佐賀郡

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佐賀県佐賀郡の位置(水色:後に他郡から編入した区域)

佐賀郡(さがぐん)は、佐賀県肥前国)にあった

明治初期に成立した佐賀市および佐賀県の名は、所属していた郡および県庁所在地である佐賀郡から採られている。

郡域[編集]

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、佐賀市の大部分(三瀬村各町・富士町各大字・蓮池町大字見島・蓮池町大字小松・蓮池町大字古賀・大和町大字名尾・大和町大字八反原を除く)にあたる。

歴史[編集]

文献における初出は『肥前国風土記』(奈良時代初期・8世紀前半頃)で、佐嘉郡(さかのこおり)と表記された。一方『日本霊異記』(平安時代初期・9世紀前半頃)では肥前国佐賀郡とあるように[1]、古代から江戸時代まで「佐嘉」「佐賀」両方の表記があった。1870年(明治3年)、佐賀藩の通達で「佐賀」に統一された[2]

古代[編集]

由来[編集]

伝説上の故事として、『肥前国風土記』は佐嘉郡の名の由緒を以下のように記している。

昔者 樟樹一株 生於此村。幹枝秀高 茎葉繁茂、朝日之影 蔽杵島郡蒲川山、暮日之影 蔽養父郡草横山也。日本武尊 巡幸之時、御覧樟茂栄、勅曰 此国可謂栄国。因曰栄郡。後改号佐嘉郡。 — 『肥前国風土記』佐嘉郡より一部抜粋(原文)、『佐賀市史』第1巻[3]

古代、当郡のある村には楠(クスノキ)の大木が生い茂り、朝日の影は杵島郡蒲川山[注釈 1]、夕日の影は養父郡草横山[注釈 2]にまで届いたという。当地を巡幸した日本武尊は楠樹の栄え繁る様を見て、「この国は『栄(さか)の国』と呼ぶがよかろう」と述べ、そこから「栄郡(さかのこおり)」と呼ばれるようになり、後に栄の字が佐嘉に転じたとする[1][4]。また、続けてもう1つの由緒も記している。

一云、郡西有川、名曰佐嘉川、年魚有之、其源 出郡北山 南流入海。此川上有荒神、往来之人 生半殺半。於茲 県主等祖大荒田 占問。于時 有土蜘蛛大山田女・狭山田女 二女子云、取下田村之土、作人形馬形、祭祀此神、必有応和。大荒田 即随其辞、祭此神。神歆此祭、遂応和之。於茲 大荒田云、此婦如是実賢女、故以賢女 欲為国名、因曰賢女郡。今謂佐嘉郡訛也。 — 『肥前国風土記』佐嘉郡より一部抜粋(原文)、『佐賀市史』第1巻[5]

また別の者が云うには、当郡の西部に佐嘉川(現在の嘉瀬川)という川があり、年魚()がおり、北方の山から南方の海へ流れ出ていた。その川上には「荒ぶる神」が居て多くの人々が亡くなっていた[注釈 3]。これを鎮めるため、県主の祖の大荒田は占いを問う。土蜘蛛[注釈 4]の大山田女・狭山田女という2人の賢女(さかしめ)によれば、下田の村の土で人形や馬形を作り、神を祀れば、鎮まるでしょうと言う。大荒田がその通りにすると氾濫が鎮まったため、賢女らを讃え、「賢女」を国の名にしようと言った。以来、この地は「賢女郡(さかしめのこおり)」となり、後に訛って「佐嘉郡(さかのこおり)」に転じたとする。このほかにも、故事に由来する説がいくつがあるが、いずれも不確かであるという[1][4]

一方、近代地名学の観点からは、例えば久米邦武は「佐賀」は「坂(さか)」の義であるとし、郡衙の推定所在地[注釈 5]の近くに川上川[注釈 6]があり坂があることから、ここからきているのではないかという説を述べている[1]。また『古代地名語源辞典』では日本各地の「さか・さが」地名の語源として、傾斜地を指す「坂」説のほか、「さが」と濁るものは砂丘地を指す「洲処(すが)」の転訛説が挙げられている[6]。なお、同書別項「さかと」「さかひと」「さかべ」「さかゐ」のいずれも語頭に「さか」を持つ地名の語源を参照すると、「坂」のほか、潮汐作用などで水が逆流する意の「逆」、国や郡などの境界に近い郷を指す「境」などの「さか」音が派生したものだろうと記されている[7]

[編集]

『肥前国風土記』では、郷里制の下で佐嘉郡は6郷・19里とあるが、郷や里の名は登場しない。『和名抄』では同じく6郷とし郷名も記している[8]

  • 城崎郷(木佐岐) - 遺称地として佐賀市大和町尼寺の国分地区に城崎という地名があり、この付近と推定される[8]
  • 巨勢郷 - 佐賀市巨勢町付近と推定[8]
  • 山田郷(也万多) - 佐賀市大和町東山田、大和町川上の西山田の付近と推定[8]
  • 小津郷(乎ツ・乎都) - 『川上神社文書』では小津郷の地名に与賀里とあり、現在の佐賀市与賀町付近と推定[8]
  • 深溝郷(布加旡曽・布加無曽) - 佐賀郡の七条から九条との記載があり、他の郷との位置関係も考慮すると、佐賀市兵庫町から高木瀬町付近と推定[8]
  • 防所郷 - 遺称地がなく(上峰町坊所付近にあった郷が誤記されたとする説もある)、諸資料に他の郷名が無い。他の郷が比定されていない佐賀市鍋島町付近ではないかとの推定もある[8]

式内社[編集]

延喜式神名帳に記される郡内の式内社

神名帳 比定社 集成
社名 読み 付記 社名 所在地 備考
佐嘉郡 1座(小)
与止日女神社 ヨトヒメノ 與止日女神社 佐賀県佐賀市大和町川上 肥前国一宮
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近世以降の沿革[編集]

知行 村数 村名
藩領 肥前佐賀藩 23町
67村
光法村、為重村、南里村、大堂村、新郷村[9]、木原村、徳富村、山領村、寺井津、諸富村[10]、材木町、唐人町、呉服町、白山町、東魚町、中町、高木町、紺屋町、柳町、牛島町、寺町、長瀬町、道祖元町、六座町、西魚町[11]、八戸町、伊勢屋町、伊勢屋本町、本庄町、岸川町、天祐寺町、下今宿町[12]、点合町[12]、修理田村、牛島村、瓦町村、若宮村、淵村、藤木村、神野村[13]、東高木村、高木村、長瀬村、尼寺村、下和泉村、上和泉村、川久保村、薬師丸村、千布村、金立村、久池井村、梅野村、小副川村、松瀬村、関屋村、福富村、小々森村、犬井道村、早津江村、大詫間村、西古賀村、早津江津[14]、鹿江村、下古賀村、田中村、飯盛村、高太郎村、相応津[15]、末次村、鹿子村、厘外村、本庄村、厘外津[16]、八戸村、中原村、十五村、荻野村、多布施村、八戸溝村、森田村、蠣久村、鍋島村、大財村、袋村、久保田村、新田村、久富村、徳万村、江上村、高尾村
肥前蓮池藩 2村 東西村、蓮池村
肥前小城藩 1村 東山田村
佐賀藩、小城藩 3村 池上村、久留間村、川上村

町村制以降の沿革[編集]

1.北川副村 2.東川副村 3.新北村 4.中川副村 5.大詫間村 6.南川副村 7.西川副村 8.本庄村 9.東与賀村 10.西与賀村 11.嘉瀬村 12.久保田村 13.神野村 14.古瀬村 15.鍋島村 16.兵庫村 17.高木瀬村 18.春日村 19.金立村 20.久保泉村 21.川上村 22.小関村 23.松梅村(紫:佐賀市 *:発足時の佐賀市)
  • 明治22年(1889年4月1日
    • 市制の施行により、水ヶ江町・東田代町・松原町・与賀町・赤松町・西田代町・柳町・紺屋町・材木町・蓮池町[17]・下今宿町・牛島町・高木町・上芦町[18]・中町・呉服町・東魚町・白山町・元町[19]・寺町・唐人町・米屋町[20]・多布施町[20]・伊勢屋町・岸川町・長瀬町・六座町・点合町・伊勢屋本町・西魚町・道祖元町・本庄町・八戸町・厘外津および木原村の一部(安住[21])・多布施村の一部(四本谷[22])・本庄村の一部(西精・鬼丸・中ノ館・新地・四本谷[22])・袋村の一部(大崎[21])・牛島村の一部(寺小路・木塚名・矢矧町・田代・天神名・江湖端[23])の区域をもって佐賀市が発足し、郡より離脱。
    • 町村制の施行により、以下の各村が発足。●は佐賀市に編入された区域を除く。全域が現・佐賀市。(23村)
      • 北川副村 ← 江上村、●木原村、光法村、新郷村
      • 東川副村 ← 徳富村、大堂村、諸富村
      • 新北村 ← 寺井津、山領村、為重村
      • 中川副村 ← 早津江村、早津江津、福富村
      • 大詫間村(単独村制)
      • 南川副村 ← 犬井道村、鹿江村
      • 西川副村 ← 南里村、西古賀村、小々森村
      • 本庄村 ← ●本庄村、鹿子村[一本杉を除く]、●袋村、末次村、厘外村[正里]
      • 東与賀村 ← 下古賀村、飯盛村、田中村
      • 西与賀村 ← 高太郎村、厘外村[正里を除く]、相応津、鹿子村[一本杉]
      • 嘉瀬村 ← 荻野村、中原村、十五村、八戸村[一部]
      • 久保田村 ← 久保田村、徳万村、新田村、久富村
      • 神野村 ← 神野村、●多布施村、大財村
      • 古瀬村 ← 高尾村、修理田村、東西村、●牛島村
      • 鍋島村 ← 八戸溝村、森田村、鍋島村、蠣久村、八戸村[大部分]
      • 兵庫村 ← 淵村、藤木村、瓦町村、若宮村、東高木村[西淵]
      • 高木瀬村 ← 高木村、東高木村[西淵を除く]、長瀬村
      • 春日村 ← 尼寺村、久池井村
      • 金立村 ← 金立村、薬師丸村、千布村
      • 久保泉村 ← 上和泉村、下和泉村、川久保村
      • 川上村 ← 東山田村、川上村、池上村、久留間村
      • 小関村 ← 小副川村、関屋村
      • 松梅村 ← 松瀬村、梅野村、神埼郡鹿路山[名尾]
      • 蓮池村が神埼郡蓮池村の一部となる。
  • 明治30年(1897年6月1日 - 郡制を施行。
  • 明治32年(1899年6月6日 - 古瀬村が改称して巨勢村となる。
  • 大正11年(1922年10月1日 - 神野村が佐賀市に編入。(22村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和28年(1953年)4月1日 - 南川副村が町制施行して南川副町となる。(1町21村)
  • 昭和29年(1954年
    • 3月31日 - 兵庫村・巨勢村・西与賀村・嘉瀬村・高木瀬村が佐賀市に編入。(1町16村)
    • 10月1日 - 北川副村・本庄村・鍋島村・金立村・久保泉村が佐賀市に編入。(1町11村)
  • 昭和30年(1955年
    • 3月1日 - 東川副村・新北村が合併して諸富町が発足。(2町9村)
    • 4月1日 - 中川副村・大詫間村・南川副町が合併して川副町が発足。(2町7村)
    • 4月16日 - 春日村・川上村・松梅村が合併して大和村が発足。(2町5村)
  • 昭和31年(1956年9月30日(2町4村)
  • 昭和33年(1958年6月1日 - 富士村の一部(八反原)が大和村に編入。
  • 昭和34年(1959年1月1日 - 大和村が町制施行して大和町となる。(3町3村)
  • 昭和41年(1966年)10月1日(5町1村)
  • 昭和42年(1967年)4月1日 - 久保田村が町制施行して久保田町となる。(6町)
  • 平成17年(2005年)10月1日 - 諸富町・大和町・富士町が佐賀市・神埼郡三瀬村と合併し、改めて佐賀市が発足、郡より離脱。(3町)
  • 平成19年(2007年)10月1日 - 川副町・東与賀町・久保田町が佐賀市に編入、同日佐賀郡消滅。

変遷表[編集]

脚注[編集]

注記[編集]

  1. ^ 肥前の国学者糸山貞幹は江北町佐留志の堤尾山と比定したが、現在の場所は不明。井上通泰は杵島郡東部の山と推定した。
  2. ^ 井上通泰の『肥前國風土記新考』では、四阿屋神社祠官三橋真国の話として九千部山に比定する。また糸山貞幹の『肥前旧事』では、みやき町中原の綾部山を草山ともいい、その傍を横山と呼ぶという。
  3. ^ 一説では、川の氾濫を指す。
  4. ^ 天皇に恭順しない土着の豪傑を意味する蔑称。
  5. ^ 佐嘉郡衙は特定されていないが、肥前国府が大和町久池井に所在したことからその付近にあったのではないかという説がある。
  6. ^ 嘉瀬川上流の呼称。

出典[編集]

  1. ^ a b c d 佐賀市史編さん委員会、『佐賀市史』、第1巻、1977年、pp.273-275
  2. ^ 佐賀市史編さん委員会、『佐賀市史』、第3巻、1978年、p.61
  3. ^ 佐賀市史編さん委員会、『佐賀市史』、第1巻、1977年、p.299
  4. ^ a b 『東与賀町史』、1982年、pp.168-170
  5. ^ 佐賀市史編さん委員会、『佐賀市史』、第1巻、1977年、p.299
  6. ^ 『古代地名語源辞典』、p.146「さか」(佐嘉、佐香、佐賀、佐加、佐我)、p.168「すか」
  7. ^ 『古代地名語源辞典』、p.146「さかと」(尺度、坂門)、p.146「さかひと」(酒人)、p.147「さかべ」(酒部)、p.147「さかゐ」(酒井、酒甘)
  8. ^ a b c d e f g 佐賀市史編さん委員会、『佐賀市史』、第1巻、1977年、pp.276-283
  9. ^ 記載は新戸村。
  10. ^ 記載は諸富津。
  11. ^ 西魚町・八丁馬場に分かれて記載。
  12. ^ a b 記載なし。
  13. ^ 記載は神浦村。
  14. ^ 記載は早津江村(92石余)。
  15. ^ 記載は相応村。
  16. ^ 記載は厘外村(40石余)。
  17. ^ 柳町の枝町。本項では町数に数えない。
  18. ^ 高木町の枝町。本項では町数に数えない。
  19. ^ 呉服町の枝町。本項では町数に数えない。
  20. ^ a b 中町の枝町。本項では町数に数えない。
  21. ^ a b 水ヶ江町に編入。
  22. ^ a b 与賀町に編入。
  23. ^ 東田代町に編入。

参考文献[編集]

関連項目[編集]