半七捕物帳
『半七捕物帳』 (はんしちとりものちょう) は、岡本綺堂による時代小説で、捕物帳連作の嚆矢とされる。
かつて江戸の岡っ引として、化政期から幕末期に数々の難事件・珍事件にかかわった半七老人を、明治時代に新聞記者の「わたし」が訪問し、茶飲み話のうちに手柄話や失敗談を聞きだすという構成で、旧幕時代の風俗を回顧しながら探偵小説としての謎解きのおもしろさを追求する趣向の小説である。作中で「捕物帳」とは、町奉行所の御用部屋にある当座帳のようなもので、同心や与力の報告を書役が筆記した捜査記録をさしている。
近代日本における時代小説・探偵小説草創期の傑作である。1917年(大正6年)に博文館の雑誌「文芸倶楽部」で連載が始まり、大正年間は同誌を中心に、中断を経て1934年(昭和9年)から1937年(昭和12年)までは講談社の雑誌「講談倶楽部」を中心に、短編68作が発表された。他に、半七の義父である吉五郎親分を主人公とする中篇『白蝶怪』があり、しばしば番外編として扱われる。68作の中にも他人が解決した事件の手伝い、あるいは過去事件の伝聞などとして半七がほとんど、あるいは全く登場しない事件が数話存在するが、いずれも半七老人が語り始める導入部となっているのに対し、『白蝶怪』は末尾に1行、半七に関わる但し書が添えられただけの完全三人称小説であり、シリーズに含めて数えないことが多い。
また、綺堂の別作品『三浦老人昔話』は、半七老人の知人・三浦老人の話を本作『半七捕物帳』の「わたし」が聞き書きしたものという構成となっており、本作のスピンオフ的要素が多く含まれている。
内容と評価[編集]
厳密な時代考証や綺堂自身の伝聞・記憶などから、江戸期の江戸八百八町を小説の上にみごとに再現した情趣あふれる作品で、時代小説としてのみならず風俗考証の資料としても高い価値を持ち、明治期の「現代人」を媒介に、江戸時代を描写する遠近法的手法が使われている[1]。
本格推理、怪談風味、サスペンスなど物語の展開も多様である。同時代の大衆小説に多く見られる装飾語過多や大袈裟さとは一線を画した、すっきりした文章が特徴で、解説者都筑道夫は「まるで今年書かれた小説のようだ」と評した。江戸情趣の描写に関してもむしろ抑制的で、あくまでストーリーテリングや謎解きに従属する形である。出来不出来のばらつきも少なく、解説者北村薫は「全部をお読みくださいと言うほかない」と述べた。
綺堂は「シャーロック・ホームズ」を初めとする西洋の探偵小説についての造詣も深かったが、『半七捕物帳』は探偵小説としては推理を偶然に頼りすぎたり、事件そのものが誤解によるものだったりして、今日の推理小説の基準から比べれば、謎解きとしての面白さは左程ではないとも言われる[2]。しかし何作かは本格性の高い作品である。国産推理小説がほとんど存在しなかった時期に先駆的役割をつとめたことは確かである。
半七の人物像[編集]
文政6年(1823年)生まれ。父親は日本橋の木綿問屋の通い番頭半兵衛。母はお民。13歳のとき(1835年)に父親が亡くなったために、一家は頼りを失う。半七は奉公に出るが道楽の味を覚え、放蕩三昧の時期がしばらくつづいた後、18歳(1840年)で神田三河町の御用聞き吉五郎の手下となる。翌天保12年(1841年)12月、19歳で「石灯籠」事件の初手柄をあげて以来、その機転のきいた推理と行動力で吉五郎一家で頭角をあらわし、3、4年後(1844年または1845年)に吉五郎が病死した後は、遺言により一人娘のお仙と結ばれ、御用聞きの跡目を相続する。「三河町の半七」が通称である。以後、名探偵として同心や同僚の目明しから多大な信頼を寄せられ、各種の難事件、珍事件に携った。4歳違いの妹であるお粂は常盤津の女師匠・常盤津文字房であり、明神下で母親と女所帯を構えている。半七の家とも往来がある。勘を基点として推理力を働かせ、その目星にしたがって自分や子分の手で聞き込みにより傍証を集めていく手法で、性格はかなり温厚で粘り強い。腕っ節に物を言わせることもあるが、恫喝や威嚇などは心理作戦として用いる程度である。自身が語り手ということもあるが、激情にかられるような描写はほとんど見られない。
維新後に廃業。その前後に養子を取って唐物屋を開かせ、「わたし」との交際が生まれた日清戦争後(1894年(明治27年)以降)の時期には場末の赤坂に隠居している。この時点でお仙はすでに没し、養子は40歳。孫が2人いるらしい。甥との交流も出てくるが、お粂の子としては年輩があわないところもあり、詳細は不明である。
赤坂では老婢と2人ぐらし。猫を飼っている。江戸時代以来の季節ごとの行事やしきたりを律儀に重んじて暮らす昔かたぎな老人であるが、反面新しもの好きでもあり、新時代にも悪い印象は決して持っていない。いち早く電燈や鉄道を利用していることが作中示されている。また、比較的まめに物詣や遊山に外出し、なかなか健脚である。話好きで、「前置きが長い」と自分で断りながらも、若い「わたし」に昔話をするのをたいへんに好んでいる。交際が広く、綺堂の別の作品「三浦老人昔話」の主人公である三浦老人をはじめとして、昔の事件でかかわった人々とも、明治以降も付合いをつづけている。読書は歴史小説が好み。酒はたしなむ程度で、下戸である。1904年(明治37年)没。享年81。
後世への影響[編集]
この作品の成功によって、以後時代小説と探偵小説を融合した「捕物帳もの」が文学上定着し、時代小説・探偵小説双方の作家によって様々な捕物帳が書かれることになるが、そのなかでも『半七捕物帳』は常に別格的な傑作として位置づけられる。野村胡堂は、江戸風俗の厳密な考証では綺堂にはかなわないと考え、『銭形平次捕物控』の時代設定を寛永の昔に引上げた。もっとも後期の作品風俗は、化政や天保時代になっている。野村胡堂『銭形平次捕物控』、佐々木味津三『右門捕物帖』(むっつり右門)、横溝正史『人形佐七捕物帳』、城昌幸『若さま侍捕物手帖』を加え、「五大捕物帳」とも称される[3]。
『半七捕物帳』はその江戸情緒と小説としての人気から何度も舞台化され、もっとも有名なのは六代目尾上菊五郎による「春の雪解」や「勘平の死」の劇化である。戦後において半七を持役にした代表的な存在は長谷川一夫である。銭形平次と比べ、半七は捜査能力は高いが温厚で中庸な人物であり、特別な個性、体技、決め台詞、トレードマーク、名脇役のようなものを持たず、話やキャラクターが地味な構成であるため、近年では演劇・テレビ・映画などで取り上げられる機会は少ない。
近年の刊本など[編集]
- 光文社文庫(全6巻)、新装版 2001年(平成13年)
- 春陽堂書店 春陽文庫(全7巻)、1999年(平成11年)-2000年(平成12年)
- 『傑作選 読んで、「半七」!』、『傑作選 もっと「半七」!』
- 『半七捕物帳 江戸探偵怪異譚』 宮部みゆき編、新潮文庫、2019年(令和元年)
- 『半七捕物帳 年代版』まどか出版(2011~2013年)、全8巻の予定だったが、第5巻で途絶した。
かつては青蛙房や角川文庫で出された。1987年(昭和62年)までは旺文社が文庫本の出版権を十数年間保有し、作品集を旺文社文庫(全6巻)で刊行した。旺文社が文庫レーベルの刊行を終えた際は、内外の人気・名作とされる古典作品を中心に、この文庫でのみ事実上入手可能な作品が数多く存在したことから、それら作品の以後の出版権の行方などを巡って、出版業界ではちょっとした騒ぎになった。その渦中にあって、『半七捕物帳』シリーズは出版業界内外から最も注目を集めた作品の一つであった。1985年(昭和60年)から1986年(昭和61年)に光文社文庫で再刊された。
- 五十嵐佳子による『半七捕物帳リミックス!』(白泉社招き猫文庫、2015年)で新たな読者向けに、現代的な表記・意訳・解釈を織り交ぜた編著も刊行。
神田たけ志作画で「半七捕物帳 春の雪解編」(主婦の友:魂別冊、2019年3月)でコミック化されている。
現代日本文学の翻訳・普及事業によってフランス語翻訳本が出版されており、2012年時点で販売部数は6519冊とされる[4]。
電子出版で、ニンテンドーDSソフト『みんなで読書DS 捕物帳 半七&右門&安吾&顎十郎&旗本退屈男』で69編を読むことが出来、また青空文庫にて全編が公開され、インターネット上で無料で読むことができる。
関連文献[編集]
- 今井金吾 『「半七捕物帳」江戸めぐり 半七は実在した』 ちくま文庫、1999年。ISBN 4-480-03459-5 -「半七は実在した」河出書房新社、1989年を改訂
- 今井金吾 『「半七捕物帳」大江戸歳事記』 ちくま文庫、2001年。ISBN 4-480-03615-6 -「江戸っ子の春夏秋冬」河出書房新社、1991年を増訂
- 今井金吾編 『半七の見た江戸 『江戸名所図会』でたどる「半七捕物帳」』河出書房新社、1999年。ISBN 4-309-22349-4。
- 大村彦次郎 『時代小説盛衰史』 筑摩書房、2005年/ちくま文庫(上) 2012年 - 第7章 岡本綺堂と「半七捕物帳」
- 岡田喜一郎 『半七捕物帳お江戸歩き』 河出書房新社、2004年。ISBN 4-309-01666-9 - 地図写真多数の江戸東京散歩ガイド。
- 岡本経一 『「半七捕物帳」解説』 青蛙房、2009年。ISBN 4-7905-0807-2 - 養嗣子による長年の解説集。
- 今内孜編著 『半七捕物帳事典』 国書刊行会、2010年。ISBN 4-336-05163-1 - 大著
- 浅子逸男 『御用!「半七捕物帳」』 鼎書房、2019年。ISBN 4-907282-55-9
テレビドラマ[編集]
7代目尾上菊五郎 テレビ朝日版[編集]
「時代劇スペシャル」 露口茂 フジテレビ版[編集]
放送日 | サブタイトル | 監督 | 脚本 | 出演者 |
1984年3月29日 | 怪談津の国屋 | 新津左兵 | 下飯坂菊馬 | 露口茂(三河町の半七)、松尾嘉代(お米)、岡江久美子(文字春)、水野久美(お松)、浅沼友紀子(お雪)、田中綾子(お安、お兼)、加藤和夫(池田屋十右衛門)、奥村公延(伊左衛門)、原田千枝子(お藤)、守田比呂也(熊蔵)、谷村昌彦(竹造)、十文字重忠 |
半七捕物帳 十手無用の仮面舞踏会[編集]
里見浩太朗 日本テレビ版[編集]
- 1992年(平成4年)10月13日 - 1993年(平成5年)3月2日、日本テレビ系毎週火曜日20時より放送
- 製作:ユニオン映画
- 出演:里見浩太朗(三河町の半七)、山城新伍(鳥越の長次)、片平なぎさ(お千加)、丹波哲郎(白河楽翁)、堤大二郎(小山恭公)、松村雄基、有沢妃呂子(お初)、西山浩司(庄太)、丹古母鬼馬二(熊蔵)、太宰由美子ほか
サブタイトル[編集]
話 | 放送日 | サブタイトル | 脚本 | 監督 | ゲスト |
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第1話 | 1992年 10月13日 |
仏の半七鬼になる! (SP) |
鈴木生朗 | 小澤啓一 | 白河楽翁:丹波哲郎、江波杏子、青木義朗 中田浩二、内田勝正、松村雄基、山口美也子 河原崎建三、横光克彦、浜伸詞、高橋一生 |
第2話 | 10月20日 | 情け心が悪を討つ | 和久田正明 | 関本郁夫 | あいはら友子、坂上忍、鶴田忍、重久剛一 島かおり、松井紀美江、吉田哲子、寺下貞信、佐々山洋一 |
第3話 | 10月27日 | 娘いれずみ鬼十手 | 戸川京子、工藤堅太良、田中明夫、沖田さとし 石倉英彦、小池栄、志乃原良子、塚本加成子 当銀長太郎、谷口孝史 | ||
第4話 | 11月03日 | 八丁堀友情の十手 | ちゃき克彰 | 斎藤光正 | 山下規介、日向明子、田口計、宮口二郎、頭師佳孝 新海百合子、本間由美、西園寺章雄、加藤貴子 |
第5話 | 11月10日 | 十五年目の悲願 | 鈴木生朗 | 伊藤麻衣子、篠塚勝、金内喜久夫、川辺久造 清水昭博、前沢保美、北見唯一、楠年明 | |
第6話 | 11月17日 | 花吹雪! 女親分 | 和久田正明 | 金鐘守 | 根岸明美、松本友里、亀石征一郎、島英臣 山本弘、田中弘史 |
第7話 | 11月24日 | ろくでなし | 名倉勲 | 安岡力也、竹村愛美、菅貫太郎、木村栄 結城市朗、伝法三千雄、久賀大雅 | |
第8話 | 12月01日 | 十手を憎んだ女 | ちゃき克彰 | 小澤啓一 | 芦川よしみ、小野武彦、穂積隆信、加藤貴子、鈴川法子 宮本大誠、赤城太郎、入江武敏 |
第9話 | 12月08日 | 恋しぐれ鎌倉河岸 | 鈴木生朗 | 浜田晃、伊東達広、三條美紀、梶三和子 浜田東一郎、徳江一裕、佐々木剛 | |
第10話 | 12月15日 | 死神を刺した女 | 塙五郎 | 原田雄一 | 山本みどり、立川三貴、長谷川明男、高桐真 森下鉄朗、白井滋郎 |
第11話 | 12月22日 | 闇の顔役 | 鈴木生朗 | 関本郁夫 | 江波杏子、原田清人、沖田さとし、西山辰夫 岡田正典、多賀勝、下元年世、水上保広 本間由美、関根大学、塚本加成子 |
第12話 | 1993年 1月12日 |
艶姿 隼小僧参上 | 田上雄 | 原田雄一 | 白河楽翁:丹波哲郎、中村あずさ、江見俊太郎、松村雄基 須永克彦、唐沢民賢、赤城太郎、石倉英彦 |
第13話 | 1月19日 | 氷雨の女 | ちゃき克彰 | 金鐘守 | 南條玲子、長谷川哲夫、睦五朗、吉田次昭 岩尾正隆、村上理子 |
第14話 | 1月26日 | 折り鶴の女 | 長山洋子、井上高志、中田浩二、久富惟晴 石倉英彦、日高久、登克子、和田かつら | ||
第15話 | 2月02日 | べらんめえお嬢様! | 和久田正明 | 井上泰治 | 砂川啓介、水原まき、早川純一、田中雅子 中村孝雄、浜伸詞、勝野賢三、小柳圭子 |
第16話 | 2月09日 | 悲しみの色の女 | 金鐘守 | 岡まゆみ、丹波義隆、玉川伊佐男、五味龍太郎 芝本正、松田明、国田栄弥、疋田泰盛 | |
第17話 | 2月16日 | 恋仇! 五十両の賞金首 | 田上雄 | 井上泰治 | 冨家規政、岩本千春、長谷川弘、黒部進 曽根晴美、北見唯一、島村晶子、高井清史 |
第18話 | 2月23日 | 十手無情恋しぐれ | 塙五郎 | 関本郁夫 | 蜷川有紀、磯部勉、山内としお、朝日完記 浜田雄史、亀井賢二、山口朱美、恋塚ゆうき、五十嵐義弘 |
第19話 | 3月02日 | 半七危機に立つ! | 小川英 南賀明子 |
金鐘守 | 竹井みどり、宮口二郎、田口計、小沢象 広世克則、出水憲、荻原郁三 |
新・半七捕物帳[編集]
其の他[編集]
- 半七捕物帳
- 半七捕物帳
- 半七捕物帳
- 半七捕物帳
- 半七捕物帳(製作:東映)
TBS 水曜劇場 | ||
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
TBS 水曜劇場 | ||
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ラジオ作品[編集]
- 東海ラジオ開局50周年「半七捕物帳」(月曜~金曜 21時30分~21時50分)
- 番組名のとおり、東海ラジオが開局50周年記念番組のひとつとして、2009年(平成21年)10月5日から2010年(平成22年)3月まで放送された。なおラジオドラマ形式ではなく、5日間で1話完結の朗読形式である。出演は東海ラジオのアナウンサーが週替わりで登場するが、新聞記者としてリスナーを案内する原光隆と半七の源石和輝はレギュラー出演である。また番組終盤部分に「半七メモ」として、不定期交代で角田智美・山口由里により、解説が必要だと思われる用語などが登場する作品の際に紹介される。
- 作者の表現を尊重するためか、基本的に原文のまま朗読しているため、現代においては不適切な表現もそのまま朗読されるが、その際は原によって番組の最後にそのことが伝えられる。
- 元々は2008年(平成20年)の年末に特別番組として放送したものが好評だったことから、この放送につながっているらしい[5]。
その他[編集]
脚注[編集]
- ^ 詩人田村隆一は昭和期に、東京人として『半七捕物帳を歩く ぼくの東京遊覧』(双葉社、1980年/朝日文庫、1991年)を著した。
- ^ 文庫解説もした都筑道夫は、後続の捕物帳の多くがそのミステリ的側面を継承し得ていないことを嘆いて『なめくじ長屋』シリーズを執筆した。
- ^ 縄田一男「編者解説」『八百八町の名探偵 : 捕物帳小説集』講談社、1994年、242頁。
- ^ 朝日新聞 2012年9月18日(火曜)付、文化面。
- ^ その事が書かれている外部ページ(東海ラジオ番組審議会・2009年10月の番組改編より)