橋本晋治

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はしもと しんじ
橋本 晋治
プロフィール
生年月日 (1967-10-06) 1967年10月6日(56歳)
出身地 日本の旗 日本京都府
出身校 高校
職業
活動期間 1987年 -
ジャンル アニメーション
交流関係 橋本浩一(兄)
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橋本 晋治(はしもと しんじ、1967年10月6日 - )は、日本のアニメーター[1]京都府出身[1]。同じくアニメーターの橋本浩一は兄[2]

テレコム・アニメーションフィルムを経て、フリーのアニメーターとして劇場作品を中心に活動する[1]

経歴[編集]

1979年の劇場版『銀河鉄道999』のブームの頃、3歳上の兄、橋本浩一の影響で金田伊功の作画を好きになる。そこから小松原一男杉野昭夫などにも興味を持つようになり、アニメーターを志す[1]

1986年に高校を卒業すると、先に東京に出てアニメーターになった兄を追うように3年遅れで上京し、テレコム・アニメーションフィルムに入社[1][注 1]。富沢信雄に指導を受ける[1]

1年ほどでテレコムを辞めてフリーになり、テレビアニメ『きまぐれオレンジ☆ロード』で原画デビュー[1]

1989年、大平晋也と出合い、St. BREAKを結成[1]。大平と共同で作画監督を務めた『THE八犬伝』第1話「万華鏡」で業界の注目を集める[1]

1991年、『夢枕獏 とわいらいと劇場』の「骨董屋」と「四畳半漂流記」に参加[3]。「四畳半漂流記」では初演出を担当した[3][注 2]

1994年、『THE八犬伝 〜新章〜』の第3話「妖猫譚」の作画監督を橋本単独で務める[3][注 3]。橋本と第4話「はまじ再臨」の作画監督を一緒にやるつもりだった大平は、代わりに湯浅政明を共同作業に誘った[3]

『THE八犬伝 〜新章〜』の後、大平が一度業界を辞めて郷里に帰ったため、気が抜けた橋本も京都に帰郷し、1年ほどアニメーション制作から離れた[3][4]

1996年、『X -エックス-』『天地無用! in LOVE』『地獄堂霊界通信』で京都に居住したまま業界復帰[4][注 4]

1998年、映画『SPRIGGAN』と『PERFECT BLUE』の仕事を請ける。『PERFECT BLUE』は仕上げたものの、『SPRIGGAN』の作業が全く進まず、制作会社STUDIO4℃社長の田中栄子に東京に呼び出される。そしてCGI担当の4℃の安藤裕章宅に居候しながら残りの仕事を仕上げた[4]

『SPRIGGAN』が終わったら京都に帰るつもりだったが、スタジオジブリ田辺修に『ホーホケキョ となりの山田くん』に誘われて参加。そのままその後も東京に残り続けることになった[4]

人物・作風[編集]

リアル系作画を代表するアニメーターの一人[1]。自分で芝居したビデオを参考に作画をするという独特の手法をとり、よりリアリティのある作画を実現している[1]。映画『ユンカース・カム・ヒア』の頃からビデオを撮ってそれを参考にして作画するようになり、それ以降、ほとんどの作品で行っている[3]。芝居するのが恥ずかしくて最初は自撮りしていたが、『THE八犬伝』から他人と撮り合うようになる[3]。始めた理由は、アニメーターになる前にデッサンなど絵の勉強をしたことが無く、他のアニメーターとの差を感じていたから[3]。映像はあくまで参考で、模写をするというよりも実際に自分で芝居をしてその感覚を活かすために行っている[3]。また実際に演技できないアクションシーンなどは実写映画を参考にすることもある[3]

顕著な影響を受けたアニメーターは、大平晋也、うつのみやさとる磯光雄の3人[5]。大平には最も大きな影響を受け、公私にわたって交流している[1]。1989年の『御先祖様万々歳!』で出会ってすぐに意気投合し、『エンゼルコップ』にSt. BREAKというスタジオ名[注 5]で参加し、以後、一緒に仕事をするようになる[1]。うつのみやについては、1987年の『真魔人伝 バトルロイヤルハイスクール』と劇場版『ダーティペア』でファンになった[1]。彼の大胆かつ繊細な部分にインパクトを感じ、その格好良さや個性的で面白い所に惹かれたという[3]。磯には、とにかく原画の枚数が多いところと、すべての絵を原画で描いてしまっているところに驚かされた[5]。彼の真似をしてみたが上手く行かなかったという[5]

自分の作品を作りたいという気持ちはあまり無いという[5]

参加作品[編集]

テレビアニメ[編集]

劇場アニメ[編集]

OVA[編集]

Web アニメ[編集]

実写映画[編集]

PV[編集]

  • どれどれの唄(2005年)原画

CM[編集]

  • KNBユメデジPRスポット「はじまるよ えらいこっちゃ編/テレビ新世界編/新世界遊泳編」(2004年)演出[注 6]
  • AutoPanther[オートパンサー](2016年)作画[注 7]
  • NTTドコモ - 『メアリと魔女の花』のdポイントキャンペーンムービー「ポインコって飛べるの…?!」(2017年)

出版物[編集]

絵本[編集]

  • はしもとしんじ (著, イラスト)『ゆっちゅとめっぴとほしのゆうえんち[6]』(スタジオジブリ編集、ゴマブックス、2007年7月4日発売)ISBN 978-4-77-710652-3

画集・絵コンテ集[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 兄はタツノコ研究所に入っていた。
  2. ^ この時の線の描き方は、漫画家の井上三太の筆圧の強い描き方の影響を強く受けている。
  3. ^ 『THE八犬伝』第1話の時に大平と揉めたために一緒にやることに不安があったのと、ファンだったうつのみやさとると一緒にやりたいというのが理由だった。
  4. ^ 電話で打ち合わせをして絵コンテを送ってもらい、原画は宅急便で東京に送ったという。
  5. ^ 使用したのは『エンゼルコップ』だけだが、橋本は特に解散したわけではないという。
  6. ^ 北日本放送のイメージキャラクター、ゆっちゅ、めっぴ、エチューをアニメーション化したPRスポットを手がけた[6]
  7. ^ 鹿児島県のカーディーラー、オートパンサーの鉛筆画を用いたアニメーションCM[7]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 小黒祐一郎 (2004年1月9日). “animator interview 橋本晋治 (1)”. WEBアニメスタイル. 株式会社スタイル. 2022年11月4日閲覧。
  2. ^ 小黒祐一郎 (2001年4月28日). “animator interview 大平晋也 (1)”. WEBアニメスタイル. 株式会社スタイル. 2022年11月4日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k 小黒祐一郎 (2004年1月14日). “animator interview 橋本晋治 (2)”. WEBアニメスタイル. 株式会社スタイル. 2022年11月4日閲覧。
  4. ^ a b c d 小黒祐一郎 (2004年1月22日). “animator interview 橋本晋治 (3)”. WEBアニメスタイル. 株式会社スタイル. 2022年11月4日閲覧。
  5. ^ a b c d 小黒祐一郎 (2004年1月30日). “animator interview 橋本晋治 (4)”. WEBアニメスタイル. 株式会社スタイル. 2022年11月5日閲覧。
  6. ^ a b c "橋本 晋治"の紙の本一覧”. honto. 大日本印刷. 2022年11月4日閲覧。
  7. ^ 沓澤真二 (2016年9月22日). “「マッハGoGoGo」風のカーチェイス! 鹿児島カーディーラーのアニメCMが力強い鉛筆画でド迫力”. ねとらぼ. アイティメディア. 2022年11月4日閲覧。