嵯峨根達雄
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嵯峨根 達雄(さがね たつお、1900年(明治33年)4月3日[1][2] - 1997年4月[3])は日本の政治家。京都府舞鶴市長(1期)。
来歴
[編集]京都府舞鶴市出身。1914年(大正3年)高野小学校卒[1]。1918年(大正7年)加佐郡役所に入り、その後愛宕郡役所に転じる[1]。1924年(大正13年)文官普通試験に合格[1]。1926年(大正15年)京都府属となり、地方課に勤務する[1]。1929年(昭和4年)内務属として内務省土木局港湾課に勤務[1]。内務省に勤務しながら法政大学専門部法律科に通い、1934年(昭和9年)卒業[1]。1936年(昭和11年)内務土木事務官、1943年(昭和18年)運輸通信省港湾局に転任する[1]。
1946年(昭和21年)神戸市役所に入り[1]、理事兼港湾部長となる[1]。翌1947年(昭和22年)舞鶴市助役となる[1]。
1950年(昭和25年)舞鶴市長に当選[1]。当選後は市の東西分離問題により、市政は混沌極まりない状態であった。そこで東西の融和に努め、市の東部にあった市役所庁舎を西部にも設置し、西部に総合病院たる赤十字病院を開院させた[1]。また、旧軍港市転換法により、旧軍用地などの無償譲与を受け、上水道、市庁舎、公会堂、小中学校、公園などに利用転換させた[1]。
市長は1954年(昭和29年)まで1期務め、1963年(昭和38年)に舞鶴市の市政功労者となった[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、1983年。
- 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。