今敏

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こん さとし
今 敏
生年月日 1963年10月12日
没年月日 2010年8月24日(満46歳没)
出生地 日本の旗 日本 北海道札幌市
職業 アニメーター映画監督漫画家
活動期間 1984年 - 2010年
公式サイト KON'S TONE
主な作品
アニメーション映画監督
PERFECT BLUE』(1997年)
千年女優』(2001年)
東京ゴッドファーザーズ』(2003年)
パプリカ』(2006年)

今 敏(こん さとし、1963年10月12日 - 2010年8月24日[1])は、日本のアニメ監督、漫画家北海道釧路市出身[2](出生地は札幌市)。日本アニメーター・演出協会(JAniCA)会員。武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン科卒業。ミュージシャンギタリスト今剛は実兄[3]

妄想代理人』では鰐淵良宏名義も用いている。

経歴[編集]

デビュー前[編集]

札幌で生まれ、父の転勤により4歳から小学4年生までを釧路、小学4年生から中学2年生までを札幌、中学3年生から高校3年生までを再び釧路で過ごす。漫画家の滝沢聖峰は札幌時代の同級生である。釧路で過ごした高校時代と上京後の生活とのギャップは、後年の作品の主要テーマである「イマジネーションと現実の融合」の形成に少なからぬ影響を与えたという[4]

アニメでは『宇宙戦艦ヤマト』『アルプスの少女ハイジ』『未来少年コナン』『機動戦士ガンダム』などの作品を好み[5]、漫画は大友克洋の『童夢』などをよく読んでいたという[6]。また、筒井康隆の短編からインスピレーションを受け、漫画を制作したこともあった。

北海道釧路湖陵高等学校卒業後に武蔵野美術大学にへ進学し、グラフィックを専攻する。この時期には外国映画[6]や筒井の作品を見ることが多かった[7]

キャリア初期[編集]

1984年、大学在学中に『虜 -とりこ-』で『週刊ヤングマガジン』(講談社)の第10回ちばてつや賞(ヤング部門)優秀新人賞を受賞[8]し、漫画家としてデビュー[9]。これをきっかけとして、大友克洋のアシスタントとして働くことになった[9][10]

1987年に大学を卒業した後、講談社より『海帰線』(1990年[11]、『ワールドアパートメントホラー』(大友克洋による映画を漫画化したもの)などを発表[9][11]。1991年には『老人Z』で初めてアニメ製作に携わり、美術設定・レイアウト・原画を務める[9]。以降『機動警察パトレイバー 2 the Movie』など、数々のアニメ作品の製作に携わった。その後、漫画作品は『セラフィム 2億6661万3336の翼[12]をもって終え、アニメ製作に専念することになる。そして1995年、大友監修のオムニバス作品『MEMORIES/彼女の想いで』に脚本・美術設定・レイアウトとして参加し[9]、今は初めて「イマジネーションと現実の融合」を作品のテーマとして取り入れた[13]

監督として[編集]

1993年、『ジョジョの奇妙な冒険』で原画、シナリオ、演出、構成などを手がける[6]。そして1997年に、竹内義和原作の『PERFECT BLUE』で初の監督を務める[14]。これは、アイドルを巡るサスペンスを描いた物語で、マッドハウスとの初の共同制作となった。製作段階で、氏は原作のシナリオに満足せず、面白いと思える内容に翻案した[15][16]。これは、「アイドル」・「ホラー」・「ストーカー」の3要素を織り交ぜる、といったものだった[15]。脚本家村井さだゆきの協力もあってシナリオが書き換えられ[6]、『彼女の想いで』で描かれたイマジネーションと現実の融合を色濃くするものとなった[15]

『PERFECT BLUE』の後、以前からの熱烈なファンであった筒井の『パプリカ』(1993年)を映画化したいと考えていた。しかし、『PERFECT BLUE』の配給会社(レックスエンタテイメント)が倒産し、これは頓挫することになった[17]。それと同時に氏は、イマジネーションと現実の融合をテーマにした新たな作品に取り掛かろうとしていた[15]2002年に公開された『千年女優』である。これは、絶頂期に突然不可解な引退を告げた大女優についての話である。『PERFECT BLUE』と同じくらいの低予算で製作されたが(概算で1億2,000万円くらい)[7]、前作よりも更に大成功を収め、多くの賞に輝いた。この作品もまた、村井さだゆきとの共同脚本であり[15]トロンプ・ルイユや時間感覚の喪失の概念なども織り交ぜられた[18]。なお、長年のファンであった平沢進[19]と初めてコンビを組んだのがこの作品である。

2003年、3作目の作品『東京ゴッドファーザーズ』を発表する。3人のホームレスがクリスマスイブの東京で、捨てられていた赤ん坊を発見し、親を探す…という物語である。前作よりも更に制作費がかけられ(概算で3億円)[7]、ホームレスや捨て子といった社会的なテーマをコメディタッチで描いた[9][15]。この作品は信本敬子との共同脚本であった[20]

2004年、初のTVシリーズとなる『妄想代理人』を製作する(全13話)。この作品では、再びイマジネーションと現実の融合をテーマにし、また数々の社会的なテーマも取り入れた[21]。本シリーズには、彼が日頃から温めていた、映画では吸収できなかったアイデアが再表現されている[22]

2006年、『パプリカ』を発表する。原作者の筒井康隆の強い希望でもあったという[4]。数年来の構想が実現した。これは、患者を治療するために彼らの夢を分析するサイコ・セラピストの話である。この作品も成功を収め、様々な映画祭で賞に輝いた。今は、この作品でも単に物語の要約に飽き足らず独自の解釈を加え、「基本的なストーリー以外は全て変えた」[23]。ここでも、イマジネーションと現実の融合を表現したが、ここではとりわけ夢に重点を置き、現実と夢との相乗作用を表現した[7]

『パプリカ』の後、押井守や新海誠とともに、2007年放映のNHK製作「アニ*クリ15」に携わる。ここで1分間の短編作品『オハヨウ』を発表した。同年、日本アニメーター・演出協会(JAniCA)の設立に参与する。

晩年[編集]

『オハヨウ』の発表後、次回作として『夢みる機械』の制作に着手したが、2010年に体調を崩し、5月に病院で診断を受けたところ末期の膵臓癌と診断される[24]。生前から「自分のエンジンはアルコールとカフェインとニコチンで動いている」とブログで公言するほどの不摂生な生活を送っていたというが、余命半年と宣告された今は、身の回りの整理をしながら亡くなる前日までブログを更新するなどしていた(但し、存命中は自分が病気であることは伏せている)。

2010年8月24日逝去。46歳没。翌日付のブログに、「さようなら」というタイトルでファンに向けてのメッセージを残している[24]。死後、アニマックスファミリー劇場が追悼の意味を込めて、今敏が制作に携わった作品を放送した。関係者向けに開かれた「今 敏監督を送る会」には今の作品に関わったミュージシャンの鈴木慶一平沢進らが出席した。

なお、未完に終わった『夢みる機械』は、同年11月にキャラクターデザイン・作画監督を担当し数々の今敏作品を共に作った板津匤覧が監督を代行して製作を続行する事が発表されている[25](公開時期は不明)。

製作の過程[編集]

オリジナルの作品(『千年女優』、『東京ゴッドファーザーズ』、『妄想代理人』)では、ストーリーを考えてから、それが映画製作に耐えうるか考える(映画を作るためにストーリーを考えるのとは違う)[5]。『パプリカ』のように原作があるときは、物語に忠実に作るのではなく、独自の解釈を入れる。そして、村井さだゆき、信本敬子、水上清資といった脚本家とともにストーリーを構成していく[5]。それから、制作会社のマッドハウスに企画書を提出する[5]。それが通ったら、キャラクターデザインを作り上げる[5]。『妄想代理人』では、安藤雅司が非常に大きな役割を担った。それが終わったら絵コンテを作り上げる[26]。こういった手順である。しかし、『妄想代理人』では脚本家にまるまる1話を任せた回もあった[22]

次の段階として、いよいよ本格的な製作に取り掛かる。期間は1年半から2年を要する[5]。今と関わった主なスタッフは、美術監督池信孝、音響監督三間雅文、そして平沢進であった。制作費はおおよそ数億円[7]。これは、日本の一般的なアニメの制作費を考えればはるかに少ない。これについて、「低予算でも質の高い作品が製作できるのは、スタッフの賜物である」と述べている[18][27]

影響を受けた作品[編集]

まず、文学作品ではSF作家のフィリップ・K・ディックから影響を受けたと語る[14]。しかし、最も感銘を受けたのは筒井康隆であった[7]

そして、高校卒業までに見た漫画やアニメにも影響を受けたと述べる[6]。氏はよく『宇宙戦艦ヤマト』、『未来少年コナン』、『銀河鉄道999』(1978年)、『機動戦士ガンダム』の話を引用し[5][28]、特に感化された作品は大友の『童夢 (漫画)』だと語る[6]

アメリカの映画作品からも影響が垣間見える。特に刺激を受けたのは、ジョージ・ロイ・ヒル監督の『スローターハウス5』(1972年)である[14]。他にも、『ロスト・チルドレン』(1995年)などを好み、また影響を受けた監督の一人として、テリー・ギリアムの名を挙げる[6]。特に、『バンデットQ』(1981年)、『未来世紀ブラジル』(1985年)、『バロン』(1988年)が好みであった[6]。また、日本映画からも影響を受けており、黒澤明作品を好んでいる(『パプリカ』でこっそりとカメオ出演させている[17])。また、インタビューでは彼の作品はあくまでも「日本の」作品であるといったことを強調している[18][29]

音楽では映画でも組んだ平沢進のファンと公言しており、映画のサウンドトラックのみならず自宅のBGMにも頻繁に平沢の曲を流していたほか、生前は平沢のライブの観覧にも出かけており、作品への影響も少なくはない。今の葬儀の際、出棺時には平沢の楽曲で『千年女優』のテーマソングだった「ロタティオン (LOTUS-2)」が使用されたという[30]

作品[編集]

監督作品[編集]

アニメ映画[編集]

TVアニメ[編集]

漫画作品[編集]

著書[編集]

関連書籍[編集]

その他参加作品[編集]

受賞歴[編集]

『PERFECT BLUE』[32]
  • ベルリン国際映画祭招待
  • 第2回ファンタジア映画祭アジア部門大賞
  • 第17回ポルト国際映画祭アニメーション部門大賞
『千年女優』[33]
『東京ゴッドファーザーズ』[35]
  • 第7回文化庁メディア芸術祭アニメーション部門優秀賞[36]
  • 第58回毎日映画コンクールアニメーション映画賞
  • 第24回ベルギー国際アニメーションフェスティバルプリベTV映画賞
  • 第18回デジタルコンテンツグランプリ 経済産業大臣賞
  • 第36回シッチェス・カタロニア国際映画祭(スペイン) 最優秀アニメーション映画観客賞
  • Future Film Festival(イタリア) 最優秀作品賞
  • 東京国際アニメフェア2004アニメアワード・コンペティション劇場映画部門 優秀作品賞
    • 個人賞・監督賞:今敏
    • 個人賞・美術賞:池信孝
『パプリカ』[37]
  • 第12回アニメーション神戸 作品賞・劇場部門
  • 第14回Chlotrudis Awardsベストデザイン賞
  • 第25回ポルト国際映画祭Critics' Award受賞
  • 第35回モントリオール・ニューシネマフェスティバルPublic's Choice Award受賞
  • 第8回ニューポート・ビーチ・フィルム・フェスティバルFeature Film Award受賞
  • 東京アニメアワード2007 優秀作品賞劇場映画部門、個人部門音楽賞(平沢進)

脚注[編集]

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  1. ^ 今 敏 永眠のお知らせ - KON'S TONE
  2. ^ 北海道新聞2010年10月21日付朝刊29面
  3. ^ 魂の玉座 - KON'S TONE
  4. ^ a b 「哀惜・今敏さん(アニメーション映画監督、8月24日死去、46歳) - 名声得ても釧路に愛着」、北海道新聞 2010年9月25日付夕刊6面
  5. ^ a b c d e f g HT Talks To . . . FilmMaker Satoshi Kon 2005年12月 Home Theater2010年8月25日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h Interview with Satoshi Kon, Director of Perfect Blue 2010年8月25日閲覧(2010年8月27日時点のアーカイブ
  7. ^ a b c d e f Interview de Satoshi Kon sur le site Catsuka 2006年10月18日(2006年10月26日時点のアーカイブ
  8. ^ ちばてつや公式サイト 2010年8月26日閲覧
  9. ^ a b c d e f Interview : Satoshi Kon Anime News Network 2008年8月21日 2010年8月26日閲覧。
  10. ^ Interview 06 1998年3月 フランスから「パーフェクトブルー」に関するインタビュー 2009年8月26日閲覧(2009年7月15日時点のアーカイブ
  11. ^ a b COMIC BOOK 2010年8月26日閲覧[リンク切れ]
  12. ^ a b UNRELEASED COMIC 2010年8月26日閲覧。[リンク切れ]
  13. ^ DVD MEMORIES インタビュー
  14. ^ a b c Interview with Satoshi Kon 2010年8月26日閲覧。(2010年8月28日時点のアーカイブ
  15. ^ a b c d e f INTERVIEW Satoshi Kon 2001年11月2日 Midnight Eye 2010年8月26日閲覧。
  16. ^ Interview 07 2004年6月 アメリカから、監督作品全般に関するインタビュー 2010年8月26日閲覧。(2010年8月30日時点のアーカイブ
  17. ^ a b INTERVIEW Satoshi Kon Part2 2006年11月20日 Midnight Eye 2010年8月26日閲覧
  18. ^ a b c Director Satoshi Kon Interview DVJ2.0 2010年8月26日閲覧。
  19. ^ Interview 23 2007年6月 アメリカから『パプリカ』について(2007年12月15日時点のアーカイブ
  20. ^ 東京ゴッドファーザーズ:オフィシャルサイト 2010年8月26日閲覧。
  21. ^ Interview with Satoshi Kon Gamestar 2010年8月26日閲覧。[リンク切れ]
  22. ^ a b 妄想の産物 妄想の二「総監督の謎」 2010年8月26日閲覧。(2010年6月22日時点のアーカイブ
  23. ^ satoshi Kon-ITW-Interview 2010年8月26日閲覧。
  24. ^ a b 公式ブログ「KON'S TONE」2010年8月25日記事内容
  25. ^ “マッドハウス、今 敏(こん さとし)監督 長編アニメ映画『夢みる機械』制作続行のお知らせ ~マッドハウス制作、今監督待望の次回作品~”. マッドハウス. (2010年11月12日). http://www.madhouse.co.jp/news/news_2010_11.html 2010年11月12日閲覧。 
  26. ^ Satoshi Kon Film de culte 2010年8月26日閲覧。
  27. ^ Interview 02 2002年12月 イタリアから、主に「千年女優」に関するインタビュー 2010年8月26日閲覧。(2009年4月24日時点のアーカイブ
  28. ^ Interview 05 1998年2月 アメリカから「パーフェクトブルー」に関するインタビュー 2010年8月26日閲覧。(2010年8月30日時点のアーカイブ
  29. ^ Interview 03 2002年12月 カナダから、主に「千年女優」に関するインタビュー 2010年8月26日閲覧。(2009年4月24日時点のアーカイブ
  30. ^ Susumu Hirasawa(hirasawa) (2010年8月26日). “Twitter / hirasawa: 本日も告別式ではずっとヒラサワ曲が流れ、出棺は「ロタティオン」だったそうだ。偉大な今さんの人生のフィナーレに私ごときの音楽が役に立てて光栄の極みである。正座。合掌。今さん、恐縮です。”. 2014年2月11日閲覧。
  31. ^ 本人公式サイト内UNRELEASED COMIC(2011年1月3日閲覧)[リンク切れ]には「'95/10月号〜'96/6月号」とあり、また『OPUS』単行本下巻158ページでは「1995年10月号から翌6月号まで」と書かれているが、いずれも不正確。最後の掲載となった1996年第6号は3月6日発売(3月20日発行)。
  32. ^ Awards for Perfect Blue(1998) Internet Movie Database
  33. ^ Awards for Sennen joyû (2001) Internet Movie Database
  34. ^ 2001Japan Media Arts Festival Animation Division Grand Prize Millenial Actress 文化庁メディア芸術プラザ(2007年10月18日時点のアーカイブ
  35. ^ Awards for Tokyo Godfathers (2003) Internet Movie Database
  36. ^ 2003 Japan Media Arts Festival Animation Division Excellence Prize TOKYO GOD FATHERS 文化庁メディア芸術プラザ(2007年10月19日時点のアーカイブ
  37. ^ Awards for Papurika (2006) Internet Movie Database

外部リンク[編集]