FM STATION

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FM STATION(エフエム ステーション)は、

  1. FMラジオ放送局のこと。
  2. 日本のロックバンドクリスタルキングの楽曲。
  3. かつて日本で発行されていたFM情報誌(1998年3月休刊)。本項で詳述。

FM STATION」(エフエム ステーション)は、かつてダイヤモンド社から発行されていたFM情報誌。隔週刊


概要[編集]

1981年創刊。レイアウト等は、1978年に創刊した同社発行の自動車雑誌カー・アンド・ドライバー(日本版)」と編集部が同じフロアということもあって近似しており(同じく隔週刊)、姉妹誌の関係であった。

FM情報誌としては最後発でありながら、競合誌よりはるかに安い定価200円という低価格も手伝ってか、もっとも多くの売り上げを誇っていた(最盛期には40万部を超えていたと言われる)。当時、競合誌として「FMレコパル」(小学館)「FMファン」(共同通信社)「週刊FM」(音楽之友社)があった。

差別化を狙い、競合誌のA4サイズ平綴じに対して、大判のB4サイズ中綴じの製本スタイルで出版。読者層は十代から二十代の若者、それもマニアックでない層をターゲットとし、それ故、音楽記事はクラシックジャズといった既存誌が中心に取り上げていたジャンルは傍らに置いて、邦楽や洋楽のポップス系が中心だった。また、他誌がほとんどカバーしないアイドル歌手も多く取り上げていた。

末期は販売部数減少に伴い1995年10月5日号より全国誌化(各地域版を廃止)。さらに1997年8月5日号からは番組表を廃止し「ニューJ-POPカルチャーマガジン」と題して一般音楽誌へ転換したものの、部数減少に歯止めがかからず、翌年3月をもって休刊となった。

価格[編集]

1985年には発刊当初からの定価200円が220円に値上げされ、「ズバリ一言」(後述)ではしばらくこの件についての意見交換が活発になされた。 末期には350円にまで値上がりする。

発売日[編集]

創刊当初は2週間おきの発売。よって、他の競合誌と比べ価格は安かったが、1月分の番組情報を得る為には、月に2冊購入せねばならず、月換算では他の競合誌とほぼ同価格に相当する。末期は毎月5日、20日に発売日を変更。

表紙[編集]

創刊初期は、本誌メインキャラクターのバッグス・バニーのイラストを採用。その後1988年まで、当時新進気鋭の鈴木英人の特徴的なイラストを毎号の表紙に採用。前述の他の競合するFM情報誌との差別化も大きな役割を果たす。 両時代共に、付録でその表紙のイラストを象ったカセットテープケースのレーベルは特に人気を博した。鈴木英人のイラストは画集にもされ、1984年に「FM STATION ILLUSTRATED」として別冊扱いで刊行された(こちらにもカセットレーベルが付属)。

やがて末期は、有名アーティストの写真を表紙に採用する形に移行する。

地方版の発行[編集]

競合誌と比して番組表を地方版で細分化していたことも特徴として挙げられる。創刊初期はNHK-FMとその地方の民放FM局の2局紹介の組み合わせで、既に開局していたFM東京FM愛知FM大阪FM福岡の4局に合わせ、東版、中部版、西版、九州版の4版でスタート。

1982年上記の局以外に、5局目となるFM愛媛広島FMが開局した際には「九州版」を「中・四国、九州版」に変更し、同年FM仙台の開局に合わせ「東北版」を新設するなど1980年代からの地方における民放FM局の開局ラッシュにも柔軟に対応していった[1]1995年から「east」「west」の2版表記に変更。「west」は東海地方も含めた東日本のFM局の番組情報を網羅。

かつて存在した地方版一覧[編集]

  • 北海道版
  • 東北版
  • 東版→関東版
  • 西版
  • 九州版→中・四国、九州版

提供番組[編集]

FM STATION my sound graffiti」(TOKYO FM)平日午前3:00 - 3:45に放送。当誌=ダイヤモンド社の一社提供番組(途中からダイキン工業もスポンサーに加わる)。 番組中のCMでは、小林克也氏のナレーションによる発売内容等が放送。番組との連動企画で、本誌で放送内容を事前告知する特集を組み、 放送内容とリンクしたカセットレーベルが印刷される号もあった。

主なコーナー[編集]

その他[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 新設FM局の番組表については、競合他誌が1ないし2ページで掲載期間中の番組をダイジェスト形式にて紹介していたのに対し、同誌では先発局同様に極力1ページで1日分にし、放送曲目をなるべく多く掲載する配慮があった。ちなみに当時はほとんどの番組で、放送する曲目が事前に決められており、新設FM局におけるリスナーへの配慮という意味では競合他誌との大きな差別化に繋がっていたとも言えよう。

関連項目[編集]