アリ・アドナン

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アリ・アドナン Football pictogram.svg
Ali Adnan Kadhim.jpg
イラク代表のアドナン
名前
愛称 イラクのロベルト・カルロス
アジアのガレス・ベイル
ラテン文字 Ali Adnan
アラビア語 علي عدنان
基本情報
国籍 イラクの旗 イラク
生年月日 (1993-12-19) 1993年12月19日(23歳)[note 1]
出身地 バグダッド
身長 185cm
選手情報
在籍チーム イタリアの旗 ウディネーゼ・カルチョ
ポジション DF(LB)
背番号 53
利き足 左足
ユース
2003-2008 イラクの旗 アンモ・ババ・スクール
2008-2009 イラクの旗 アル・ザウラー
2009-2010 イラクの旗 アル・クウワ・アル・ジャウウィーヤ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2010-2013 イラクの旗 バグダード (7)
2013-2015 トルコの旗 チャイクル・リゼスポル 41 (3)
2015- イタリアの旗 ウディネーゼ 27 (1)
代表歴2
2011-2013  イラク U-20 15 (4)
2012-  イラク U-23 10 (5)
2012-  イラク 40 (3)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年5月8日現在。
2. 2016年4月30日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アリ・アドナン・カディム・ナシール・アル=タメーミアラビア語: علي عدنان‎、1993年12月19日[note 1] - )は、イラクサッカー選手イラク代表。ポジションはDF

2013年にアジア年間最優秀ユース選手賞を受賞した選手で[4]、「アジアのガレス・ベイル[5]、「イラクのロベルト・カルロス[6]と云った異名を取っている。また、イラクのサッカー選手としては初めてイタリアのクラブに移籍した選手である。

クラブ歴[編集]

早年[編集]

アル・シャバブ・スタジアムの向かいに位置する高名なアンモ・ババ・フットボール・スクールを5年で卒業した。在籍する生徒の中では最も若い部類であったが、その後若手育成に定評のあるアル・ザウラーSCに移籍する成長を遂げた。このアル・ザウラーSCはかつて彼の叔父が在籍したクラブでもある。更にその後アル・クウワ・アル・ジャウウィーヤに移籍し、バグダードFCに加入した[7]

バグダードFC[編集]

バグダードFCではヤヒア・アルワン監督によってトップチームに昇格した。比較的若い年齢での昇格であったが、その後クラブの層の厚さから再びユースに戻った。2010年にカリム・クルディが監督に就任するとトップチームでレギュラーの座を掴んだ。レギュラーとして出場を重ねるうちにより良い選手となり、彼の憧れであったバシム・アッバスを控えへと追いやった[7]

彼はバグダードFC在籍中に合計7得点を挙げ、そのうち2点は2010-11シーズン、3点は2011-12シーズン、2点は2012-13シーズンであった[8]

2013年冬の移籍市場でサウジアラビアのアル・イテハドからアナス・シャルビニの後継としてオファーが来たものの、彼の代理人がこの移籍を遂行出来ず、破談に終わった。彼自身はサウジアラビアへの移籍を望んでおり交渉もしていたが、サウジアラビアのビザを取得するのに2日かかり、その間に移籍市場が閉まってしまったためにこの移籍は破談となってしまった.[7]

2013 FIFA U-20ワールドカップ中には複数のクラブからの興味が寄せられ、それらはトルコのガラタサライSKブルサスポルチャイクル・リゼスポル、スペインのセビージャFC、イングランドのアーセナルFC、イタリアのジェノアCFCASリヴォルノ・カルチョ、カタールのアル・ガラファと云ったクラブであった[9][10][11][12]

7月12日にはガラタサライが交渉の場についた事が報じられた。当時のガラタサライは前シーズンで課題となった左サイドバックを補強したく、彼に交渉を持ちかけた[13]

チャイクル・リゼスポル[編集]

2013年9月28日、ガラタサライSK戦でのアリ・アドナン

2013年8月1日に、移籍金65万ドルの5年契約でトルコのチャイクル・リゼスポルに移籍[14]。背番号は53番を選択、この番号はクラブの設立年である1953年に合わせての物であった。彼はこのクラブについて我が家のようであると述べている[15]。同年9月1日にスュペル・リグ初得点を達成、カイセリ・エルジイェススポル戦の7分、長距離のシュートであった。14日にはガズィアンテプスポルから35mのフリーキックで得点し、2得点目を挙げた。

初得点を挙げた傍らの9月2日にはSSCナポリが700万ユーロでチャイクル・リゼスポルから5年契約で獲得を試みたものの、チャイクル・リゼスポル側に拒否された[16]。更に9月10日にはトルコのメディアがガラタサライが冬の移籍市場で再び彼の獲得に動く可能性を報じた[17][18]

その後2014年6月には、ASローマチェルシーFCからも関心を抱かれた[19][20]

ウディネーゼ[編集]

2015年7月1日にはウディネーゼ・カルチョと5年契約で調印した事を発表した。これによって彼はイラク人選手として初めてセリエAに所属した選手となった[21]コッパ・イタリアノヴァーラ・カルチョ戦で初出場、3-1の勝利に終わった。セリエA初出場は前シーズン王者のユヴェントスFC戦で1-0の勝利となった。セリエA初得点はジェノア戦でフリーキックの得点であったものの、この試合は2-1で敗北となった[22]

代表歴[編集]

ジーコ監督時代には代表に選ばれていなかったものの、給与未払い問題によって監督がハキム・シャキルに代わると、彼のユース時代の監督であった事も相俟って代表に選出、2012年12月3日のバーレーン代表戦で代表初出場。創立11年目であったアンモ・ババ・フットボール・スクールの卒業生として初めての同国代表選手となった[7]。その後、西アジアサッカー選手権2012で彼は同国最高の左サイドバックとしての不動の地位を築いた[7]

2013 FIFA U-20ワールドカップでは圧倒的なパフォーマンスを見せた。イングランドU-20代表戦では激烈な印象を与えた。1-2で負けていた93分に彼はサイドから中に切り込むとイングランドの守備相手にトリックを使って軽やかに突破、ゴールにボールを流し込んだ。その運動量の多さとペナルティエリアの外側からもシュートを撃てる決定力、そして体幹の強さはこの試合を見ていたヨーロッパクラブのスカウトの関心を惹きつけた[7]

代表初得点はAFCアジアカップ2015予選中国代表戦で、この試合は3-1の勝利となった。本戦にも出場し、イラン代表戦ではアシストを決め、イラク代表の勝利に貢献した。

プレースタイル[編集]

彼はイラクにおけるイアン・ハートである。高身長と強い体を持っていながらも速い選手であり、イラクのカウンターアタックの哲学を特徴づけている[23]。トルコメディアには「ガレス・ベイルの再来」「アジアのガレス・ベイル」等と称された[5]。彼は攻撃的な左サイドバックであり、強いフィジカルと強烈な長距離のシュート能力も持ち合わせている。更に速度もあり、相手のミッドフィールダー、ディフェンダーを簡単に追い抜いていく走力を見せている。また、左ウィンガーとしても活躍出来、精確なクロスやフリーキックで得点を狙う事も出来る。その攻撃力の高さは尋常でない他方、守備でも活躍しており、イラクの未来のスターとの呼び声も高い[24]

個人[編集]

1993年12月19日にイラクの首都バグダードで生まれたとされているが、1991年に生まれたという報道もある[1][2][3]。兎も角、父や叔父もサッカー選手であった一家に生まれた。父のアドナン・カディムAFCユース選手権19771977 FIFAワールドユース選手権に出場した選手であったが、A代表には選出されなかった[7]。叔父のアリ・カディムはイラクA代表での出場経験もある有名なストライカーで1970年から1980年にかけて35得点を代表として獲得した[7]。この記録はフセイン・サイードが現れるまで破られなかった記録であった。

彼自身は選手としては攻撃的な左サイドバックである。そして彼自身も父親をスターであり教師でもある存在として認識しており、バグダードSC時代には父が観戦に来る事もしばしばであった。

個人成績[編集]

A代表での得点一覧

# 日附 場所 対戦相手 得点 結果 大会
1. 2014年3月5日 アラブ首長国連邦の旗 ドバイシャールジャ・スタジアム  中国 3–0 3–1 AFCアジアカップ2015
2. 2015年9月3日 イランの旗 テヘランシャヒード・ダストゲルディ・スタジアム  チャイニーズタイペイ 1–0 5–1 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選
3. 2016年3月24日 イランの旗 テヘラン・シャヒード・ダストゲルディ・スタジアム  タイ 2–2 2–2

タイトル[編集]

代表[編集]

イラクU-20
準優勝: 2012
4位: 2013
イラクU-23
銅メダル: 2014
イラク
準優勝: 2012
準優勝: 2013
4位: 2015

個人[編集]

  • Goal.com 2013 FIFA U-20ワールドカップ選定トップ10プレイヤー[26]
  • ワールドサッカー誌U-20ワールドカップトップ10プレーヤー

脚注[編集]

  1. ^ a b 実際は1991年であるという報道もある。[1][2][3]

参考文献[編集]

  1. ^ a b Baghdad FC's official squad list for the 2010–11 season states Adnan was born in 1991
  2. ^ a b Adnan detained at Baghdad International Airport by security officials after travelling on forged documents
  3. ^ a b Journalist Hassanin Mubarak claims Ali Adnan was born in 1991
  4. ^ The-AFC.com Ali Adnan 2013 Asia Young Player of the Year
  5. ^ a b sporx.com. “Asyalı Gareth Bale (Turkish)”. sporx.com. 2012年7月10日閲覧。
  6. ^ [1]
  7. ^ a b c d e f g h Hassanin Mubarak. “football.com The beast that is Ali Adnan”. football.com. 2012年7月10日閲覧。
  8. ^ Kooora
  9. ^ El joven iraquí Ali Adnan desvela una oferta sevillista (Spanish)
  10. ^ Ali Adnan's Galatasaray and Genoa offers (Arabic)'
  11. ^ Ali Adnan between Galatasaray and Livorno offers (Arabic)'
  12. ^ Ali Adnan Near to sign for Bursaspor (Arabic)
  13. ^ Galatasaray to sign Iraq’s dazzling U-20 star Ali Adnan
  14. ^ caykurrizespor.org.tr Ali Adnan for Çaykur Rizespor
  15. ^ ilkelihaber.com - Ali Adnan Number 53
  16. ^ Rizesporlular.com - Napoli Bid (Turkish)
  17. ^ eurosport.com - rizespor un irakli savunmacisi ali adnan in akli galatasaray
  18. ^ futborsa.com - Ocak ayinda aslan oluyor
  19. ^ transfermarketweb.com - AS ROMA, Survey on Ali Adnan
  20. ^ winnersports.co.uk - Chelsea FC lineup Iraqi star as long-term replacement for Ashley Cole
  21. ^ http://www.usatoday.com/story/sports/soccer/2015/07/03/udinese-presents-ali-adnan-as-first-iraqi-player-in-serie-a/29660177/
  22. ^ http://www.bbc.com/sport/0/football/34011885
  23. ^ TheYouthRadar.com Arsenal Among Clubs Interested In Iraq Left Back
  24. ^ Nanapazl Time for Iraq
  25. ^ skysports.com - U20 World Cup XI
  26. ^ Goal.com - FIFA U20 World Cup top 10 players
  27. ^ Dailymail.co.uk - 2014 Top 20 best young stars on the continent

外部リンク[編集]