ジュゼッペ・シニョーリ
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名前 | ||||||
愛称 | ベッペ | |||||
ラテン文字 | Giuseppe Signori | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1968年2月17日(53歳) | |||||
出身地 | アルツァーノ・ロンバルド | |||||
身長 | 171cm | |||||
体重 | 68kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 左足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1984-1986 |
![]() | 38 | (8) | |||
1986-1987 |
![]() | 46 | (6) | |||
1987-1988 |
→![]() | 31 | (3) | |||
1989-1992 |
![]() | 100 | (37) | |||
1992-1997 |
![]() | 152 | (107) | |||
1997-1998 |
![]() | 17 | (3) | |||
1998-2004 |
![]() | 142 | (66) | |||
2004-2005 |
![]() | 5 | (0) | |||
2005-2006 |
![]() | 10 | (3) | |||
代表歴 | ||||||
1992-1995 |
![]() | 28 | (7) | |||
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ジュゼッペ・“ベッペ”・シニョーリ(伊: Giuseppe “Beppe” Signori、1968年2月17日 - )は、イタリア出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。
経歴[編集]
選手時代[編集]
11歳の時にインテルのテストに合格するも低身長が災いして活躍の場が与えられなかった。それゆえ、20代半ばまでは無名に近い存在であった。
転機が訪れたのは1989年から1992年にかけて在籍したフォッジャ(当時セリエB)時代からで、チェコ人指揮官ズデネク・ゼーマンの薫陶を受け1991-92シーズンには同チームで11得点を挙げた。同年、ラツィオに引き抜かれると、1992-93シーズンには26得点を挙げ得点王となった。翌1993-94シーズンには負傷のため、前半戦の多くを欠場せざるを得なかったが、最終的には24試合出場で23得点という得点率で2年連続得点王となった。1995-96シーズンにも通算3度目の得点王にとなったものの、その多くはPKによるものであり、往年のスピードはすでに失われていた。また、ラツィオ時代には毎年15ゴールは確実に奪取するもののタイトルとは縁がなく、ラツィオは、シニョーリが移籍した1997-98シーズンにコッパ・イタリアを、1999-2000シーズンにはスクデットを獲得するなど巡り合わせが悪かった。
イタリア代表としては1992年5月31日のポルトガル戦(ニューヘイブン)で代表デビューを飾り、1994年のFIFAワールドカップ・アメリカ大会を始め国際Aマッチ28試合出場7得点を記録した[1]。クラブレベルでは実績を残したが、イタリア代表としてはロベルト・バッジョやピエルルイジ・カジラギを重用するアリゴ・サッキ監督の下では、思うような結果を残せなかった。94年W杯時には、セリエA得点王として大会に臨んだが、左サイドハーフに起用されるなど、実力を発揮することはできなかった。
2005年からはハンガリーのFCショプロンでプレーしていたが、2006年に現役を引退した[2]。
引退後[編集]
引退後はライ・ラジオ1のサッカー解説者を務めた[3]。2008年5月28日から2009年1月28日にかけてテルナーナ・カルチョのディレクターを務めた[4][5]。
2011年6月1日、イタリア下部リーグの八百長に関わった疑いでシニョーリの身柄を拘束したと捜査当局が発表。八百長に直接的な影響力を持つ賭博グループの主要メンバーだった疑いも持たれた[6]。8月9日、イタリアサッカー連盟はシニョーリに対しサッカーに関わる活動を5年間禁止する命令を下した[7]。
個人成績[編集]
代表での成績[編集]
- 出典[1]
イタリア代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
1992 | 6 | 2 |
1993 | 6 | 2 |
1994 | 13 | 3 |
1995 | 3 | 0 |
通算 | 28 | 7 |
獲得タイトル[編集]
- 1992-93 セリエA得点王(32試合/26得点)
- 1993-94 セリエA得点王(24試合/23得点)
- 1995-96 セリエA得点王(31試合/24得点)
脚注[編集]
- ^ a b “Giuseppe Signori - Goals in International Matches”. rsssf.com. 2018年12月13日閲覧。
- ^ シニョーリ現役引退 - livedoor スポーツ 2011-06-01閲覧
- ^ “RAI: WEEKEND CON LO SPORT IN DIRETTA SU RADIO, TV E SATELLITE”. Satellite Oggi (2007年9月14日). 2007年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月13日閲覧。
- ^ “Dominicis ha accettato le dimissioni di Giuseppe Signori” (2008年5月28日). 2008年5月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月13日閲覧。
- ^ “Dominicis ha accettato le dimissioni di Giuseppe Signori” (2009年1月28日). 2014年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年12月13日閲覧。
- ^ “Maxi-inchesta sulle scommesse Arrestato anche Beppe Signori”. La Gazzetta dello Sport (2011年6月1日). 2018年12月13日閲覧。
- ^ “Soccer-Atalanta have points deducted over alleged match-fixing”. Reuters (9 August 2011-08-09). 2018年12月13日閲覧。
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