多部田俊雄

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多部田 俊雄(たべた としお)は、株式会社プロトタイプ代表取締役。元インターチャネルプロデューサー

略歴[ソースを編集]

学生時代には電波新聞社の「月刊マイコン」において、エッセイ『メジャーなゲーム作家になるために』を連載するとともに、自作のゲームの掲載等、プログラマ兼ライターとして活躍した。その後、ゲームレビュー記事『T-TIME』を担当。次第に読者コーナー的な部分を持ち合わせるようになり、コーナー名を『よろしくカンパニー』に改名している。また、同社発売のソフトウェアのうち、PC-8800シリーズ/MZ-2000/2200並びにMZ-2500用のパックマンや、MSX用のバーガータイム、ソフィアを除くYMCAT作品のMSXへの移植なども行っている。BASICが併用できる環境では、BASICプログラムをローダや、タイトル表示等に用い、メイン部分をマシン語で構成することが多かった。

NECアベニュー時代はアーケードゲームアダルトゲームPCエンジンへの移植活動、NECインターチャネルに異動後はアダルトゲーム家庭用ゲーム機への移植、さらにオリジナル作品(ギャルゲー)などのプロデュース活動を行った。

後にNECインターチャネルを経て成ったインターチャネルを、社内再編から2006年3月には退職し、株式会社プロトタイプを設立。

代表的な発売遅延・中止作品[ソースを編集]

多部田が関わったゲームソフトは発売の遅延や中止となった作品が多いことで知られている。

ワードナの森
NECアベニューのPCエンジン参入第1弾タイトルとして1988年に発表されていたが、当初予定されていたHuCARDソフトからCD-ROM²SUPER CD-ROM²プラットフォームの変更を繰り返した(HuCARD版とCD-ROM²版はそれぞれ完成間近にありながら、多部田の一方的な指示でプラットフォーム変更が行われた)後、発売中止となった。
2003年にPCエンジン特集を行った「ユーゲー」のインタビュー記事では、「完成はしていたが移植担当のプログラマの技術不足でハードスペックの半分も出せていない稚拙な内容だったためあえて発売しなかった」と未発売の理由を語っている。
ストライダー飛竜
『ワードナの森』と同じく、当初はHuCARDソフトとして発表されたが、スーパーグラフィックス専用HuCARD、CD-ROM²、SUPER CD-ROM²と何度もプラットフォームを変更しながら発売延期を続けた。最終的にはアーケードカード専用CD-ROM²ソフトとして1994年に発売された。
スペースファンタジーゾーン
セガ(後のセガ・インタラクティブ)の『スペースハリアー』と『ファンタジーゾーン』を融合させたPCエンジン用ソフト。発売未定のまま約4年が過ぎ、実際には発売できる段階まで完成していたにもかかわらず、1997年に結局発売中止となった。後年、ベータ版のコピーと思われるディスクがインターネットオークション等に流出している。
モンスターメーカー 闇の竜騎士
前後編構成の前編に相当するPCエンジン用ソフト、当初予定より2年遅れて1994年に発売された。販促活動の一環として当時は珍しいラジオ番組『アミューズメントパーティーファーストアベニュー』を久川綾笠原弘子の出演でTBSラジオにて放送したが、番組放送中にソフトが発売されることは無かった。更には後編の『モンスターメーカー 神々の方舟』が結局未発売に終わったため、謎や伏線が全く回収されない尻切れトンボとなってしまった。先述のユーゲーインタビューでは「当初の予定の8倍に内容が膨らんでしまった」「後編のCG、音声、スクリプトはほぼ出来上がったが、PCエンジン用なので他機種で出すには完全作り直しになるので出せなかった」と語っている。当時のPCエンジン雑誌に於いて「これ以上延期した場合は丸坊主になる」といった旨の宣言をしたが、その甲斐もなく延期。件のPCエンジン誌には坊主頭にサングラスでにこやかにポーズを取った多部田の写真が掲載された。
モンスターメーカー ホーリーダガー
PCエンジン版とは別ストーリーとなる予定だったセガサターン版。こちらも発売延期を繰り返して結局未発売。
同級生
PCエンジン版。多部田が望んだ移植度の高さに多くの下請開発会社が難色を示し発売延期を繰り返した後、フライト・プランが開発を担当して完成に漕ぎ着け、1995年に発売された。1996年には同じくフライト・プランによる開発で、セガサターン版も発売されている。
センチメンタルグラフティ
センチメンタルグラフティ2
上記どちらも製作発表の際、前作の反省から、「この作品を延期させるような事があれば坊主頭になります」とまで発言したものの、またもそれを覆すことは出来なかった。
斑霧
インターチャネル在籍中、最後に担当したPlayStation 2用ソフト。開発が難航する中、多部田が退職したこととキャラクターデザイナーが死去したことにより、発売中止となった。

関連項目[ソースを編集]

外部リンク[ソースを編集]