シュテファン・クンツ

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シュテファン・クンツ Football pictogram.svg
2018-04-23 ARD Stefan Kuntz-7041.jpg
名前
ラテン文字 Stefan Kuntz
基本情報
国籍 ドイツの旗 ドイツ
生年月日 (1962-10-30) 1962年10月30日(56歳)
出身地 ノインキルヒェン
身長 180cm
体重 84kg
選手情報
ポジション FW
ユース
1970-1981 西ドイツの旗 ボルシア・ノインキルヒェンドイツ語版
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1980-1983 西ドイツの旗 ボルシア・ノインキルヒェンドイツ語版
1983-1986 西ドイツの旗 VfLボーフム 100 (41)
1986-1989 西ドイツの旗 バイエル05ユルディンゲン 94 (32)
1989-1995 ドイツの旗 1.FCカイザースラウテルン 170 (75)
1995-1996 トルコの旗 ベシクタシュJK 30 (9)
1996-1998 ドイツの旗 アルミニア・ビーレフェルト 65 (25)
1998-1999 ドイツの旗 VfLボーフム 20 (6)
2002-2003 ドイツの旗 SVフルパッハ 22 (22)
2004-2005 ドイツの旗 FCパラティア・リンバッハ 10 (1)
代表歴
1983-1985 西ドイツの旗 西ドイツ U-21 4 (3)
1986 西ドイツの旗 西ドイツ B 1 (2)
1993-1997 ドイツの旗 ドイツ 25 (6)
監督歴
1999-2000 ドイツの旗 ボルシア・ノインキルヒェンドイツ語版
2000-2002 ドイツの旗 カールスルーエSC
2003 ドイツの旗 SVヴァルトホーフ・マンハイム
2003 ドイツの旗 LRアーレン
2016- ドイツの旗 ドイツU-21代表
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

シュテファン・クンツStefan Kuntz1962年10月30日 - )は、ドイツノインキルヒェン出身の元サッカー選手サッカー指導者。選手時代のポジションはフォワード

父親のギュンター・クンツドイツ語版も、1960年代ボルシア・ノインキルヒェンドイツ語版でプレーしたサッカー選手である。

経歴[編集]

選手[編集]

クンツは地元クラブボルシア・ノインキルヒェンドイツ語版の下部組織で育ったが、その一方で警察官としての職業訓練を受けていた[1]1983年VfLボーフムと契約を結びプロサッカー選手としてのキャリアを開始すると1983-84シーズン開幕戦のキッカーズ・オッフェンバッハ戦でデビューし決勝点を決める活躍を見せた[1][2]。さらに、1985-86シーズンには22得点をあげてリーグ得点王となった[1]

1986年FCバイエル05ユルディンゲンに移籍し3シーズンを過ごした後、1989年に1.FCカイザースラウテルンへ移籍[3]。カイザースラウテルン在籍時の1989-90シーズンにはDFBポカール優勝、1990-91シーズンにはブンデスリーガ優勝に貢献し[3]年間最優秀サッカー選手賞を受賞[4]、1993-94シーズンには18得点をあげて2度目のブンデスリーガ得点王となった[3]

その後、トルコのクラブであるベシクタシュJKでプレーするなど1999年まで現役を続け、ドイツ・ブンデスリーガで449試合に出場して179得点を挙げた[3]

代表レベルではU-21代表やB代表などの下位カテゴリでのプレー経験があり、ドイツ代表としては1993年12月18日に行われたアメリカ合衆国戦でデビューすると、この試合で代表初得点を決めた[5]1994 FIFAワールドカップではグループリーグ1試合に出場したのみに終わったが[5]UEFA EURO '96では準決勝のイングランド戦においてアラン・シアラーに先制されて迎えた前半15分に同点ゴールを記録するなど[6]、5試合に出場しタイトル獲得に貢献した。ドイツ代表としての通算成績は国際Aマッチ25試合出場6得点で、その内訳は20勝5分である[5]

引退後[編集]

引退後はユース時代を過ごしたボルシア・ノインキルヒェンやカールスルーエSCなどで監督を務めたが結果を残すことは出来ず、スポーツマネージメント業に転じた[7]。2005-06シーズンにはTuSコブレンツ2006年から2008年まではVfLボーフムでアスレティック・ディレクターを務めた後、2008年4月にカイザースラウテルンの会長に就任した[3][7]

当時のカイザースラウテルンは存続の危機にあったが就任当初からリーダ​​ーシップを発揮し、クラブの財政問題を改善する一方で、ヘアツブルト(ドイツ語: Herzblut)と題したキャンペーンを打ち出しサポーターや地元企業に対して支援を呼びかけるなどの経営手腕を見せた[7]。クンツは就任2年目でブンデスリーガ1部昇格に導くと2010-11シーズンには7位という成績を収めたが、翌2012-12シーズンに最下位となり2部に降格すると、その後は1部リーグ復帰を果たせずにいた[8]2015年11月からはブンデスリーガを統括するドイツサッカーリーグ機構 (DFL) の役員を務めた[9]。クンツとクラブとの契約は2017年12月31日まで残されていたが、2016年4月に解除された[8]

2016年8月23日ホルスト・ルベッシュの後任としてU-21ドイツ代表の監督に就任した[10][11]2017年6月にポーランドで開催されたUEFA U-21欧州選手権2017では決勝でU-21スペイン代表を下し、2009年大会以来2度目のタイトル獲得に導いた[12]

個人記録[編集]

代表での成績[編集]

出典[5]


ドイツ代表国際Aマッチ
出場得点
1993 2 1
1994 6 1
1995 6 0
1996 10 4
1997 1 0
通算 25 6

代表での得点[編集]

出典[5]


獲得タイトル[編集]

クラブ[編集]

1.FCカイザースラウテルン

代表[編集]

ドイツ代表

個人[編集]

指導者[編集]

U-21ドイツ代表

脚注[編集]

  1. ^ a b c Historie / VfL-Legenden: Stefan Kuntz”. VfL Bochum. 2016年9月12日閲覧。
  2. ^ Die Spielstatistik VfL Bochum - Kickers Offenbach”. fussballdaten.de. 2016年9月12日閲覧。
  3. ^ a b c d e Vereinsführung”. Offizielle Website FCK. 2012年11月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年9月11日閲覧。
  4. ^ (West) Germany - Footballer of the Year”. rsssf.com. 2016年9月12日閲覧。
  5. ^ a b c d e Stefan Kuntz - Goals in International Matches”. rsssf.com. 2016年9月11日閲覧。
  6. ^ Hosts denied by Germany in epic semi-final”. uefa.com (2011年3月14日). 2016年9月11日閲覧。
  7. ^ a b c 「世界蹴球「秘」紳士録 FILE24 シュテファン・クンツ」『ワールドサッカーダイジェスト』2011年10月20日号、日本スポーツ企画出版社、99頁。
  8. ^ a b Marketingvorstand im Anflug - Kuntz-Aus am Montag?”. kicker.de (2016年4月3日). 2016年9月11日閲覧。
  9. ^ クンツ氏がDFLの役員に”. kicker.de (2016年4月3日). 2016年9月11日閲覧。
  10. ^ Kuntz und Kramer neu im DFB-Trainerstab”. Deutscher Fußball-Bund (2016年8月23日). 2016年9月11日閲覧。
  11. ^ U21-Nationalteam: Kuntz wird Hrubesch-Nachfolger”. SPIEGEL ONLINE (2016年8月23日). 2016年9月11日閲覧。
  12. ^ Weiser köpft Deutschland zum EM-Titel”. DFB - Deutscher Fußball-Bund e.V. (2017年6月30日). 2017年7月1日閲覧。

外部リンク[編集]