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高木和道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高木 和道
名前
愛称 カズミチ、ワドウ
カタカナ タカギ カズミチ
ラテン文字 TAKAGI Kazumichi
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1980-11-21) 1980年11月21日(44歳)
出身地 滋賀県野洲市
身長 188cm
体重 75kg
選手情報
ポジション DF (CB)
利き足 右足
ユース
1996-1998 日本の旗 草津東高校
1999-2000 日本の旗 京都産業大学
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2000-2008 日本の旗 清水エスパルス 156 (2)
2004 日本の旗 ヴィッセル神戸 (Loan) 13 (0)
2009-2011 日本の旗 ガンバ大阪 53 (3)
2012 日本の旗 ヴィッセル神戸 9 (0)
2013-2014 日本の旗 大分トリニータ 61 (1)
2015 日本の旗 FC岐阜  29 (2)
2016 日本の旗 ジュビロ磐田 0 (0)
2017 タイ王国の旗 エアフォース・セントラル
2018 日本の旗 MIOびわこ滋賀 25 (2)
通算 346 (10)
代表歴2
2008-2009 日本の旗 日本 5 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年11月18日現在。
2. 2009年2月4日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

高木 和道(たかぎ かずみち、1980年11月21日 - )は、滋賀県野洲市出身の元サッカー選手ポジションディフェンダー(センターバック)。元日本代表

来歴

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クラブ

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野洲市で生まれ育ち、小学校3年生のときにサッカーを始める[1]。高校時代は滋賀県立草津東高等学校で2年時からレギュラーとして活躍するが、全国的にはそれほど有名な選手ではなかった。3年生からセンターバックとしてプレーする[1]。この頃から空中戦には絶対の自信を持つようになる。1999年に当時、関西学生リーグ2部であった京都産業大学に進学。元々プロサッカー選手を目指すつもりはなく、大学卒業と共にサッカーを辞める予定だった[1]

大学1年目の1999年にヴェルディ川崎の練習に参加[1]。翌年、V川崎監督から清水エスパルスのスカウトに転身した松永英機に誘われ、清水の石垣島キャンプに参加[1]。ヘッドコーチの大木武から足下の技術の非凡さに目を付けられる。2000年6月、大学を中退して清水に加入する事となる[2]

清水入団後の数年間は出場機会も少なく、目立った活躍も出来なかったが、2004年8月からヴィッセル神戸に半年間の期限付き移籍で在籍し[3]、初めて先発出場した2ndステージ第4節以降、最終節まで全試合にフル出場した[4]。神戸からも慰留されたが[5]、期限付き移籍終了後は清水に復帰。

翌年の清水復帰後はボランチでレギュラー起用[6][7] された経験を糧に急成長し、2005年以降は再びセンターバックに戻りレギュラーとして出場する[7]。清水のディフェンスリーダーとして技術面だけでなく精神面でもチームを引っ張る存在へと成長し、2006年2007年はチーム副キャプテン、2008年にはチームキャプテンを務めた[8]2005年度天皇杯2008年のナビスコカップでは決勝に進出したが、いずれも準優勝に終わった。

2009年よりガンバ大阪へ完全移籍で加入[9]。移籍後初出場となったFUJI XEROX SUPER CUP鹿島アントラーズ戦では、前半に3失点を喫し、ハーフタイムに交代させられた[10]。リーグ戦開幕後は出場機会に恵まれず、9月末の時点で出場は3試合(うち先発1試合)[11]にとどまっていたが、10月以降左サイドバックとして本職の下平匠安田理大を抑えて定位置を確保した[10][12][11]。チームは天皇杯に優勝したが、高木は累積警告により決勝戦には出場できなかった[13]

報道によれば2010シーズンに向けて名古屋グランパスが高木の獲得に乗り出していたが、条件面で折り合わず、G大阪に残留した[14][15]。昨季のレギュラーだった山口智の負傷や復帰後の不振もあり[16]中澤聡太とコンビを組みセンターバックのレギュラーとして31試合に出場[16]。しかし、2011年はシーズン通して負傷離脱を繰り返し[17]、13試合の出場にとどまった。同年限りでG大阪を退団。

2012年、ヴィッセル神戸に移籍[18]。神戸のほかにジュビロ磐田も獲得に動いていたと報じられた[17][19]。神戸でのプレーは7年半ぶりとなったが、リーグ戦9試合の出場に終わりチームもJ2降格となった。

2013年、大分トリニータへ完全移籍[20]阪田章裕とともにチーム副主将を務めたが大分は1年でJ2降格となり、高木自身は2年連続で所属クラブ降格の憂き目にあった。

2014年は大分に残留。退団した宮沢正史の後任として主将に就任し[21]、自身初のJリーグ ディビジョン2でのプレーを迎えた。1年を通じてスタメン出場を続けたがシーズン終了後に戦力外通告を受けた[22]

2015年はFC岐阜に完全移籍で加入[23]

2016年1月7日にジュビロ磐田へ完全移籍する事が発表された[24] 。同年のJ1リーグでは4試合にベンチ入りしただけで、試合出場はカップ戦のみにとどまった[25]。磐田との間には契約を残していたが、海外移籍のために同シーズン限りで退団[26]

2017年1月11日にタイ・リーグ2(2部相当)のエアフォース・セントラルへ移籍する事が発表された[27]。リーグ戦の全試合に出場し、タイ・リーグ1昇格に貢献した[28][29]。エアフォースとは2018シーズンの契約も交わしたが、闘病中の妻との生活を優先するため契約を解除して日本に帰国した[29]

2018年、地元である滋賀県のJFLMIOびわこ滋賀に加入した[30]。11月10日、2018シーズン限りで現役を引退することを発表した[31]

指導者歴

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2019年、強化・アカデミー部スタッフとしてガンバ大阪に復帰[32]。2020年シーズンはユースコーチを務め[33]、2021年時点でジュニアユースのコーチを務めている[34]

日本代表

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2008年4月、日本代表候補合宿に初招集される[35]。同年6月には怪我で離脱した阿部勇樹に代わりFIFAワールドカップ・アジア予選に向けた日本代表に初選出される[35]。同年8月20日に札幌ドームで行われた国際親善試合ウルグアイ戦で代表初出場。2008年から2009年にかけて5試合に出場した。

所属クラブ

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ユース経歴
プロ経歴

個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2000 清水 29 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2001 21 5 0 0 0 0 0 5 0
2002 0 0 3 0 0 0 3 0
2003 16 0 1 0 4 0 21 0
2004 2 0 1 0 - 3 0
神戸 2 13 0 - 1 0 14 0
2005 清水 4 33 1 8 1 5 0 46 2
2006 32 0 6 0 3 0 41 0
2007 34 0 5 0 3 0 42 0
2008 34 1 7 1 2 1 43 3
2009 G大阪 9 0 0 0 5 0 14 0
2010 31 2 2 0 3 0 36 2
2011 13 1 2 0 1 0 16 1
2012 神戸 22 9 0 6 0 1 0 16 0
2013 大分 18 21 0 1 0 2 0 24 0
2014 4 J2 40 1 - 1 0 41 1
2015 岐阜 3 29 2 - 0 0 29 2
2016 磐田 14 J1 0 0 3 0 3 1 6 1
タイ リーグ戦 リーグ杯FA杯 期間通算
2017 エアフォース・C 4 Div1
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2018 M滋賀 40 JFL 25 2 - 2 0 27 2
通算 日本 J1 252 5 45 2 33 2 330 9
日本 J2 69 3 - 1 0 70 3
日本 JFL 25 2 - 2 0 27 2
タイ Div1
総通算 346 10 45 2 36 2 427 14

その他の公式戦

国際大会個人成績 FIFA
年度 クラブ 背番号 出場 得点 出場 得点
AFCACLクラブW杯
2002-03 清水 21 3 2 -
2009 G大阪 4 2 0 -
2010 7 0 -
2011 3 0 -
通算 AFC 15 2 0 0

代表歴

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出場大会

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試合数

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日本代表国際Aマッチ
出場得点
2008 3 0
2009 2 0
通算 5 0

出場

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No. 開催日 開催都市 スタジアム 対戦国 結果 監督 大会
1. 2008年8月20日 日本の旗札幌 札幌ドーム ウルグアイの旗 ウルグアイ ●1-3 岡田武史 キリンチャレンジカップ2008
2. 2008年10月9日 日本の旗新潟 東北電力ビッグスワンスタジアム アラブ首長国連邦の旗 アラブ首長国連邦 △1-1
3. 2008年11月13日 日本の旗神戸 ホームズスタジアム神戸 シリアの旗 シリア ○3-1
4. 2009年1月20日 日本の旗熊本 熊本県民総合運動公園陸上競技場 イエメンの旗 イエメン ○2-1 AFCアジアカップカタール予選
5. 2009年2月4日 日本の旗東京 国立競技場 フィンランドの旗 フィンランド ○5-1 キリンチャレンジカップ2009

指導歴

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  • 2020年 - ガンバ大阪
    • 2020年 ユース コーチ
    • 2021年 - 2022年 ジュニアユース コーチ
    • 2023年 - トップチーム コーチ

タイトル

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クラブ

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清水エスパルス
ガンバ大阪
MIOびわこ滋賀

脚注

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  1. ^ a b c d e FILE 031 高木和道選手 [清水]”. Jリーグ選手協会 (2007年10月5日). 2008年3月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月21日閲覧。
  2. ^ 吉田康弘選手(サンフレッチェ広島)、高木和道選手(京都産業大学)の加入決定のお知らせ - ウェイバックマシン(2004年6月3日アーカイブ分) 清水エスパルス (2000年5月30日)
  3. ^ 清水DF高木和道選手期限付き移籍加入決定(8/4) - ウェイバックマシン(2005年2月7日アーカイブ分) ヴィッセル神戸 (2004年8月4日)
  4. ^ 選手出場記録 ヴィッセル神戸 2004Jリーグ ディビジョン1 2ndステージ”. Jリーグ. 2018年9月22日閲覧。
  5. ^ 神戸・高木は残留?復帰? - ウェイバックマシン(2006年6月14日アーカイブ分) デイリースポーツonline (2004年12月15日)
  6. ^ 清水MF高木和が決勝弾/ナビスコ杯 - ウェイバックマシン(2006年7月24日アーカイブ分) nikkansports.com (2005年5月29日)
  7. ^ a b Interview - ウェイバックマシン(2007年2月14日アーカイブ分) WEBサッカーマガジン (2006年11月2日)
  8. ^ 2018シーズン キャプテン・副キャプテン決定のお知らせ』(プレスリリース)清水エスパルス、2018年2月12日https://www.s-pulse.co.jp/news/detail/391772018年9月22日閲覧 
  9. ^ 高木和道選手 ガンバ大阪へ完全移籍決定のお知らせ』(プレスリリース)清水エスパルス、2009年1月6日https://www.s-pulse.co.jp/news/detail/16562018年9月22日閲覧 
  10. ^ a b “[天皇杯]左SBで新境地開拓、高木「足がつらなくなった」”. ゲキサカ. (2009年12月12日). https://web.gekisaka.jp/news/detail/?62960-47607-fl 2018年9月22日閲覧。 
  11. ^ a b 『2009Jリーグ総集編』 日本スポーツ企画出版社、2009年、24-31頁。
  12. ^ ジェレミー・ウォーカー (2009年12月31日). “国立でのコールドプレイ――黄色いシューズ以上に光った安田”. ジェレミー・ウォーカーのA View From A Brit. 2018年9月22日閲覧。
  13. ^ “G大阪が天皇杯連覇へ悲壮な決意”. nikkansports.com. (2009年12月31日). https://www.nikkansports.com/soccer/news/f-sc-tp0-20091231-581425.html 2018年9月22日閲覧。 
  14. ^ 名古屋が闘莉王獲り参戦!高木はレンタルで - ウェイバックマシン(2009年12月22日アーカイブ分) スポニチ Sponichi Annex (2009年11月24日)
  15. ^ 高木が残留、移籍は条件合わず…G大阪 - ウェイバックマシン(2009年12月22日アーカイブ分) スポーツ報知大阪版 (2009年12月19日)
  16. ^ a b 『2010Jリーグ総集編』 日本スポーツ企画出版社、2010年、18-19頁。
  17. ^ a b 神戸、元日本代表DF高木獲得へ - ウェイバックマシン(2012年2月29日アーカイブ分) デイリースポーツonline (2011年12月11日)
  18. ^ ガンバ大阪よりDF高木和道選手移籍加入決定のお知らせ』(プレスリリース)ヴィッセル神戸、2011年12月13日https://www.vissel-kobe.co.jp/news/article/2888.html2018年9月20日閲覧 
  19. ^ “磐田高木獲りへ!188センチ元日本代表”. nikkansports.com. (2011年12月11日). https://www.nikkansports.com/soccer/news/p-sc-tp1-20111211-875433.html 2018年9月20日閲覧。 
  20. ^ 高木 和道選手 ヴィッセル神戸より完全移籍加入のお知らせ”. 大分トリニータ (2013年1月8日). 2015年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年1月8日閲覧。
  21. ^ “大分のキャプテンにDF高木が就任”. ゲキサカ. (2014年2月19日). https://web.gekisaka.jp/news/detail/?133314-133314-fl 2018年9月22日閲覧。 
  22. ^ “大分、元日本代表DF高木ら4選手を戦力外”. ゲキサカ. (2014年11月28日). https://web.gekisaka.jp/news/detail/?152470-152470-fl 2018年9月22日閲覧。 
  23. ^ 高木 和道選手、大分トリニータより完全移籍加入のお知らせ』(プレスリリース)FC岐阜、2015年1月5日http://archive2.fc-gifu.com/information/68152018年9月21日閲覧 
  24. ^ 高木 和道選手が完全移籍加入”. ジュビロ磐田 (2016年1月7日). 2016年1月7日閲覧。
  25. ^ 『2016Jリーグ総集編』 日本スポーツ企画出版社、2016年、59頁。
  26. ^ 高村美砂 (2018年3月27日). “J1を蹴ってタイに。そしてJFLに。高木和道「人生ってわからない」”. Sportiva. https://news.livedoor.com/article/detail/14492587/ 2018年9月20日閲覧。 
  27. ^ [1] エアフォース・ユナイテッドFC、Facebook
  28. ^ “37歳・高木和道。JFLの苦労も、難病と闘う妻の大変さを思えば…”. Sportiva. (2018年3月28日). https://news.livedoor.com/article/detail/14495232/ 2018年9月22日閲覧。 
  29. ^ a b 高村美砂 (2018年8月17日). “ひたむきに戦う仲間と共に。滋賀をもっと盛り上げていきたい。”. one web. 2018年9月20日閲覧。
  30. ^ 高木和道選手 新加入のお知らせ』(プレスリリース)MIOびわこ滋賀、2018年2月5日http://www.mio-biwako.com/16393.html2018年2月5日閲覧 
  31. ^ 高木和道選手 現役引退のお知らせ』(プレスリリース)MIOびわこ滋賀、2018年11月10日http://www.mio-biwako.com/21036.html2018年11月10日閲覧 
  32. ^ 強化・アカデミー部の体制について』(プレスリリース)ガンバ大阪、2019年1月7日http://www.gamba-osaka.net/news/index/no/8952/2021年10月28日閲覧 
  33. ^ G大阪 元日本代表DF高木和道がユースコーチ就任”. スポーツニッポン (2020年1月8日). 2021年10月28日閲覧。
  34. ^ ジュニアユース”. ガンバ大阪. 2021年10月28日閲覧。
  35. ^ a b “清水DF高木がW杯予選戦士に”. nikkansports.com. (2008年6月4日). https://www.nikkansports.com/soccer/japan/news/p-sc-tp2-20080604-368040.html 2018年9月21日閲覧。 

関連項目

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外部リンク

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