キッコーマン

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キッコーマン株式会社
KIKKOMAN CORPORATION
Kikkoman-Logo.svg
KIKKOMAN Corporation head office.jpg
野田本社建物
種類 株式会社
市場情報
東証1部 2801
大証1部(廃止) 2801 2013年7月12日上場廃止
本社所在地 日本の旗 日本
278-8601
千葉県野田市野田250
設立 1917年大正6年)12月7日
業種 食料品
事業内容 持株会社としてのグループ戦略立案及び各事業会社の統括管理
代表者 茂木友三郎代表取締役会長CEO
堀切功章(代表取締役社長COO
資本金 115億99百万円
売上高 連結 2856億円
純資産 連結 1670億円
総資産 連結 3111億円
従業員数 連結 5286人
決算期 3月31日
主要株主 (株)千秋社 3.19%
主要子会社 キッコーマン食品(株) 100%
キッコーマン飲料(株) 100%
キッコーマンビジネスサービス(株) 100%
日本デルモンテ(株) 100%
マンズワイン(株) 100%
(株)フードケミファ 100%
関係する人物 茂木啓三郎(元社長、中興の祖)
外部リンク http://www.kikkoman.co.jp/
特記事項:東京本社は東京都港区西新橋2-1-1に所在する。各種経営指標は2010年3月期、従業員数、主要株主は2009年9月30日現在。
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キッコーマン株式会社: KIKKOMAN CORPORATION)は、千葉県野田市に本社を置く、醤油を主とする調味料の会社である。

2009年(平成21年)10月に新設分割により3つの事業子会社を設立し、純粋持株会社に移行した。現在、主力の調味料製品を製造販売しているのは、キッコーマン食品株式会社である。

概要[編集]

「亀甲萬」紋をイメージロゴとしているキッコーマンの最も有名な製品である卓上醤油瓶(英語ラベル「KIKKOMAN」「Soy Sauce」)

主に醤油・ウスターソース他の醸造調味料を主力製品としている。

戦前から世界展開を積極的に行い、世界100ヶ国以上で醤油を販売している。また、主力の醤油のシェアは高く、日本シェア30%、世界シェア50%である。特にアメリカ合衆国でのシェアは55%と高い。アメリカでは「Kikkoman」は日本の醤油(Japanese soy sauce)のブランドとして広く定着している。

本社(登記上)、野田工場(千葉県野田市野田110)のほか、日本拠点の約半分が創業地である野田市周辺に集中しているが、兵庫県高砂市の高砂工場(高砂市荒井町新浜1-1-1)も主力工場としての役割を担っている。なお営業・販売等の社内での管理業務については、東京都港区西新橋に所在する東京本社で執っている。

醤油以外にも様々な事業展開を行っており、調味料、健康食品、バイオ事業、外食・中食事業、食料品卸売事業、コカ・コーラ事業と幅広く展開している。

CI[編集]

現社名は、前身8家の合同による野田醤油会社創立に際し醤油統一商標「亀甲萬」とする[1]。前身の1つ、茂木佐平次家の用いた商標「亀甲萬」は香取神社の亀甲と「亀は萬年」をかけたとされる。あるいは、元々の考案者は第4代鈴木万平であり、譲渡されたという説もある[2]

2008年(平成20年)6月にコーポレート・ブランドを刷新した。制定から20年以上に渡って使われてきたコーポレート・マークは、これまでの大文字(KIKKOMAN)から小文字(kikkoman)に変更し、ブランドカラーは赤からオレンジに、マークの右上には伝統の六角形のマーク(六角形の中に「萬」)が添えられることになった。製品に記載されるコーポレート・マークについては、刷新の後に、これまで記載されていなかったパッケージ正面にも記載されるようになった(製品によっては六角形のマークを用いない場合や従来のブランドカラーである赤を用いる場合もある)。

コーポレート・スローガンは2005年(平成17年)に食育スローガンとして制定されていた「おいしい記憶をつくりたい。」。このスローガンは日本国内向けで、海外では「seasoning your life」を用いる。

卓上醤油差しのデザインはGKデザイングループ社長の榮久庵憲司による。アメリカ合衆国で、2007年立体商標の権利を取得している。ちなみにアメリカ向けの醤油差しには、「REFILL ONLY WITH KIKKOMAN」(詰め替えはキッコーマンに限る)と記されている。

沿革[編集]

  • 1661年(寛文元年) - 上花輪村名主19代髙梨兵左衛門野田で醤油醸造を始める[3]
  • 1662年(寛文2年)) - 茂木七左衛門家が味噌つくりを始め、後年には分家の茂木七郎右衛門家が高梨家とともに醤油を作り始める[4]
  • 1781年(元明元年) - 後の野田醤油の基礎になる亀屋市郎兵衛、高梨兵左衛門、粕屋七郎右衛門(茂木一族)、茂木七左衛門、大塚弥五兵衛、杉崎市郎兵衛、竹本五郎兵衛の7家が成立、野田醤油仲間結成[5][4]。 後、茂木一族各家など醸造家が増えていく。
  • 1814年(文化11年) - 堀切紋次郎流山で万上味醂(のちのマンジョウ本みりん)を醸造[6]
  • 1828年(文政12年) - 高梨兵左衛門家、続いて茂木佐平治家が幕府に醤油を献上し、幕府から御用醸造の命を受ける[7]
  • 天保年間から安政年間にかけて茂木一族と高梨家による生産量が増えていく[8]
  • 1873年(明治6年) - 茂木佐平治家がオーストリア万国博覧会に亀甲万印の醤油を出品し名誉賞を取る。以降、博覧会や品評会などへの出品と受賞歴が重なっていく[9]
  • 1887年(明治20年) - 髙梨・茂木両家が野田醤油醸造組合を結成[3]
  • 1900年(明治33年) - 野田醤油醸造組合員によって野田商誘銀行設立(商誘は醤油にかけたもの)のちに千葉銀行の前身の一つとなる。
  • 1900年(明治33年) - 野田人車鉄道敷設
  • 1911年(明治44年) - 県営軽便鉄道野田線に出資(現在の東武野田線
  • 1917年(大正6年)12月7日 - 髙梨家と茂木一族七家が野田醤油株式会社を設立[10]
  • 1917年(大正6年) - 彫切家が野田醤油の出資により万上味醂株式会社を設立[10]
  • 1918年(大正7年) - 野田醤油株式会社と万上味醂株式会社が営業を開始[10]
  • 1925年(大正14年)4月 - 野田醤油醸造株式会社が、万上味醂株式会社と日本醤油株式会社を合併[10]
  • 1925年(大正14年) - しょうゆ2L瓶の発売を開始[10]
  • 1927年(昭和2年) - 東京市場で商標をキッコーマンに統一[10]
  • 1940年(昭和15年) - 全国で商標をキッコーマンに統一[10]
  • 1949年(昭和24年)5月 - 東京証券取引所上場[10]
  • 1957年(昭和32年)6月 - サンフランシスコにキッコーマン・インターナショナル社(現 キッコーマン・セールスUSA社)を設立する[10]。それまでは在留日本人や日系人向けが主だった輸出から現地人需要の喚起を意識して本格的にアメリカへ進出。
  • 1961年(昭和36年) - 吉幸食品工業株式会社(現 日本デルモンテ株式会社)、盛進製薬株式会社を設立[10]
  • 1961年(昭和36年) - しょうゆ卓上びんを発売[10]
  • 1962年(昭和37年) - 利根飲料株式会社(後の 利根コカ・コーラボトリング株式会社)を設立[10]
  • 1962年(昭和37年) - 勝沼洋酒株式会社(現 マンズワイン株式会社)を設立[10]
  • 1963年(昭和38年) - 「デルモンテ」ブランドのトマトケチャップトマトジュースを発売[10]
  • 1964年(昭和39年) - マンズワイン発売[11]
  • 1964年(昭和39年)10月19日 - キッコーマン醤油株式会社に商号変更[11]
  • 1965年(昭和40年) - 減塩しょうゆ開発。東京大学医学部の要請を受け、通常のしょうゆに比べて塩分を大幅に減らしたしょうゆを1965年に「保健しょうゆ」として発売。1967年に「減塩しょうゆ」に商品名を変更[12]
  • 1969年(昭和44年)6月 - 米国の日本食材卸ジャパン・フード・コーポレーション(現 JFCインターナショナル社)に経営参加[11]
  • 1970年(昭和45年) - 太平洋貿易株式会社に経営参加[11]
  • 1974年(昭和49年) - キッコーマン・レストラン株式会社を設立[11]
  • 1974年(昭和49年) - 当社一社提供テレビ番組「くいしん坊!万才」放送開始(以降30年以上続く長寿番組となっている)。
  • 1977年(昭和52年) - 500mLしょうゆ容器をペットボトル[11]
  • 1978年(昭和53年) - 1Lしょうゆ容器をペットボトル化[11]
  • 1980年(昭和55年)10月 - キッコーマン株式会社に商号変更[13]
  • 1981年(昭和56年) - 富士ゼロックス株式会社との共同出資により、千葉ゼロックス販売株式会社(現在は富士ゼロックスの100%子会社で、富士ゼロックス千葉株式会社)を設立[13]
  • 1983年(昭和58年) - 東京ディズニーランド内「ポリネシアンテラス・レストラン」と「プラザ・レストラン」(現在は降板)に企業参加する[13]
  • 1983年(昭和58年) - 「ガンバレ玄さん」発売[13](現在は生産終了)。
  • 1985年(昭和60年) - マンズワイン事件発生。
  • 1987年(昭和62年) - CIを導入。新スローガン「食の、あたらしい風」制定[13]
  • 1993年(平成5年) - 盛進製薬株式会社を吸収合併し、バイオケミカル事業本部発足。株式会社盛進を設立[14]
  • 1994年(平成6年) - 物流部門子会社の総武通運株式会社と野田物流サービス株式会社を統合し、総武物流株式会社を設立[14]
  • 1995年(平成7年) - 「本つゆ」発売[14]
  • 1997年(平成9年)10月31日 - 惣菜の販売を行うデリカスイトとの合弁により、キッコーマン・デリカスイト株式会社(現 キッコーマンデリカ株式会社)設立。
  • 2002年(平成14年)2月 - 「うちのごはん」シリーズ発売(関東で開始、段階的に拡大し翌年2月13日に全国発売)[15]
  • 2003年(平成15年)6月 - しょうゆ原料を「非遺伝子組み換え大豆」に移行[15]
  • 2004年(平成16年) - ヒゲタ醤油株式会社と資本提携[15]
  • 2004年(平成16年) - 紀文食品グループ(紀文食品)と資本提携[15]
  • 2005年(平成17年)
    • 宝醤油を連結子会社化[15]
    • 5月 - 食育宣言を公表。食育スローガン「おいしい記憶をつくりたい。」制定[15]
    • 9月20日 - 家庭用容器(2Lびん)発売80周年を記念し、伝統製法と最新技術を融合した数量限定製品「キッコーマン本醸造しょうゆ 復刻版」を発売。
  • 2006年(平成18年)
    • 2月14日 - 「デルモンテ 植物性乳酸菌発酵野菜入り ラクベジ」を発売。
    • 4月1日 - 焼酎事業(『トライアングル』ブランドを含む)をサッポロビールへ譲渡。ただし「マンジョウ・万上」商標はみりん専用としてキッコーマンが引き続き保有。
    • 6月 - 株式会社紀文フードケミファ(現 キッコーマンソイフーズ)を連結子会社化。
    • みりん部門を流山キッコーマン株式会社に分社。
  • 2008年(平成20年)
    • 6月 - 新スローガン「おいしい記憶をつくりたい。(seasoning your life)」を制定し、コーポレート・マークを刷新し、伝統の六角形マーク(六角形の中に「萬」)は継承された。
    • 理研ビタミン株式会社と資本業務提携[15]
  • 2009年(平成21年)
    • 10月1日 - 持株会社制へ移行。同時に新設分割によりキッコーマン食品株式会社、キッコーマン飲料株式会社、キッコーマンビジネスサービス株式会社を設立[15]
    • 本社機能を東京本社に全面移転(登記上の本社は野田本社)。

主要商品[編集]

キッコーマン[編集]

ブランドスローガンは「おいしいの、まんなかに。」。醤油をはじめとした調味料が中心。

  • キッコーマンしょうゆ
  • キッコーマン 特選丸大豆しょうゆ
  • キッコーマン 減塩しょうゆ
  • 丸大豆GABAしょうゆ
  • ステーキしょうゆ
  • おろししょうゆ
  • 本つゆ(濃縮つゆ
  • わが家は焼肉屋さん(焼肉のたれ)
  • すき焼のたれ
  • うちのごはん(和風料理の素)
  • スープごはん(レンジ調理食品)
  • デリシャスソース(ブラウンソース
  • 低分子ヒアルロン酸のちから(サプリメント)

マンジョウ[編集]

ブランドスローガンは「ひとつ上の、まごころ。」。みりんが中心

  • 本みりん・芳醇本みりん
  • マンジョウ梅酒

デルモンテ[編集]

ブランドスローガンは「太陽を、おいしさに。」。トマトを使った調味料やジュース類が中心。

  • トマトケチャップ
  • 缶詰(トマト・野菜・果実)
  • トマトジュース
  • 野菜ジュース
  • 野菜とらなきゃ(野菜・果実混合飲料)
  • ラクベジ(植物性乳酸菌(殺菌)入り)
  • 有機ジュース
  • トマトのちから(キッコーマンとの共同開発によるサプリメント)

デルモンテ・紀文[編集]

デルモンテ紀文が共同開発したコラボレーションブランド。

  • Soytime(豆菜飲料)
  • 豆菜食房(豆菜スープ)

マンズワイン[編集]

ブランドスローガンは「日本がおいしくなるワイン。」。国産ワインを扱う。

  • ぶどうの恵み(キッコーマンとの共同開発によるサプリメント)

ヒゲタ醤油[編集]

ヒゲタ醤油が製造し、キッコーマンで受託販売するブランド。

  • 本膳(しょうゆ)
  • 特選つゆ
  • 江戸老舗秘伝の蕎麦

バス事業[編集]

かつて[いつ?]は系列企業で貸切バス事業を展開していたが、後[いつ?]日の丸自動車興業グループに事業譲渡されている。

関連企業[編集]

主要グループ会社[編集]

企業 事業 設立
日本 キッコーマン食品 醤油、調味料、食品、酒類などの製造・販売 2009年
キッコーマン飲料 飲料、チルド食品の販売 2009年
キッコーマンビジネスサービス 各種間接業務の提供 2009年
日本デルモンテ キッコーマン・デルモンテ製品(飲料・調味料・トマト加工製品など)の製造元 1961年
マンズワイン ワイン、ブランデーなど 1962年
太平洋貿易 食品の輸出入 1928年
平成食品工業 つゆ類、たれ類など 2001年
江戸川食品 加工殻類、鰹・昆布だしなど 2003年
北海道キッコーマン 醤油、めんみ(濃縮つゆ・北海道内限定バージョン)など 2005年
流山キッコーマン 本みりん、みりん風調味料など 2006年
テラヴェール 輸入・国産ファインワインの仕入・販売 2008年
宝醤油 醤油・調味料などの製造・販売 1941年
キッコーマンソイフーズ 豆乳飲料や食材などの製造・販売 1939年
総武物流 物流業務 1994年
キッコーマン・マーケティングセンター 店頭プロモーション・販売活動など 1973年
キッコーマンレストラン 直営レストラン 1974年
キッコーマンデリカ 惣菜や弁当の製造・販売 1997年
キッコーマンダイレクト 食品の仕入・小売・卸販売 2009年
キッコーマンバイオケミファ 化成品の製造・販売 2011年
アメリカ KIKKOMAN FOODS, INC. キッコーマンしょうゆ 1972年
JAPAN FOOD (HAWAII), INC.
JFC INTERNATIONAL INC. 1958年
KIKKOMAN INTERNATIONAL INC. キッコーマンしょうゆ、テリヤキソースなど 1957年
KIKKOMAN MARKETING AND PLANNING, INC 市場調査 1984年
ドイツ JFC RESTAURANT GmbH 料理・飲食 1997年
KIKKOMAN TRADING EUROPE GmbH キッコーマンしょうゆ 1979年
JFC INTERNATIONAL (EUROPE) GmbH 1998年
JFC Deutschland GmbH 2004年
シンガポール KIKKOMAN (S) PTE. LTD. キッコーマンしょうゆ、テリヤキソースなど 1983年
DEL MONTE ASIA PTE. LTD. デルモンテ製品 2001年
KIKKOMAN TRADING ASIA PTE. LTD. キッコーマンしょうゆ 2001年
イギリス JFC (UK) LTD. 1992年
フランス JFC FRANCE S.A.R.L 1996年
オーストリア JFC AUSTRIA GmbH 2008年
カナダ JFC INTERNATIONAL (CANADA) INC. 1973年
オーストラリア JAPAN FOOD CORP. (AUST) PTY.LTD. 1986年
KIKKOMAN AUSTRALIA PTY. LTD 1992年
メキシコ JFC DE MEXICO S.A. DE C.V. 1997年
ニュージーランド JFC NEW ZEALAND LIMITED 2004年
オランダ KIKKOMAN FOODS EUROPE B.V. キッコーマンしょうゆ、テリヤキソース等の製造 1996年
台湾 統萬股份有限公司 キッコーマン及び統一ブランドのしょうゆ 1990年
中国 昆山統万微生物科技有限公司 2000年
上海亀甲萬貿易有限公司 キッコーマンしょうゆ 1995年
香港 JFC HONG KONG LTD. 1984年

提携会社[編集]

大株主[編集]

海外展開[編集]

ノルウェーでの鯨肉サラミ(自家製)。キッコーマンの醤油ワサビ、そして割り箸も。

アメリカ合衆国等では醤油(Soy Sauce ソイ・ソース(= 大豆ソース))のことを『キッコーマン』と呼ぶ場合がある。

但し、日系人の歴史が古く、また比率の高いハワイ州では、"Shoyu"(醤油)という名詞が一般的に通用するため、"Shoyu"の一ブランドとして有名ではあるが、醤油そのものの代名詞として『キッコーマン』と呼ぶ事はない。

アメリカにおける食文化向上の貢献を称え、また同社の米国事業50周年を記念してアメリカ合衆国議会から感謝決議案が採択されている。

戦後、アメリカにおける拡販のために渡米したチームが田舎町でふと入った店舗には、すでにキッコーマンが置かれていたという。

キッコーマンのアメリカ駐在員が、自宅でキッコーマン醤油を使った料理を作っていたところ、近所の人から、そのいい匂いのするシーズニングのことを勧めてくれないなんて水臭い、と言われたという。

アメリカのバイヤーから「アメリカでもキッコーマン醤油はよく知られていますが、日本には「野田醤油」と言う別の大手醤油メーカーがあるそうですね」と言われたため、社名とブランドを一致させることが必要と考え、「野田醤油」の社名を「キッコーマン醤油」へ変更したと言われている。

2013年現在では、キッコーマンの国内売上が1638億円なのに対して、海外での売り上げは1384億円に達し、その中で北米市場では1084億円売り上げている。国内シェアは30%強だが世界では50%のシェアを占めている。利益に及んではキッコーマンの国内営業利益は70億円であるのに対し、海外での営業利益は131億円、その中で北米では88億円の利益を上げている。キッコーマンは日本食に欠かせない醤油メーカーであるが、その利益の7割を海外で上げている会社でもある。その背景には日本食に拘らず、現地の料理の中に取り入れられる調味料として普及させることに取り組んだ成果であると言われている[16]

キッコーマンは第二次大戦前から海外に住む日本人向けに醤油を輸出し、また、戦後徐々にアメリカ人にもその味が受け入れられていたが、原料の大豆小麦をアメリカから輸送コストをかけて輸入して日本で醤油にし、またアメリカに輸送費をかけて送る構造では利益が確保しにくかった。国内市場は飽和状態で頭打ちになっているので1965年当時の資本金額を上回る金額でアメリカ工場を建てる冒険に出た。醤油は装置産業でもあり、ある程度の販売数量がないとペイしない。当時の資本金は36億円、それに対してアメリカ工場建設には40億円が必要と見込まれた。アメリカ工場は1971年に建設を開始し1973年に稼働を開始した。当時のキッコーマンにとって巨額の投資で、もしも売り上げが計画見込みを下回ったら経営の危機にもなりかねなかったが、アメリカでの醤油の売り上げは順調に増える。1977年には計画より1年早く累損を一掃して利益をあげることが出来るようになっている。2007年には半世紀に及ぶアメリカでの活動にアメリカ議会両院から感謝状を贈られるまでになった[17]

豆知識[編集]

  • キッコーマン野田工場は工場見学が出来る。工場では現在の醤油作りの様子が見学できたり、醤油作りに使われていた道具を見ることが出来る。
  • 山陽電気鉄道本線荒井駅 - 伊保駅間には「キッコーマン踏切」があり、キッコーマン高砂工場は踏切のすぐそばにある。
  • 1985年(昭和60年)、農林水産省果樹試験場とキッコーマンの共同研究でオレンジカラタチを融合した世界初のバイオ果実「オレタチ」という果実が誕生した。現在は食用には至ってないが、もの知りしょうゆ館の中庭に植えられている。
  • 医療事業 野田市の本社近くには、従業員向けの養生所を由来とする直営医療機関キッコーマン総合病院がある。同病院で勤務する院長以下職員はキッコーマンの社員という扱いになる。企業立病院であるが、野田市には公立病院は無く、国立病院や大学病院はまして存在せず、過去にはキッコーマン総合病院が事実上の市民総合病院としての役割を果たしてきた(現在では他に私立の総合病院もある)。2012年に建物が立て替えられ病床数129床になった(日経ヘルスケア2012年11月号76ページ)
  • 水道事業 1923年に野田醤油(キッコーマンの前の社名)は千葉県内で初めて水道事業を開始した。1921年4月に作られた給水施設「第一給水所」及び1921年8月に作られた第二給水所は井戸水をくみ上げて野田町内十数か所の自社工場や自社の防火用水に給水し、また1923年には工場群一帯の民家にも給水した。この野田醤油から工場近郊住民への水道供給は無料で行われ、また町内には消火栓115か所も設けられた。工場外への給水は給水人口2000人分だったという。1975年に民家への給水は市へ移管したが、自社施設への水道供給は継続している。給水所は2007年に経済産業省の近代化産業遺産に指定されている。当初作られた水道施設の中で高さ22m円筒形の給水塔は老朽化のために使用されなくなり、同社でも歴史的建造物なので耐震補強工事を検討したが、結局は解体されることになった。近代化産業遺産指定は塔だけでなく給水所全体であり、高さ22mの塔の解体は仕方ないとされた。塔は2010年に解体されている。(2009年10月8日東京新聞およびhttp://blog.goo.ne.jp/ryuw-1/e/f738286c9a54e761a79744488c4360bd、「千葉県の歴史」別編民俗2千葉県発行302ページを参照)
  • 図書館事業 野田町民有志でつくられた野田戌申会は大正7年ごろに図書館建設を企画し高梨・茂木一族の協力で大正10年に戌申会簡易図書館を完成させた。これは板の間12畳、座敷5畳という小さな図書室であったが各界から本の寄贈を受け次第に蔵書も増えていった。しかし、有志での運営にも限界があり大正12年、野田町はこれを買収し野田町立図書館とした。大正12年には関東大震災が起こり、野田の基幹事業の醤油工場も大きな被害を受け野田町も図書館経営に当たる余力に乏しくなった。一方、野田醤油(現キッコーマン)は社会事業を計画し、昭和天皇の即位を機に同名会社千秋社、財団法人興風会などの傘下団体を通じて教育や育英、厚生、および図書館事業を進めることにした。これを受けて野田町は町立図書館の図書資料一式を興風会に寄贈し、野田町の図書館は野田醤油の資金で運営されることになった。1企業が行政に代わって図書館事業を行ったのである。昭和54年には野田市の要望を受け入れ図書館の施設・蔵書の一切を野田市に無償譲渡し野田市立興風図書館となった。(佐藤真著『のだしー歴史の中の野田市』1981年発行p178-184)

CM出演者[編集]

現行[編集]

  • 篠原涼子(しぼりたて生しょうゆ)
  • 明石家さんま(丸大豆しょうゆ)※ 過去にぽん酢しょうゆのCMに出演していたこともあり、当時のCMソングを起用して、23年ぶりにCMに出演。(2009年10月24日から)
  • 広末涼子(丸大豆しょうゆ)※ 2010年2月26日から
  • 松岡修造(キッコーマン醤油・マンジョウ本みりん)
  • 上戸彩(我が家は焼肉屋さん・うちのごはん)
  • 石塚英彦(本つゆ)
  • 森高千里(うちのごはん)

過去[編集]

[いつ?]

提供番組[編集]

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テレビ番組[編集]

現在

※上記以外は週替わりの提供が多い。

過去[いつ?]

ラジオ番組[編集]

過去[いつ?]

CM楽曲[編集]

野球賭博事件[編集]

キッコーマン高砂工場の従業員約64人が、2011年選抜高等学校野球大会の決勝進出校を賭けての野球賭博を行っていたとして、2011年(平成23年)6月兵庫県警高砂署から神戸地検姫路支部に書類送検された。賭け金の総額は13万6500円に及んだ。同工場では、約10年前から野球賭博が行われていたことが判明している[18][19]

スポーツ[編集]

脚注[編集]

  1. ^ マナボウドットコム『キッコーマン中興の祖 二代茂木啓三郎』野村證券他
  2. ^ ブランドの展開モデルと事例研究 梶原勝美 - 専修大学「商学研究所報 第41巻第3号」2009年10月 ISSN 1345-0239
  3. ^ a b 野田の醤油発祥地
  4. ^ a b 佐藤真「のだしー歴史のなかの野田」117頁
  5. ^ 市山盛雄「野田の歴史」39ページ
  6. ^ マンジョウの歴史
  7. ^ 市山盛雄「野田の歴史」40ページ
  8. ^ 市山盛雄「野田の歴史」41ページ
  9. ^ 市山盛雄「野田の歴史」42ページ
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m n キッコーマングループの歩み 1917-1963 | キッコーマン ホームページ
  11. ^ a b c d e f g キッコーマングループの歩み 1964-1979 | キッコーマン ホームページ
  12. ^ キッコーマンが減塩しょうゆを発売して今年で50周年!
  13. ^ a b c d e キッコーマングループの歩み 1980-1989 | キッコーマン ホームページ
  14. ^ a b c キッコーマングループの歩み 1990-1999 | キッコーマン ホームページ
  15. ^ a b c d e f g h キッコーマングループの歩み 2000- | キッコーマン ホームページ
  16. ^ 週刊ダイアモンド2013年7/6号61ページ
  17. ^ JATAFFジャーナルvol,1No.9,2013年、24~29ページ
  18. ^ 産経新聞 2011年6月28日
  19. ^ 不祥事に関するお詫び キッコーマンニュースリリース 2011年6月28日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]