   雄大なる自然のうちに 
   そして美しい青空のもとに 
   われらは生活しているのである。」
額田兄弟の自然も生命も人間も宇宙であると言う東洋医学を基礎とした医学観。
創設者の一人額田晉の著書名でもある。第9代校長 細野直 (1992 - 1995) により、本校の建学の精神はこれらに凝縮されていると力説し、校内のあらゆる教育機会にこの精神を発揚していこうと強調した。
あきず・こりず・たゆまず
さらに「自分探しの旅」「ノーブレス・オブリッジュ(エリートの義務)」「断片からの脱出」を訴え、宇宙・自然の無形の偉大な力を畏敬し、大自然の一部としてもらい受けた生命を大切にし、心の向上を目指して、学問への強い意志と絶え間のない自己鍛錬と謙虚な自己省察によって、それぞれの人生目標に向かって精進するという、東邦中高生最大の課題を示した。
論語にある「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり。」この言葉の意味をアンデルセン童話を題材に自分の生きる道の発見とその道を前へ進み続けることこそが人間の最大の課題とした。
17,8が二度候か。枯れ木に花が咲き候か。
古典の名士第10代伊藤恒之校長は高等学校でしか出来ない青春をこの学園で送って欲しいと言う考えで、中国語で「青春是多磨美麗呀!」と刻苦研鑽へのエールを送った。
学灯3基(ラテン語格言
  • VERITAS NOS LIVERABIT 真理は我らを自由にする
  • PER ASPERA AD ASTRA 苦難を越えて星座(栄光)へ
  • EX ORIENTE LUX 光は東方(東邦)より
2002年高校創立50周年・中学創立40周年記念事業で設立されたセミナー館内に、生徒が希望と誇りをもってエリートとして立派な勉学の道に励むように思いを込めて、掲示された。
東邦学園校歌にも永久にかがやけと言う文字で同じ様に刻まれている。

交通アクセス[編集]

進路[編集]

上部組織の東邦大学への進学はもちろん東京大学京都大学東京工業大学一橋大学千葉大学をはじめとする名門国公立大学上智大学慶應義塾大学早稲田大学明治大学千葉商科大学などの名門私立大学への進学変更者も大いに推進し多数輩出している。

かねてより理数科中高一貫教育の名門であり、理工科系の進学に力を入れている。そのためこの分野への進学者が多い[要出典]国公立大学、私立大学の医学部の合格者数は県内有数の実績がある[要出典]東邦大学医学部への推薦枠もある。

著名な卒業生[編集]

系列校[編集]

付属
兄弟校

関連項目[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 高校入試の試験科目が国語数学英語理科の4教科で行われ、首都圏でもまれな形態を採っていた。
  2. ^ 毎年新入生に入学時に配布されている。

外部リンク[編集]

  1. ^ a b c 高校の見学会・説明会|入試情報|東邦大学付属東邦中学校高等学校”. 東邦大学付属東邦中学校・高等学校. 2016年5月5日閲覧。
  2. ^ 東邦大学付属東邦中学校 中学受験の情報サイト「スタディ」”. 株式会社バレクセル. 2016年5月5日閲覧。