文庫本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
図書館に並んだ文庫本

文庫本(ぶんこぼん)は、多数の読者が見込まれる書籍を収めた小型の叢書。多くはA6判で、並製のため廉価。版型は異なるものの、英米におけるペーパーバックと同等の普及版書籍。

1927年創刊の岩波文庫が古典の普及を目的として発刊され、戦後には多数の出版社から出された。既刊書籍の普及のための再刊が主だが、文庫本のための書き下ろしなども活発化している。

歴史[編集]

語彙の嚆矢[編集]

文庫の語は本来、図書を収蔵する書庫を意味するが、明治期に、読者が全体をまとめて購入する事が期待され、また、全巻が購入される事によって文庫と呼ばれるにふさわしいようなコレクションになるように企画された叢書全集のシリーズ名として用いられる事により、近代出版界の中で独特の用語として使われるようになった。初期文庫の名を持つ叢書に1893年創刊の帝國文庫博文館)があるが、これは四六判クロス装全冊1000頁以上という豪華本であって、現在の小型の廉価本としての「文庫本」のイメージからは遠いものである。

判型の発端[編集]

日本の文庫本のはじまりはドイツのレクラム文庫(1867年創刊)に範をとった1927年創刊の岩波文庫であるという記述をよく見かけるが、文庫本を「古典名作の小型廉価普及版」とするなら1903年創刊の袖珍名著文庫冨山房)が嚆矢である。なぜならこの文庫もまたドイツのレクラム文庫あるいはカッセル文庫に刺激されて生まれたものであり、豪華本帝國文庫に対し廉価版によって名作の普及を目指したものだったからである。また袖珍という判形も現在の文庫とほぼ同じものであった[1]。「袖珍」とは袖に入るくらいに小型なものの意で[2]、A6判やB7判以下の携帯に便利な小型の本はそれまで袖珍本や馬上本と総称されていた[3]。一方、時代的には先行する民友社刊行の国民叢書も同じ判型であるが、こちらは、書き下ろしの新作や海外著作の翻訳を収録した時事的な性格をもつものであった[4]。明治末期の1910年には三教書院の「袖珍文庫」が創刊し、古典から俗文学まで60冊程度が刊行され、表紙に施されたいちょうの葉の模様から「いちょう本」と通称されるほど人気を集めた[5][6]。これに続き、講談話などを集めた1911年創刊の立川文庫(立川文明堂)が非常な人気を呼び、その亜流もいろいろと生まれ、後世の大衆文学に大きな影響を及ぼした。立川文庫の3年後の大正3年(1914年)に新潮文庫が創刊され、現在まで続く「文庫本」としてはもっとも古い[7]

定着と拡散[編集]

現代に繋がる文庫出版という出版の一形式を日本に定着させたのは岩波文庫である。岩波文庫成功以降、新潮文庫改造文庫現代教養文庫など多くの文庫が出版社から立ち上げられたが、いずれも世界の古典的名著を安価に提供することを目的としている。なお新潮文庫は岩波文庫に先んじて創刊されたのであるが、岩波創刊時は廃刊になっていた、そのために岩波以後再刊されたものを第二次新潮文庫と呼ぶ。戦後に春陽堂文庫、新潮文庫が復刊し、角川文庫国民文庫などが創刊され、第2次文庫ブームがおきた。1970年代になると大手出版社も文庫に参入し、講談社文庫中公文庫文春文庫集英社文庫ハヤカワ文庫など、現在も刊行が続く文庫が生まれた(第3次)。1980年代には文庫は多様化をたどり、光文社文庫河出文庫ちくま文庫などの一方で、PHP文庫知的生きかた文庫ワニ文庫など実用的な内容の濃い文庫が出るようになった(第4次)。大手出版社も文庫を細分化し、講談社学術文庫や、角川ソフィア文庫などが出た。平成期になると、幻冬舎文庫ハルキ文庫などが創刊され、多数の出版社から多様な種類の文庫が現れた(第5次)。

文庫ブームの変遷[編集]

第1次
円本ブームの反動として、1927年(昭和2年)に岩波文庫が刊行され、ついで改造文庫春陽堂文庫新潮文庫が出て文庫ブームが起こった。
第2次
1949年(昭和24年) - 1952年(昭和26年):角川文庫現代教養文庫市民文庫アテネ文庫などが創刊された。
第3次
1971年(昭和46年) - 1973年(昭和48年):講談社文庫中公文庫文春文庫集英社文庫などが発刊され、戦後第2次文庫ブームが起こる。
第4次
1984年(昭和59年) - 1985年(昭和60年):光文社文庫徳間文庫PHP文庫ちくま文庫ワニ文庫講談社X文庫講談社L文庫廣済堂文庫祥伝社ノンポシェット福武文庫が創刊。
第5次
1996年(平成8年) - 1997年(平成9年):幻冬舎文庫ハルキ文庫小学館文庫などが創刊。

装幀[編集]

昭和期以降では、廉価で携帯に便利な形状をした、普及を目的とする小型本という出版形態の名として用いられるようになり、このため現代では、文庫といえば多くの場合、このような小型本を指すのが一般的である。

文庫と呼ばれる形態の出版物は、並製本(ソフトカバー)で、A6規格、105×148mmの判型をとるものが一般的である。この形態の本は「文庫本(ぶんこぼん)」とも呼ばれ、新書と同じように欧米のペーパーバックにあたる。ペーパーバックと同じように当初はジャケット(カバー)を持たなかったが、戦後の多くの文庫はジャケットを持つようになり、1983年より岩波文庫にもジャケットがつけられるようになった。なお、岩波少年文庫角川つばさ文庫フォア文庫など児童向けの文庫は高さが約18cmと、やや大きいサイズのものが多い。また、ハヤカワ文庫は途中から高さ約16cmと、通常よりやや大きいトールサイズをとるようになった。

現在の文庫本では、(本の上側面)を綺麗に切り揃えるものが多いが、岩波文庫新潮文庫などではそれを行っていない(天アンカット)ため、ページの縁が若干ずれ断面がギザギザしている。この理由について前者は「フランス装風の洒落た雰囲気を出すため」[8]と、後者は「スピン(紐状の栞)を先に貼り付けるために断裁ができない」[9]としている。

関連文献[編集]

  • 鈴木徳三「小型版・文庫本の呼称沿革考(前):「叢書の刊行篇」」『大妻女子大学文学部紀要18』、大妻女子大学、1986年3月、 NAID 110000128274
  • 鈴木徳三「小型版・文庫本の呼称沿革考(中):史的展開篇」『大妻女子大学文学部紀要19』、大妻女子大学、1987年3月、 NAID 110000128287
  • 鈴木徳三「小型版・文庫本の呼称沿革考(下):(続)史的展開篇・結び」『大妻女子大学文学部紀要20』、大妻女子大学、 NAID 110000128313
  • 『絶版文庫発掘ノート』岩男淳一郎、青弓社、1983年
  • 『文庫博覧会』奥村敏明、青弓社、1999年

脚注[編集]

  1. ^ 鈴木徳三「明治期における文庫本考(一):冨山房:袖珍名著文庫を中心に」『大妻女子大学文学部紀要11』、大妻女子大学、1979年3月、 NAID 110000128204
  2. ^ 袖珍(読み)シュウチンコトバンク
  3. ^ 袖珍本(読み)しゅうちんぼんコトバンク
  4. ^ 鈴木徳三「明治期における文庫本考(二):民友社・國民叢書を中心に」『大妻女子大学文学部紀要13』、大妻女子大学、1981年3月、 NAID 110000128219
  5. ^ 『出版興亡五十年』小川菊松、誠文堂新光社, 1953, p146
  6. ^ 袖珍文庫中島泉、岐阜県博物館「文庫の世界-文庫で見る日本の近現代史」
  7. ^ 「新潮文庫」とは新潮社
  8. ^ “文庫豆知識”. 編集部だより (岩波文庫編集部). http://www.iwanami.co.jp/hensyu/bun/mametisiki.html 
  9. ^ “新潮文庫とは?”. 新潮文庫 (新潮社). オリジナルの2016年4月15日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160415133354/http://www.shinchosha.co.jp/bunko/about/ 

関連項目[編集]