安彦良和

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安彦 良和
Yasuhiko Yoshikazu "The World of Gundam" at Opening Ceremony of the 28th Tokyo International Film Festival (22442053681).jpg
生誕 1947年12月9日(68歳)[1]
日本の旗北海道紋別郡遠軽町東社名淵(現 若松)
国籍 日本の旗 日本
職業 漫画家
アニメーター
アニメ監督 など
活動期間 1970年 -
代表作 アニメ: 『機動戦士ガンダム』(キャラクターデザインおよび作画監督) ほか
漫画: 『ナムジ』、『王道の狗』、『虹色のトロツキー』、『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』 ほか
受賞 第19回日本漫画家協会賞優秀賞(『ナムジ』)
第4回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞(『王道の狗』)
第43回星雲賞コミック部門(『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』)
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安彦 良和(やすひこ よしかず、1947年12月9日 - )は、日本漫画家アニメーターキャラクターデザイナーアニメ監督イラストレーター小説家北海道紋別郡遠軽町出身。

遠軽高校、弘前大を経て、1970年虫プロ養成所に入りアニメーターとなる。虫プロ倒産後はフリーとなり『宇宙戦艦ヤマト』や『勇者ライディーン』、『超電磁ロボ コン・バトラーV』、『無敵超人ザンボット3』など数多くのアニメ作品に携わるが、中でもキャラクターデザインおよび作画監督を務めたアニメ『機動戦士ガンダム』は、その後放映された劇場版とも併せ社会現象ともいえるブームを巻き起こした。1990年以降、アニメ製作現場を離れて専業漫画家となり、『ナムジ』、『虹色のトロツキー』、『王道の狗』など主に歴史ものを描いて第19回日本漫画家協会賞優秀賞(『ナムジ』)、第4回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞(『王道の狗』)などを受賞した。2001年から2011年まで漫画雑誌「ガンダムエース」に連載した『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』は、累計発行部数1,000万部を超えるヒット作となっている[2]。2006年からは神戸芸術工科大学映像表現学科で客員教授をつとめている[3]

2015年2月に公開されたアニメ『機動戦士ガンダム THE ORIGIN I 青い瞳のキャスバル』では総監督を務め、約25年ぶりにアニメの現場に復帰した[4]

経歴[ソースを編集]

1947年北海道オホーツク管内遠軽町東社名淵(ひがししゃなふち、現在の若松)に、姉三人、兄二人(ただし長男は生後間もなく亡くなった)、妹一人の三男として生まれる[5]。曽祖父は福島県伊達郡(桑折町)半田の半田銀山で絵図面描きをしていたといい、1891年に祖父が屯田兵として遠軽町に移り住み、開拓を始めた。安彦の父は東社名淵のハッカ作りの代表格で、1938年から1942年までは町会議員もつとめており[6]、自身いわく「普通の、裕福でも悲惨でもない農家」であったという[5]

幼いころから3歳年上の兄が買っていた学年誌を読むなどして漫画に興味を持ち、小学校3年生のころには鈴木光明の『織田信長』に惹かれ「川中島の合戦」のシーンを自己流でノートに鉛筆書きしていた[7]。漫画はもっぱら友人から借りて読むことが多く小学校5・6年のころには横山光輝の『鉄人28号』が好きで、ノートの余ったページなどに誰に見せるでもなく漫画を描いていた。安彦の父はそれを「ポンチ絵」と呼んで人に見せるなど無邪気に喜んでいたが、母は「そんなしょうもないことしてるんなら家の手伝いをしろ」と嫌がっていた[7]。またこの頃見たアニメ映画『白蛇伝』が安彦が初めて見たアニメ映画であった。小学校6年のとき、赴任してきた校長が個展をひらくほど絵が好きで安彦も絵のみならず様々なことを教わった。安彦は中学・高校を通じて絵の指導を受けたことがなく、アニメの世界に入っても誰かに教わったということがないため「僕の絵に、お師匠さんはいないんです。あえて探せば、この校長先生だけですね」と語っている[7]。 また小学校時代には手塚治虫の『漫画の書き方』を読んで「ケント紙に墨で書く」という技法を真似て20数ページの漫画を描き、漫画誌『冒険王』に投稿したこともある[8]

学生時代[ソースを編集]

1960年に社名淵中学校に入学[9]。このころ手塚治虫の『フウムーン』に触発され、スパイと女の子が国家権力に殺されるという、後の映画『レオン』のような漫画を描いた[9]。だがこのとき安彦の父が脳梗塞で倒れ、半年間の入院後、安彦が中学2年のときに亡くなった。

1963年、安彦は北海道遠軽高等学校に入学し、同時に安彦の兄も遠軽高校から北海道大学に進学した。兄が進学で遠軽を離れ農家を継ぐ者がいなくなった安彦家は、ハッカ作りをやめ離農し一時は安彦の姉が住む湧別町に移り住んだ。だが半年後には安彦の母が家を建て遠軽に皆で戻ったという[9]。安彦はこれを「意地だったんでしょう。おふくろは『夜逃げしたんじゃない』とよく言ってました」と振り返っている[9]。 高校時代、教師からは「お前の兄は優秀だった」と比較されることが多々あり、実際勉強も趣味も何をやっても勝てないと感じていた安彦は兄に劣等感を覚えていた[10]。一方で弁論大会でのスピーチや部活の壮行式司会などの生徒会活動で顔が知られていたためか、3年のときには生徒会長もつとめている。当時の(現在も)友人が日本民主青年同盟(民青)の活動を少し行っており、安彦もその影響を受け"左傾化"したという[10]。中学生ごろまでは「漫画家になりたい」という思いもあったが、このころから「そんな夢みたいなことを言っててもしょうがない」と諦めをつけ[10]、卒業後の進路には、内地の国立大学のなかで北海道にはない「お城」がある街がいいとして金沢大学、弘前大学などを希望し、合格した弘前大学に入学した[10]

学生運動[ソースを編集]

1966年、北海道遠軽高等学校卒業、弘前大学人文学部西洋史学科に入学。このとき弘前大の同郷会で後の妻となる女性と出会っている[11]。高校時代の友人の影響で大学でも民青の集まりにも参加したが、やがて活動が型どおりでつまらないと民青を抜け、1968年、ベトナム戦争に反対する学生団体「ベトナムの平和を守る会」を結成し、ベトナム戦争反対の講演を企画するなど反戦運動を展開した[11]。当時既にパターン化していたアジビラや街頭演説、ファッション化していたヘルメット姿などを嫌い、普通にしゃべって普通に書くという活動をしたところ「お前の話は分かりやすい」となり、一般学生への説明などに駆り出されたという[11]。1969年1月の安田講堂事件では安彦の仲間が逮捕され(安彦自身は「極端に金がなく上京できなかった」)、「僕だけおとなしく大学に残って勉強する気になんかならん」として授業にも出席しなくなった。同年9月、弘前大本部を全共闘が3週間占拠し、機動隊による封鎖解除の後占拠当初半月ほど校舎にいた安彦も後に建造物侵入、不退去罪の疑いで逮捕された。この結果1970年1月に弘前大学から除籍(退学)処分を受ける[12][13]。このときの安彦は「もう終わった。反戦も左翼運動もどんづまり。それまでの22年間、何のために生きてきたんだ」という思いであったという[13]。保釈後、「もう弘前にはいられない」と上京し友人の協力もあって写植屋に3か月ほど勤めた。だが写植の仕事はどうしても好きになれず、そのときにたまたま目にした虫プロの求人新聞広告に子供の頃に漫画家になりたかった事を思い出し応募した。面接では高校時代まで大学ノートに描いていた漫画を見せて合格した[13]

アニメーター時代[ソースを編集]

1970年に旧虫プロダクション虫プロ養成所の2期生として入社。『さすらいの太陽』、『新ムーミン[14]、『ワンサくん』などにアニメーターとして制作に関わった[15]

1973年虫プロの倒産後フリーとなって、オフィス・アカデミーサンライズの前身の創映社に活動の場を移す。オフィスアカデミーでは、『宇宙戦艦ヤマト』の絵コンテ、創映社(日本サンライズ)では『勇者ライディーン』、『ゼロテスター』(1973年-1974年)、『超電磁ロボ コン・バトラーV』などのロボット、SF作品、『ろぼっ子ビートン』『わんぱく大昔クムクム』といったファンタジー、ギャグ作品などに携わる。 根っからのアニメ好きというわけではなかった安彦は、学生運動時代の友人から「アニメやってどうすんの? 世の中変えられるの?」と言われ、「ただの絵描きじゃなく(中略)責任領域を広げてやりがいを拡大しないと合わせる顔がなかった」とアニメの仕事に罪悪感のようなものも覚えていた[15]。だが1974年に『ヤマト』の仕事を手掛けるようになってからは西崎義展プロデューサーの影響もあり「いい大人が本気でやってもよい仕事なんだ」と感じるようになったという[16]。『わんぱく大昔クムクム』では自ら企画書を出し、脚本、演出、作画にも関わった。この主人公クムクムは、1973年に生まれた安彦の長男がモデルとなっている[16]。 創映社が日本サンライズになり制作された『無敵超人ザンボット3』ではキャラクターデザインを担当。1978年の「さらば宇宙戦艦ヤマト」をもってヤマトとは「それこそさらばだ」と思っていた安彦であったが、西崎プロデューサーの強い慰留にあい後のテレビシリーズなどにも参加した[17]。だが1979年に『機動戦士ガンダム』が始まった際についに電話で大げんかして『ヤマト』と袂を分かつ[17]。 1979年4月から放映された『機動戦士ガンダム』ではキャラクターデザインおよび作画監督を務めた。だがテレビシリーズ制作中に病気(肋膜)で5か月ほど入院したため、全43話中最後の10話には参加していない[17]

1983年、劇場用アニメ『クラッシャージョウ』で初監督をつとめる。原作の高千穂遙は安彦の友人でもあり断れる雰囲気ではなかったが、後に本人としては「必ずしもやりたくなかった」「スペースオペラって面白さがいまいち分からなかった」と語っている[18]。原作・監督をつとめた1984年の『巨神ゴーグ』は商業的に振るわず、「アニメ屋としての気持ちが切れた」[18]

1979年に『リュウ』誌(徳間書店)に『アリオン』を発表し漫画家デビュー。1986年には劇場用アニメ『アリオン』を自ら監督。数年間アニメと漫画の二足のわらじをはいていたが、1989年に『ヴイナス戦記』を監督した以降は専業漫画家になる。

アニメ業界をやめた理由は二つあり、一つは『風の谷のナウシカ』や『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を見て、そのクオリティの高さにとても敵わないと思ったこと。もう一つは自ら監督した『巨神ゴーグ』を演出的に盛り上げられず、能力の限界を感じたためであるという[19][20]。その後も、キャラクターデザイナーとしていくつかのアニメに参加。イラストや小説も手掛ける。

1982年に『アニメージュ』に連載したエッセイ「月づきの雑記帳」の中で、当時その内容をめぐって議論を呼んでいた東映の劇場アニメ『FUTURE WAR 198X年』について批判的な意見を記した。これに対する読者からの反応の多くが、安彦の主張を確認した上でそれが正しいかどうかは自分で考えてみるという「真摯なもの」であることが嬉しかったと連載の最終回で記している[21]。また、安彦は「事が政治というようなことになると、どうしても自分の30‥年の人生、その中での政治体験というようなものが、発言の中身にならざるを得ない。そういう発言は(中略)若い人たち(読者の方たち)に向けたものとしてはついつい高飛車なモノいいになってしまう」とも記している[21]

1989年の『ヴイナス戦記』では「お客がそこそこ来たらもう一本つくろう」との思いもあったが、同作品は振るわず、不本意ながらもアニメを辞めざるを得なかった[18]

漫画家時代[ソースを編集]

1989年、『ナムジ』(1989年-1991年)で専業漫画家としての活動を始める。その後『虹色のトロツキー』(1990年-1996年)、『王道の狗』(1998年-2000年)、『韃靼タイフーン』(2000年-2002年)などを手掛け、第19回日本漫画家協会賞優秀賞(『ナムジ』、1990年)、第4回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞(『王道の狗』、2000年)などを受賞した[22]

アニメーター時代に主要スタッフとして関わった作品『機動戦士ガンダム』をコミカライズした『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』を、ガンダム専門の月刊誌『ガンダムエース』に2001年6月号から2011年8月号まで連載した。アニメのガンダムがヒットし、一部ファンや自称評論家が「ニュータイプが世界を変えるのがガンダムのテーマ」と発言しているのを耳にし、これは学生運動時代に聞いた「革命的な党をつくったら革命ができる」といった観念を弄ぶような言葉と同じもので非常に危ない、「最初につくって裏表知る人間が知らん顔しちゃいけない」「当時、どんな考えでガンダムが作られたか自分は知っている。それを描けるのは僕だけだ」としてこの仕事を引き受けたという[22]

2006年、神戸芸術工科大学メディア表現学科教授に就任。

2012年3月、北海道新聞夕刊において、自らの半生について語った「私のなかの歴史」を連載[23]。また、2013年11月11日から12月28日まで中日新聞東京新聞夕刊などで連載されている自身の半生やエピソードを綴るコラム「この道」を執筆した。

2014年5月、OVA『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』の総監督を務めることが発表された。アニメ制作に携わるのは約25年ぶりである[4]

作風[ソースを編集]

漫画作品には、歴史や神話を題材としたものが多い。『王道の狗』、『天の血脈』、『虹色のトロツキー』のように近現代史を舞台として、実在の人物を実名で登場させた作品もある[24]。雑誌連載のほかに、イエス・キリストジャンヌ・ダルクを題材に全ページ彩色した漫画を描き下ろしで発表している。

本人曰く筆圧が高いので、ペンではなく削用筆を使って作画を行なっている。『THE ORIGIN』では作品の性格上から一部にCG処理も導入されているものの、数々のイラストレーターの作画が急速にコンピューター化されていく中、独特のタッチとアナログで力強い彩色を行なう。その卓越した画力は、画家ピエール=オーギュスト・ルノワールリトグラフ制作者を驚嘆せしめた。漫画作品の多くは、政治劇を中心とした骨太のストーリーテリングで人気を得ている。

劇画が嫌いで、劇画調の『科学忍者隊ガッチャマン』や『ゼロテスター』は苦手であった[25]。また手塚治虫の画風も駄目だと考えており、自身の画風は永井豪の画風が近いと述べている。

S字型に腰を前方突出させた立ち姿を描き、その独特の色気のある立ち姿は、ファンから「やすひ腰」「安彦立ち」(主に「ガワラ立ち」、「カトキ立ち」との対比で呼ばれる)と親しまれているが、本人曰く「虫プロ在籍時代に習った」とのこと。

受賞歴[ソースを編集]

作品リスト[ソースを編集]

漫画作品[ソースを編集]

作品名 出版社/巻数/発行年月 連載 備考
アリオン 徳間書店・アニメージュコミックス/全5巻/80年11月-85年1月発行 ほか 徳間書店『リュウ』79年5月号-84年11月号 漫画家デビュー作。1986年劇場アニメ化
クルドの星 徳間書店・少年キャプテンコミックス/全3巻/86年1月-87年6月発行 ほか 徳間書店『月刊少年キャプテン』 85年2月号-87年4月号 『アリオン』映画化の際、取材旅行先でトルコを訪れたことで生まれた作品。この旅行は安彦自身初の海外旅行でもあった[26]
ヴイナス戦記 学習研究社・ノーラコミックス/全4巻/87年9月-90年5月発行 ほか 学習研究社『月刊コミックNORA』86年9月号-90年4月号 1989年劇場アニメとして公開。
Cコート 徳間書店・少年キャプテンコミックス/全1巻/88年7月発行 徳間書店『月刊少年キャプテン』 87年12月号-88年5月号 安彦初のスポーツ漫画。映画『ヴイナス戦記』のため未完となった[27]
ナムジ 徳間書店・ハードカバー版/全5巻/89年8月-91年11月発行 ほか 描き下ろし 初描き下ろし作品。漫画家に専念してからの第1作目。第19回日本漫画家協会賞優秀賞。
虹色のトロツキー 潮出版社・希望コミックス/全8巻/92年7月-97年1月発行 潮出版社『コミックトム』90年11月号-96年11月号 文化人類学者山口昌男など著名人が巻末あとがきを担当。
神武 徳間書店・ハードカバー版/全5巻/92年6月-95年3月発行 ほか 描き下ろし 『ナムジ』の続編。登場人物の再登場も多い。
安東 ANTON 学習研究社・ノーラコミックスデラックス/全3巻/93年10月-95年6月発行 学習研究社『月刊コミックNORA』92年9月号-95年4月号
三河物語 マンガ日本の古典 23 中央公論社・ハードカバー/全1巻/95年2月発行 ほか 描き下ろし 徳川家に仕えた大久保忠教(彦左衛門)を、少年である魚屋一心太助の視点で描く[28]
ジャンヌ Jeanne NHK出版・ソフトカバー/全3巻/95年10月-96年7月発行 ほか 描き下ろし 初のオールカラーの描き下ろし作。
イエス JESUS NHK出版・ソフトカバー/全2巻/97年4月-97年9月発行 描き下ろし オールカラーの描き下ろし
マラヤ MARAYA メディアワークス・DengekiComics EX/全4巻/98年5月-00年10月発行 ほか メディアワークス『電撃 Adventures』VOL.18-27、『電撃 hp』VOL.5-7 オールカラー第三作目。SFファンタジー作。
我が名はネロ 文芸春秋・ビンゴコミックス/全2巻/98年11月-99年9月発行 ほか 文芸春秋『コミックビンゴ』98年3月号-99年5月号。第13話-15話描き下ろし
王道の狗 講談社・ミスターマガジンKC/全6巻/98年6月-00年3月発行
白泉社・JETS COMICS/全4巻
講談社『ミスターマガジン』98年1号-00年3号 白泉社版の31話・47話は新規描き下ろし。安彦は「白泉社版を正規の『王道の狗』と思いたい」(白泉社版第4巻あとがき)と述べている
第4回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞。
韃靼タイフーン メディアファクトリー・MFコミックスフラッパーシリーズ/全4巻/01年1月-02年5月発行 メディアファクトリー『コミックフラッパー』00年3月号-02年5月号
蚤の王 講談社・モーニングKCDX/全1巻/01年7月発行 講談社『モーニング新マグナム増刊』01年14号-20号 『神武』の続編ではあるが、登場人物が血縁(子孫)であることを除けば前作とのつながりは薄い。
アレクサンドロス NHK出版・NHKスペシャル文明の道 COMIC Version/全1巻/03年7月発行 描き下ろし NHKスペシャル『文明の道』のコミカライズ作品。
機動戦士ガンダム THE ORIGIN 角川書店・角川コミックエース/全24巻/02年6月-11年11月、15年2月発行
角川書店・愛蔵版/全12巻/05年5月~14年8月発行
角川書店『ガンダムエース』創刊号(01年6月号)-11年8月号 安彦によるアニメ『機動戦士ガンダム』の漫画版。設定・デザインに一部アニメ版との差異があり「シャア・セイラ編」など漫画版独自のストーリーも加えられた。第43回星雲賞(コミック部門)受賞。
2015年2月には番外編をまとめた24巻特別編も刊行された[29]
麗島夢譚(うるわしじま ゆめものがたり) 徳間書店・リュウコミックス/全4巻/2009年1月-2012年12月 徳間書店『月刊COMICリュウ』2006年11月号-2012年9月(不定期連載) 江戸時代前期の麗島(台湾ポルトガル語Ilha Formosa=「麗しの島」に由来)周辺を舞台に、天草四郎松浦党の流れをくむ海賊青年、三浦按針の遺児らが、麗島を巡るスペインオランダとの争いに巻き込まれ、冒険を繰り広げる。
天の血脈 講談社・アフタヌーンKC/全8巻/12年8月-16年10月 講談社『月刊アフタヌーン』12年3月号-16年11月号
ヤマトタケル 角川書店・カドカワコミックス・エース/既刊2巻/13年2月 角川書店『サムライエース』VOL.1-10(休刊)、ComicWalker2014年8月20日配信号 -

このほか、アボジ、ネオデビルマン週刊マンガ日本史第34号『勝海舟』などがある。

小説[ソースを編集]

  • 『シアトル喧嘩エレジー』徳間書店、1980  
  • 『蒼い人の伝説―ルウは風の中で』角川書店・カドカワノベルズ、1988/角川文庫 1990 
  • 鋼馬章伝』全5巻 カドカワノベルズ徳間デュアル文庫 2002-03
    • ボナベナの騎士 鋼馬章伝I 1988
    • ザオの騎士王 鋼馬章伝II 1988 
    • ガンゴトリの疾風(かぜ) 鋼馬章伝III 1989 
    • ノルブの光輪 鋼馬章伝IV 1990 
    • クルガンの竜 鋼馬章伝V 1990 
    • 伝説の鋼馬(ドルー) 鋼馬章伝後章 - ファンタジー王国II(カドカワノベルズ) 所収
  • 『テングリ大戦』 全4巻 カドカワノベルズ 1990-92
  • 『聖王子ククルカン』(上・下) 角川スニーカー文庫 1993

対談集[ソースを編集]

『安彦良和対談集 アニメ・マンガ・戦争』 角川書店、2005

アニメーション作品[ソースを編集]

監督作品[ソースを編集]

デザイン[ソースを編集]

作画・演出スタッフとして参加の作品[ソースを編集]

カバーイラスト・挿絵[ソースを編集]

その他[ソースを編集]

テレビ出演[ソースを編集]

その他[ソースを編集]

  • プロ野球では広島東洋カープのファンでアンチ巨人[35]
  • 「不滅の少年ボイス」と称するほど田中真弓のファンである事を公言している[36]。アニメの仕事から離れた為、一緒に仕事をする事はないと思っていたが、『THE ORIGIN』で声を頂いた事に喜んでいる[36]

弟子[ソースを編集]

アニメーターとしての弟子の一人に板野一郎がある。

脚注[ソースを編集]

  1. ^ おしぐちたかし 『漫画魂(スピリット) おしぐちたかしインタビュー集』 白夜書房2003年ISBN 978-4893679116
  2. ^ 機動戦士ガンダム THE ORIGIN 公式サイト WORLD 作品紹介”. サンライズ. 2014年10月10日閲覧。
  3. ^ 客員教授”. 神戸芸術工科大学. 2014年9月12日閲覧。
  4. ^ a b “シャアとセイラの生い立ち、アニメ化 安彦良和総監督”. 朝日新聞デジタル. (2015年2月28日). http://www.asahi.com/articles/ASH2P5JQBH2PUCVL00H.html 2015年3月24日閲覧。 
  5. ^ a b “私のなかの歴史 オホーツクから「ガンダム」へ 2”. 北海道新聞夕刊. (2012年3月6日) 
  6. ^ 遠軽町史 第二次町会(昭和13年6月30日選挙)定数24人 ”. がんぼネットワークス. 2014年9月22日閲覧。
  7. ^ a b c “私のなかの歴史 オホーツクから「ガンダム」へ 3”. 北海道新聞夕刊. (2012年3月7日) 
  8. ^ “私のなかの歴史 オホーツクから「ガンダム」へ 14”. 北海道新聞夕刊. (2012年3月21日) 
  9. ^ a b c d “私のなかの歴史 オホーツクから「ガンダム」へ 4”. 北海道新聞夕刊. (2012年3月8日) 
  10. ^ a b c d “私のなかの歴史 オホーツクから「ガンダム」へ 5”. 北海道新聞夕刊. (2012年3月9日) 
  11. ^ a b c “私のなかの歴史 オホーツクから「ガンダム」へ 6”. 北海道新聞夕刊. (2012年3月10日) 
  12. ^ この時代の学生運動を描いた山本直樹の漫画『レッド』の登場人物・安田は安彦がモデルとされている。
  13. ^ a b c “私のなかの歴史 オホーツクから「ガンダム」へ 7”. 北海道新聞夕刊. (2012年3月12日) 
  14. ^ 2015年9月4日放送の「ゴロウ・デラックス」(TBS)出演時に、オープニングの手書きのムーミンが逆立ちすところを描画したと述べている。
  15. ^ a b “私のなかの歴史 オホーツクから「ガンダム」へ 8”. 北海道新聞夕刊. (2012年3月13日) 
  16. ^ a b “私のなかの歴史 オホーツクから「ガンダム」へ 9”. 北海道新聞夕刊. (2012年3月14日) 
  17. ^ a b c “私のなかの歴史 オホーツクから「ガンダム」へ 10”. 北海道新聞夕刊. (2012年3月15日) 
  18. ^ a b c “私のなかの歴史 オホーツクから「ガンダム」へ 11”. 北海道新聞夕刊. (2012年3月16日) 
  19. ^ 『機動戦士ガンダム20周年トリビュートマガジン G20』☆Vol.4 特集:安彦良和-アニメの終わりと物語の始まり(エンターブレイン、2005年)
  20. ^ そもそもアニメ業界に入ったきっかけというのも「絵を描くだけでとりあえずは食える」というものだった『ガンダム者』(講談社、2002年)
  21. ^ a b 『アニメージュ』1982年12月号、徳間書店、p144 - 145。
  22. ^ a b “私のなかの歴史 オホーツクから「ガンダム」へ 12”. 北海道新聞夕刊. (2012年3月17日) 
  23. ^ 北海道新聞』2012年3月5日付夕刊
  24. ^ 登場人物には、李香蘭(大鷹淑子)のように執筆当時存命だった人物も含まれる。
  25. ^ 『動画王』vol.7 キネマ旬報社、1998年、162-183頁
  26. ^ 『ユリイカ』 p.196
  27. ^ 『ユリイカ』 p.198
  28. ^ 『ユリイカ』 pp.203-204
  29. ^ 機動戦士ガンダム THE ORIGIN (24)特別編”. 角川書店. 2015年3月25日閲覧。
  30. ^ 西崎義展プロデューサーのブレインとして、白色彗星や新造戦艦等のアイディアを提出している。これらは会議の席上では西崎義展名義で発表された。(「松本零士・初期SF作品集 限定版BOX」のインタビューより)
  31. ^ 西崎義展プロデューサーの指名で巨大戦艦出現からヤマト特攻までの一連の原画を担当。作画監督には「一切修正を加えるな」との厳命が下された。(「アニメ大好き!~ヤマトからガンダムへ~」での氷川竜介(中谷達也名義)の解説による)
  32. ^ 西崎義展プロデューサーの依頼によって、脚本陣とともにテレビ用の構成と設定の変更を行ったとのこと。(「松本零士・初期SF作品集 限定版BOX」のインタビューより)
  33. ^ めざましテレビ|2014/11/21(金)放送 | TVでた蔵
  34. ^ ガンダムインフォHP、TBS系列「ゴロウ・デラックス」に安彦良和氏が出演!本日9月3日深夜0:41より放送!
  35. ^ 『アニメージュ』1982年11月号、徳間書店、p148 - 149
  36. ^ a b エンターブレイン『エンタミクス』2015年5月号、P70~71「安彦良和が『機動戦士ガンダムTHE ORIGIN』を描いた理由」より。

参考文献[ソースを編集]

外部リンク[ソースを編集]