舞鶴市

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まいづるし
舞鶴市
Maizuru red brick warehouses08s3200.jpg
Maizuru Kyoto chapter.JPG
舞鶴市章・市旗も同デザイン
1944年1月20日制定
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 京都府
団体コード 26202-1
法人番号 4000020262021
面積 342.12km2
総人口 82,896
推計人口、2016年10月1日)
人口密度 242人/km2
隣接自治体 綾部市宮津市福知山市
福井県大飯郡高浜町
市の木 ケヤキ
市の花 ツツジ
市制記念日 5月27日
舞鶴市役所
市長 多々見良三
所在地 625-8555
京都府舞鶴市字北吸1044番地
北緯35度28分29.1秒東経135度23分9.5秒座標: 北緯35度28分29.1秒 東経135度23分9.5秒
舞鶴市役所
外部リンク 舞鶴市

舞鶴市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

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舞鶴市(まいづるし)は、 京都府北部(旧丹後国) に属する中丹地域圏に属し、舞鶴都市圏を形成している。 日本海に面する港湾都市として知られる。

目次

概要[編集]

西地区、東地区、大浦地区、加佐地区などから構成される。さらに市街は大きく二つに分かれており、軍港から発展した東舞鶴と、田辺藩城下町・商港から発展した西舞鶴から構成される。

1943年5月26日以前からの舞鶴市に当たる西舞鶴を旧舞鶴市、1943年5月26日以前「東舞鶴市」だった東舞鶴を新舞鶴と呼ぶことがある。

舞鶴市中心部周辺の空中写真。舞鶴市中心部は大きく東西2地区に分かれている。画像左下方が西舞鶴地区。画像右上方が東舞鶴地区。1975年撮影の40枚を合成作成。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。
総世帯数 34,000世帯
(2008年4月1日時点)
外国人登録者数 1361
(2004年)
市長 多々見 良三
(2011年2月6日に当選)
市職員数 1062
(2005年度)
当初予算規模 329.3億円(一般会計)
360.4億円(特別会計)
市議会議長
(選出日)
尾関善之
(2012年11月30日選出)

地理[編集]

舞鶴湾のリアス式海岸
湾口を望む

日本海の若狭湾に面し、東西に分かれた舞鶴湾リアス式海岸を持つ。舞鶴湾口の東西に博奕岬金ヶ岬があり、天然の港である。

福井県嶺南)との県境に、青葉山があり、この近辺が市内で最も標高が高い。青葉山の山頂は福井県にあり、市内に山頂がある山で最も高いのは市との境に所在する赤岩山(669m)である。

若狭湾から市内東北部にある大浦半島は、若狭湾国定公園に指定されている。

市の中部には、東部(東舞鶴)と西部(西舞鶴)を分ける五老岳があるため、市街地も東西で分かれて発展している。東舞鶴はかつての軍需都市で、旧軍港や造船などを中心とする重工業地区であり、市役所も東舞鶴にある。一方、西舞鶴はかつての城下町で、国や京都府の行政機関や工業団地が集中する商工業地区である。このように同じ舞鶴市ながら違った顔を持っている。

西舞鶴の市街地のさらに西側に位置する由良川を境に、天橋立がある宮津市などと接している。

総面積が10,320haながら宅地面積は1,143haあり、山林面積は6,410haと山地が多く、森と海に囲まれている。またオオミズナギドリの最後の楽園といわれる冠島がある。

市内をJR舞鶴線小浜線舞鶴若狭自動車道が横断し、市西部には京都丹後鉄道宮津線が西舞鶴駅から接続している。

東舞鶴駅西舞鶴駅では駅前再開発が行われている。

気候[編集]

日本海側気候である。また、豪雪地帯に指定されている。

盆地に位置する地域と比べると夏と冬の気温の差が比較的小さく、過ごしやすい気候である。 舞鶴市の年間平均気温は14.3℃、年間降水量1786.3mm [1] は、全国152気象台の平均値に近い数値である。

舞鶴の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C (°F) 7.4
(45.3)
8.0
(46.4)
11.9
(53.4)
18.5
(65.3)
23.0
(73.4)
26.2
(79.2)
30.2
(86.4)
32.1
(89.8)
27.2
(81)
21.6
(70.9)
16.0
(60.8)
10.5
(50.9)
19.38
(66.9)
平均最低気温 °C (°F) 0.4
(32.7)
0.4
(32.7)
2.5
(36.5)
7.3
(45.1)
12.4
(54.3)
17.4
(63.3)
22.0
(71.6)
23.0
(73.4)
19.1
(66.4)
12.6
(54.7)
7.1
(44.8)
2.6
(36.7)
10.57
(51.02)
降水量 mm (inch) 165.9
(6.531)
147.9
(5.823)
139.9
(5.508)
111.7
(4.398)
144.5
(5.689)
169.9
(6.689)
180.5
(7.106)
133.9
(5.272)
207.7
(8.177)
144.9
(5.705)
138.7
(5.461)
141.2
(5.559)
1,826.7
(71.918)
降雪量 cm (inch) 82
(32.3)
78
(30.7)
15
(5.9)
30
(11.8)
206
(81.1)
平均月間日照時間 73.0 78.9 115.2 167.0 177.2 138.9 148.0 196.9 131.1 130.5 97.8 84.3 1,538.8
出典: 気象庁

自然[編集]

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青葉山
舞鶴市側の標高は650m程度。北叡山とも呼ばれ、京都府から福井県にかけて存在する山である。北叡山の名は、舞鶴市に鎮守府が置かれ北都ともよばれたことから、京都府と滋賀県にまたがる比叡山に因み、明治時代に市内の天台宗の高僧が名付けたとされる。
標高616.4m。山名は丹波・丹後・若狭の3か国の国境に位置することに由来する。なお、倉部山・黒部山・倉梯山・高橋山・笠松山といった別名をもつ。
与保呂川・祖母谷川、由良川の支流・上林川、関屋川の水源。
標高669m。宮津市との境に位置する。山頂に限定した場合、宮津市との境に所在するこの山が市の最高峰である。
  • 五老岳:標高300.8m
  • 白鳥山
  • 鴻巣山
  • 弥仙山:綾部市、標高664m。
  • 倉梯山:標高260m程度。
  • 四面山
  • 養老山:綾部市、標高665.4m。
  • 四面山:標高60m程度。
  • 由良ヶ岳:640.0m、585.1m。宮津市との境
  • 砥石岳:標高407.8m。大俣の付近。
  • 杉山:宮津市、標高697m。
  • 湯舟山:標高368.3m。
  • 千石山:標高334.4m。河原と女布の付近。
  • 槙山:標高480m程度。
  • 愛宕山:標高282m。
  • 茶臼山:標高40〜57m。引土の付近。
  • 板戸峠:宮津市との境、上漆原の付近
  • 登尾峠:綾部市との境
  • 菅坂峠:綾部市との境。標高350〜400m程度。
  • 胡麻峠
  • 吉坂峠:福井県高浜町との境
  • 塩汲峠:福井県高浜町との境
  • 滝尻峠:藤津と上福井の間
  • 真壁峠:城屋と由良川の間
  • 三浜峠舞鶴自然文化園の付近
  • 白鳥峠:標高50〜100m程度

[編集]

  • 由良川:市内を流れる一級河川。
    • 和江谷川
    • 八戸地川
    • 池田川
    • 久田美川
    • 岡田川
      • 長谷川
    • 滝川
    • 桧川

[編集]

  • 冠島(かんむりじま):別名、大島、雄島、常世島(とこよじま)、竜宮島ともいう。
  • 沓島(くつじま):別名、雌島または小島、鬼門島ともいう。釣鐘岩。
  • 中津神グリ:冠島と沓島の中間にある。
  • 年取島

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  • 三本松鼻
  • 松ヶ崎
  • 捻松岬

海・湾[編集]

遺跡[編集]

縄文時代の遺跡[編集]

  • 1万年前の有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)(石槍)(小橋遺跡)
(大浦半島の小橋区を流れる小橋川から)
  • 7000年前の土器片(志高遺跡:由良川沿い)
  • 6300年前の「けつ状耳飾り」(浦和遺跡)
  • 5300年前の丸木舟(浦和遺跡)
  • 4000年前の乳棒状蛤(はまぐり)刃石斧(アンジャ島遺跡)
  • 埋甕、岩版、ドングリ、クルミ(桑飼下遺跡) 
  • 磨製石斧(荒倉遺跡)

BC200〜3世紀末[編集]

  • 銅鐸(匂ヶ崎)
  • 剣形石剣(志高遺跡)

その他[編集]

  • 灰岩製の組合せ式石棺(切山遺跡)
  • 舞鶴最大の石室(白杉古墳)
  • 横穴式石室
  • 志高シゲツ窯
  • 舞鶴銅鐸(二尾)

遺跡名[編集]

  • 小橋遺跡(小橋)
  • アンジャ遺跡(小橋)
  • 浦入遺跡(千歳)
  • 坪の内遺跡(平)
  • 荒倉遺跡(多門院)
  • 今田西遺跡(今田)
  • ?文神社遺跡(今田)
  • 城島遺跡()
  • 和江遺跡(和江)
  • 八雲遺跡(丸田)
  • 大川遺跡(大川)
  • 花ノ木遺跡(志高)
  • 志高遺跡(志高)
  • 岡田由里遺跡(岡田由里)
  • 桑飼下遺跡(桑飼下)
  • 地頭遺跡(地頭)
  • 高津江遺跡(桑飼上)

歴史[編集]

古代〜南北朝時代[編集]

丹後田辺城(舞鶴城)

約1万年前には、舞鶴の地に人が住み始めたと言われている。 弥生時代には、由良川流域など広範囲で稲作が営まれた。 古代時代には、舞鶴は旦波(丹波)に入っていた。 奈良時代には、丹波国は分割され、舞鶴は丹後国加佐郡に入っていた。 南北朝時代には、醍醐寺の荘園が置かれていた。

一色範光が北朝および室町幕府より丹後守護に任じられる。

室町時代[編集]

室町時代には、室町幕府の成立によって一色満範が丹後国守護職となり舞鶴を含む加佐郡は特に一色家の統治下に置かれた。丹後の守護所は八田(現・田辺)に置かれ、一色氏は八田守護所において領国を統治した。また八田守護所を守るため一色詮範満範父子により後背に建部山城が築かれる。以後、丹後国は一色家の領国として代々続き、西舞鶴地区は丹後の中心として栄える。

室町幕府においても一色氏は四職家の一つとして重んじられ、さらに将軍がいる山城守護に任じられるなど繁栄を極めた。

しかし室町時代後期の応仁の乱において西軍に属した一色氏は衰退し、東軍総帥で丹波守護の細川京兆家(細川氏)や東軍副将を務めた若狭武田氏の攻撃をたびたび受けるようになり、さらに家臣の下剋上もあって国内は混乱する。さらに若狭武田家は丹後守護職も獲得する。一色氏は一時期、奥丹後に潜在するも命脈を保ち、若狭武田氏の侵攻が収まると復活した。

戦国時代[編集]

戦国時代末期の1575年織田信長から丹波・丹後進攻の命を受けた家臣の明智光秀長岡藤孝らに侵攻され、丹後守護職で建部山城主の一色義道は殺され、一色氏は衰退した。さらに豊臣秀吉の命により後年、丹後国は長岡藤孝の領地となった。 長岡氏(細川氏)の手によって舞鶴は開発され、本能寺の変後も長岡氏(細川氏)の所領は安堵され、そのまま統治した。

1600年慶長5年)に勃発した関ヶ原の戦いで、細川家は徳川家康率いる東軍に与した。細川藤孝は当時は小城だった宮津城から、大規模な水堀もあり、守りやすい本城の田辺城(舞鶴城)に移り籠城(田辺城の戦い)。西軍の派遣部隊と対戦したが、後陽成天皇勅命により、城を敵に明け渡した(詳細については細川幽斎の項目を参照)。戦後細川家は、九州豊前小倉藩に転封された。

舞鶴藩祖・京極高三[編集]

京極高知が徳川家康から関ヶ原の戦いの戦功により、丹後一国を与えられ国持大名として丹後藩(宮津藩)を立藩した。加佐郡(舞鶴)も当初は丹後藩の一部だった。後に京極高知の子らにより丹後藩は三分割され、京極高三が加佐郡に田辺藩(舞鶴藩)3万5,000石を立藩した。

この出来事が、一般には舞鶴市の始まりとされている。

京極高三は宮津城の築城にともない廃城(一国一城令)となっていた田辺城(舞鶴城)の再構築や、城下町の整備や、港湾の整備などを行い、その後の舞鶴発展の礎を築いた。のちに京極氏は但馬豊岡藩へ移封となったが、その後は京極高三の娘婿である牧野富成が丹後田辺藩を継ぎ、牧野氏3万5,000石の城下町として幕末まで栄え続けた。

明治から第二次世界大戦まで[編集]

1933年に行われた昭和天皇の舞鶴行幸。舞鶴鎮守府を訪問。

明治維新翌年の1869年明治2年)に版籍奉還が行われ、その後、紀伊田辺藩との同一藩名を解消するため太政官より田辺藩の名称変更を命じられ、同年6月に田辺城の雅号・舞鶴城に因んで舞鶴藩に改称した。1871年(明治4年)には廃藩置県により、西舞鶴は舞鶴県の県庁所在地となったが、同年10月には豊岡県に編入され、1876年(明治9年)に京都府へと編入された。

1873年(明治6年)には舞鶴藩の家老だった河村真六によって、舞鶴藩の藩校であり多くの学者を輩出した明倫館が明倫小学校として開校し、1889年(明治22年)に市町村制が導入されると加佐郡舞鶴町(西舞鶴)が誕生した。その後1901年(明治34年)10月には、軍事的要地として東舞鶴に舞鶴鎮守府が設置され、初代長官には東郷平八郎が就任した(東郷が生み出したとされる肉じゃがは、一説には東舞鶴が発祥地とされる)。それに合わせ東舞鶴の浜村などでは大規模宅地開発が計画され、京都市に模して碁盤目状の市街地が形成され(南北に一条から九条、東西に軍艦の名前が使われる)、多くの海軍官署が設置された。

軍都として順調に発展を遂げたが、1923年(大正12年)2月のワシントン海軍軍縮条約締結に伴い、舞鶴鎮守府は海軍要港部に格下げされ、同時に海軍工廠も工作部に縮小され、一時期人口が減少、市況は沈滞した。同年9月には関東大震災で被災した横須賀市にあった海軍機関科士官を養成する海軍機関学校が移設されることになり、1936年(昭和11年)7月には、再び舞鶴要港部が鎮守府に格上げされると、活況を呈し、人口はピークに達した。

現在でも舞鶴市内のいたる所に海軍の遺跡が存在する。

1943年(昭和18年)になり、いよいよ戦局が激化すると、舞鶴鎮守府は日本海軍の重要拠点として強化される事となり、東舞鶴市(東舞鶴地区)だけではなく、旧舞鶴市(西舞鶴地区)にも海軍諸施設が多数立地するようになった。また舞鶴海軍工廠では艦船を中心に蛟龍などの特殊兵器も生産するなど軍需生産拠点としても機能強化が図られ、両市が一体となって大軍港都を建設することを海軍が強く要請。旧舞鶴市側は難色を示すが、市役所の位置など諸条件を提示、東舞鶴市も了承したことから、「時局ノ要請二応ジ大軍港都市建設ノ為」すべて京都府知事に一任し、舞鶴市海軍記念日にあたる同年5月27日に東西舞鶴両市は合併した。市役所は東舞鶴市中舞鶴支所に置かれることとなり、人口は15万人を超え、日本海側有数の大都市として重要な地位を占めるに至った。

戦線が激化するにつれ、舞鶴は後方支援都市として軍需産業が勃興し、人口も増加したが、1945年(昭和20年)7月29日、突如としてアメリカ軍が来襲、海軍工廠を中心に舞鶴を空襲した。また翌日も舞鶴港を中心に大規模な空襲に見舞われ、多数の死傷者を出した。

戦後はアメリカ進駐軍舞鶴分遣隊が駐屯、舞鶴港が政府の在外邦人引き揚げ港に指定され、大陸からの引き揚げの拠点となった。1945年昭和20年)から13年に渡って66万人余りの引揚者が舞鶴に降り立ち、懐かしの母国の土を踏みしめた。その頃の岸壁の母は有名。現在は、当時の引揚桟橋があったに、舞鶴引揚記念館が建っている。

戦中から[編集]

軍需物資を運ぶために建設された旧中舞鶴線(現在は跡地に遊歩道が整備されている)。

戦前・戦中は鎮守府も置かれ、軍都として軍需産業、また戦後は臨海型重厚長大工業都市として、北近畿最大の経済規模を有していた。

舞鶴は日本海側唯一の軍事都市として、軍事施設が両舞鶴市に跨がるように設置され、軍都一括管理の重要性が増した。そこで1943年(昭和18年)に海軍は東西両舞鶴市に合併を要請し、それを受けて(旧)舞鶴市と東舞鶴市が1943年5月27日合併。新しい舞鶴市が誕生した。当時の人口は154,953人。

しかし、前述のように、城下町・商業都市として発展し、加佐郡の中心都市と自負する旧舞鶴市(西舞鶴)と、鎮守府が設置され、軍需都市として発展した旧東舞鶴市(東舞鶴)では、住民気質が全く異なり、舞鶴市東西分離運動が活発化した。同時期、戦時体制下に軍により進められた市町村合併の見直しを認める法改正があり、1949年(昭和24年)11月に西舞鶴地区より東西分離要請書が提出されるに至った。1950年(昭和25年)3月には西舞鶴地区にて住民投票が行われ、賛成7,046票、反対6,070票、棄権4,483票と賛成多数で舞鶴市をふたたび東西に分割する案が決議された。京都府議会は「京都北部の中心都市としてだけでなく、府下の唯一の大港湾都市建設に万進すべき」との決議を採択し、東西分離案を否決した。

加佐町編入から現在[編集]

日本海の要となる海上自衛隊舞鶴基地

1957年(昭和32年)に舞鶴市と関係の深かった加佐郡加佐町を編入して現在の舞鶴市が形成された。この結果、国勢調査で初めて人口が10万人を超え、京都府内では京都市に次ぐ人口を擁する市町村となった。2011年現在は、宇治市亀岡市に次ぐ府内第4位である。

現在でも海上自衛隊舞鶴地方総監部(1952年設置)や第八管区海上保安本部(1948年設置)があり、国防拠点都市としての性格と、舞鶴港が1951年(昭和27年)に重要港湾に指定、また1995年(平成7年)には日本海側港湾では初めてFAZ(輸入促進地域)の指定を受けるなど、中国韓国ロシアなど定期コンテナ航路を有する国際貿易港を持つ交流・物流都市として、また中丹広域振興局近畿財務局などが立地する行政都市としての性格を有している。

軍港都市として発展してきた舞鶴にとって、太平洋戦争の終結は産業基盤を失い、地域経済、行財政双方に極めて深刻な打撃を与えた。そこで舞鶴市は1950年(昭和25年)に制定された旧軍港市転換法を活用し、軍需産業に頼らない産業誘致、育成に注力することとなる。

具体的には、海軍工廠があった施設を利用し車両製作(舞鶴重工業、後の日立造船舞鶴工場)を開始、戦時中は軍需工場と位置づけられていた繊維工場(大和紡績舞鶴工場など)でも民需生産を開始した。また日本板硝子や木材加工系企業を誘致し、造船を加え主要4業種を基幹産業とする港湾工業都市へと脱皮を図った。

2008年(平成20年)4月、海上自衛隊所属である南極観測船「しらせ」がユニバーサル造船にて新造され、進水式が執り行われた。

年表[編集]

  • 651年頃 笠(かさ)評(こほり)と呼ばれているよう。
  • 676年(天武5年)頃 丹波国訶紗郡と呼ばれているよう。
  • 696年頃 旦波国加佐評と呼ばれているよう。
  • 701年 7世紀に丹波国に属する加佐評が701年に郡制により加佐郡となる。
  • 709年 丹波国加佐郡
  • 713年(和銅6年)4月3日 丹波国の北部5郡である加佐郡、与謝郡、丹波郡、竹野郡、熊野郡が分離して丹後国となる。旧国郡制度の丹波国の北丹地区。中丹は、天田郡(あまだぐん:夜久野町・福知山市・三和町)・何鹿郡(いかるがぐん:綾部市)。南丹が船井郡(ふないぐん:瑞穂町・和知町・丹波町・園部町・八木町)、桑田郡(くわたぐん:美山町・京北町・亀岡市)。西丹は氷上郡(ひかみ:市島・春日町・青垣町・氷上町・栢原町・山南町)・多紀郡(たきぐん:篠山市)。丹波道主命は現在の舞鶴市東地区一帯、息長の転訛といわれる行永(ゆきなが)地区を開拓し、古代丹後国加佐郡の志楽(しらく)郷・高橋(くらはし)郷を本拠としたと伝えられる。
  • 1580年(天正8年)頃 丹後国は細川藤孝・忠興親子の所領、田辺城の築城。
  • 1600年(慶長5年)頃 京極高知(たかとも)が丹後国に入国。
  • 1622年(元和8年) 丹後国を3分して宮津藩(78,175石)、田辺藩(35,000石)、峰山藩(10,000石)の3藩が成立。
  • 1688年(寛文8年) 牧野親成(ちかしげ)が摂津国から入国。
  • 1871年(明治4年)7月14日 廃藩置県により、旧田辺藩(舞鶴藩/3.5万石)が舞鶴県として発足。西舞鶴は舞鶴県の県庁所在地となる。
  • 1871年(明治4年)11月22日 豊岡県に編入される。
  • 1876年(明治9年) 豊岡県が分割され、京都府に編入。
  • 1889年(明治22年)4月1日 舞鶴町制を施行。町村制施行に伴い、加佐郡に舞鶴町と24の村が成立する。(1町24村)
  • 1901年(明治34年) 東舞鶴に舞鶴鎮守府設置。
  • 1906年(明治39年)7月1日 - 倉梯村・志楽村から新舞鶴町が分立。
  • 1919年(大正8年)11月1日 - 余部町が中舞鶴町に改称。
  • 1936年(昭和11年)8月1日 - 四所村・高野村・中筋村・池内村・余内村が舞鶴町に編入。
  • 1938年(昭和13年)8月1日 加佐郡より舞鶴町(西舞鶴)が旧舞鶴市として、新舞鶴町・中舞鶴町・倉梯村・与保呂村・志楽村が合併し(東舞鶴が)東舞鶴市として市制を施行した。
  • 1943年(昭和18年) 海軍の要請により旧舞鶴市と東舞鶴市が合体合併し、現在の舞鶴市が誕生した。人口86,051人。
  • 1945年(昭和20年) 浮島丸事件
  • 1948年(昭和23年) 舞鶴海上保安本部が開庁。舞鶴港が特定港へ指定。
  • 1950年(昭和25年) 舞鶴市の東西分割案について住民投票を実施し可決。後に京都府議会はこれを否決。
  • 1951年(昭和26年) 舞鶴港が重要港湾に指定。
  • 1952年(昭和27年) 海上保安学校が開校。海上警備隊(海上自衛隊)地方総監部が開庁。
  • 1953年(昭和28年) 京都府舞鶴事務局(現在の京都府中丹広域振興局)が設置。
  • 1956年(昭和31年)2月20日 地方財政再建促進特別措置法に基づく財政再建団体となる。
  • 1957年(昭和32年) 加佐町編入合併。人口102,588人。
  • 1962年(昭和37年)3月31日 財政再建完了。
  • 1963年(昭和38年) 新市役所庁舎が完成。
  • 1965年(昭和40年) 国立舞鶴工業高等専門学校(舞鶴高専)が開校。
  • 1976年(昭和51年) 舞鶴球場が完成。
  • 1990年(平成2年) 舞鶴港に前島埠頭完成。
  • 1991年(平成3年) 舞鶴若狭自動車道舞鶴西ICまで開通。
  • 1993年(平成5年) 赤れんが博物館がオープン。
  • 1994年(平成6年) 舞鶴市政記念館が完成。
  • 1995年(平成7年) 五老スカイタワーが完成。
  • 1998年(平成10年) 舞鶴若狭自動車道舞鶴東ICまで延伸。
  • 1999年(平成11年) JR舞鶴線が電化開業。
  • 2003年(平成15年) JR小浜線が電化開業。
  • 2004年(平成16年) 関西電力舞鶴発電所が運転開始。同社の協力により舞鶴親海公園、園内のPR船エル・マールまいづる等をオープン。
  • 2007年(平成19年) まいづる智恵蔵が完成。
  • 2010年(平成22年) 舞鶴国際埠頭が完成。供用開始。
  • 2012年(平成24年)5月19日 舞鶴赤れんがパークがグランドオープン。

人口[編集]

平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、3.33%減の88,681人であり、増減率は府下26市町村中13位、36行政区域中22位。

Demography26202.svg
舞鶴市と全国の年齢別人口分布(2005年) 舞鶴市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 舞鶴市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
舞鶴市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 95,895人
1975年 97,780人
1980年 97,578人
1985年 98,775人
1990年 96,333人
1995年 94,784人
2000年 94,050人
2005年 91,733人
2010年 88,669人
2015年 83,990人
総務省統計局 国勢調査より

政治・行政[編集]

中丹広域振興局(京都府の出先機関)

市役所本庁は東舞鶴にある。

  • 市長:多々見良三(たたみ りょうぞう、2011年2月18日就任 1期目)
  • 市議会定数:28名
  • 市職員数 912人(2007年度)

歴代市長[編集]

氏名 就任年月日 退任年月日 前職 出身
初代 立花 一 1943年7月27日[2] 1945年12月10日[2] 東舞鶴市長 海軍少将 鹿児島市
2 川北 正太郎 1946年1月15日[2] 1946年11月14日[2] 旧舞鶴市長[2] 西舞鶴
3 柳田 秀一 1947年4月5日[2] 1950年7月26日[2] 医師 西舞鶴
4 嵯峨根 達雄 1950年8月20日[2] 1954年7月24日[2] 舞鶴市助役 東舞鶴
5-10 佐谷 靖 1954年8月5日[2] 1977年4月4日[2] 医師 西舞鶴
11 立道 團造 1977年4月24日[2] 1978年12月31日[2] 舞鶴市助役 福知山市
12-15 町井 正登 1979年2月18日[2] 1995年2月17日 舞鶴市助役 綾部市
16-18 江守 光起 1995年2月18日 2007年2月17日 京都府議会議員 東舞鶴
19 齋藤 彰 2007年2月18日 2011年2月17日 京都府議会議員 西舞鶴
20-21 多々見良三 2011年2月18日 現職 医師 石川県

市長選挙・市議会の会派の構成[編集]

2002年(平成14年)11月17日の市議会議員選挙では30名の定員に対して31人が立候補し少数激戦となった。舞鶴でも国政と同じく自民党民主党がともに公認・推薦候補を擁立し、いずれも当選している。現在において与党的な立場にある保守2会派に加え、民主党系の翔友会も市長の市政運営を評価している。なお、2005年12月に無所属議員らによって新会派・市民フォーラム・舞鶴が結成された。現在の市議会においては日本共産党を除く各政党でオール与党体制を構築しているといわれている。

2006年(平成18年)11月19日の市議会議員選挙では30名の定員に対して32人が立候補、前回に引き続き少数激戦となり、総じて市長与党的な立場にある保守系議員が得票を伸ばした。なお、この後の議会より特別委員会を、従来の4特別委員会から3特別委員会に再編した。

2007年(平成19年)2月11日の市長選挙では現職の江守光起が引退を表明した事から、市立舞鶴市民病院の諸問題(民間病院への業務委託の是非)と江守市政の継続を唱えて谷垣禎一伊吹文明ら国会議員と一部の府会議員および自民党が推薦した前助役、元市民病院院長や元舞鶴市長の親族の応援を得て無所属で出馬した元舞鶴市会議員で前府会議員の齋藤によって保守分裂し、更に国会議員の福山哲郎が後押しする民主党候補の他、共産党候補と合わせて4名が立候補して激しい選挙戦となったが結果は齋藤が当選した。

2008年(平成20年)特別委員会の数は従来の3から5に増加している。

2010年(平成22年)11月14日の市議会議員選挙では定数が2削減され、28名の定員に対して齋藤市長を支持するグループが候補者を擁立し、33人が立候補した。結果、市長派と反市長派が拮抗する勢力となった。なお、自民党、公明党は公認候補全員が当選した一方、民主党、みんなの党も公認候補を擁立したが全員落選、日本共産党も議席を減らした。

2011年(平成23年)2月6日の市長選では、現職の齋藤が再選をめざし出馬し、一方、齋藤では病院再編問題を解決出来ないと主張する、舞鶴共済病院病院長の多々見良三が出馬。共産党が擁立を断念した事で一騎討ちとなった。齋藤には保守系市議を中心に公明党、共産党が支援を行う一方、多々見は民主党、自民党の支援を受けた。最大の争点が病院再編問題となり、多々見が大差で齋藤を下し当選したが、病院再編問題以外の政策があまり見えず、政治家としては未知数の多々見の今後が注目されている。

会派名 議席数 幹事長 議会対応
創政クラブ議員団 10 林三弘 市政与党
市民フォーラム議員団 4 浅野良一 市政野党
公明党議員団 3 上羽和幸 市政与党
鶴声クラブ 3 和佐谷寛 市政与党
日本共産党議員団 3 後野和史 市政野党
輝進クラブ議員団 3 鯛慶一 市政野党
会派に所属しない議員 1

議会の構成[編集]

常任委員会

  • 総務文教委員会(7名)
  • 経済消防委員会(7名)
  • 民生環境委員会(7名)
  • 建設委員会(6名)
  • 議会運営委員会(8名)
  • 予算決算委員会(26名)

特別委員会

  • 原子力防災・安全等調査特別委員会(9名)
  • 議会報編集委員会(7名)

舞鶴市選挙区選出の府議会議員[編集]

  • 池田正義(自民)1期目
  • 岡本忠藏(京都創生フォーラム)2期目
※50音順、2011年4月10日の府議会選挙による。
※2011年4月より舞鶴市選挙区の定員が3から2に変更された。

予算[編集]

2007年度(平成19年)の一般会計予算は322億3403万円。医師不足で機能縮小を余儀なくされている舞鶴市民病院への補助助成や舞鶴港貿易振興事業費などに重点をおくもので、対前年比で0.4% 減少した。そのうち市税等の自主財源は2004年に関西電力の火力発電所稼動にともない固定資産税が大幅に増加したことから54.1%まで上昇した。また特別会計予算は353億4100万円で、そのうち民生費が30.9%、土木費が15.2%である。

個別事業では和田埠頭整備促進を含む、舞鶴港貿易振興事業費に2億円。2007年(平成19年)4月にオープンするまいづる智恵蔵の管理運営に2,400万円、倉谷工業団地に進出したケンコーマヨネーズ社西日本工場への補助金など企業誘致に2億7,750万円、病院事業会計に30億4,606万円、次期埋立処理場整備事業に4億6,243万円などを計上した。

市債残高は19年度末で718億円と対前年比2億円の減少。基金・積立金は122億円となる見込み。京都府北部では最も財務内容は良好な自治体ではあるが、人口減少や舞鶴市民病院等、将来に不安な要素な多く、舞鶴市は今後も行政改革に取り組む方針である。

機関[編集]

国の機関など[編集]

舞鶴港湾合同庁舎

舞鶴市は、京都府北部の経済・行政の中心の1つとして、また舞鶴港を有することから国の出先機関が置かれている。

京都地方裁判所舞鶴支部は、北部の4支部のなかで、地裁の合議事件、家裁の少年事件を受け持っている他、法務省管轄施設である拘置所も北部では、舞鶴拘置支所だけにある。

府の機関[編集]

  • 京都府中丹東土木事務所
  • 京都府港湾事務所

財政[編集]

2006年度[編集]

  • 財政力指数 0.705
  • 標準財政規模 189億7462万円
  • 普通会計歳入 344億9044万円
  • 普通会計歳出 339億7247万円
  • 経常収支比率 84.4%
  • 実質公債費比率 11.4% - 比較的健全な範囲である。
  • 人口1000人当たり職員数 7.81人
    • 内訳 一般職員583名(うち技能労務職 34名) 教育公務員 3名 消防職員127名 合計 713名
  • 職員一人あたり平均給料月額 34万050円
  • 職員一人あたり人件費概算値(年額) 904万0080円 (人件費/職員数)
  • ラスパイレス指数 100.4
地方債等の残高
  • 1普通会計分の地方債 339億8600万円
  • 2上記以外の特別会計分の地方債 348億0500万円
  • 3関係する一部事務組合分の債務 1億0600万円 京都府住宅新築資金等貸付事業管理組合
  • 4第三セクター等の債務保証等に係る債務 2億1300万円
地方債等の残高は691億1000万円(連結会計)となっており、これは市民一人当たり75万7353円に相当する。

経済[編集]

舞鶴市は、産業構造の変化や、慢性的な土地不足のため経済は停滞気味である。 近年は大型商業施設の立地や、企業誘致による企業進出を見られるものの、大手企業の工場閉鎖もあるなど一進一退となっている。

商圏・都市圏[編集]

バザールタウン舞鶴

舞鶴都市圏は舞鶴市全域を含め福井県大飯郡高浜町の全域とおおい町の一部、綾部市・宮津市の一部を含んでおり、商圏人口は約12万人である。

近年では東舞鶴駅前に平和堂系列の「らぽーる」(本社:舞鶴市、1995年開業)が進出し、西舞鶴にも駅東側にさとう系列の「バザールタウン舞鶴」(2000年開業)、駅前に「さとう舞鶴店」が出店しており、また東西両舞鶴市街地を結ぶ白鳥街道(京都府道28号小倉西舞鶴線)沿いや、西舞鶴の国道27号国道175号沿いには郊外型飲食店や娯楽施設、大規模小売店などが立地するなど、北近畿の商業地域として近隣市町村にその商圏を広げている。それを受けて、前述の駅前商店街は衰退の一途を辿り、空店舗が目立つようになっている。また、ローソンファミリーマートミニストップセブンイレブンと、24時間営業のコンビニも出店している。

なお、前述した白鳥街道にはバイパス計画や4車線化計画があるものの、既に市街地が形成されていることなどから事業が進んでおらず、白鳥街道の旧道を拡張しバイパスとする新たな道路計画がある。

将来の展望[編集]

舞鶴市は、京都府北部では経済的中心都市として重要であり、 船舶の大型化や荷役のコンテナ化に対応する港湾にするべく「舞鶴国際埠頭」が整備され、関西の日本海側の重要港湾である。

なお、中心市街地の人口は1985年度の約8,400人から2000年度には約6,300人に減少、実質商品販売額も約170億円から約110億円と35%も減少しており、市と京都府ではその活性化に力を注いでいる。

東舞鶴駅前を中心に高層マンションが建設され、駅北口には北近畿最大級の家電量販店ケーズデンキ東舞鶴店が入る、JR東舞鶴駅NKビルが建っている。

京都府は北陸新幹線敦賀以西ルートで、福井県小浜市・舞鶴市を経て京都駅へ繋ぐ舞鶴ルート(提唱者は京都府選挙区選出の西田昌司参議院議員)を推す意向を示している。もし、北陸新幹線全線開業(東京駅 - 新大阪駅間)が舞鶴ルートで実現した場合、舞鶴市から京都市大阪市へは勿論、北陸信越地方群馬県埼玉県への直通、東北北海道地方へのアクセスが可能になる。但し、並行在来線問題では舞鶴線山陰本線(京都駅 - 綾部駅間)、小浜線など地域の足の公共交通に影響を与える可能性が高い[3]。また、隣県の福井県を含む北陸地方の知事からは「速達性が劣り、建設費が大幅に増加する」「蛇行ルートは非常に難しい」[4][5]、政権与党である自民党内からも「我田引鉄」「現実離れで夢物語」[6]との指摘がある。なお、自民党政調会長の稲田朋美福井県第1区選出の衆議院議員)からは「国土強靱化の側面がある」と評価している[7]

産業[編集]

舞鶴市にある造船所

舞鶴市の製造業事業所数は2002年現在で326ヶ所、建設業事業所数は531ヶ所、卸小売・飲食店数は2,390ヶ所である。そもそも舞鶴市の産業は造船ガラス木材を中心とした臨海型の重厚長大産業が中心であり、近時では造船業の好況で活気がある。製造業全体では2700億円の経済規模があり、北近畿では最大の規模であるものの、大企業を除くと650億円しかなく、中小零細企業は少ない。ちなみに工業製品別では第1位が窯業(ガラス)で、約800億円規模であり、続いて飲料缶、輸送機器(造船)、木材産業となっている。

なお第一次産業への従事者は約3,400人で全体の7.3%、第二次産業は約14,300人で29.9%、第三次産業では約30,000人で62.8%であり、近隣市町村と比べるとサービス業を中心とした第三次産業が盛んである。

最近の大規模な企業進出例として、1990年(平成2年)倉谷地区に市が造成した倉谷工業団地に進出した大手清涼飲料メーカー(キリンビバレッジ)と大手化粧品メーカー(資生堂)や、2004年(平成16年)12月に喜多工業団地へ誘致成功した日本交通の他、2006年には倉谷工業団地の資生堂跡にケンコーマヨネーズが進出している。また2009年にも製造業を中心に企業が進出している。

主な立地企業[編集]

製造業[編集]

金属製造業[編集]

ガラス製造業[編集]

食品製造業[編集]

化学製造業[編集]

繊維製造業[編集]

  • 大和紡績 舞鶴工場(衣料・リビング素材・産業資材・土木資材)
近年発生した火災のあと、工場は解体され更地となっている。

木材加工[編集]

非製造業[編集]

電気[編集]

運輸・物流[編集]

小売店[編集]

トマトアンドアソシエイツ(外食、トマトアンドオニオンなどを運営)の創業地であり市内に本店があったが、2006年すかいらーくグループ入りの後に、実質的な本社機能がある大阪府吹田市に本店を移動した。

コンビニエンスストア[編集]

  • ローソン
  • ファミリーマート
  • ミニストップ
  • セブン-イレブン

金融[編集]

以前には舞鶴市内に本店を置く金融機関は東舞鶴信用金庫舞鶴信用金庫などがあったが、いずれも京都北都信用金庫との合併により消滅しており、市内に本店機能を有するところはJFのみ。

なお、福井県を地盤とする福井銀行、福邦銀行が支店を有する他、小浜信用金庫も舞鶴市を営業エリアとしている。

京都北都信用金庫 舞鶴中央支店(旧 舞鶴信用金庫本店)

市の指定金融機関は、京都銀行である。

市内に本店・支店・出張所等の窓口を置く金融機関一覧は以下のとおり(2010年〈平成22年〉8月現在)。

金融機関種別 金融機関名称
地方銀行 京都銀行(2)、福井銀行
第二地方銀行 福邦銀行(2)
信用金庫 京都北都信用金庫(8)
信用組合 近畿産業信用組合京滋信用組合
労働金庫 近畿労働金庫
公庫 日本政策金融公庫
JAJF 京都丹の国農業協同組合(4)、京都府信用漁業協同組合連合会(2)
証券会社 みずほ証券六和証券
生命保険 日本生命住友生命三井生命富国生命ジブラルタ生命など
損害保険 三井住友海上損保ジャパン日本興亜東京海上日動共栄火災など
※カッコ内は窓口を置く事業所(支店など)の数。

メディア[編集]

新聞[編集]

放送など[編集]

農業[編集]

舞鶴の水源地・与保呂川の上流

舞鶴市は由良川水源地と与保呂川水源地をもち、市の耕作に用いられる土地は全体の4.7%の1,620haである。そのうち水田率は77.8%であり、主にコシヒカリを生産している。また畑に用いられる土地は368haで、主に普通畑である。総人口に占める農家人口は、1990年には15%強あったが、2000年には11.9%、2,831戸まで低下している。全国と同じく農業就労者の高齢化も進んでいる。

水産業[編集]

2000年現在で387世帯が漁業に携わっており、個人漁業経営体332世帯で、 漁業従事者世帯は55世帯である。舞鶴市でも就労者の高齢化が進んでおり、漁業就業者数に占める65歳未満の割合は59.3%まで低下している。なお舞鶴漁港ではいわし類やあじ類が多く水揚げされており、近年では舞鶴近海でとれる岩牡蛎を「舞鶴牡蛎」としてブランド化しようとする動きがある。

傘下に、舞鶴・田井・成生・小橋・三浜・野原の各漁協がある。

市内に所在する漁港は以下のとおり。

林業[編集]

市全体の林野率は79.0%で27,015ha、人工林率は34.0%で8,597haである。国有林率は民間林の26,261haに比べ、754haで全体で2.8%になっている。林家数は1,239戸で、総世帯数に占める林家数の割合はわずか3.6%でしかない。ちなみに保安林は4,322haで全体の16.0%にあたる。

鉱山[編集]

  • 舞鶴鉱山
    • 別所暮谷鉱山:大正時代に廃坑:銅、硫化鉄
      • 別所から上根、白滝、寺田にかけて鉱脈があり、かつては、銀、銅、硫化鉄を産出した。
      • 池内銀山:1744年延享元年)4月採掘開始
      • 暮谷抗:
    • 横山別所鉱山:1927年廃坑
      • 高由里抗:廃坑
  • 舞鶴炭田:石炭:志高、吉坂、八戸:中生代(約2億3千万年前)の石炭。
    • 志高炭鉱:1948年閉山。無煙炭を産出した。舞鶴帯の志高層郡に存在する。
    • 松尾寺炭鉱:無煙炭を産出した。舞鶴帯の難波江層郡に存在する。
  • 白杉鉱山:褐鉄鉱、
  • 大俣鉱山:銅、廃止
  • 硫化水銀/、辰砂、朱沙(朱砂)、丹砂
    • 大丹生
    • 浦入
    • 女布
    • 紀ノ川・吉野川流域
  • 舞鶴要塞地帯内加佐郡
    • クローム鉱、ニッケル鉱

姉妹都市・提携都市[編集]

2015年現在の姉妹都市は3都市。なお、日本国内に姉妹都市・友好都市はない。

海外[編集]

地域[編集]

方言[編集]

舞鶴市では近畿方言の一種である舞鶴弁が話される。舞鶴市は旧丹後国であるが、舞鶴弁は宮津市などで話される丹後弁とは違いが大きく、綾部市などで話される丹波方言に近い。

代表的な表現は「ちゃった」で、舞鶴弁のことを俗に「ちゃった弁」と呼ぶ。ローカルヒーロー「舞鶴防衛戦隊チャッタマン」の名称はこれにちなむもの。この「ちゃった」は丹波方言播州弁などでも使われる軽い敬語で、例えば「あの人が来ちゃった」は、舞鶴では「あの人が来てしまった」ではなく「あの人が来られた」という意味になる。「ちゃった」の現在形は「てや」または「てです」。

このほか、舞鶴弁では「しとってん」を「しているの?」という意味で使い、大阪弁のように「していたんだ」という意味では使わず、アクセントも異なる。また疑問文の語尾に付ける「か?」が、京都や大阪などでは「け?」となることがあるが、舞鶴では「こ?」となる。例えば共通語の「持って行っていたの?」は「持ってっとったんこ?」となる。

出生率・高齢化率[編集]

京都府全体の高齢化率(19%)に比べ、舞鶴市は若年層の域外流出が多く、高齢化率は比較的高めである。また東西市街地の高齢化率が近年高まっており、府と市では対策に乗り出している。出生率は1.8を超えるなど全国的な傾向からは高いものの、2004年には人口動態が初めて自然減となっている。

  • 舞鶴市の高齢化率:21%(市街地に限定すると28%)
  • 舞鶴市の出生率:1.82(京都府全体では1.28)

保健福祉[編集]

健康・医療[編集]

舞鶴赤十字病院

舞鶴市には国立病院機構舞鶴医療センター市立舞鶴市民病院舞鶴赤十字病院舞鶴共済病院と大型総合病院が4つあり、他にも9つの大型病院が集積している(この大型総合4病院は再編に向けて市議会で協議中)。また、中小規模の病院を加えると約75もの病院が市内各地に点在している。市内に拠点をおく医師は211人。宮津市や与謝郡、福井県大飯郡からの通院者も多い。

さらに、京都府北部の医療拠点としての位置付けられていて、京都府立の子ども療育センターや盲・聾学校などが置かれている。

子育て[編集]

高齢者福祉[編集]

教育[編集]

小学校中学校高等学校工業高等専門学校(高専)、大学の研究所、2005年に建設された府立の養護学校(現特別支援学校)といった学校教育施設のほか、海上保安庁施設等機関である海上保安学校公共職業能力開発施設である職業能力開発短期大学校がある。

2003年(平成15年)より京都精華大学と協同で、舞鶴自然文化園の活用による地域づくりなど様々な分野で連携を深めており、2005年(平成17年)3月3日には市と京都精華大学が「舞鶴サテライト事務所」を設置することで合意、それに先立ち「準備室」が開設された。

大学[編集]

専修学校[編集]

高等専門学校[編集]

国立舞鶴高専

高等学校[編集]

3校が設置されている。

中学校[編集]

7校が設置されている。

かつて設置されていた中学校

小学校[編集]

20校が設置されている。

  • 舞鶴市立新舞鶴小学校
  • 舞鶴市立三笠小学校
  • 舞鶴市立倉梯小学校
  • 舞鶴市立倉梯第二小学校
  • 舞鶴市立与保呂小学校
  • 舞鶴市立志楽小学校
  • 舞鶴市立朝来小学校
  • 舞鶴市立大浦小学校
  • 舞鶴市立中舞鶴小学校
  • 舞鶴市立明倫小学校
  • 舞鶴市立吉原小学校
  • 舞鶴市立余内小学校
  • 舞鶴市立池内小学校
  • 舞鶴市立中筋小学校
  • 舞鶴市立福井小学校
  • 舞鶴市立高野小学校
  • 舞鶴市立岡田上小学校
  • 舞鶴市立岡田下小学校
  • 舞鶴市立八雲小学校 ※休校
  • 舞鶴市立神崎小学校 ※休校

特別支援学校[編集]

学校教育以外の施設[編集]

交通[編集]

鉄道[編集]

特急「まいづる」にも使用される旧北近畿タンゴ鉄道の車両

広域的な交通として、JR西日本特急列車が乗り入れまたは接続している。なお、乗り入れる特急は東舞鶴駅を始終着駅としているほか、西舞鶴駅に停車する。

京都方面へは、特急「まいづる」が東舞鶴駅から京都駅まで約1時間30分で直通しているほか、綾部駅で普通列車から接続する特急「はしだて」「きのさき」に乗車した場合は、東舞鶴駅から京都駅までおおむね約1時間40分程度で到達する。なお、大阪方面へ直通する列車は無いが、福知山駅で普通列車から特急「こうのとり」に乗車した場合は、東舞鶴駅からおおむね約2時間10分程度で到達する。

東舞鶴駅

舞鶴線は日露戦争を控え着工を急ぐ必要から私設鉄道全盛の時代にも拘らず官営で建設され、1904年(明治34年)11月3日に開通した。後に支線として舞鶴港線中舞鶴線も建設されたが、現在はいずれも廃止されている。1946年に舞鶴線及びその支線、宮津線を担当する西舞鶴機関区が開設。1987年(昭和62年)4月1日にJR西日本に継承され、1991年(平成3年)には舞鶴線を担当する舞鶴鉄道部が新設された。1996年(平成8年)7月13日には東舞鶴駅が高架化され、1999年(平成11年)9月25日には西舞鶴駅が橋上化されている。

また、北陸新幹線を舞鶴市に通すという議論があり、市も誘致活動を行っている。(北陸新幹線敦賀以西のルート選定を参照)

[編集]

路線[編集]

路線バス[編集]

京都・大阪(なんば・梅田)・神戸への高速バスがある。

また、京都・大阪・神戸・東京(品川BT)から直通の路線バスが運行されている。

船舶[編集]

新日本海フェリー「はまなす」(大阪港にて撮影)

境港東海(韓国)~ウラジオストク(ロシア)航路に舞鶴を追加することや、舞鶴~束草(韓国)~ザルビノ(ロシア)航路が検討されている。

道路[編集]

1991年(平成3年)3月26日舞鶴自動車道(現・舞鶴若狭自動車道)の福知山IC - 舞鶴西IC間が開通し、市内初の高速道路が開通した。また 1998年(平成10年)3月8日には京都縦貫自動車道舞鶴大江ICが開通、同年3月18日には舞鶴西IC〜舞鶴東IC間が開通し、ようやく高速道路網が整備された。

2006年(平成17年)11月8日に舞鶴市東地区と綾部市上林地区を結ぶ、府道舞鶴和知線の「菅坂バイパス」(延長2.3キロ)が開通した。

高速道路[編集]

高速道路については、舞鶴若狭自動車道が市内を通過している。

一般国道[編集]

主要地方道[編集]

観光[編集]

赤れんが博物館
吉田のしだれ桜(瑠璃寺)
海軍記念館

室町時代から安土桃山時代にわたって丹後国の国府として発展し、数多くの史跡がある。また、かつて舞鶴鎮守府が設置されていた関係で、旧海軍に由来する施設も多い。

「倉庫群と舞鶴湾」を望むコースは、遊歩百選にも選ばれている。

土・日・祝日には、点在する観光名所を循環する舞鶴観光周遊バス「プリーズ号」(運転協力費100円)が運行されている。

名所・旧跡[編集]

国の文化財・天然記念物など[編集]

  • 国宝(絵画)
    • 絹本著色普賢延命像:平安時代:松尾寺
  • 重要文化財(建造物)
    • 金剛院塔婆(三重塔):室町時代:金剛院
    • 行永家住宅(主屋、道具蔵、新蔵、土地):江戸時代
    • 舞鶴旧鎮守府倉庫施設(7棟)
    • 舞鶴旧鎮守府水道施設(桂貯水池施設、与保呂水源地施設、旧・北吸浄水場施設)
  • 重要文化財(絵画)
    • 絹本著色法華曼荼羅図:鎌倉時代:松尾寺
    • 絹本著色孔雀明王像:鎌倉時代:松尾寺
  • 重要文化財(彫刻)
    • 木造阿弥陀如来坐像:鎌倉時代:金剛院
    • 木造増長天・多聞天立像:平安時代:金剛院
    • 木造深沙大将立像:鎌倉時代:金剛院
    • 木造執金剛神立像:鎌倉時代 :金剛院
    • 木造金剛力士立像:鎌倉時代:金剛院
    • 木造毘沙門天立像:平安時代:興禅寺
    • 木造阿弥陀如来坐像・薬師如来坐像・釈迦如来坐像:平安時代:円隆寺
    • 木造不動明王・毘沙門天立像:鎌倉時代:円隆寺
    • 木造阿弥陀如来坐像:鎌倉時代:松尾寺
    • 木造金剛力士立像:鎌倉時代:多禰寺
  • 重要美術品(工芸品)
    • 石燈籠:鎌倉時代:桂林寺
  • 重要美術品(古文書)
    • 制札:元弘3年(1333):金剛院
  • 天然記念物
    • オオミズナギドリの繁殖地(冠島)

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遊覧船[編集]

建物[編集]

博物館等施設[編集]

神社[編集]

仏閣[編集]

公園・体験型施設[編集]

舞鶴自然文化園(アジサイ園)

海水浴場[編集]

渡し船によるスキューバダイビングも行われている。

特産品[編集]

宿泊施設[編集]

  • 西地区ホテル
    • 舞鶴グランドホテル
    • プラザホテル舞鶴
    • ホテルマイヅルマリン
    • 舞鶴グリーンホテル
    • ホテルつかさ舞鶴
    • 舞鶴港湾労働者福祉センター
  • 東地区ホテル
    • シーサイドホテルパルコ
    • よしだ
    • ポートシャインホテル
    • アーバンホテル
    • マーレたかた
    • アルスタイン
    • ウェーブ舞鶴
    • アマービレ
    • ホテルザ・ロッジ
    • 大浦ハイランド
    • おーべるじゅ・ど・ぼの
    • コテージ
    • オーブ浜
    • シーサイドホテル大波
  • 西地区旅館
    • 銀水閣
    • 霞月
    • 大阪屋
    • 茶又
    • 小幡家
    • 風月
    • 由良川あかつき
    • ふじつ温泉
  • 東地区旅館
    • 蘇鉄
    • 愛知
    • 舞鶴館

祭事・催事[編集]

出身有名人など[編集]

市内で撮影された映画など[編集]

多くの映画の舞台となった赤れんが倉庫群

舞鶴フィルムコミッションがロケのサポートを担っている。

その他[編集]

郵便番号は以下の通り(2006年9月19日現在)。

  • 東舞鶴支店:625-00xx、625-85xx、625-86xx、625-87xx、625-01xx
  • 西舞鶴支店:624-08xx、624-09xx、624-85xx、624-86xx、624-87xx、624-01xx

市外局番は、市内全域が「0773」である。

脚注[編集]

  1. ^ 気象統計情報・1971年-2000年平年値(気象庁)
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、1984年、727-730頁。
  3. ^ “北陸新幹線ルート、京都府は舞鶴案推す意向 JR西案にも関心”. 京都新聞. (2016年1月1日). http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20160101000023 2016年1月6日閲覧。 
  4. ^ “延伸3案 綱引き佳境”. 読売新聞(YOMIURI ONLINE) (読売新聞社). (2016年3月13日). http://www.yomiuri.co.jp/local/fukui/news/20160312-OYTNT50054.html 2016年3月13日閲覧。 
  5. ^ “舞鶴案 知事「難しい」…北陸新幹線・大阪延伸”. 読売新聞(YOMIURI ONLINE) (読売新聞社). (2016年2月13日). http://www.yomiuri.co.jp/local/toyama/news/20160212-OYTNT50368.html 2016年2月14日閲覧。 
  6. ^ 月刊北國アクタス 2016年4月号 「祝 北陸新幹線金沢開業1年 金沢-大阪ルート大予測」 P8-P17 - 北國新聞社
  7. ^ “北陸新幹線財源に財政投融資活用 稲田朋美座長「夏までに方向性」”. 福井新聞 (福井新聞社). (2016年5月9日). オリジナル2016年5月9日時点によるアーカイブ。. http://archive.is/oK586 2016年5月9日閲覧。 
  8. ^ [1] 京都新聞news 平成25年3月14日閲覧

関連項目[編集]

外部リンク[編集]