清水建設

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清水建設株式会社
SHIMIZU CORPORATION
Shimizu company logo.svg
Shimizu Corporation headquarters (2018-01-01) 1.jpg
本社(2018年1月)
種類 株式会社
市場情報
大証1部(廃止) 1803
2013年7月12日上場廃止
略称 清水
本社所在地 日本の旗 日本
104-8370
東京都中央区京橋二丁目16番1号
設立 1937年昭和12年)8月24日
業種 建設業
法人番号 1010401013565
事業内容 建設事業・開発事業
代表者 代表取締役会長 宮本洋一
代表取締役社長 井上和幸
代表取締役副社長 寺田修
代表取締役副社長 今木繁行
代表取締役副社長 東出公一郎
代表取締役副社長 山地徹
代表取締役兼専務執行役員 山中庸彦
資本金 743億6,500万円
発行済株式総数 7億8,851万4,613株33,397
売上高 連結:1兆5,678億4,300万円
単独:1兆3,407億6,600万円
(2015年3月期)  
営業利益 連結:500億3,200万円
単独:353億7,300万円
(2015年3月期)
純利益 連結:333億9,700万円
単独:235億5,400万円
(2015年3月期)
純資産 連結:3,070億200万円
単体:2,491億2,700万円
(2012年3月期)
総資産 連結:1兆7,033億9,900万円
単体:1兆4,454億2,100万円
(2015年3月期)
従業員数 連結:1万5,722人 単体:1万694人
(2015年3月末現在)
決算期 3月
主要株主 清水地所 7.63%
社会福祉法人清水基金 4.83%
日本マスタートラスト信託銀行(信託口) 4.70%
日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口) 4.12%
(2016年3月期)
主要子会社 東京鐵骨橋梁
ミルックス
関係する人物 清水喜助、野村哲也(会長)
外部リンク http://www.shimz.co.jp/
特記事項:各種経営指標は2012年3月期のもの
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清水建設株式会社(しみずけんせつ)は、1804年文化元年)に創業、東京都に本社がある大手総合建設会社ゼネコン)。

概要[編集]

スーパーゼネコン5社(清水建設、大林組鹿島建設大成建設竹中工務店)の一角。民間の建築工事に強みがある。受注活動では、大手他社と異なり採算度外視の大型工事をさけ、中小の物件の受注にも積極的である。得意分野は、建築では医療機関土木ではLNGタンクの施工であるといわれている。さらに、歴史的な経緯から、伝統的な社寺建築にも豊富な実績を有している。

伝統的な建築儀式である手斧始め(ちょうなはじめ)を仕事はじめの1月4日に本社で執り行っている。建設業で手斧始めを受け継いでいるのは、清水建設と金剛組(大阪)だけである。

創業家である清水家の現在の当主は、清水満昭で、清水地所社長、清水建設取締役を務めている。

三金会の会員企業であり第一勧銀グループに属している[1]

同社のコーポレートメッセージは「子どもたちに誇れるしごとを。」(日本語)「Today's Work, Tomorrow's Heritage」(英語)である。

沿革[編集]

  • 1804年(文化元年) 初代清水喜助が江戸の神田で創業(喜助は現在の富山市出身で、大工となり、日光東照宮の修理に参加した後、江戸に下る)。
  • 1838年天保9年) 江戸城西の丸焼失後の再建工事に参加 。
  • 1858年安政5年) 井伊直弼より、開港地・横浜の外国奉行所などの建設を請け負う。
  • 1859年(安政6年) 初代喜助死去。養子の清七が2代清水喜助となる。
  • 1868年明治元年) 幕府の依頼で建設を始めた築地ホテル館(外国人旅館)が完成。
  • 1872年(明治5年) 三井組ハウスが完成 。
  • 1881年(明治14年) 2代喜助死去、養子の清水満之助が跡を継ぐ。
  • 1887年(明治20年) 満之助死去、未亡人や支配人が経営を引き継ぐ。
  • 1892年(明治25年) 渋沢栄一の仲介で法律学者、穂積陳重の案により家法を定める。
  • 1915年大正4年) 合資会社清水組となる。
  • 1925年(大正14年) 鶴見騒擾事件起こる。(清水と間組の下請けの喧嘩)
  • 大正から昭和にかけて大建築を多く手掛け、建設業のトップの地位を築く。
  • 1937年(昭和12年)8月25日 あらたに株式会社清水組を設立、合資会社清水組を合併する。
  • 1948年(昭和23年) 清水建設株式会社に商号変更。
  • 1961年(昭和36年)4月 株式を東京店頭市場に公開。
  • 1961年(昭和36年)10月 東証2部に上場。
  • 1962年(昭和37年)2月 東証1部に上場。
  • 1962年(昭和37年)10月 名証大証各1部に上場。
  • 1971年(昭和46年)不動産事業に進出
  • 1987年(昭和62年)アイマーク、コーポレートカラーを制定
  • 1991年平成3年)本社を宝町から東京都港区浜松町シーバンスに移転
  • 1995年(平成7年)阪神大震災で被害調査、復興活動
  • 2008年(平成20年)7月1日 旧京橋本社の場所に新本社ビル新築と平成23年秋の本社移転計画を発表。平成21年4月着工。平成23年9月高層棟、平成25年2月低層棟完成予定。[1]
  • 2012年(平成24年)東日本大震災で津波被害を受けた仙台市内に復興活動と事業展開の一環として、他企業と合同でスマートシティ開発を進める事を発表。
  • 2012年(平成24年)8月 本社をシーバンスから東京都中央区京橋に移転

経営理念[編集]

  • 地球社会への貢献 Socio-dynamism
    • 環境保全活動、文化活動等の活動のみならず、環境とバランスのとれた社会的、文化的に価値のある優れた品質の建造物・施設をグローバルに建設する。
  • 人間尊重 Humanity
    • 従業員が快適で意欲をもって働けるような環境を作りだす。
  • 革新志向 Innovation
    • 役員、従業員全員が常に革新的姿勢で業務にあたり、事業展開、営業活動、研究・開発、業務・経営革新に取り組むことにより、絶えず企業として成長・発展を図っていく。
  • 顧客第一 Market-in
    • 常に顧客の立場に立って考え行動し、顧客に役立つことにより当社も適正な利潤を頂くことを基本とする。
  • 情熱 Zeal
    • 何事にも情熱をもって取り組む。

施工物件[編集]

歴史的にも数多くの名建築を手掛けている。例えば国立屋内総合競技場(主体育館:1964年 設計・丹下健三)など枚挙に暇がない。

詳しくは清水建設の歴史を参照のこと。

以下はほんの一例である。

宅地開発実績[編集]

  • パストラルタウン美しが丘 - 札幌市豊平区(清水建設総合開発と)
  • 旭ヶ丘 - 茨城県鹿島郡鹿島町(現・鹿嶋市、清水建設総合開発と)
  • パストラルヒルズ佐倉・城 - 千葉県佐倉市(清水建設総合開発と)
  • 高南台パストラルヒルズ - 千葉県東葛飾郡沼南町(清水建設総合開発と)
  • 柏・藤ノ台パストラルヒルズ - 千葉県柏市(清水建設総合開発と)
  • 佐倉白銀ニュータウン/パストラル・アベニュー - 千葉県佐倉市(清水建設総合開発と)
  • パストラルヒルズ流山平和台 - 千葉県流山市(清水建設総合開発と)
  • パストラルヒルズ相模原 - 神奈川県相模原市(清水建設総合開発と)
  • 大磯松韻 - 神奈川県中郡大磯町、旧清水家別荘跡地(三菱商事、スタジオランドジャパンらと)
  • パストラルヒルズ五月台 - 川崎市麻生区(清水建設総合開発と)
  • パストラルびゅう桂台 - 山梨県大月市(東日本旅客鉄道、清水建設総合開発と)
  • 大津美咲野ニュータウン - 熊本県菊池郡大津町(清水建設総合開発と)
  • 二宮町土地宅地分譲 - 神奈川県中郡二宮町(清水建設総合開発と)
  • 新崎宅地分譲すみれ野ニュータウン - 新潟県新潟市(清水建設総合開発と)
  • パストラルヒルズ波木南台 - 三重県四日市市(清水建設総合開発と)
  • 五日市ニュータウン彩が丘 - 広島市佐伯区(清水建設総合開発と)
  • 氏神工業団地分譲 - 広島県山県郡千代田(清水建設総合開発と)
  • ガーデンシティ美咲野 - 熊本県大津町(九州旅客鉄道西松建設と)

清水建設総合開発が開発した住宅地は以下の通り

  • グランディタウン河原町 - 宮城県仙台市(清水不動産 他)
  • ヴィークテラス世田谷桜丘 - 東京都世田谷区桜丘
  • ヴィークテラス浜田山 - 東京都杉並区
  • ネイシア津田沼 - 千葉県習志野市
  • 東金工業団地 - 千葉県東金市
  • 波木南台宅地分譲 - 三重県四日市市
  • ほほえみタウン時津 - 長崎県時津町(清水不動産 他)

グループ企業[編集]

建設関連事業

開発・不動産関連事業

サービス関連事業

歴代経営者[編集]

  • 初代    清水喜助(初代)   1804年(文化元年) - 1859年(安政6年) 創業者
  • 二代    清水喜助(二代)   1859年(安政6年) - 1891年(明治14年)
  • 三代    清水満之助(三代)  1881年(明治14年) - 1887年(明治20年)
  • 四代    清水満之助(四代)  1887年(明治20年) - 1915年(大正4年)
  • 五代    清水釘吉       1915年(大正4年) - 1940年(昭和15年)
  • 六代    清水康雄       1940年(昭和15年) - 1966年(昭和41年)
  • 七代    吉川清一       1966年(昭和41年) - 1972年(昭和47年)
  • 八代    野地紀一       1972年(昭和47年) - 1981年(昭和56年)
  • 九代    吉野照蔵       1981年(昭和56年) - 1989年(平成元年)
  • 十代    今村治輔       1990年(平成2年) - 1999年(平成11年)
  • 十一代   野村哲也       1999年(平成11年) - 2007年(平成19年)
  • 十二代   宮本洋一       2007年(平成19年) - 2016年(平成28年)

現在経営者[編集]

提供番組[編集]

イメージソング[編集]

  • 1990年代前半には、テレビCMのイメージソングとして忌野清志郎の「パパの歌」が使われた。因みに「パパの歌」の発売は1991年5月だが、発売前に行われた清水建設の社内パーティーに於いて、パーティーに参加した社員及び招待された社員の家族全員にシングルCDと、重機のキャタピラを模したボールペンが配られた。このシングルのジャケットは裏面に清水のロゴマークが使用された特別バージョンである。また1992年には、忌野の「パパの手の歌」を起用した、CM第2弾も放映された。

関連する人物[編集]

脚注・出典[編集]

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  1. ^ 六大企業集団の無機能化 - 同志社大学学術情報検索システム内にあるPDFファイル。筆者は経済学者の田中彰。

参考文献[編集]

  • 清水建設百五十年史編纂委員会『清水建設百五十年』 清水建設 1954
  • 清水建設兼喜会五十年史編纂委員会『清水建設兼喜会五十年』 清水建設東京兼喜会 1969
  • 清水建設編『清水建設百七十年』清水建設 1973
  • 清水建設編『清水建設百八十年』清水建設 1984
  • 清水建設設計本部編『清水建設のディテール―風土と結ばれた技術展開』彰国社 1992
  • 初田亨『職人たちの西洋建築』(講談社メチエ)講談社 1997 (ちくま学芸文庫から2002再版)
  • 清水建設編『清水建設二百年』経営編 清水建設 2003(鈴木博之監修)
  • 清水建設編『清水建設二百年』生産編 清水建設 2003(鈴木博之監修、中谷礼仁執筆)
  • 清水建設編『清水建設二百年』作品編 清水建設 2003
  • 菊岡倶也監修『棟梁から総合建設業へ―清水建設200年の歴史』 清水建設 2003
  • 「清水建設 新たなる棟梁」『新建築』臨時増刊 新建築社 2004

関連項目[編集]

外部リンク[編集]