樋口宗孝

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樋口 宗孝
出生名 樋口 宗孝
別名 ひぐっつあん
デイビー
生誕 (1958-12-24) 1958年12月24日
出身地 日本の旗 日本 奈良県奈良市
死没 (2008-11-30) 2008年11月30日(49歳没)
日本の旗 日本 大阪府大阪市
学歴 大阪府立藤井寺高等学校
ジャンル ヘヴィメタル
ハードロック
職業 ミュージシャン
音楽プロデューサー
担当楽器 ドラム
活動期間 1977年 - 2008年
レーベル 徳間ジャパン(LOUDNESS)
ランティス(レイジー)
事務所 MUROCK ソルブレッド
共同作業者 LOUDNESS
SLY
レイジー
ジョン・ボーナムスチュワート・コープランドジェフ・ポーカロニール・パート

樋口 宗孝(ひぐち むねたか、1958年12月24日 - 2008年11月30日)は、日本ドラマー音楽プロデューサー奈良県奈良市出身。大阪府立藤井寺高等学校卒。身長177cm。愛称は「ひぐっつあん」。

概要[編集]

ヘヴィメタルバンドLOUDNESSレイジーSLYBLOOD CIRCUSなどでドラムを担当。日本のHR/HM界を代表するドラマーである。LOUDNESSのオリジナル・メンバーでは最年長で、パワフルなドラミングが持ち味。ジョン・ボーナムレッド・ツェッペリン)の強い影響から、シングルバスに強いこだわりを持っており(ドラムセットもジョン・ボーナムのセッティングとほぼ同じ。過去に、LOUDNESSのデビュー当時のアーティスト写真では2バスになっていた)2バスのニュアンスを表現する際においてもフロアタムを巧みに使いバスドラム1つのみでプレイをこなすという徹底ぶりである(当時、ラウドドラミングと呼ばれていた)。近年は、ドラムセットに大きいサイズのものを導入(下記機材参照)、スティックにはアメリカ製のイーストンアヘッド社のジュラルミンスティックを使用し、同社から樋口宗孝モデルが販売されている。(詳細は下記参照)

2008年3月、肝細胞癌のため活動は中止し治療に専念していたが、同年11月30日朝、自宅で嘔吐して倒れているのを家族が発見、救急搬送されたが午前10時44分大阪市の病院で死去。満49歳没。2008年12月24日、自身の生誕50年に伴い、東京青山にある青山葬儀所にてお別れの会が開催され、LOUDNESSやレイジーのメンバー、飯島直子を初めとする各著名人を含む1,500人を超えるファンが弔問に訪れた。戒名は「宗誉楽音禅定門(しゅうよがくおんぜんじょうもん)」。 

ドラム専門誌『リズム&ドラム・マガジン』に彼の企画が入っている号は毎回販売部数の記録を更新する程であった。また、アメリカのドラムヘッドメーカー「アクエリアン」とスティックメーカー「イーストンアヘッド」社から樋口宗孝モデルがそれぞれ販売されているが、アクエリアンドラムヘッドについては、既に製造中止を2008年末に決定しており、樋口宗孝モデルのヘッドは在庫限りとなっている。また、イーストンアヘッドスティックも同じく在庫限りの販売が決定した。

有名人を褒める行為を好まなかった。

趣味はゴルフで、ジャンボ尾崎モデルを使用[1]。LOUDNESSの二井原実曰く「プロ並に上手い」と語り、インタビューではハーフで35と答える[2]。また、ゴルフ雑誌を愛読している。ゴルフを始めたきっかけは、レコーディングの際、ドラムの収録が終わった後、次のレコーディングまでの時間を持て余していたことと、その間に下半身を鍛えたいという考えから[3]。さらには、体力面だけでなく、頭脳を使う部分についてもドラマーに通じるものがあると語る。後年ではドラムに対して練習熱心で知られているが、LOUDNESS初期の頃は練習はしないと語っていたこともあった。ゴルフを始め、前述の通り練習によって上達したことから、ドラムも練習すればうまくなるはずだと考えを改めて1から練習し直し、ドラムもゴルフも後年では練習熱心[2]、口癖が「研究」と言われるほどになっていたという。

最後に乗っていた愛車は、BMWM6クーペ。

訃報による衝撃[編集]

樋口の訃報はファンのみならず、有名人や業界関係者にも衝撃を与え、親交のあった山本恭司真矢LEVIN宮脇知史から、かつてBOØWY時代に同じビーイングに所属していた布袋寅泰[4]高橋まこと[5]、学生時代にLAZYのファンだった奥井雅美大林素子[6]や、つるの剛士[7]平野啓一郎[8]などの、様々なジャンルの著名人からもブログを通じて追悼のコメントを出し、海外でもフランキー・バネリ(元クワイエット・ライオット)やショーン・ドローヴァー(メガデス)、ジェイムス・コタック(スコーピオンズ)、シェーン・ガラースB'zのサポート・ドラマー)らが追悼のコメントを寄せるほど、極めて大きな衝撃を与えた[9]

機材[編集]

レイジー時代、初期はラディック社のツーバスセットを使用していたが、後期にはパールのファイバーグラスシェルFXシリーズシステムを使用。この当時はツーバスで2タム、2フロアというシステムで、シンバルスタンドがすべてストレートタイプの物を使用していた。このレイアウト構成からコージー・パウエルを髣髴とさせると当時の関係者が語っている。

ラウドネス初期についてはヤマハのシステムドラムにジルジャンのシンバルという構成を使用していた。ヤマハシステム使用前期は標準胴サイズだったが後期はYD-9000RDシリーズの超深胴タム、シンバルはジルジャンAシリーズ、銅鑼についてもジルジャンを使用していた。しかし、1986年からパールと契約、システムがすべて入れ替わっている。

ヤマハシステム使用時代は、ヘッドにラディック社のシルバードットを使用していたが、パールのシステムに変更してからは、REMO社のCS(黒ドットではなくシルバードット)を使用、その後クリアーエンペラーへと変遷した。

パールシステム使用初期にはメイプルシリーズのGXモデルを使用、レイアウトはヤマハから変わらず6.8.10.1213.14のタムに16&18のフロアー、24のバスドラムという組み合わせだが、6インチのタムはGXシリーズには存在しなかったため、同メーカーPXシリーズ(ファイバーシェル)のタムを特注で作製、使用していた。シンバルはセイビアンのブリリアントを使用し、銅鑼もやはりセイビアンの物を使用していた。一般的にメタル系バンドのドラマーはライドシンバルにウエイトの高い(厚く重量の重い)ものを使用する傾向が見られるが、彼は22インチクラッシュライドを使用し、ときにライドシンバルをクラッシュのように使用している。また、同サイズ、同ウエイトのシンバルを複数枚使用している(バスドラム上のメインシンバルに18インチミディアムを左右1枚ずつ使用)が、これは1枚のシンバルを連打した際にシンバル自体の発音が間に合わず濁った音になることを防ぐためである。また、セッティングの特殊性からハードウエアに特注ラックシステムを使用しているが、その安定性からタム類の音質は極めて良くなっていた。ヤマハシステム使用時代のライブ映像ではハードウエアの剛性不足からタム関係が揺れているのを確認できたが、パールの特注ラックシステムに変更されてからはタムの揺れは完全に解消されている。

初期、スティックは彼のネーム入りのカラートリーガル5Bのナイロンチップを使用していた。俗にリーガルチップと呼ばれていたがナイロンチップが外れやすく、当時のインタビューで彼もその部分を特に強調していた。LOUDNESSの頃より、アメリカ、イーストンアヘッド社のジュラルミンスティックを使用しており、同社から樋口モデルも販売されている。イーストンアヘッド社は元々金属バットなどを製造しているメーカーで、1980年代からドラムスティックを作成し、急速な成長を遂げた。1セットあたりの金額は高額だが、サックとチップの交換で折れなければ半永久的に使用出来る。また、LOUDNESSのアメリカツアーの頃、日本では販売されていなかったドラマー用グローヴの存在を知って購入、帰国後すぐは使っていなかったが、日本国外のドラマーが使い出し、「デカくていい音」を出すためにグローヴを使うようになる。その後、パール製のロックグリップの開発に関わり、ロックグリップを愛用することになる。その後のインタビューでは「グローヴがないとあのパワーは出ない」と語る[10]

なお、パール楽器のシステムに変更されてから、シェルの色がミラーボール仕様となり、塗胴からカバリングへと変更される。ミラーボールカバリングの発想は、高速道路を走っているタンクローリーからヒントを得ている。ちなみに彼が使用していたカラーリングは、レイジー時代は白、ラウドネス初期は黒、中期はミラー、そしてミラーボール、晩年はまた白に戻った事になる。現在パール楽器から販売されているバスドラムのミラーヘッド(シルバー&ゴールド)は彼の存在がなければ今の販売には結びつかなかった。

晩年もパールのクラシックメイプルシェル(レインフォースメントシェル)を使用するが、システムが大幅に変更され、大口径のシェルにある意味今風の1タム2フロアーというそれまでの多点システムとは正反対になっている。現在のセットに至った背景には、自身の方向性を派手でメロディックな奏法からビート重視の方向性を出したいという事からシンプルなシステムにしたようだ。ちなみにバスドラムは26X18、14タム、16&18のフロアーというセットで、シンバルはやはりセイビアンAAXブリリアントで統一され、銅鑼はKMKの40インチ、ラックは廃止されていたが、2005年のヨーロッパツアー近辺からラックシステムを導入した。ヘッドもREMOからアクエリアンに変更され、トミーリーモデルを良く使用していた(現在は樋口モデルが販売されているので当然ながらそれを使用)。また、ティンパニーも2基あるが、基本的にドラムソロで使用している。全盛期の曲の中でタム回しが激しい曲(ミルキーウェイ、クレイジードクター他、ソロも含む)を現在演奏する時はやはり当時のようなメロディックな回しが出来ないので本人も苦戦しているという(本人談)。

しかし、バスドラムのフットペダルだけは以前から変わらず、ヤマハのFP-710を使用しておりスペアを含め同モデルを常時数機所持していた。本人曰く、動きが極めてスムースで高速連打を演奏するにはこのペダル以外は考えられないとまでこのモデルを信頼しきっていた。ドラムシューズはアキレスとクーガーを愛用。

このようなことから、機材に関しても一切妥協せず、自身が納得した物しか使用しないという姿勢は昔から一貫している。

スネアドラムについても、以前はラディックやスリンガーランドといった海外製を使用していたが80年代から国内製を使用する事になり、パール楽器からカスタムモデルが販売されていた。このカスタムスネアはシェル(胴)本体に大きな穴を4か所あけた物(エキゾーストホール)が限定で発売され話題を呼んだが、このレイアウトはOCDP社から同じようなスネアが一足先に販売されている。以前から変わらないことは、スネアヘッドをハイテンションに張っているという事だ。スネアヘッドはアクエリアンを使用するまでは昔からレモコーテッドアンバサダーを使用しており、面白い事に1ステージ終了後、気持ち良いくらいコーテッドの中心だけ丸く剥がれ落ち逆CSヘッドのようになってしまう。そのくらい、スティックコントロール性が高く、パワーがあるということだ。

以前の樋口とおなじレイアウトの大規模システムを継続しているドラマーは新美俊宏(BOWWOW)だけになっている。

ドラミング[編集]

当時は、ラウドドラミングと呼ばれたぐらい特徴のあるリズムキープを行っている(前述のとおり、特徴のある独特なグルーヴ感を持っていた ジョン・ボーナムに強く影響を受けていたため。詳しくは「ジョン・ボーナム」の項を参照)。あくまでシングルバスにこだわる樋口は、インザミラーのサビの前部分に出てくるツーバスのような連打をバスドラムとフロアータムの裏打ちを利用して、あたかもツーバスのようなドライブ感があるリズムを生み出している。得意とするリズムパターンでもある「イン・ザ・ミラー」や「DREAM FANTASY」、「スピード」で叩かれているリズムについても、実は「イン・ザ・ミラー」と「スピード」のドラミングは一見同じように聴こえるが、実は「イン・ザ・ミラー」と「スピード」では手の8ビートは同じものの、バスドラムのリズムに違いがあり「イン・ザ・ミラー」はジョン・ボーナムが当時多用していたリズム構成と同じだが、「スピード」ではバスドラムのリズムを1か所抜き変速している。

「クレイジードクター」で行っているバスドラム連打のリズムパターンはレイジー時代のポップソング「ハローハローハロー」で既に使われており、セットこそツーバスではあったが、やはりワンバスでこのフレーズを叩いていた。

TUBE前田亘輝のソロアルバム「SMASH」の中の「いいかげん」という曲のリズムパターンはクレイジードクターと同じであり、さらに高速フレーズのオンパレードである。これは魔界典章リリース後発売のアルバムのため「いいかげん」が「クレイジードクター」のフレーズを流用している事になる。 また、スネア〜タム〜フロアー〜バスドラムを組み合わせた3、4、5、6連符を得意とし、ドラムソロや曲の途中の「オカズ」に頻繁に顔を出す。

前述のTUBEの前田のアルバム『SMASH』の他にも浜田麻里のアルバム、B'z結成前の松本孝弘のソロ・アルバム、その他に樋口がドラムスとして参加しているものが多々ある。また、YOSHIKIX JAPAN)やshujiJanne Da Arc)も、アマチュア時代から彼のプレイに憧れ、そのプレイスタイルから研究していた。

また、ラウドネスと再結成後のレイジーでは、「ラウドネスでのドラムは自分の限界に挑戦している所があるけど、レイジーの場合は楽曲優先という感じで一歩引いて、バンド全体を見渡すような感じで叩いている」と、バンドの音楽性で自身のドラムの叩き方やポジショニングを変えている。

晩年は、システム構成上、全盛期のような派手なドラムソロやフィルインなどは少なくなった。

語録[編集]

音量が出ていないと速く叩いても仕方がない
金物をどれだけ自在扱えるかでドラマーの価値は決まる — 樋口宗孝、リズム&ドラム・マガジン2007年3月号
心臓の鼓動が動いているようなドラムを作っていかないとドラマーなんて誰でもいいってことになってしまう
ノリ的には重戦車みたいな重さを出したい ロック・ドラムは絶対重くないとダメだから
重要視しているのは魂の部分。そういうものって、絶対音に残るから — 樋口宗孝、リズム&ドラム・マガジン2007年3月号
リズムと同じグルーヴをフィルに持たせる、それこそが究極のフィルイン
基礎練習のときでも常にグルーヴを感じながら練習してほしい
やっぱり樋口が叩くとこうなるなで終わりたくない
現在の音楽では、同じテンポの中でどのようなニュアンスを出していくかが重要なんだ
魂をスティックに込められなくなったときにはドラムを辞めるくらいの気持ちで叩いてる
本番までドラムに触れることができなくてもステージは完璧でなくてはならない
どれだけ観客にアピールするものができるかが勝負。ドラマーに受けたってしょうがないでしょう
「破戒」とか「砲撃」とか、そういう言葉がステージを見て浮かんでこないとロック魂はお客さんには通じない
カッコ良く叩く、カッコ良くポーズを決めるどれだけ鏡の前で練習してきたか(笑)
プレイに集中しながらも会場全体を見回す余裕を持つこと。これが良いライヴをできるドラマーの条件
ドラム・ソロこそドラマーの魅力を最大限発揮できる場所
俺はドラム職人じゃなくロック・スターでありたいんだ — 樋口宗孝、リズム&ドラム・マガジン1995年9月号
自分がドラマー界の中でどの辺の位置づけにいて世間からどう評価されているか常にわかっています
樋口宗孝はどうあるべきかを常に考えている — 樋口宗孝、リズム&ドラム・マガジン2005年2月号
良いミキサー、良いレコーディング・スタジオ、良いコンソール、良いマイク、良いドラム、良いスティック・・・・・・・・・すべてにこだわっていないと良いものは録れない
とにかくデカイ音を出せるということが一番重要なんです
自分の中にある鳴らしたい音のイメージは、普通のドラマーが聴いて良いと思う音と違ったもっと先に行った音なんだ
チューニングがうまくなるにはレコーディングを経験すること。マイクを通した自分の音がどれだけダサいか認識しなければならないんだ

来歴[編集]

  • 1977年、アイドルバンド「レイジー」のドラマーとしてデビュー。当時のニックネームは「デイビー」。本人は「デレク・ロングミュアーに似ている」と言って嫌がり、「12月24日生まれだから"イブ"がいい」と主張したが、「イブは合わない」と言われたという[11]
  • 1981年、レイジー解散。その後、同じくレイジーのギタリスト高崎晃と共にLOUDNESSを結成し、同バンドのドラマーとして再デビュー。
  • 1990年、BLIZARDのアルバム「DANGER LIFE」をプロデュース。
  • 1994年、LOUDNESS脱退。同僚の二井原実SLYを結成。
  • 1998年、レイジー再結成、BLOOD CIRCUS結成。同時に、はたけシャ乱Q)、鮫島秀樹(当時HOUND DOG)らとRose of Roseとして活動。
  • 2000年、LOUDNESSに電撃復帰。
  • 2008年4月14日、肝細胞癌と診断されたため活動休止。[12]
  • 2008年11月30日、永眠。享年51、満49歳。[13]

ディスコグラフィ[編集]

出演[編集]

TV[編集]

プロデュース作品[編集]

レコーディング参加作品[編集]

参考文献[編集]

音楽月刊誌「リズム&ドラム・マガジン」のインタビュー・アーカイブ(20以上)を中心とするメモリアル・ブック。
  • リズム&ドラム・マガジン 2009年3月号 「永久保存 追悼大特集 樋口宗孝」(2009年2月13日 リットーミュージック)[14]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 『「ジャンボ尾崎モデルのゴルフセットが欲しい」と思った時、「自らの名を冠したドラムセット」や「高崎晃モデルのギター」(いわゆる「アーティストモデル」のこと)を欲しいと思うファンの気持ちが初めて理解できた』と雑誌のインタビューで語っている。
  2. ^ a b リズム&ドラム・マガジン2002年1月号(リットーミュージック)
  3. ^ リズム&ドラム・マガジン1992年12月号(リットーミュージック)
  4. ^ 会津若松
  5. ^ 師走にしちゃ暖かい?かな、ざんす。
  6. ^ 友人
  7. ^ テンション上がり、只今昼下がり。
  8. ^ ひとつの80年代 ~「ラウドネス」樋口宗孝 日経トレンディネット
  9. ^ LOUDNESS、樋口宗孝、海外でも惜しまれる We ROCK CITY
  10. ^ リズム&ドラムマガジン2003年11月号
  11. ^ 『永久保存版 樋口宗孝』(2010年、リットーミュージック)P136
  12. ^ ラウドネスリーダーが肝細胞がん 2008年4月15日 スポニチ閲覧
  13. ^ 復活意欲も…ラウドネス樋口宗孝さん死去 2008年12月1日 スポニチ閲覧
  14. ^ リズム&ドラム・マガジン 2009年3月号 | リットーミュージック. (リットーミュージック). 2015年11月8日閲覧。

外部リンク[編集]