古賀常次郎

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古賀 常次郎(こが つねじろう、1939年昭和14年)5月18日 -  )は佐賀県実業家篤志家発明家。古賀商事代表取締役。更生保護活動への取り組み、旭日双光章など数々の受章・受賞で知られる。佐賀県佐賀市出身。

略歴[編集]

人物[編集]

  • 中学時代は近隣でも有数の暴れ者であったが、恩師の援助もあり電機メーカーの下請け工場の八雲製作所に就職。しかしほどなく傷害事件を起こし逮捕される。少年事件でもあり鑑別所に送られたが、それまでの勤務態度が真面目であったことなどから10日間の拘留保護観察処分となる。このことが更生保護活動へ取り組むきっかけとなった。
  • この頃から勤労青年によるレクリエーションサークルの古賀グループを設立。のちにBBS運動(Big Brothers & Sisters)や選挙事務所の手伝いなどにも活動を広げ、政財界に知己を得るきっかけとなる。
  • 1960年昭和35年)に転職した先の佐賀機械は関連会社とはいえ大企業であったため、学歴の不足を痛感し、翌1961年(昭和36年)に佐賀高等学校(現佐賀県立佐賀西高等学校)の定時制に入学した。通学途中の列車内で窓枠のビスが緩んでいるのを見、振動で緩まない皿ビスを着想する。
  • 1967年(昭和42年)、佐賀機械を退職した。同年、定時制時代に着想した「段付皿ビスと皿ビス用スプリングワッシャー」で西ドイツにおける特許を取得。さらにイタリアフランス日本での特許も取得し、1969年(昭和44年)に新技術開発財団(通称市村財団)の、第一回市村賞を受賞する。また、同年、佐賀県からもそれまでの青少年健全育成活動とあわせて、県政功労者表彰を受けている。
  • 1968年(昭和43年)、ビル清掃業の古賀商事を設立した。その後は事業による収入などで得た資金をもとにそれまでも力を入れていた更生保護活動のほか、教育の振興や青少年の健全育成などを目的に率先して寄付を行い、半世紀での寄付総額は3億2千万円を超えている[3]。その功績により、公的機関に多額の寄付を行った者に贈られる紺綬褒章を幾度となく受章したほか、1994年平成6年)には更生保護活動部門で藍綬褒章を受章している。なお、この部門での藍綬褒章受章は史上最年少のものである[4]

主な受賞・受章[編集]

エピソード[編集]

  • 「時間に遅れない」「嘘をつかない」「お世辞を言わない」「他人のせいにしない」「他人の手柄を自分の手柄としない」の五つの誓いを自らに課している。
  • 佐賀機械時代には組合対策も担当、上部団体として乗り込んできた日本労働組合総評議会との折衝も行った。
  • 中学校は父から農作業を強制されていたことなどからほとんど通学しておらず、学業の成績は悪かった。言葉も佐賀弁しか喋らないため、特許の申請を相談された弁理士小池晃(後の日本弁理士会会長)は古賀の早口の佐賀弁を「英語ロシア語より分からなかった」と述べている。

出典[編集]

  1. ^ 古賀さん(佐賀市)55度目の紺綬褒章-佐賀新聞2014年05月31日
  2. ^ 叙勲・褒章など受章62回 古賀さん(佐賀市)ギネス認定-佐賀新聞2014年11月27日
  3. ^ a b 半世紀にわたり私財寄付、21度目の紺綬褒章/佐賀市の古賀さん 総額3億2千万円に(佐賀新聞社、2010年(平成22年)7月14日
  4. ^ 『ひと - 史上最年少で藍授褒章を授章した古賀常次郎さん』 - 佐賀新聞、1994年(平成6年)11月18日

参考文献[編集]