そごう

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株式会社そごう
Sogo Co., Ltd.
Sogo logo.svg
SOGO Yokohama 001.JPG
種類 株式会社
市場情報
東証1部 8243
1961年 - 2000年10月13日
(旧法人:株式会社そごう)
本社所在地 日本の旗 日本
102-0084
東京都千代田区二番町5番地25
二番町センタービル
設立 1830年創業 
1919年12月30日(初代)
1969年5月21日(2代)
業種 小売業
事業内容 百貨店
代表者 代表取締役社長 山下國夫
(元ミレニアムリテイリング取締役、西武百貨店出身)
資本金 11,000,000円
売上高 4,689億94百万円(2006年(平成18年)2月期)
従業員数 2,845名(2006年(平成18年)2月末現在)
主要株主 ミレニアムリテイリング 100%
関係する人物 十合伊兵衛(創業者)
水島廣雄
和田繁明
外部リンク https://www.sogo-seibu.jp/
特記事項:2009年(平成21年)8月1日合併直前のもの。1830年(天保元年)「大和屋」として創業(のちに十合呉服店に改称)
2002年(平成14年)2月に株式会社横浜そごうが(初代)株式会社そごうを吸収合併し(2代)株式会社そごうに商号変更。
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そごうSOGO)は、セブン&アイ・ホールディングスの傘下の株式会社そごう・西武が運営する日本の百貨店である。

また、株式会社そごう: Sogo Co., Ltd.)は、2009年7月31日までこれを運営していた企業である。

本項では、1919年に設立され、2002年に法人格が消滅した初代法人、旧称が株式会社横浜そごうで、2002年に初代法人を吸収合併した2代目法人について、まとめて記載する。

概要[編集]

大阪が発祥の百貨店であり、登記上の本店は創業から大阪店閉店までと心斎橋本店開店からそごう・西武への再編前まで長年大阪の心斎橋にあった。横浜店は売場面積 (83,654m2) と売上高(1,000億強)が最大。1957年有楽町にも開店し、「有楽町で逢いましょう」を宣伝文句に東京に進出した。同名の歌番組、歌謡曲、映画が制作され、大流行になった(有楽町で逢いましょう#楽曲作成経緯とそごうの歴史参照)。映画では大阪店・有楽町店が撮影に使用され、衣装提供も行なった。

「人、街、世界をつなぐ、そごうネットワーク」なるキャッチフレーズも存在した。西武百貨店と統合したことで、MDや売場編集を西武流に。POSシステムの技術提供も受け、良きにつけ悪しきにつけ従来のイメージは一掃された。

イメージフラワーはダリアで、かつては包装紙や紙袋に印刷されたほか、関連組織の名称にも、ダリアルーム、ダリア友の会など、ダリアを冠したものがある。

ロゴマークは創業以来、初代十合伊兵衛の生家・屋の家紋であるちきり(縦糸を巻くための織機の付属部品。また石材や木材を繋ぎ止める部品の名)を丸で囲んだ「まるちきり」が使われている。ちきりはまた「ちきり」という言葉と「契り」の連想から、客との結びつきを末長く大切にといった意味も含んでいる。

ロゴマークの形状自体に変更はないが、色については、翡翠を経て、民事再生直後に原点回帰志向のもとで赤に、さらにミレニアムリテイリンググループのカラーとしてのに変更している。また、民事再生以前については、「そごう」ロゴと「SOGO」ロゴとが存在した。後者が後発で、前者も民事再生時点まで併用されていた。ロゴカラーが緑の時代には、続け字で右上がりの「Sogo」をCIに採用した時期もある。外装への採用例としては1996年から2001年の神戸店(現:神戸阪急)本館北側の壁面がある。

POSシステムは、日本電気NECプラットフォームズ)製を使用。

歴史[編集]

創業から百貨店へ[編集]

初代十合伊兵衛像

大和国十市郡十市村で絹屋として商売を行っていた徳兵衛の息子として生まれた十合伊兵衛(そごう いへえ)が1830年天保元年)に坐摩神社(火防陶器神社)の南隣、大坂上難波町に古手屋(古着屋)「大和屋」を開業したのが始まりである[1]

1872年明治5年)に古手屋を廃業して呉服店へ転換し、1876年(明治9年)に安堂寺橋通三丁目に移転。翌1877年(明治10年)には心斎橋筋一丁目に移転すると共に十合呉服店へ改称[1]

1901年(明治34年)4月3日には神戸市元町五丁目に神戸支店を開設した[1]。 この神戸店は順調に売り上げを伸ばし、阪神電気鉄道三宮駅ビルへの出店する形で1933年昭和8年) 10月1日に移転・増床して、百貨店として開業した[1]。 この移転以降は「神戸そごう」というひらがな表記を用いており、その後の各店舗での「そごう」表記の第一歩となった[1]

1935年(昭和10年)9月24日には大阪・心斎橋の本店として村野藤吾設計の地下3階・地上8階建ての新店舗へ建て替え工事を行い、増床と近代化を実現した[1]。昭和15年に「十合」、株式会社設立の昭和44年に「そごう」となった[2]

心斎橋の新本店ビルはガラスブロックを活用した美しい垂直線を強調したもので[1]モダニズム建築の傑作との評価もされている。 この店内には700名収容の劇場や茶室、貴賓室、食堂など売場以外の機能も併設されていた。 また、開業直後には大阪市営地下鉄御堂筋線が開通し、心斎橋駅と直結することになった[1]。 心斎橋本店は全館一挙に建設されたのではなく、2期に分けて建設されたが、その内の2期工事の建設費は板谷宮吉率いる板谷財閥の資本導入により実現したとされている[1]

戦時下と戦後の売り場縮小と代替事業[編集]

第二次世界大戦中は配給品以外の商品が大幅に減少したため、売り場に空きが生じたことから、大阪本店の地下2階部分を活用して「家財保護預り」を行い、顧客の財産を守る事業も展開した[1]。 この保護預かり制度は話題を呼び、大阪市内のみならず、大阪府下全域からの利用者があった[1]

終戦後は、進駐軍が本店を徴用し、PX(進駐軍とその家族向けの売店)として利用したため、百貨店としての営業が出来なくなり、大阪市内に在日外国人向けの輸入品店「オーバーシーズサプライズストア」を含めていくつかの店舗を展開して、営業機能の一部を代用する形になった[1]

営業再開から経営の混乱へ[編集]

日本デパートメントストア協会など業界を挙げた接収解除運動もあって接収解除が実現し、1952年(昭和27年)6月1日に大阪本店の営業を再開した[1]

しかし、この間約6年にわたって本店で営業できなかったことの影響は大きく、再開店から1年後には早くも売上が伸び悩むことになった[1]

また、一時期は外部からのグリーンメーラーによる株買い占めに遭った[3]

1957年(昭和32年)5月25日には[4]、有富光門が主導して読売新聞の建設した読売会館に東京店を開店した[3]。 しかし、この東京店は有富と読売新聞社主であった正力松太郎の間で一坪当たり月額4,000円という高額の定額家賃の契約を結んでいたため、月商約3億円で約7,000坪で約2800万円の家賃は、当時業界の常識とされていた売上高の約3%から5%を大きく上回って採算が合わず、業績の足を引っ張る結果となった[3]

1958年(昭和33年)4月に関西財界の顔役で日本繊維工業社長だった坂内義雄を社長に迎え、板谷宮吉の縁戚とされる当時日本興業銀行(現:みずほ銀行)特別調査室付考査役だった水島廣雄が副社長として就任し、主取引銀行の大和銀行(現:りそな銀行)常務から同じ副社長に就任した若菜三良と共に再建に取り組むことになった[5]

ところが、1960年(昭和35年)11月26日に坂内義雄社長が急逝し、当時慣例化していた当社の大株主で大口債権者である大和銀行と野村証券山一證券、板谷宮吉、住友正雄で構成される「5者会」に諮ることなく、同年12月23日の取締会において大和銀行の意向で同行出身の若菜三良が副社長から社長に就任したため、5者会を構成する他者が反発して経営権を巡って抗争が生じることになった[6]。この経営権を巡る争いは大和銀行が公正取引委員会に提訴されるという事態に発展し、1961年(昭和36年)10月26日にアサヒビール社長山本為三郎の仲介でようやく終息を見た[6]

この経営権争奪戦の解決を受けて1962年(昭和37年)1月30日に増資を決議して同年6月1日に資本金10億円へ増資し、同年4月26日に水島廣雄が副社長から社長に就任した[6]

増床や多店舗展開の推進[編集]

神戸店は増築・増床を進めて売り場面積約31,800m2へ倍増させる。[7]そして、1971年(昭和46年)には年間を通じて神戸一の売上を上げて地域一番店となる。[1][7]その後も隣接する国際会館と共同でケイエスビルを建設して新館とするなどさらなる増床で売り上げを伸ばした。[1]阪神大震災前には売り場面積約48,962m2まで拡張した[7]

また、千葉そごうを1967年(昭和42年)3月21日に開設すると、[1]開業2年目には地域一番店となり[7]、3年目に早くも黒字化するなど軌道に乗せた。[7]これにより、多店舗展開にかじを切ることになった[1]

多店化に当たっては、レインボーロードといわれる国道16号沿いに立地して東京都心部を包囲するように出店する戦略を採った。ほかでも[6]、「交通のよい最適地に最大級の百貨店をつくる」ことを出店戦略の基本として店舗展開を進めた[7]

この出店計画は、旧名称「十合」の十にちなんだ出店戦略「グレーターそごう(10店舗構想)」と名付けられ、「千葉そごう」の出店を皮切りに「黒崎そごう」で達成した[7]

その後は、それを拡大する形で「ダブルそごう(20店舗構想)」「トリプルそごう(30店舗構想)」などと称して積極的な展開をした[7]

多店舗展開の当初は千葉そごうが出資する形で始まり、初期の出店である、柏そごうや広島そごうも黒字転換後は出資側に回って出店戦略を支える形式をとっていた[7]

こうした新たな地区への出店を進める一方で、千葉そごうは1972年(昭和47年)10月に別館を増設した。[1]また、広島そごうは1974年(昭和49年)10月に開店した当初は、売り場面積が10,000m2未満に抑えられていたが、将来的に30,000m2へ増床可能なように建設された。共に近隣にサテライト店舗を展開して集客力と売り上げの拡大を目指すなど[6]、店舗の増床も積極的に推し進めて地域一番店を目指した[6]

そうした増床戦略の最盛期には、千葉そごうが、モノレール駅と一体化した新店舗を開設すると共に旧店舗を業態転換させることで4館合計で売り場面積約90,000m2体制とした。また、広島そごう新館をNTTクレド基町ビルに開設するなど主力店周辺に店舗を出店して、立地地区の集客力を強化する戦略も展開していた[7]

また、そごう本体でも、御堂筋の西側にある南区鰻谷西之町に駐車場ビルを建設するなど大阪店のテコ入れが図られた。同時に、有楽町の東京店についても読売新聞との家賃引き下げ交渉をおこない、また、地下鉄有楽町駅と地下売り場を直結させるための交渉を行うなどテコ入れを図った[1]

また、アジアへの出店では日本人観光客を狙うのではなく、地元の消費者を狙う戦略で出店している。実際に、香港そごうでは約85%、台湾太平洋そごうでは約95%が地元客といわれ、地元密着の百貨店となった[7]

民事再生法適用など破綻処理へ[編集]

山田恭一社長は2000年(平成12年)7月12日、記者会見にて「再建計画を断念し、民事再生法の下で、再建を図ることになった」と発表した。その前夜の7月11日、全国のそごう店舗の代表者が東京に集まり、深夜まで対応策が協議された[8]。「そごう」本体と同じく、自主再建を考えていた各店舗であるが、結果的にいずれも自主再建を放棄し、民事再生法の申請を行うことで一致した[8]。約1兆8700億円という、小売業としては当時過去最大の負債を抱え事実上倒産した[9][10]。これは、土地の値上がりを見込んで、銀行融資を受け積極的に出店したことが災いした。

日本興業銀行と並ぶメインバンクであった日本長期信用銀行(現:新生銀行)が破綻した事で、リップルウッドに売却された。この際に不良債権に関して譲渡後3年間に2割以上の損失があると認定された場合には、融資時の金額までの損失を、預金保険機構が補填する仕組みとなる、瑕疵担保条項の適用という特約がつけられていた[10]。そのため、同行が債権放棄を受け入れることについては金融再生委員会預金保険機構が関連することになり、「そごうへの債権を放棄して一企業に税金を注ぎ込むとは何事だ」という批判が起きて、当社の再建策は政治問題化することになった[11]。当時の森内閣は、同年6月25日の総選挙直後で支持率が低迷したままという事もあり、その批判に耐えられないとして、同年7月11日に亀井静香自民党政調会長(当時)から、山田恭一そごう社長に電話で「そごう」の債権放棄を認めることが困難であることを伝えるとともに、それを前提とした自主再建案の断念を迫った[11]。そのため、そごうはそれまでの自主再建を断念した。そして、翌日12日には株式会社そごう(上場企業)とそごうグループの主要企業が民事再生法を申請した[11]。この申請は大企業として初となるものであった。

なお、全てが民事再生法の適用を受けたのではなく、その経営状態などの相違により、特別清算や自己破産となった法人もあるのは後述の通り[10]

結果的に、瑕疵担保条項適用分は、他の不良債権と合わせて国が負担することになったが、自主再建の場合に比べて、再建の流れが公になるというとのことでこの問題の決着がつくとされた。「そごう問題」や、「そごう債権問題」などと言われた。

1995年(平成7年)1月17日の阪神・淡路大震災により神戸店本館が半壊したことで打撃を受けたことや、平成不況による消費の低迷も、当社の破綻要因の一つとなった。

株式会社そごう(初代)として運営していた店舗は大阪店神戸店、東京店のみであった[10]。それ以外はすべて1店舗1社制とし、資本金は各地元からの出資や、そごう、千葉そごうを筆頭としたそごうグループ各社や、水島が個人で出資する場合など、資本関係は極めて複雑だった[10]

1997年当時の主要株主[12]

また、グループ各社間で貸付金や債務保証も行われていたため[10]、経営破たん時の各社の負債総額はその運営する店舗の業績とは必ずしも一致しなかった。

主な負債額は下記の通りである。

  • そごう(上場していた本体) 約6891億円[10]
  • 千葉そごう(千葉市) 約4054億円[10]
  • 新千葉そごう(千葉市) 約953億円[10]
  • 広島そごう(広島市) 約3282億円[10]
  • 広島そごう新館(広島市) 約545億円[10]
  • 横浜そごう(横浜市) 約1955億円[10]
  • 柏そごう(柏市) 約1238億円[10]
  • 奈良そごう(奈良市) 約1231億円[10]
  • 大宮そごう(大宮市) 約774億円[10]
  • 福山そごう(福山市) 約742億円[10]
  • 小倉そごう(北九州市) 約673億円[10]
  • 船橋そごう(船橋市) 約666億円[10]
  • 徳島そごう(徳島市) 約662億円[10]
  • 多摩そごう(多摩市) 約553億円(特別清算)[10]
  • 八王子そごう(八王子市) 約503億円[10]
  • 札幌そごう(札幌市) 約496億円[10]
  • 豊田そごう(豊田市) 約496億円[10]
  • 加古川そごう(加古川市) 約361億円[10]
  • そごう物産(東京都港区) 約398億円(自己破産)[10]
  • 黒崎そごう(北九州市) 約321億円[10]
  • 錦糸町そごう(東京都墨田区) 約303億円[10]
  • 西神そごう(神戸市) 約240億円[10]
  • 呉そごう(呉市) 約236億円[10]
  • 木更津そごう(木更津市) 約230億円(自己破産)[10]
  • 長野そごう(長野市) 約95億円(自己破産)[10]
  • 川口そごう

なお、2000年(平成12年)10月25日には、民事再生法の適用を申請した22社のうち、9社の再建を断念し、残る13社は、十合を受け皿会社として合併して、1社に統合して再建を目指す再生計画案を東京地方裁判所に提出した[13]

経営破綻後のそごうは、西武百貨店元社長の和田繁明を特別顧問に招聘した[10]。長い間休眠子会社であった株式会社十合を株式会社ミレニアムリテイリングに商号変更の上持株会社化し、2003年(平成15年)にはミレニアムリテイリングによる経営統合を実現した。その後、2005年(平成17年)には、ミレニアムリテイリングをセブン&アイ・ホールディングスが買収した。

2009年(平成21年)8月1日、そごうを存続会社として、西武百貨店とミレニアムリテイリングを吸収合併し、株式会社そごう・西武に商号変更した。

沿革[編集]

により、百貨店業界初の北海道本州四国九州全4島への出店を達成。

  • 1972年(昭和47年)2月15日 - 株式会社廣島そごう設立[17]
  • 1983年(昭和58年)4月15日 - 東京ディズニーランドの開園と共に、アトラクション「イッツ・ア・スモールワールド」のスポンサーに就任。
  • 1985年(昭和60年) - 毎正時に「イッツ・ア・スモールワールド」が演奏される「世界の人形時計」を横浜そごうに設置、運用開始。
  • 1992年(平成4年) - 千葉そごう新築開店に伴い同店舗運営会社「株式会社新千葉そごう」を設立。福山そごうオープン。
  • 1997年 - 「伏見町そごう」出店計画解消(福山市)。
  • 2000年(平成12年)
  • 2001年(平成13年)
    • 1月31日 - 再生計画認可。
    • 2月 - グループ各社の受け皿となる予定の休眠子会社「株式会社十合」が株式会社西武百貨店と包括的業務提携を締結。再生13社は100%減資し十合から全額出資を受けて同社の完全子会社となる。本社機能を東京都心から横浜市西区の横浜新都市ビル横浜スカイビルへ移転。
    • 5月 - 西武百貨店からPOSシステムなど販売業務の情報技術供与を受けて、「クラブ・オンメンバーズシステム」同等のポイントシステム「そごうミレニアムカード」サービスを開始。テレビCMが短期間スポット放映された。
  • 2002年(平成14年)
    • 2月 - 「十合」傘下の再生各社のうち、「株式会社横浜そごう」が、旧上場会社の「株式会社そごう」を吸収合併し「株式会社そごう」に商号変更。この時点で、本店は横浜市のままで、心斎橋本店完成時に旧そごうと同一の地に移転。
    • 9月1日 - 「十合」傘下の再生各社の合併により、百貨店運営会社「株式会社そごう(旧株式会社横浜そごう)」へ一本化完了。
  • 2003年(平成15年)
    • 1月30日 - 東京地裁より再生手続終結決定。
    • 3月 - 業務提携先である西武百貨店の再生計画に伴い、十合が西武百貨店の第三者割当増資を引受。「そごう」「西武百貨店」が「十合」傘下となり、事業会社として再編を進める。
    • 4月 - 1935年(昭和10年)に建てられた大阪店を解体。
    • 4月12日 - 東京ディズニーシーの劇場「ドックサイドステージ」のスポンサーに就任。
    • 6月1日 - 「十合」、「そごう」ならびに「西武百貨店」の3社はグループ経営への移行で正式合意。ミレニアムリテイリンググループを発足し、株式会社十合を株式会社ミレニアムリテイリングに商号変更。
    • 12月12日 - 心斎橋本店起工式。
  • 2005年(平成17年)
    • 5月31日 - 大阪市心斎橋の旧そごう大阪店を改修して開店させる「心斎橋本店」を、同年9月7日に開店することを発表。
    • 6月13日 - 本社機能と本店を、株式会社横浜そごうの時代から維持していた横浜市から、旧株式会社そごうの本店だった大阪市に移転。
    • 8月2日 - 9月7日に開店する「心斎橋本店」に、約1300台分の駐車場を確保することを明らかにした。このうち、自前で確保した駐車場が274台分、他の1030台分はクリスタ長堀との契約により確保されている。
    • 9月7日 - 心斎橋本店が新装開店。開店記念のCM宮沢りえを起用。
    • 10月12日 - 伊勢丹出身の池田昭喜が9月13日に顧問に就任。10月12日に株式会社そごう臨時株主総会にて取締役に選任。
    • 12月26日 - ミレニアムリテイリングの和田繁明から買収防衛策のためにセブン&アイ・ホールディングスの傘下入りできないか鈴木敏文に打診。野村プリンシパル・ファイナンスがミレニアムの保有株式をセブン&アイに売却し、ミレニアムはセブン&アイの傘下入りすることを表明。当初、鈴木は対等合併の理念から和田に対し共同で代表取締役に就任するよう勧めたが、和田が固辞した経緯がある。
  • 2006年(平成18年)6月1日 - ミレニアムリテイリングがセブン&アイの完全子会社となる。
  • 時期不明 - セブン&アイ傘下となってから、英字「SOGO」ロゴの表記を西武の「SEIBU」と同一のものに変更(このロゴは主に公式HPと広告で使用)。
  • 2008年(平成20年)
    • 4月15日 - 装置の老朽化及び東京ディズニーリゾートの「イッツ・ア・スモールワールド」「ドックサイドステージ」のスポンサー契約終了に伴い各店舗の正面口外壁に設置されていた、毎正時に「イッツ・ア・スモールワールド」が演奏される「世界の人形時計」の運用を、設置していた全店舗で終了。翌日より時計および鐘のみとなる。[要出典]
    • 9月 - 呉店をブランチ化。広島店と外商・企画部門などを統合。
  • 2009年(平成21年)度より、セブン&アイグループのプライベートブランド(PB商品)「セブンプレミアム」を、西武百貨店とともに、全店へ順次導入開始。
  • 2009年(平成21年)8月1日 - 当社を存続会社として、株式会社ミレニアムリテイリングと株式会社西武百貨店を吸収合併し、株式会社そごう・西武に商号変更。なお店名は、「そごう」「西武」を維持(「西武百貨店」という表記は使用せず)。株式会社ミレニアムリテイリングと株式会社西武百貨店は、法人としては解散。

店舗[編集]

プロ野球球団の応援セール[編集]

有楽町そごうが閉店するまでは読売ジャイアンツの応援セールを行っていたが、これは入居する建物(読売会館)の建物所有者が読売グループであることによる。東京進出に際して建物がなかなか見つからずにいたところに、読売グループが建物を快く提供したため、これに対する恩返しの意味もあったとされる。そごうの経営再建に伴い、応援セールの権利は三越が引き継ぐことになった。

なお、西武百貨店全店(旧ロビンソン百貨店を含む)と同様、埼玉西武ライオンズの応援セールを行っている。ただし、セールを行う店舗は、ライオンズの地元埼玉県にある大宮川口の2店舗が基本的に対象である。かつては埼玉県を商圏に含む店舗も対象であり、(2015年まで)・八王子(2010年まで)もセール対象だった。2018年は大宮・川口に加えて横浜千葉西神徳島の各店が対象となった。しかし横浜は2019年の西武優勝セールは実施せず横浜DeNAベイスターズの応援セールに回った。

広島そごう(現:そごう広島店)は、広島東洋カープが優勝した際に優勝セールを行っている。2008年まで同球団の本拠地だった旧広島市民球場は徒歩圏内にあった。

そごう神戸店では阪急阪神東宝グループへの移管以前より、三宮阪神ビルに入居している関係や地域性もあり、阪神タイガースの優勝時にセールを実施していた[18]。また、阪急東宝グループ(当時)の球団売却後には、神戸に拠点があったオリックス・ブルーウェーブの優勝セールも行ったことがある。

世界の人形時計[編集]

横浜店における最後のからくり演出後
茂原そごう閉店後、針と文字盤の数字などが撤去された(2013年2月)
一部店舗で採用されていた東京ディズニーランドのロゴ

東京ディズニーランドのアトラクション「イッツ・ア・スモールワールド」のスポンサーだったそごうの一部店舗には、正時の約5分前になるとアトラクションに登場するからくり人形と共にテーマ曲である「小さな世界」を演奏する「イッツ・ア・スモールワールド時計」(世界の人形時計)が設置されていた。

1985年(昭和60年)に開業した横浜そごうを皮切りに一部の新規、既存店舗に国内店舗全19台、海外店舗全4台の計23台が設置された。

ほとんどの店舗で屋外に面した入口、または地下のメインエントランス部分に設置されていたが、そごう大阪店や奈良そごうのように館内に設置されているケースも見受けられた。

最盛期(1994年6月の千葉店への設置から同年10月の柚木そごう閉店までと、1996年の神戸店設置から2000年2月の茂原そごう閉店まで)には国内で最大18台が稼働していたが、からくり機能終了時点では10台となっていた。

茂原、奈良の両店では撤去費用の問題から、そごうの撤退後に商業施設へ転換した後も完全に撤去されていないものも見受けられる。

人形の修繕工事は定期的に実施され、最初に導入した横浜そごうでは2006年(平成18年)に最後の修繕工事を行った。

運営会社がセブン&アイホールディングス傘下に入ったのち、2008年(平成20年)4月15日、老朽化を理由に全店舗でからくりの演出を終了した。この4月15日は、東京ディズニーランド開園25周年の記念日でもあった。

この対応はそごうがアトラクションのスポンサー契約を解除したことが本来の理由だが、観覧に来ていた子どもたちに対しては、「おにんぎょうさんたちは、おやくそくがあって、おうちにかえることになりました。」と書かれた告知が時計の傍らに貼り出された。

そごうの公式ウェブサイトでは、そごう横浜店の項目内に4月16日付けでリリースが掲載されたほか、朝日新聞大阪本社版、神戸新聞でも相次いで時計の話題が報道された。

このほか、そごう・西武がそごうの商標を貸与している遠東SOGOの一部店舗では香港ディズニーランドにおけるイッツ・ア・スモールワールドのスポンサー契約を開始したことから、現在もからくりの演出が継続されている。

設置店舗[編集]

  • 正方形(5×5マス)型の設置店舗は○
  • 正方形(4×4マス)型の設置店舗は●
  • 長方形(横)形の設置店舗は△
  • 長方形(イッツ・ア・スモールワールド仕様で横)型の設置店舗は▲

国内の店舗[編集]

記号 店舗 設置番号 設置年月 備考 現状
横浜店 1号機 1985年9月 初号機のため鐘の音色が異なる。
川口店 11号機(日本では10号機) 1991年10月 鐘は時計上部に設置。
柏店 17号機(日本では16号機) 1992年12月 既存店への設置、日本の店舗における正方形5×5タイプの最終機。閉店。
茂原そごう 14号機(日本では13号機) 1992年3月 閉店。しばらく時計のみ稼働していたが、後に盤面の数字と針を撤去。
多摩そごう 7号機(日本では6号機) 1989年10月 閉店
柚木そごう 15号機(日本では14号機) 1992年6月 閉店
豊田そごう 16号機(日本では15号機) 1992年11月 既存店への設置、閉店
奈良そごう 6号機(日本では5号機) 1989年10月 閉店。躯体を壁で覆い、ボルダリング施設に転用。
大阪店 12号機(日本では11号機) 1991年11月 既存店への設置、建て替え後の心斎橋本店には設置されず。
西神店 9号機(日本では8号機) 1990年10月 閉店
福山そごう 12号機(日本では11号機) 1992年4月 閉店
呉店 8号機(日本では7号機) 1990年3月 閉店
広島店 4号機(日本では3号機) 1988年11月 既存店への設置。
徳島店 10号機(日本では9号機) 1990年10月 閉店、既存店への設置。
大宮店 2号機 1987年3月 既存店への設置。
加古川そごう 5号機(日本では4号機) 1989年9月 閉店
千葉店 19号機(日本では18号機) 1994年6月 既存店への設置。
神戸店 21号機(日本では19号機) 1996年4月 既存店への設置、再オープンした際に開設された屋外広場に設置。日本国内では最後の設置。
小倉そごう 18号機(日本では17号機) 1993年10月 閉店

台湾の店舗[編集]

記号 店舗 設置番号 設置年月 備考 現状
台中廣三店 20号機(台湾では2号機) 1995年11月 海外店舗で唯一の正方形タイプ(正方形5×5マス型の最終機) 稼働中
台北忠孝館 3号機(台湾では1号機) 1987年11月 セイコーから販売された海外3台目のからくり時計 稼働中
中壢元化館 23号機(台湾では4号機) 1998年9月 台湾に設置、人形時計における最終機。 同上
高雄店 22号機(台湾では3号機) 1996年9月 同上

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 『株式会社そごう小史 創業百五拾年』そごう、1979年12月。
  2. ^ 『本間之英 有名企業 社名とまーくの秘密』株式会社学習研究所、2008年4月22日。ISBN 978-4-05-403709-0
  3. ^ a b c 江波戸哲夫 『神様の墜落 “そごうと興銀”の失われた10年』新潮社、2003年8月30日。ISBN 978-4104459025
  4. ^ a b “開店奉仕品へカサの波”. 日本経済新聞(日本経済新聞社). (1957年5月25日)
  5. ^ 鈴木松夫 『戦後日本財界史 この20年を決定づけた経営者群像』実業之日本社、1965年5月10日。
  6. ^ a b c d e f 山森俊彥 『そごう怒涛の大航海―「水島そごう」日本一への出帆』デパートニューズ社、1988年1月。ISBN 978-4915293009
  7. ^ a b c d e f g h i j k 佐藤正忠 『そごう」に新しい神話がはじまった』経済界、1994年5月。ISBN 978-4766702514
  8. ^ a b 福山そごう・三井社長に聞く 社員一丸で再建目指す(広島県) 中国新聞 2000年07月14日 中国朝刊 東A 写有 (全669字)
  9. ^ そごう 経営破たん - NHKニュース(動画・静止画) NHKアーカイブス
  10. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 東京商工リサーチ情報部 『なぜ、あの会社は潰れたのか 倒産企業21社に見る「失敗の本質」』 エイチアンドアイ、2000年11月。ISBN 978-4901032315
  11. ^ a b c 『衝撃スクープ公開 自民党のために「潰れてくれ!」と懇願 亀井静香政調会長がそごう社長にかけた「倒産要請電話」全会話をスッパ抜く』 週刊現代2000年9月23日号 (小学館) (2000年9月23日)
  12. ^ 株式会社そごう第105期有価証券報告書”. p. 4. 2015年7月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年3月9日閲覧。
  13. ^ “そごう、9社断念・13社を統合で10年かけて再建へ”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2000年10月30日)
  14. ^ a b c d e 流通会社年鑑 1990年版, 日本経済新聞社, (1990-11-24), pp. 39-41 
  15. ^ 流通会社年鑑 1990年版, 日本経済新聞社, (1990-11-24), pp. 45 
  16. ^ 流通会社年鑑 1990年版, 日本経済新聞社, (1990-11-24), pp. 25-26 
  17. ^ 流通会社年鑑 1990年版, 日本経済新聞社, (1990-11-24), pp. 68-69 
  18. ^ “INAC神戸、優勝なら神戸で「Vセール」実施”. スポーツニッポン. (2010年10月30日). http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2011/10/30/kiji/K20111030001919940.html 2017年1月22日閲覧。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]