忍者武芸帖 百地三太夫

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忍者武芸帖 百地三太夫
監督 鈴木則文
脚本 石川孝人
神波史男
大津一郎
出演者 真田広之
蜷川有紀
志穂美悦子
丹波哲郎
夏木勲
千葉真一
音楽 バスター
撮影 中島徹
編集 市田勇
製作会社 東映京都
配給 東映
公開 日本の旗1980年11月15日
上映時間 117分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
配給収入 4億円[1]
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忍者武芸帖 百地三太夫』(にんじゃぶげいちょう ももちさんだゆう)は、1980年の日本の時代劇アクション映画

鈴木則文監督。真田広之の初主演映画である[2]。また、蜷川有紀の女優デビュー作品でもある。

千葉真一アクション監督を務め、ジャパンアクションクラブ (JAC) による破天荒なアクションが展開される。主演の真田も高さ25メートルの城のセットからダイブするなど、体を張ったアクションを披露している[3]

あらすじ[編集]

時は戦国時代。天下統一を目指す豊臣秀吉伊賀忍者を滅ぼし、その地に眠る莫大な金山を手中に収めるため、不知火将監に伊賀の討伐を命じる。

将監率いる大軍の攻撃で金山を守る百地三太夫が治める百地荘は滅ぼされ、三太夫ら一族も滅亡した。 しかし、三太夫の息子・鷹丸はじめ、おつうなど数人の手下はかろうじて逃れ、鷹丸はに渡る。

10年後、鷹丸は帰国、おつうとも再会するが、おつうは服部半蔵の手下となっており、百地の金山を狙う半蔵の手先として働いていた。

鷹丸は父の親友であった戸沢白雲斎に弟子入りして厳しい修行に耐え、復讐の機会をうかがう。

やがて天下を取った秀吉は、家康を討つべく、将監を派遣した。鷹丸はこの機に乗じて復讐を果たそうと後を追う。また、鷹丸を思うおつうの一途な気持ちに屈した半蔵も鷹丸に協力を約束。さらに鷹丸と明で知り合い、彼を追って来日したカンフー使いの美女・愛蓮も加わり、ここに空前の大決戦が始まった。

キャスト[編集]


スタッフ[編集]

製作[編集]

企画・脚本[編集]

1979年末、企画、日下部五朗・本田達男、脚本神波史男大津一郎のメンバーでスタート。監督は未定。神波と大津がジャッキー・チェン主演の香港カラテ映画を参考にナンセンスアクションを目指し脚本を書いた[5]。主演も未定でアクションの出来る新人を探す予定で、主演イメージは松田優作だった[5]スラップスティックもOKといわれ、神波と大津も大いにのって脚本第一稿を提出したが、岡田茂東映社長がクレームをつけ、マジメな時代劇に突如変更させられた[5]。神波と大津とも落胆激しく、マジメ忍者時代劇に書き直し1980年4月初旬、第二稿が完成[5]。   

キャスティング[編集]

1980年4月、日下部五朗プロデューサーより、千葉真一主宰、ジャパンアクションクラブ(JAC)所属の真田広之主演、アクション監督・千葉真一の条件が、鈴木則文に提示され監督を受諾[5]

脚本改訂[編集]

真田の個性を活かすために、作品のカラーを「笛吹童子」「紅孔雀」風にしたいと鈴木が要望し、脚本改訂10日間の条件で脚本を石川孝人に変更[5]。日下部と佐藤雅夫企画課長より、「真田広之をスターにし、二弾、三弾と連打できる体勢をつくる」という強い要望が出され、ニューヒーロー真田広之の魅力を押し出す脚本改訂が行われた[5]

興行形態[編集]

製作費は1980年2月公開の『影の軍団 服部半蔵』(工藤栄一監督)と同じ予定であったが、4月当時の封切り作品が成績振るわず、2000万円カットされる。鈴木が「まず添え物プログラムピクチャーから、出発したらどうか、二本立てでの公開が望ましい」と意見したが、当初は大作一本立てで、1980年9月一週目の封切りの予定であった。7月に入り封切りは11月一週目と決定した[5]

撮影[編集]

8月下旬、比叡山ロケ服部半蔵役の夏木勲が左足を骨折。全治三ヵ月と診断され、キャスティングの変更を検討するが、夏木及び、鈴木、千葉が続投を熱望し8月末で撮影を一時中断、10月に撮影再開が決まる。9月の半分はスケジュール未消化のアクション撮影が行われた[5]

トラブル[編集]

大作一本立ての予定だったが、クランクアップ数日前の10月中旬、中島貞夫監督作『さらば、わが友 実録大物死刑囚たち』との二本立てが決定する。これに鈴木監督、日下部・本田両プロデューサーが強く反発。「両作品の観客層が全く違い、相乗効果はない。『忍者武芸帖 百地三太夫』のターゲットは主として10代の少年少女であり、一本立てのつもりで撮影したため、急には二本立ての長さに短縮できない」などと主張。これに対して高岩淡常務映画本部長が「両作品とも一本立てでは危険が多い。宣伝予算も少なく、二本分の宣伝費がかけられるプラスもあると判断した」と解答し、決定は変わらず[5]。 

作品の評価[編集]

興行成績[編集]

一週間を待たずして営業部より赤字が宣告される[5]

批評[編集]

映画評論家西脇英夫は「巻頭から、ラストシーンまで、力と技のこもったアクションでぎっしりとつなぎ、息をぬかぬ誠実さがさわやかに伝わってくる大衆娯楽映画」と評価している[6]

同時上映[編集]

さらば、わが友 実録大物死刑囚たち

脚注[編集]

  1. ^ 竹入栄二郎「アイドル映画 データ分析」、『キネマ旬報1983年昭和58年)8月下旬号、キネマ旬報社1983年、 41頁。
  2. ^ 真田広之だから「ハリウッド」口出しOK - 芸能ニュース : nikkansports
  3. ^ 疾風怒濤の忍術大合戦 CINEMA 忍法帖|作品解説1/ラピュタ阿佐ケ谷
  4. ^ 「忍者武芸帖 百地三太夫」ミニトーク | 京都ヒストリカ国際映画祭
  5. ^ a b c d e f g h i j k #シネ81、154–155頁、鈴木則文「わが娯楽映画論 それでも私は行く」。
  6. ^ #シネ81、170頁。西脇英夫「1980・日本映画この一本 忍者武芸帖 百地三太夫」。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]