未完の対局

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

未完の対局』(みかんのたいきょく)は、日中国交正常化10周年記念映画として製作された、戦後初の日中合作映画1982年公開。大正から日中戦争を挟んだ昭和にかけて、日本中国囲碁の天才棋士の交流を描いた作品。同名のノベライゼーションも出版されている。

諸元[編集]

  • 製作 「未完の対局」製作委員会(東光徳間、北京電影制片廠)
  • 配給 日本では東宝にて配給
  • 監督 佐藤純彌段吉順
  • 134分

制作の経緯[編集]

1979年北京映画撮影所発行「電影制片」7月号に、李洪洲、葛康同の共同名による文学台本「一盤没有下完的棋」が発表され、これを読んで感動した北京映画撮影所の李華が日中合作による映画化を大映社長徳間康快に提案した。監督には日本側は中村登が予定されたが、制作途中の1981年に中村が死去したため、『君よ憤怒の河を渉れ』が中国で大ヒットした佐藤純彌を起用。中国側の主演も当初は中国映画界の大スター趙丹だったがクランクイン直前にガンで死去、孫道臨に変更された。日本側では興行的要素から主人公を棋士以外とすることを提案したが、中国側の熱意でこれを変更することはせず、脚本を安部徹郎、脚本改訂を神波史男で撮影台本を完成させる。

あらすじ[編集]

1924年(大正13年)、日本の棋士松波麟作六段は中国を訪れ、江南の棋王と呼ばれる況易山と対局するが、官憲の妨害が入って中断する。松波は易山の息子阿明の才能を見込み、日本で囲碁の修行をさせるために引き取るが、その後日中は戦争の波に飲み込まれる。阿明は天分を発揮し、1941年(昭和16年)に天聖位に就くが、軍部に日本帰化を強要され、密航により中国帰国を企てるが憲兵に射殺される。戦争が終り、1960年(昭和35年)に第1回日中囲碁交流の代表団として訪中した松波は易山と再会する。

本作の登場人物は、1928年に14歳で来日した呉清源とそのライバル木谷實を思わせる点もある。実際の呉清源は戦前、戦後にかけて日本囲碁界の第一人者となったが、中国側の脚本家は呉清源の故事が念頭にあったことを述べている。[1]

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

受賞・評価[編集]

受賞[編集]

評価等[編集]

  • 中国では制作段階から大きく評判になり、ロケ先の各地方では大歓迎を受けた。[2]
  • 中国側の脚本家は陳祖徳とも親しいなど囲碁に理解が深かったが、日本側スタッフは囲碁に詳しくないためか、対局の場面に迫力がないとの批判もある。[3]
  • 日本国内では作品内容に関して右翼が反発し、上映を妨害する事件が発生した。

ノベライゼーション[編集]

映画制作と並行してノベライゼーション『未完の対局』が南里征典によって書かれ、公開と同時に刊行された。

脚注[編集]

  1. ^ 松島利行『囲碁と映画の文化論(21)』(「碁ワールド」誌2005年1月号)
  2. ^ 南里征典『未完の対局』あとがきにかえて
  3. ^ 松島利行『囲碁と映画の文化論(18)』(「碁ワールド」誌2004年12月号)

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]