高浜町

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たかはまちょう ウィキデータを編集
高浜町
高浜町旗 高浜町章
高浜町旗 高浜町章
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 福井県
大飯郡
市町村コード 18481-1
法人番号 3000020184811 ウィキデータを編集
面積 72.40km2
総人口 9,750[編集]
推計人口、2024年3月1日)
人口密度 135人/km2
隣接自治体 大飯郡おおい町
京都府綾部市舞鶴市
町の木 杜仲
町の花 はまなす
高浜町役場
町長 野瀬豊
所在地 919-2292
福井県大飯郡高浜町宮崎第71号7番地の1
北緯35度29分25秒 東経135度33分03秒 / 北緯35.49033度 東経135.55097度 / 35.49033; 135.55097座標: 北緯35度29分25秒 東経135度33分03秒 / 北緯35.49033度 東経135.55097度 / 35.49033; 135.55097
地図
町役場位置

高浜町役場
外部リンク 公式ウェブサイト

高浜町位置図

― 市 / ― 町・村

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中山寺から望む高浜町中心部
高浜湾と青葉山(若狭富士)
音海の断崖

高浜町(たかはまちょう)は、福井県南西部、嶺南地方の大飯郡に属している。大浦半島青葉山などがあり、舞鶴都市圏に含まれる。

地理[編集]

位置[編集]

福井県の最西端に位置し、青葉山(別名・若狭富士)を境にして京都府舞鶴市などと接している。また、北陸地方の最西端の市町村でもある。

高浜町の属する大飯郡は、若狭(若狭地方)の西部に位置することから若西(じゃくせい)と呼ばれる地域である。

日本海若狭湾)に面し、大島半島音海半島の間には日本の夕陽百選にも選定されている若狭和田海水浴場および快水浴場百選にも選定されている白浜海水浴場などがあり、夏期には多くの海水浴客が訪れる。音海半島と大浦半島では若狭湾のリアス式海岸が楽しめる。

山岳地帯は、京都府とは丹波高地で連なっている。

地形[編集]

山地[編集]

主な山

河川[編集]

主な川

海岸[編集]

主な海岸
主な半島
主な入江
主な湾

気候[編集]

日本海側気候であり、豪雪地帯に指定されている。

人口[編集]

高浜町と全国の年齢別人口分布(2005年) 高浜町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 高浜町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

高浜町(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

健康[編集]

総人口の変遷[編集]

2020年まで
  • 1980年 1万1818人
  • 1985年 1万2310人
  • 1990年 1万2425人
  • 1995年 1万2201人
  • 2000年 1万2119人
  • 2005年 1万1630人
  • 2010年 1万0620人
  • 2015年 1万0596人
  • 2020年 1万0049人
2025年以降の推定人口
  • 2025年 9496人
  • 2030年 8925人
  • 2035年 8338人
  • 2040年 7734人
  • 2045年 7128人
  • 2050年 6542人
  • 2055年 5971人
  • 2060年 5420人

(出典[1][2][3]

総人口変遷と推定[4]
西暦 総人数 生産年齢人口(15~65歳) 年少人口(0~14歳) 老年人口(65歳以上)
1980年 11,818 7,657 1,576 2,585
1985年 12,310 7,886 1,838 2,586
1990年 12,425 7,969 2,113 2,338
1995年 12,201 7,596 2,180 2,425
2000年 12,119 7,323 2,118 2,677
2005年 11,630 6,908 1,894 2,826
2010年 11,062 6,492 1,624 2,941
2015年 10,596 6,055 1,369 3,172
2020年 10,049 5,614 1,179 3,256
2025年 9,496 5,244 1,026 3,226
2030年 8,925 4,839 916 3,170
2035年 8,338 4,467 820 3,050
2040年 7,734 3,963 743 3,023
2045年 7,128 3,587 665 2,876
2050年 6,542 3,299 582 2,661
2055年 5,971 2,986 502 2,483
2060年 5,420 2,664 432 2,324

2023年11月末 総人口9692人、男性4863人、女性4829人、世帯数4273[5]

地区別の人口[編集]

高浜地区[編集]

2023年10月末の人口と世帯数
高浜地区  総人口   世帯数 
若宮 292 147
塩土 234 106
大西 338 158
中町 79 35
今在家 111 46
本町 138 59
事代 219 115
赤尾町 229 94
中央 129 61
横町 316 140
薗部 390 177
岩神 88 34
紫水ヶ丘 80 38
子生 51 25
坂田 13 6
坂田GT 171 51
笠原 2 2
中寄 81 34
108 37
立石 230 99
宇治 378 186
224 96
湯谷 573 237
合計 4,474 1,983

和田地区[編集]

2023年10月末の人口と世帯数
和田地区  総人口   世帯数 
和田一区 216 165
和田二区 128 116
和田三区 137 123
和田四区 87 79
和田五区 115 113
和田六区 84 62
安土 62 149
水明 24 27
青戸 219 158
馬居寺 16 11
車持 51 51
けいあいの里 2 3
合計 2,403 1,057

青郷地区[編集]

2023年10月末の人口と世帯数
青郷地区  総人口   世帯数 
東三松 494 207
西三松 315 123
緑ヶ丘 93 50
日置 139 54
青葉苑 3 3
青葉 35 20
242 107
横津海 76 34
関屋 186 78
出合 219 100
六路谷 49 21
蒜畠 25 10
高野 99 48
今寺 23 11
小和田 197 83
中山 62 37
合計 2,257 986

内浦地区[編集]

2023年10月末の人口と世帯数
内浦地区  総人口   世帯数 
難波江 46 19
小黒飯 41 16
神野 45 19
神野浦 24 14
音海 88 51
上瀬 62 21
日引 69 28
宮尾 18 10
20 8
鎌倉 68 25
山中 94 45
合計 575 256

高浜町[編集]

2023年10月末の人口と世帯数
地区  総人数   世帯数 
高浜地区 4474 1983
和田地区 2403 1057
青郷地区 2257 986
内浦地区 575 256
合計 9709 4282

(出典[6][7]

地区の成り立ち[編集]

(この節の出典[8][9][10]

高浜町[編集]

中寄[編集]

下蝓蜊(しもゆり)が鐘寄に、上蝓蜊(かみゆり)が中津海に改名されたとされている

現在も蝓蜊古墳、蝓蜊神社、蝓蜊の道が残っている

400年ほど前、大きな隕石が中津海の海岸に落下したという記録がある

[編集]

立石と鐘寄の間にある集落、裏山を越すと坂田、笠原、石山に続く

山神神社と毘沙門天像がある毘沙門堂がある

立石[編集]

高浜町立図書館のあるあたりも、その奥の湯谷も元々は立石

弥生時代・古墳時代・奈良期・平安期の複合遺跡である立石遺跡がある

立石遺跡発見の契機は、郷土史家の桜井帯刀が数辺の土器破片を拾った事からとされている。

北部の海岸沿いには才ケ鼻製塩場跡がある

中世は立石荘といわれる荘園だった

近世は小浜藩領で、海岸を警備する為の砲台があった

・立石住居址 立石地蔵南側の畑地、縄文時代後期の炉跡、石斧、石棒、石槍、耳飾、縄文土器、須恵土器などが発掘された

酒詰仲男教授らが発掘

・才ケ鼻製塩場跡 古墳時代中期から奈良時代にかけての製塩土器が多数出土

・立石子安地蔵尊 1860年、石村千坂長助家に男児に恵まれなかった為、悲願を込めて建立開始、1864年完成。

塩土[編集]

高浜駅を北へ行くとある高浜漁村あたり一帯の地域

神功皇后の三韓出兵の時から存在しているという伝承がある

古代からの慣例で歴代天皇の大典挙行の際に大嘗祭庭積机代物として乾鯛を献上したらしい

昭和3年の即位式にも漁業組合に用命があったという

若宮[編集]

西から立石の次にある地区

江戸期は岸名町といったらしい

神社と寺院が南北に5つ並んでいて、北は海で若宮海水浴場がある

「神代木」の伝承がある 榎の巨樹の話

三明[編集]

中町・今在家・大西の三地区から出来ている

商店が軒を連ねる商業地域

事代[編集]

高浜城跡と城山公園のある地域

城山海水浴場もある

城山には城山古墳群と八穴がある

明鏡洞・乙女ケ洞・揚ケ小洞・狸々洞・数ケ洞・蛭子洞・鋏洞・外ケ洞の8つの洞穴である

・城山古墳 観光施設整備工事で発見されたが破壊されてしまった。出土した須恵器から6世紀ごろのものと判明

宮崎[編集]

高浜駅、町役場、高浜中学校、高浜中学校などがある町政・教育・文化・福祉などが集中している町の中心地域

佐吉神社や砕導山がある

薗部[編集]

佐吉神社入口から笠原川あたりまで一帯の地域

関西電力等による調査で、天正地震で津波があったとしても小規模なものであっただろうとされた。

福井大学の山本博文らの調査で天正地震の時、薗部あたりに津波があった可能性が報告されている[11]

笠原川がラグーンだったという説もあるが、真相は不明

岩神[編集]

和田と薗部に囲まれた地域

十念嶽古墳がある

岩神の伝承がある

笠原[編集]

笠原川上流の農業地帯

高浜発祥の地ではないかと考えられている

笠原峠を越えて福谷(おおい町)へ繋がる

子生[編集]

子生川上流沿いに広がる農業地域

北東端に蛇山古墳群がある

中央部に臨済宗相国寺派蔵心寺がある

北の小高い山を越えると坂田に繋がる

子生坂を越えると、おおい川上流へ出る

「福井県伝統的民家群保存活用推進地区」に指定されている

坂田[編集]

子生川支流坂田川の上流の谷にある

三叉路を右に曲がると坂田、左に曲がる子生

和田地区[編集]

和田[編集]

若狭和田駅から北側の海にまで広がる地域

和田荘は、鎌倉期~戦国期にみえる荘園名

・和田堂筋遺跡 浜禰ⅡB式・船岡式土器が砂浜の中に大量にあり出土した

・愛宕神社、宗像神社、海神社

・臨済宗相国寺派鹿王山真乗寺

馬居寺[編集]

若狭和田駅の裏側、古刹馬居寺のある集落

西部の北へ突出した山に白石城趾がある

塚ノ元に古墳がある

・熊野神社

車持[編集]

高浜町で最も東にある集落

関電PR施設「エルどらんど」や「道の駅シーサイド高浜」などがある山側にある

・香山神社

・広嶺神社

・笠掛神社

・臨済宗相国寺派青龍山海蔵寺

・臨済宗相国寺派白滝山正法寺

青戸[編集]

いつの頃にか埋め立てられて出来た、和田駅から東側にある地域

青戸大橋あたりから西にある入江を青戸入江という

青戸から東へ行くと蒼島、さらに東に行くと青井がある

青戸は、昭和39年~現在の高浜町の大字名

安土[編集]

青戸入江の北にある

大島半島の東側、島との付け根にある安土山の入り江を埋め立てて出来た住宅地

主に、関西電力とその関連企業の社宅がある

昭和44年に埋め立てられたが、以前は漁家の舟溜りで、ナマコの産地だった

姨捨山の伝承がある

青郷[編集]

明治22年に、東三松、西三松、日置、青、横津海、関屋、上津、六路谷、蒜畠、高野、今寺、小和田、高屋、中山の14カ所の村が合併して青郷村が出来た、昭和30年まで続いた。

上津[編集]

明治34年舞鶴鎮守府開庁に伴い吉坂砲台がつくられた

黒部谷へ入る谷筋の上津川流域にあった

現在は廃村しており、青の字、出合に移住したとされている

昭和28年9月台風13号が上津を襲い農林産物が大被害を受け、河川の氾濫により道路や電灯の復旧の目途が立たず、移住していったとされる

六路谷[編集]

吉坂トンネルを抜けて高浜町へ入ると着く最初の集落

地名の由来は木地師(轆轤師)がかつて住んでいたからとされている

・吉坂峠

・杉森神社

・オハツキイチョウ(国の天然記念物)

・六路谷砲台

蒜畠(ひるばたけ)[編集]

吉坂トンネルを越えた広い所にある集落

昭和28年9月の台風13号により、山崩れが起こり6世帯が全半壊し13名の犠牲者を出した

・八幡神社

・若州女留関所跡

今寺[編集]

青葉山の南西中腹の高地に広がる農村

・熊野神社

・青葉神社

・今林寺

高野[編集]

青葉山の広い南麓中腹

松尾寺へ続く道中にある

・金剣神社

・臨済宗建仁寺派青葉山瑞高寺

・臨済宗建仁寺派青葉山清住寺

中山[編集]

青葉山の南東中腹

標高100メートルばかりの高地で、農業地帯

・青葉神社

・真言宗御室派青葉山中山寺

小和田[編集]

関屋川中流域の左岸にある

・小和田遺跡 弥生時代中期の石剣・石戈出土

・伊弉諾神社

関屋[編集]

関屋川上流域の農業地域

生産物に若狭絹とつづら

・臨済宗相国寺派指月山円福寺

・源力木山(げんりきさん)城

・関所跡

横津海[編集]

関屋川の支流前川に沿ってある地帯

・八幡神社

・稲荷神社

・薬師堂

薬師堂の仏像は小和田村に元々祀られていたという

・臨済宗建仁寺派涌出山龍泉寺

[編集]

青郷小学校から青海神社あたりまで

・青古墳群

・金林寺跡→青郷公民館

・青城

・青郷小学校

出合[編集]

青郷駅から青郷小学校あたりまで

日置[編集]

国道27号より南側山裾の農業地域

・日置神社

・臨済宗建仁寺派中本山瑞応山大成寺

・臨済宗建仁寺派花尾山金剛寺

三松[編集]

三松駅から西側の海沿いにある集落

・西三松古墳

・輸蜊東古墳

・日枝神社

内浦地区[編集]

明治22年に、難波江、小黒飯、音海、神野、神野浦、山中、鎌倉、下、宮尾、日引、上瀬の11カ所の村が合併してできた

昭和30年まで続いた

上瀬[編集]

内浦湾の出入り口の西にある

若狭で最も西

・山神神社

・臨済宗東福寺派雲居山海門寺

・上瀬漁港

日引[編集]

内浦湾に面した海岸斜面にある

・日引製塩遺跡 県内で最も西にある製塩遺跡

・気比神社

・真言宗高野山派正知院末普門山正楽寺

・日引小学校(廃校)

・日引石

日本の棚田100選に選ばれている日引棚田がある

宮尾[編集]

内浦湾に面した東向きの斜面にある

・産霊神社

・臨済宗東福寺派如意山宝珠寺

・聖石

産霊神社の入り口の巨大な石

[編集]

県道21号の山手側にある

鎌倉[編集]

県道21号から、ゴルフ場の舞鶴カントリーへいく道を少し入ったところ

・杉森神社

・臨済宗東福寺派鎌倉山永源寺

若狭ふじ

鎌倉で栽培されている大粒の種なしブドウ

・鎌倉ぶどう

山中[編集]

青葉山の北麓斜面あたりにある

・広瀬古墳群

・日枝神社

・五色山公園

神野[編集]

北に神野浦がある

・臨済宗相国寺派観潮山桃原寺 ・神野城

神野浦[編集]

高浜原子力発電所の近くにある

・神野浦縄文遺跡

・神野浦製塩遺跡

難波江[編集]

青葉山麓東斜面にある

トンネルで三松と繋がっている

・難波江城趾

・難波江海水浴場

小黒飯(おぐるい、おくろい、をくるい)[編集]

難波江から北側に進むとある

西側に高浜原子力発電所がある

・名勝名島千畳敷

・天満神社

・臨済宗相国寺派娜島山寿奎寺

・脇坂

音海[編集]

高浜原子力発電所の先にある

・音海断崖

・気比神社

隣接自治体[編集]

福井県
京都府

歴史[編集]

古代[編集]

古代および大和政権下においては、大飯郡の名が示すように大炊寮という役所が管轄する地域の一部であった。安倍氏や高橋氏など天皇家の食材を司る豪族が拠点の一つを岡津地区や青郷に構え、塩や魚といった海産物を朝廷に納めていた。

中世[編集]

鎌倉時代

鎌倉時代には北条得宗家が若狭の守護を務めた。

南北朝時代~戦国時代

若狭武田氏は足利将軍家とも縁戚であり都の公卿や高僧も若狭武田氏の威勢を頼み多数若狭へ下向していた。しかし戦国時代に、代々武田家の家臣の家柄の身でありながら隣国である丹波の丹波守護代内藤氏(松永氏)の後ろ盾を得て若狭守護武田氏に謀反を起こし従わなくなった逸見昌径が勢力を得る。

青郷は足利将軍家の直割料である御料所の一つであったが、室町幕府内で奉公衆(将軍親衛隊)の地位にあり、青郷の将軍家料代官でもあった大草氏を、逸見氏は攻めた。 同じく足利将軍家の直属の家臣であったおおい町の本郷氏領・佐分氏領をも攻め、若狭に於ける三好政権下の武将の一人となる。しかし、三好氏に代わり織田信長の勢力が大飯郡に及ぶと、逸見氏は織田氏にあっさりと臣従した(織田氏により後に逸見氏は断絶させられることになるが)。

青郷を追われた大草氏の当主である大草公重足利義昭の側近として常に傍に仕え、同じく奉公衆である三淵氏大舘氏らとともに朝倉義景・信長と交渉を重ね足利義昭を15代将軍として擁立するため奔走する。越前一乗谷にも随行し、さらに義昭が将軍に就任するため上洛するときも警備するなど誠実な室町幕府の忠臣として史上大活躍した。(江戸時代は徳川家康に認められ、江戸幕府から上級旗本に列せられた。)

逸見氏は若狭武田家初代武田信栄の菩提寺である長福寺を移転させ、その地に高浜城を築いた。その後、信長に高浜領を改易された(逸見家からの領地召し上げ・逸見家臣団の解散)ことから、その他多くの国人と同じく信長に一時利用されただけの存在といえる。

近世[編集]

逸見家の領地の約半分はその後、逸見家の本来の主である旧若狭守護である武田家に返された。残りの高浜城を含む主要部分は、尾張以来の織田家忠臣である溝口家のものとなる。

豊臣期の領主は変遷したが関ヶ原後、徳川家康の論功行賞により京極氏の兄弟がそれぞれ若狭、丹後の国持大名となった。 この時期に小浜城主京極高次の弟、宮津城主京極高知の娘婿、八条宮智仁親王が丹後・若狭を遊覧し青葉山にちなむ和歌を詠んだ。 歌人であった親王は親族の領国であった丹後・若狭の名所をめぐり多数の歌を残した。(嫁の実家の宮津にある天橋立の歌が中でも多い。)

江戸時代
  • 江戸時代中期以降は小浜藩の一部となり、一国一城令により高浜城は廃城となった。和田に代官所が置かれた。
  • 若狭高浜藩
    • 最後の高浜城主木下利房江戸の家康から大飯郡全域の領有を許され高浜藩2万石が成立した。利房は関ヶ原の戦いにおいて西軍に属したため戦後領地を没収されたが、あらたに備中足守において25000石を領することを認められ足守藩主となった。

沿革[編集]

明治
  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、中津海村、鐘寄村、畑村、立石村、高浜村(高浜塩土町、高浜若宮町、高浜三明町、高浜事代町及び高浜宮崎町)、薗部村、岩神村、笠原村、子生村及び坂田村の区域をもって、高浜村が発足する。
  • 1912年(明治45年)4月1日 - 高浜村が町制施行して、高浜町となる。
昭和

政治[編集]

行政[編集]

町長[編集]

  • 町長:野瀬豊(1960年6月4日- ) 2008年5月- 3期[14]
歴代町長
  • 湯浅銀次郎(1898年-1965年)[15]
  • 松岡謹吾
  • 浜田倫三(1914年-[16]2005年) 1962年10月-1982年10月 5期
  • 田中通(1925年または1926年- ) 1982年-1996年 4期[17][18]
  • 今井理一 1996年-2008年5月 3期

役場[編集]

高浜町役場
  • 政策推進室
  • 総務課
  • 財政課
  • まちづくり課
  • 建設整備課
  • 保健課
  • 福祉課
  • 上下水道課
  • 出納室

議会[編集]

町議会[編集]

県議会[編集]

福井県議会

高浜町から選出される福井県議会議員の定数は(おおい町と合わせ)1議席である。現任期の満了日は、2022年(令和4年)6月30日である。

国会[編集]

衆議院

高浜町は、敦賀市、小浜市、越前市、鯖江市、今立郡・池田町、南条郡・南越前町、丹生郡・越前町、三方郡・美浜町、大飯郡・おおい町とで構成される福井県第2区が選挙区となる。なお、当選挙区の衆議院選挙比例代表区選出議員については、比例北陸信越ブロックを参照のこと。

参議院

高浜町は北陸信越ブロックに属し、福井県選挙区参議院一人区の1つ。また、現行制度(2001年、第19回参議院議員通常選挙より)の比例区は「参議院比例区」を参照のこと。

財政[編集]

人口は1990年(平成2年)をピークに減少しているが、その減少幅は小さく、同じ若狭地方でも過疎化に悩む他の市町村とは状況を異とする。 その一番の要因は町内の内浦地区にある関西電力原子力発電所の存在で、町の大きな財源でもある。 また関西電力の資金協力の下、2003年(平成15年)には町内を横断する小浜線が電化された。敦賀市と共に地方交付税(普通交付税)の不交付団体である。 産業面では他地域に後れを取るものの、2006年(平成18年)には町内の工業団地を完売した。

国家機関[編集]

裁判所[編集]

対外関係[編集]

姉妹都市・提携都市[編集]

海外[編集]

提携都市

国内[編集]

提携都市
その他

施設[編集]

若狭高浜病院

警察[編集]

本部
交番
  • 高浜交番(大飯郡高浜町宮崎)
駐在所
  • 和田駐在所(高浜町青戸)
  • 青駐在所(高浜町青)
検問所
  • 六路谷検問所(高浜町六路谷)

消防[編集]

本部
消防署
  • 高浜分署(高浜町宮崎第65号7番地1)

医療[編集]

主な病院
主な診療所
  • 高浜町国民健康保険和田診療所

経済[編集]

経済的な繋がりとして、舞鶴都市圏に属し、隣接する舞鶴市と日常的な交流が深い。また、若狭地方の中心都市である小浜市とも交流がある。

  • 産業人口(2010年国勢調査)[20]
    • 第一次産業:428人
    • 第二次産業:1,519人
    • 第三次産業:3,686人

第一次産業[編集]

漁業[編集]

主な漁港
  • 高浜漁港
  • 小黒飯漁港
  • 音海漁港
  • 上瀬漁港
  • 内浦漁港

第二次産業[編集]

工業[編集]

立地企業[編集]

拠点を置く企業

金融機関[編集]

教育[編集]

中学校[編集]

町立

小学校[編集]

町立

幼児教育[編集]

保育所[編集]

町立

交通[編集]

若狭高浜駅

鉄道[編集]

路線バス[編集]

これ以外に町内で外部者が利用可能な路線バスは存在しない(公共交通としてほかに登録制乗合タクシー「赤ふんバス」があるが町民もしくは町民の紹介を受けた人のみ登録可能)。

タクシー[編集]

  • 高浜交通

道路[編集]

高速道路[編集]

町内にはないが、おおい町境のトンネルを抜けてすぐに舞鶴若狭自動車道大飯高浜ICがある。

国道[編集]

府県道[編集]

道の駅[編集]

観光[編集]

中山寺
明鏡洞
若狭たかはまエルどらんど
日引の棚田と内浦湾

名所・旧跡[編集]

寺院[編集]

神社[編集]

城跡[編集]

観光スポット[編集]

自然・景観[編集]

文化施設[編集]

公園[編集]

海水浴場[編集]

  • 若狭和田海水浴場 - 環境省の『快水浴場百選』に選定されている美しい遠浅の海岸。
  • 難波江海水浴場
  • えびす浜パーク(西三松海水浴場)
  • はまなすパーク(東三松海水浴場)
  • 若宮海水浴場
  • 城山海水浴場
  • 鳥居浜海水浴場
  • 白浜海水浴場

[編集]

特産品[編集]

若狭フグ
若狭湾で養殖されるトラフグで高浜町が発祥とされている。
杜仲
古くから杜仲の樹が自生していて、1985年に町木に制定された。

ゆるキャラ[編集]

赤ふん坊や[22]
1988年(昭和63年)誕生

出身関連著名人[編集]

政治・経済・行政[編集]

文化人[編集]

学術[編集]

スポーツ選手[編集]

その他[編集]

ゆかりのある人物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ PowerPoint プレゼンテーション (town.takahama.fukui.jp)
  2. ^ 福井県高浜町の人口推移 | 日本の人口推移” (2018年3月1日). 2024年1月7日閲覧。
  3. ^ 低未利用町有地を活用した市街地のUpdate「高浜地区市街地活性化基本計画」を策定しました。”. www.town.takahama.fukui.jp. 2024年1月8日閲覧。
  4. ^ PowerPoint プレゼンテーション (town.takahama.fukui.jp)
  5. ^ 人口と世帯数”. www.town.takahama.fukui.jp. 2024年1月8日閲覧。
  6. ^ 人口と世帯数”. www.town.takahama.fukui.jp. 2024年1月7日閲覧。
  7. ^ 403.pdf (town.takahama.fukui.jp)
  8. ^ 高浜町の地名・資料索引(福井県大飯郡)”. tangonotimei.com. 2024年1月8日閲覧。
  9. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年1月8日閲覧。
  10. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2024年1月8日閲覧。
  11. ^ 博文, 山本; 翔, 本夛; 直広, 佐々木; 厚志, 卜部 (2016). “若狭湾沿岸で見出された津波堆積物”. 日本地質学会学術大会講演要旨 2016: 035. doi:10.14863/geosocabst.2016.0_035. https://www.jstage.jst.go.jp/article/geosocabst/2016/0/2016_035/_article/-char/ja/. 
  12. ^ 小出博 「高潮と豪雨のために大水害」『日本の水害』p32 東洋経済新報社 昭和29年9月10日
  13. ^ 原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、133頁。ISBN 978-4-10-320523-4 
  14. ^ 野瀬 豊のプロフィール”. 高浜町. 2019年10月3日閲覧。
  15. ^ 湯浅 銀次郎”. デジタルアーカイブ福井. 福井県文書館福井県立図書館. 2019年10月3日閲覧。
  16. ^ 浜田 倫三”. デジタルアーカイブ福井. 福井県文書館・福井県立図書館. 2019年10月3日閲覧。
  17. ^ 【関電原発マネーの闇】(中)貧しかった街が…原発と歩んだ立地町のジレンマ”. 産経新聞. 産業経済新聞社. 2019年10月3日閲覧。
  18. ^ 森山元助役時の町長「今は反省」”. NHK福井放送局. 2019年10月3日閲覧。
  19. ^ 福井県知事・市町長および議会議員の任期満了一覧. 福井県HP 最終更新日 2020年10月17日
  20. ^ 高浜町まち・ひと・しごと創生人口ビジョン総合戦略”. 高浜町. 2019年5月8日閲覧。
  21. ^ 高浜町立青郷小学校”. 高浜町. 2016年8月20日閲覧。
  22. ^ 高浜町「赤ふん坊や」公式ホームページ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]