日本生命保険

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日本生命保険相互会社
Nippon Life Insurance Company
Nippon Life Insurance Company logo.svg
Mido-suji03s2800.jpg
本社(大阪市中央区
種類 相互会社
略称 日本生命、日生(ニッセイ)
本社所在地 日本の旗 日本
541-8501
大阪府大阪市中央区今橋三丁目5番12号
設立 1889年明治22年)7月4日
(有限責任日本生命保険会社)
業種 保険業
法人番号 3120005007273 ウィキデータを編集
金融機関コード 9820
代表者 筒井義信代表取締役会長
清水博(代表取締役社長
古市健(代表取締役副会長
小林一生(代表取締役副社長執行役員
資本金 1兆2,500億円
(基金総額、2012年8月3日[1]
売上高 連結:7兆2,013億3,700万円
単体:7兆749億8,600万円
経常収益、2013年3月期)
営業利益 連結:4,022億3,400万円
単体:3,887億4,200万円
経常利益、同)
純利益 連結:2,479億3,700万円
単体:2,106億2,200万円
当期純剰余、同)
純資産 連結:4兆14億7,100万円
単体:3兆9,506億6,500万円
総資産 連結:55兆1,656億1,100万円
単体:54兆8,828億2,400万円
従業員数 70,806人(うち内勤社員18,481人)
決算期 3月31日
主要子会社 関連企業の項目を参照
関係する人物 弘世助三郎
弘世現
鴻池善右衛門
外部リンク 公式サイト
特記事項:経営指標はすべて2013年3月期決算の数値。同社の公表資料「平成24年度決算について (PDF) 」による。単体決算は21~32ページ、連結決算は43-54ページに各記載あり。
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日本生命保険のデータ
種類 相互会社
保険料等収入 (連結)53,8861,800万円
保有契約高 (個人保険)1623,8545,100万円
(個人年金)194706,300万円
(団体保険)912,3404,000万円
(団体年金)104,7695,600万円
SM比率 583.1%
格付け AAR&I)、A+S&P)、Aa3ムーディーズ
安全性指標の項目を参照
特記事項:
すべて2012年3月期決算の数値。同社の公表資料「日本生命の現状2012 (PDF) 」による。収入保険料は、保有契約高は133ページ、SM比率は205ページ、格付は33ページに各記載あり。
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日本生命保険相互会社(にほんせいめいほけん、英称:Nippon Life Insurance Company)は、大阪市中央区に本社を置く日本の生命保険会社総資産かんぽ生命保険日本郵政グループ)を抜き第1位である。保有契約高・保険料収入では最大手である。株式会社ではなく相互会社である。

概要[編集]

1889年に創業した、日本で3番目に古い生命保険会社である。1899年に保有契約高が業界首位となり、現在までこれを保持している[2]

会社形態は相互会社であり、株式会社ではない。2010年4月に、それまで相互会社であった第一生命保険が株式会社化したものの、日本生命は株式会社に転換する考えはないと説明している[3]

2015年3月現在、日本生命の投資先は公社債(37.0%)、株式(14.8%)、外国証券(26.4%)、貸付金(13.7%)、不動産(2.8%)などとなっている[4]

現在のスローガンは、「“大切な人を想う”のいちばん近くで。」(2015年4月 - )。2014年度については創業125周年にちなみ、「あなたの”いまとみらい”に安心を。」も使われている。それ以前は「ずっと支える。もっと役立つ。」、「みらい創造力で、保険は進化する。」(2012年4月 - 2015年3月)だった。

日生の名称を使用する学校法人日生学園とは無関係である。

経営状態[編集]

おもな収益源[編集]

経常収益(株式会社でいう売上高)は、7兆2,936億9,500万円(連結)。内訳は、保険料収入5兆3,371億1,800万円(同)、資産運用収入1兆7,739億5,100万円(同)、その他雑収1,826億2,500万円(同)などである。収益のうちに占める保険料収入の割合は概ね73%である[4]

健全性指標[編集]

資産規模[編集]

東京本部
日比谷ビル(日生劇場

総資産など[編集]

機関投資家としての日本生命[編集]

日本生命は日本の民間で最大規模の機関投資家である。日本生命のメインバンク三菱UFJ銀行(旧三和銀行。日本生命は三和グループの社長会である三水会には所属しているが[6]みどり会には所属していない)だが、その資本力、規模から実質的には「銀行系に属さない機関投資家」とみなされている。

長年の蓄積から、2014年現在、日本で上場している企業のうち、601社で上位10位までの株主であるとされる(全上場企業3,733社のうち約2割)[7]

1980年代後半時点では、上場企業1,806社(当時)のうち、69社の筆頭株主、432社で上位5位までの株主、約750社で上位10位までの株主であった[8]。こうしたことから、バブル時代には日本経済新聞から日本株式会社の静かなる大株主」とあだ名された[8]。なおバブル崩壊以降は、リスク資産の圧縮のため売却を進め、2003年時点では、日本で発行されている株式総数の2.3%、3,000銘柄(うち上場銘柄2,150)を保有していたと報道されている[9]

筆頭株主となっている企業は、三菱UFJフィナンシャル・グループ東洋紡帝人クボタ近畿日本鉄道阪急阪神ホールディングス南海電気鉄道京浜急行電鉄京王電鉄サッポロビール武田薬品工業アステラス製薬第一三共田辺三菱製薬高島屋東京放送ホールディングステレビ東京ホールディングス朝日放送グループホールディングスなど。非上場企業の主要株主企業にはサントリーMBSメディアホールディングステレビ大阪などがある。

不動産賃貸業(いわゆる貸しビル事業)では、所有延床面積で三菱地所三井不動産に次ぐ国内3位の規模である。賃貸用不動産残高は1兆705億円、賃貸用ビル保有数は339棟にのぼる[10]

沿革[編集]

概要[編集]

1889年7月に滋賀県彦根第百三十三国立銀行(現・滋賀銀行)の頭取をしていた弘世助三郎が近畿の財界人、第四十二国立銀行(現・三菱UFJ銀行)頭取・田中市兵衛、川上左七郎、土居通夫、山口吉郎兵衛、岡橋治助、西田永助、竹田忠作、井上保次郎、熊谷辰太郎、難波二郎三郎、草間貞太郎、甲谷権兵衛、泉清助の各氏に呼びかけて、社長に11代目鴻池善右衛門を据え、片岡直温らを取締役にして資本金30万円の有限責任日本生命保険会社として大阪に発足させた。

保険料表を当時、主流だったイギリスの保険会社のものを使わずに、日本人の死亡統計から作成したものを採用した。1891年に株式会社化し(社名は日本生命保険株式会社)、相互扶助の精神のもと1898年の第1回大決算において、日本で最初に契約者への利益配当を実施した。第二次世界大戦中に戦時統合として、富士生命保険・愛国生命保険と合併した。

戦後は金融機関再建整備法に基づき、1947年に相互会社(社名は日本生命保険相互会社)として再出発した。高度経済成長期である1963年に東京都千代田区日生劇場を完成させた。また、1975年には経営が困難となっていた琉球生命保険の全契約の包括移転を行い、事実上の救済合併を行った。1988年2月4日に生命保険会社の総資産部門の世界ランキングでアメリカ合衆国のプルデンシャルを抜いてトップに立つ。すでに新契約高・収入保険料・保有契約高の三部門で世界一になっていたので、これで四部門のすべてを制する「四冠王」に輝き、名実ともに世界第1位の生命保険会社となった。

1990年代以降はアメリカ合衆国や中華人民共和国へと進出を始めた。金融自由化の流れの中で、1996年にニッセイ損害保険を設立し、損害保険業界に進出した。1990年代以降の景気低迷の流れの中で業務提携・経営統合をすすめた。三井海上火災保険・住友海上火災保険と提携、ニッセイ損害保険も同和火災海上保険と合併させニッセイ同和損害保険(現・あいおいニッセイ同和損害保険MS&ADインシュアランスグループホールディングス傘下)を設立し、解散した同和生命保険の全契約を引き取った(契約の包括移転)。

社章は、1987年までは紋所の一つである“組み合い角”に“生”を配したものだったが、1988年にコーポレートアイデンティティ(CI)を導入し、赤の正菱形に“N”を配した現社章(呼称:センチュリークリスタル)[注 1] が制定された。

年表[編集]

  • 1889年 - 前身の有限責任日本生命保険会社を創立。
  • 1891年 - 株式会社化(日本生命保険株式会社)。
  • 1898年 - 日本最初の契約者利益配当実施。
  • 1899年 - 保有契約高が日本で第1位となる。
  • 1940年 - 日本最初の「利源別配当付普通保険」発売。
  • 1942年 - 富士生命を包括移転。
  • 1945年 - 愛国生命を包括移転。
  • 1947年 - 日本生命保険相互会社として再発足。
  • 1950年 - 日本生命球場が開場(1997年閉場)。
  • 1963年 - 日生劇場が開館。
  • 1975年 - 琉球生命保険を包括移転。
  • 1975年 - 阪急日生ニュータウンが販売開始。
  • 1987年 - 子会社であった星和住宅株式会社・星和地所株式会社・新星開発株式会社が合併し、新星和不動産株式会社を設立。
  • 1988年 - CIを導入し、シンボルマークを制定。
  • 1991年 - ニッポン・ライフ・インシュアランス・カンパニー(米国日生)が営業開始。
  • 1996年 - ニッセイ損害保険株式会社設立。
  • 1997年 - ニッポン・ライフ・インシュアランス・カンパニー・オブ・フィリピンズ(ニッセイフィリピンズ)設立。
  • 1997年 - バンコク・ライフ・アシュアランス(タイ)に資本参加。
  • 1998年 - ニッセイアセットマネジメント投信設立(ニッセイ投信とニッセイ投資顧問が合併)。
  • 1999年 - ニッセイ保険口座スタート
  • 1999年 - ニッセイ情報テクノロジー設立。
  • 2000年 - 特別勘定運用部門を分社、投信投資顧問子会社と統合して「ニッセイアセットマネジメント」と名称変更。
  • 2000年 - 特定目的会社(SPC)を使った証券化手法により基金を募集。
  • 2001年 - 同和火災海上保険とニッセイ損害保険が合併し、ニッセイ同和損害保険設立。
  • 2001年 - 同和生命保険より全契約の包括移転を受け、同社は解散。
  • 2002年 - 特定目的会社(SPC)を使った公募証券化手法により基金を募集。
  • 2003年 - 広電日生人寿保険有限公司(広電日生)が営業開始。
  • 2004年 - 日本生命丸の内ビルにおいて東京本部が業務を開始。
  • 2009年 - 創業120周年。
  • 2011年 - 新星和不動産が主要株主の異動により大林組の完全子会社となる。
  • 2014年 - 丸の内AIGビル跡地に日本生命丸の内ガーデンタワーが竣工。
  • 2015年1月 - 日本生命本店東館(大阪市中央区)が竣工[11]
  • 2015年12月 - 三井生命保険(現:大樹生命保険)を傘下に収める[12]
  • 2018年 - マスミューチュアル生命保険(現:ニッセイ・ウェルス生命保険)を子会社化[13]

歴代社長[編集]

施設[編集]

大阪市の本店ビル本館は、江戸時代に大坂の学術において中心的な役割を果たした学問所「懐徳堂」の跡地に位置し(1938年に第一期が完成。1962年に第二期が完成、設計長谷部鋭吉)、東京本部は東京都千代田区丸の内日本生命丸の内ビル(丸の内オアゾ内)に置く。

本部機能は本店に総務・経理部門や保険契約管理のための事務を行うお客様サービス部門等、東京本部には、全社戦略を策定する経営企画部門や、有価証券・不動産等の資産運用部門、さらに各種販売チャネルの営業企画・戦略部門などを置き、大阪と東京に分散して設置している。また、コールセンターや契約管理部門は、一部機能を福岡に移管している。

東京本部[編集]

1923年関東大震災日本橋に位置した東京支店は焼失してしまった。このため日生はその跡地に大規模なビルを建設することを決め、周辺の土地も買い増して、地下2階、地上8階、延床面積8800坪に及ぶ東京日本生命館(設計高橋貞太郎)を建設した。同館は1933年竣工。竣工した建物のごく一部を東京支店として使用し、そのほか全館は高島屋が借り受け、同年3月20日、南伝馬町から東京店(現:日本橋店)が移転して営業を始めた。なお、東京日本生命館は戦前の日生における本格的な投資用ビルとしては唯一の例であった[14]

戦後、東京日本生命館は増築され、1952年4月に工事が竣工した。増築面積は3530坪で、増築後の総面積は11410坪となり、増築部分の6階までは従来と同じく高島屋に賃貸し、7・8階は日生の東京総局(現:東京本部)として使用した[15][注 2]。創業70周年事業の一環として進めてきた日本生命日比谷ビル(日生劇場)が1963年に有楽町に竣工すると[16]、同ビルのオフィス部分に東京総局は移転した。

1987年、東宝日比谷の劇場街を再開発して建設した地上18階・地下4階の東宝日比谷ビル(日比谷シャンテ)が完成すると、同ビル4階以上には日生が入り東京本部を置いた。また1989年には、大阪の本店から同ビルに戦略部門である旧企画部を総合企画室として拡大してもってきたほか、広告宣伝部門も東京に移すなど総勢900人にのぼる大異動を行った[17]

2004年に東京駅丸の内口前にあったJR東日本本社ビル交通公社ビルヂング・東京中央ビル・丸ノ内ホテル跡等が、三菱地所、日本生命、中央不動産の手によって再開発され、丸の内オアゾが整備された。その一角には、日本生命丸の内ビルも竣工し、東京本部は東宝日比谷ビルから移っている。

システムセンター[編集]

堺市(大阪府)にシステムセンターを、東京都内にバックアップセンターを保有しているが、2011年度に、茨木市(同府)に新システムセンターを設置し、堺市のシステムセンターと、日本の生命保険会社としては初めてメインシステムの並行稼働をさせた。並行稼働させる理由は、災害時の稼働性の担保であり、システム改変時の稼働を容易にするためである。また、茨木市の新システムセンターには商品企画の研究開発部門を併設し、保険商品の開発や、保険金不払い等の瑕疵を防ぐシステムの開発を行う。また、本店被災時のバックアップセンターも設置された[18]

関連企業[編集]

  • 公益財団法人日本生命済生会
  • 公益財団法人ニッセイ文化振興財団
  • 公益財団法人日本生命財団
  • 公益財団法人ニッセイ聖隷健康福祉財団
  • 公益財団法人ニッセイ緑の財団
  • 株式会社ライフサロン


  • はなさく生命保険株式会社

不祥事[編集]

  • 2005年2月、大手生命保険業の明治安田生命保険が死亡保険金を不当に支払っていなかったことが発覚し、これを発端として、生命保険業、損害保険業各社で保険金の不当不払い事案が次々と発覚。生命保険業37社に、合計970億円の不払い事案があることが明らかになった[19]。日本生命についても、130億円超の不払い事案があることが公表され、業務改善命令を受けるに至った[20]。日生は「命令を踏まえ、再発防止に取り組む」としている[21]。この問題に伴い、日生がスポンサーとなっているテレビ番組において、お詫びの文章が流れる15秒CM、もしくは通常のCMの最後にお詫びの文章を付加したCMが放送された。
  • 日本生命の一支店に勤務する営業部長とその部下23人の計24人の社員が、独立行政法人勤労者退職金共済機構が運営する中小企業向け退職金共済の勧誘に当たって、契約者数を水増しして計56事業所の222人に不正契約を締結させていたことが、2014年12月に明らかになった。うち31事業所の計142人に対して、実際に退職金約200万円が支払われたことも判明している[22][23]

スポーツ活動[編集]

野球部[編集]

昭和4年創部。都市対抗野球大会では、昭和24年の初出場以来、通算58回目の出場(全国最多)、4回優勝。社会人野球日本選手権大会では、3回優勝。平成27年には、史上3チーム目となる都市対抗・日本選手権の夏秋連覇を達成した[24]

日本生命レッドエルフ(女子卓球チーム)[編集]

日本の旗 日本生命レッドエルフ Table tennis pictogram.svg
所属リーグ Tリーグ
ディビジョン Tプレミアリーグ
創設年 1954年
サイト 公式サイト
本拠地
ホームタウン 大阪府の旗大阪府
総監督 村上恭和
監督 岸田聡子
日本卓球リーグ
最高成績 優勝 17回
全日本卓球選手権
最高成績 優勝 14回
■テンプレート■解説プロジェクト:卓球

昭和29年創部。日本卓球リーグ前期優勝13回・後期優勝18回・内閣総理大臣杯17回。全日本卓球選手権大会(団体の部)優勝14回、全日本実業団卓球選手権大会優勝10回、Tリーグ優勝1回の実績を残している[25]。2018年開幕のTリーグに参加し、初代王座に輝いた。[26]全国実業団女子最多の計42回のタイトルを獲得している。8月1日、チーム名・ロゴ・マスコット・所属選手の発表を行い、「日本生命レッドエルフ」と発表された。レッドはチームカラーの赤から、エルフは英語の「妖精」とドイツ語の「11(卓球における11点先取ルールを意味する)」から採られている。

提供番組[編集]

現在[編集]

過去[編集]

ほか多数

CM[編集]

ニッセイのおばちゃん
1969~86年まで続いたシリーズ。中北千枝子演じるセールスレディが地方の情景と共に映像で流れ、CMソングの『モクセイの花』(作詞:横内理員、作曲:小林亜星、歌:デューク・エイセス)と共に親しまれた。その後も1989年頃から数年間、ニッセイレディのCMの時に、歌詞と曲調をアレンジして放送されていた。
ニッセイレディのともこさん
10年近くに渡ってオンエアされたCMのキャッチフレーズ。出演していた『ともこ』さんはセールスレディではなく三浦智子
CSR CM(企業の社会的責任
  • 谷川俊太郎作の詩「愛する人のために」が使われている。この詩は1969年に谷川俊太郎が当社のCMのために書き下ろした「愛する者のために」をリメイクしたものである。ナレーションは田口トモロヲ
    • 「セーフ編」 - 主にプロ野球シーズン(4月~9月)時に使用している。
    • 「改札編」 - プロ野球シーズンオフ(10月~1月)時や2004年のアテネオリンピック(夏季)以降のオリンピック中継(ハイライト)でも流れている。
    • 「柱編」 - 新春特別番組時に流れており、特にTBSテレビやフジテレビで3が日のゴールデンタイム(「スポーツマンNo.1決定戦」「新春かくし芸大会」「平成教育委員会(2005年・2006年)・SMAP×SMAP(2007年)新春スペシャル」など)でも流れている。
    • 「路面電車編」 - 2006年10月より開始。北海道函館市の元町・西部地区がロケ地となっている。
    • 「つながるeco」 - 2008年6月より開始。
    • 「ニッセイの森づくり編」 - 2010年11月より開始。
商品CM
企業イメージCM
  • 「ニッセイ保険口座」のスタート時(1999年)には織田信長坂本龍馬が登場するCMが制作された[28]
  • 2007年夏以降は「保険契約の確認」のTVCMを中心に展開している。(ただし、年始は「柱編」を中心に展開されるため一時中断される。中断期間は元日~1月3日まで。)
  • 2009年度以後は日本オリンピック委員会選手強化キャンペーン)、日本野球機構セ・パ交流戦、月間MVP)の協賛社であることから、スポーツ選手を起用したCM(但し、選手は過去の試合・演技の映像を使用しており、新たなる撮り下ろしはしていない)を放送している。過去に浅田真央上村愛子内柴正人松本哲也ら。
  • 2011年度は従来のスポーツ選手を起用したCMでは東日本大震災による被災者や復興支援に携わっている人へ向けられた応援一言メッセージを添えて放送していた。現在は吉田沙保里内村航平潮田玲子太田雄貴。また、2009年度・2010年度のCM主題歌「」を歌っているゆずも出演している。さらに、日本野球機構セ・パ交流戦、月間MVP)の協賛社であることやピンクリボン活動を支援していることから、同活動に取り組んでいる北海道日本ハムファイターズ田中賢介が出演している。
  • 2012年3月からは漫画およびアニメーション「ONE PIECE」の主人公であるルフィを起用。同時に、「ニッセイみらいファクトリー」をスタートさせ、「みらい創造推進物語」シリーズでは池松壮亮・南沢奈央・田中圭・板谷由夏・小木茂光が架空の部署である『みらい創造推進室』の社員に扮して役名で出演している。2012年9月からは更に、当社のPRスーパーバイザーである滝川クリステルも加わった。このシリーズでは商品CMも担当した。
  • 2015年からは、『人生列車』と題し、様々な人を人生の列車に乗せ、車掌に扮したピエール瀧が出演。
  • 2017年からは、平野美宇および同社の女子卓球部員(若宮三紗子石垣優香前田美優森さくら)を起用したCMを展開。その後も早田ひなも出演している

スポンサー[編集]

在籍した人物[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ グループ会社でも色を変えて使用されている。
  2. ^ その後、東京日本生命館は高島屋に所有権が移った。
  3. ^ 2013年には企業CM「オレンジ篇」にも出演。

出典[編集]

  1. ^ 相互会社のため、会計ルールが一般企業と異なり、「基金」が一般の「資本金」にあたる。数値は2012年8月の基金募集後のもの。以上については、平成24年度基金募集について (PDF) - 日本生命保険相互会社プレスリリース、2012年8月3日発表。
  2. ^ 沿革|日本生命保険相互会社 - 日本生命保険相互会社公式サイト(2010年7月確認)。
  3. ^ 「会社形態上、ご契約者と株主双方への利益還元が求められる株式会社ではなく、すべてをお客様のために取り組むことができる相互会社が相応しいと考えております」 - 開催結果の概要をお知らせします|日本生命保険相互会社 - 日本生命保険相互会社公式サイト(2010年10月確認)
  4. ^ a b c d 日本生命の現状 2015 (PDF) の27ページ目 - 日本生命保険相互会社公式サイト(2016年9月確認)。
  5. ^ a b 当社の健全性について - 日本生命保険相互会社公式サイト(2013年6月確認)。
  6. ^ 田中彰、「六大企業集団の無機能化: ポストバブル期における企業間ネットワークのオーガナイジング」『同志社商学』 2013年 64巻 5号 p.330-351, doi:10.14988/pa.2017.0000013201
  7. ^ 社会性・公共性をふまえた資産運用|日本生命保険相互会社 - 日本生命保険相互会社公式サイト(2014年10月確認)
  8. ^ a b 日本経済新聞 - 1986年3月24日一面。
  9. ^ 週刊朝日(2003年9月19日号) - 朝日新聞社。
  10. ^ 日本生命の現状2014の28ページ。
  11. ^ “めざしたのは「日本一、女性が働きやすい」ビル 日本生命本店東館が誕生”. ワクスタ. 日経BP社. (2015年3月26日). http://www.nikkeibp.co.jp/article/tk/20150319/439810/ 2015年12月15日閲覧。 
  12. ^ “日生、三井生命買収で最終合意 実質的買収額2800億円に”. 日本経済新聞. (2015年11月6日). https://www.nikkei.com/article/DGXLASGC06H0T_W5A101C1EE8000/ 2019年2月24日閲覧。 
  13. ^ “日生、米系生保を買収と発表 1042億円、銀行窓販を強化”. 日本経済新聞. (2018年3月2日). https://www.nikkei.com/article/DGXLASFL02HU0_S8A300C1000000/ 2019年2月24日閲覧。 
  14. ^ 『日本生命九十年史』p.327
  15. ^ 『日本生命九十年史』p.110
  16. ^ 『日本生命九十年史』p.136
  17. ^ 「日生東京大異動の風雲 第一、住生と本格戦争 発祥地離脱を決断した危機感」『AERA』1989年3月28日号
  18. ^ 『日本経済新聞』2007年9月28日
  19. ^ 保険金支払いについて (PDF) の1ページ目 - 内閣府金融庁公式サイト(2010年7月確認)。
  20. ^ 生命保険会社10社に対する行政処分について (PDF) の4ページ目 - 金融庁プレスリリース(2010年8月確認)。
  21. ^ 保険金・給付金等のお支払いについて - 日本生命保険公式サイト(2010年8月確認)。
  22. ^ 日本生命、契約水増し不正 中小向け退職金共済で 朝日新聞 2014年12月22日
  23. ^ 中小企業退職金共済制度に係る不正事案について 日本生命保険ニュースリリース 2014年12月22日
  24. ^ 野球部 日本生命
  25. ^ 女子卓球部 日本生命
  26. ^ Tプレミアの参加8チーム発表とロゴの発表 卓球王国
  27. ^ NTTドコモから引き継いだ。
  28. ^ 日本生命保険社長 筒井義信氏(上)――型破りCM、新ニッセイ (1-2ページ) - 私の課長時代、日経Bizアカデミー、2015年9月11日。

参考文献[編集]

  • 日本生命保険相互会社編『日本生命九十年史』日本生命保険相互会社、1980年。

外部リンク[編集]