エディン・ジェコ

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エディン・ジェコ Football pictogram.svg
20150331 2026 AUT BIH 2177 Edin Džeko.jpg
名前
本名 Edin Džeko
カタカナ エディン・ジェコ
キリル文字 Един Џеко
基本情報
国籍 ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ボスニア・ヘルツェゴビナ
生年月日 (1986-03-17) 1986年3月17日(30歳)
出身地 ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア ボスニア・ヘルツェゴビナ
Flag of Sarajevo Canton.pngサラエヴォ県サラエヴォ
身長 193cm
体重 84kg
選手情報
在籍チーム イタリアの旗 ローマ
ポジション FW(CF)
背番号 9
利き足 右足
ユース
1996-2003 ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ジェリェズニチャル
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2003-2005 ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ジェリェズニチャル 38 (3)
2005-2007 チェコの旗 テプリツェ 43 (16)
2005 チェコの旗 ウースティー・ナド・ラベム (loan) 15 (6)
2007-2011 ドイツの旗 ヴォルフスブルク 111 (66)
2011-2015 イングランドの旗 マンチェスター・シティ 130 (50)
2015 イタリアの旗 ローマ (loan) 31 (8)
2016- イタリアの旗 ローマ 11 (10)
代表歴2
2003-2004 ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ボスニア・ヘルツェゴビナ U-19 5 (0)
2006-2007 ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ボスニア・ヘルツェゴビナ U-21 5 (1)
2007- ボスニア・ヘルツェゴビナの旗 ボスニア・ヘルツェゴビナ 82 (49)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年10月30日現在。
2. 2016年10月10日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

エディン・ジェコ(Edin Džeko、1986年3月17日 - )は、ボスニア・ヘルツェゴビナサラエヴォ県サラエヴォ出身のサッカー選手。民族はボシュニャク人ムスリム人)。セリエAローマ所属。ボスニア・ヘルツェゴビナ代表。ポジションはフォワード(FW)。ドイツとイングランドの2つのリーグで計3度の優勝を経験し、ヴォルフスブルク所属時代は2009-10シーズンにブンデスリーガで得点王に輝いている。ボスニア・ヘルツェゴビナ代表の最多得点記録保持者でもあり、2014年9月からは代表の主将を務める[1]。「ゼコ」とも表記される。

経歴[編集]

地元クラブ、チェコ時代[編集]

父親のミドハト・ジェコもプロサッカー選手であった[2]ボスニア紛争の時は一家で団地に避難し、音を立てられない地下室生活を強いられながら砲弾が止む僅かな時間にサッカーを楽しんでいた。5歳のときにFKジェリェズニチャルの下部組織に入団し[2]、2003-04シーズンにトップチームに昇格した。2005年にチェコ・リーグFKテプリツェに移籍金2万5000ユーロで完全移籍し、ジェリェズニチャル時代に指導を受けたチェコ人監督イジー・プリーシェクが率いるFKウースティー・ナド・ラベムにすぐさまレンタル移籍した[3]。そこで15試合6得点と結果を残し、半年後にはFKテプリツェに復帰し、13得点を挙げて得点ランキング2位に入った。

VfLヴォルフスブルク[編集]

2007年6月26日フェリックス・マガトが監督を務めるドイツVfLヴォルフスブルクに400万ユーロ(約5億円)の移籍金で移籍した。2007-08シーズンは28試合出場で8得点と、まずまずの成績を残した。

2008-09シーズンはDFBポカールFCオーバーノイラント戦でハットトリックを達成したが、リーグ戦では前半戦5得点にとどまった。しかし後半戦に大爆発し、最終的に26得点を決めて得点ランキング2位にはいった。2人合計54得点を叩き出したグラフィッチとのコンビはリーグ最強と謳われ、クラブ史上初のリーグ優勝に貢献した。この活躍から2009年夏の移籍市場ではイタリアACミランが獲得に乗り出し、ジェコも移籍を希望したが、クラブはジェコの放出を拒否し、結局2013年まで契約を延長した。ジェコは幼いころからのミランのファンであり[3]、サラエヴォの彼の部屋には、お気に入りの選手であるアンドリー・シェフチェンコの背番号7のユニフォームが飾られていたという[4]。チームに残留した2009-10シーズンはチームとしては苦戦をしいられ連覇を逃すも、ジェコは22得点を決めブンデスリーガ得点王を獲得した。2009年末にはバロンドール候補30人にノミネートされた[5]。2010-11シーズンは移籍を希望していたもののチームに残留し、キャプテンを任される。クラブは低迷したが、ジェコは前半戦だけで10得点を挙げた。

マンチェスター・シティ[編集]

マンチェスター・シティでプレーするジェコ(左から2人目) セルヒオ・アグエロ(一番左)と共に強力な2トップを形成する

2011年1月7日イングランドマンチェスター・シティFCに移籍した。ヴォルフスブルクには移籍金3500万ユーロが支払われたが、これはプレミアリーグのクラブが支払った金額としては史上6番目であり、ブンデスリーガ所属選手に支払われた金額としては過去最高額となった[6][7]。背番号は10。 2011-12シーズンのプレミアリーグ最終節、クイーンズ・パーク・レンジャーズ戦では途中出場で後半ロスタイムに同点のヘディングシュートを決め、奇跡へとつなげた。

2012-13シーズンは、セルヒオ・アグエロの負傷が目立つ中、チーム得点王となる14ゴールを記録した[8]

2013-14シーズンは前年度を上回る16ゴールを挙げ、出場時間あたりの得点率では同僚のセルヒオ・アグエロルイス・スアレスダニエル・スターリッジに次ぐ4位(5位はロビン・ファン・ペルシー)となり、2シーズンぶりのリーグ優勝に貢献した[9][10]。 マンチェスターシティでは大事な所で決める印象的なゴールが多く、このシーズンもシーズン終盤のクリスタル・パレス戦やエヴァートン戦、アストン・ビラ戦の決勝ゴールをあげるなど、記憶に残るゴールが多い。

ASローマ[編集]

2015年8月、セリエAASローマへのレンタル移籍が決定[11]。背番号は9番。

開幕戦のエラス・ヴェローナ戦でセリエAデビュー。2015年8月30日の第2節、ユヴェントス戦で移籍後初得点を挙げ、チームのシーズン初勝利に貢献した[12]

代表[編集]

2007年6月2日トルコ戦でボスニア・ヘルツェゴビナ代表デビュー、その試合で初得点を記録した[13]

2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では、第2節から第6節まで5節連続で得点し、2008年9月10日エストニア戦、2009年4月1日ベルギー戦で2得点を挙げるなど、予選を通して10得点を決める活躍を見せた[14]スペインに次ぐ2位に入ってプレーオフに進出したが、プレーオフでポルトガルに敗れて2010 FIFAワールドカップ本大会出場はならなかった。

2012年9月7日の2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選リヒテンシュタイン戦で代表では初となるハットトリックを達成するなど、初のW杯出場に大きく貢献した。

2014 FIFAワールドカップを戦う代表23人に選出された。 グループリーグ2戦目のナイジェリア戦では、先制ゴールを奪ったかに見えたが判定はオフサイド。しかしこれは明らかな誤審であり、 試合後ジェコは「僕らは家に帰る。だから悲しいよ。でも、この主審も家に帰るべきだ。彼は結果を変えた。彼が試合を変えた。だから僕らは負けた。先制されてから反撃しようとしたね。でも、キャプテン(エミル・スパヒッチ)にファウルが遭ったのは明らかだった。僕のゴールもオフサイドじゃなかったよ。僕らは最後まで戦った。でも、今日は運がなかったんだ」と語った[15]

「今日は僕らが試合に勝つべきだった。ナイジェリアも良いプレーをしたし、チャンスを作ったけどね。だけど、主審は恥ずべきだった」と審判を批判した。この試合の敗戦でグループリーグ敗退が決まってしまったボスニア・ヘルツェゴビナだったが、3戦目のイラン戦では、先制ゴールとなるミドルシュートで自身ワールドカップ初ゴールを決め、悲願の初勝利を記録して大会を去って行った。

人物・評価[編集]

  • プレミアリーグマンチェスター・シティFCのライバルクラブ、チェルシーFCジョゼ・モウリーニョは、ジェコについて「私が選ぶ年間最優秀選手は、ジェコだね。彼はただのゴールゲッターではない。アシストし、プレーする。振る舞いもそうだし、彼はフェアだ。ダイブをしない。相手へのカードを出させようとはしない。そして、シーズンの大事な時期にチームが必要としたときに、彼は違いをつくったと思う。」と語り、ポストプレーヤーとしての資質とジェコの人間性を評価した。[16]

個人成績[編集]

クラブ[編集]

クラブ成績 リーグ カップ リーグ杯 国際大会 通算
シーズン クラブ リーグ 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
ボスニア・ヘルツェゴビナ リーグ カップ リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2003–04 ジェリェズニチャル プレミア 20 4 0 0 - 0 0 20 4
2004–05 20 1 0 0 - 0 0 20 1
チェコ リーグ カップ リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2005–06 ウスティ・ナド・ラベム 2部 15 6 0 0 - 0 0 15 6
2005–06 テプリツェ 1部 13 3 0 0 - 0 0 13 3
2006–07 30 13 0 0 - 0 0 30 13
ドイツ リーグ DFBポカール リーグ杯 ヨーロッパ 通算
2007–08 ヴォルフスブルク ブンデス 28 8 5 1 - 0 0 33 9
2008–09 32 26 2 6 - 8 4 42 36
2009–10 34 22 2 2 - 9 5 45 29
2010–11 17 10 1 1 - 0 0 18 11
イングランド リーグ FAカップ FLカップ ヨーロッパ 通算
2010–11 マンチェスター・シティ プレミア 15 2 2 2 0 0 4 2 21 6
2011–12 30 14 0 0 4 3 8 1 42 18
2012–13 31 14 5 0 1 0 6 1 43 15
2013–14 31 16 5 2 5 6 7 2 48 26
2014–15 22 4 1 0 2 2 6 0 32 6
通算 ボスニア・ヘルツェゴビナ 40 5 0 0 - 0 0 40 5
チェコ 58 22 0 0 - 0 0 58 22
ドイツ 111 66 10 10 - 17 9 138 85
イングランド 129 50 13 4 12 11 31 6 186 71
総通算 338 143 23 14 12 11 48 15 422 183

代表[編集]

代表国 出場 得点
 ボスニア・ヘルツェゴビナ 2007 7 1
2008 6 5
2009 10 8
2010 8 3
2011 10 3
2012 9 6
2013 9 7
2014 10 5
2015 7 7
2016 6 4
通算 82 49

代表での得点[編集]

  FIFAワールドカップでの得点

タイトル[編集]

クラブ[編集]

ドイツの旗 VfLヴォルフスブルク
イングランドの旗 マンチェスター・シティ

個人[編集]

脚注[編集]

  1. ^ ボスニア新主将のジェコ、ユーロ本戦出場に意欲goalcom. 2014年
  2. ^ a b 「東欧の新たなスターが背負うもの」『ワールドサッカーダイジェスト』、日本スポーツ企画出版社、2011年4月7日号、96頁
  3. ^ a b 「ミランが惚れた男」『ワールドサッカーダイジェスト』、日本スポーツ企画出版社、2009年8月6日号
  4. ^ Džeko: Shevchenkov dres ima posebno mjesto u mojoj sobi” (Bosnian). sportin.ba (2011年1月7日). 2011年1月7日閲覧。
  5. ^ 2009年バロンドール候補30人発表livedoorスポーツ、2009年10月19日
  6. ^ Shine on you, crazy diamond”. sarajevo-x.com (2011年1月15日). 2011年1月16日閲覧。
  7. ^ Džeko nadmašio Gomeza”. sportsport.ba (2011年1月9日). 2011年1月10日閲覧。
  8. ^ [1]
  9. ^ [2]
  10. ^ [3]
  11. ^ “ジェコのローマ加入が正式決定「全試合で全力を尽くすと約束する」”. SOCCER KING. (2015年8月13日). http://www.soccer-king.jp/news/world/ita/20150813/339915.html 2015年9月6日閲覧。 
  12. ^ “ユーヴェ史上初の開幕連敗…ローマがボスニアコンビの活躍で決戦制す”. SOCCER KING. (2015年8月31日). http://www.soccer-king.jp/news/world/ita/20150831/345390.html 2015年9月6日閲覧。 
  13. ^ Jody Houton and Ann Gripper (2009年6月6日). “Edin Dzeko profile: 10 things you need to know about the Arsenal target”. mirrorfootball.co.uk. 2010年1月22日閲覧。
  14. ^ “2010 World Cup Qualifying Statistics”. FIFA.com. http://www.fifa.com/worldcup/preliminaries/europe/statistics/index.html 2009年6月19日閲覧。 
  15. ^ ボスニア・ゼコ、明らかな誤審を批判「主審も家に帰るべき」 サンスポ 
  16. ^ モウリーニョ、L・スアレスの最優秀選手に不満
  17. ^ Magath: Was läuft da mit Dzekos Cousin? bild.de 2009年6月3日

外部リンク[編集]