ハードボイルド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

ハードボイルド(英語:hardboiled)は、文芸用語としては、暴力的・反道徳的な内容を、批判を加えず、客観的で簡潔な描写で記述する手法・文体をいう。アーネスト・ヘミングウェイの作風などが一例である。ミステリの分野のうち、従来あった思索型の探偵に対して、行動的でハードボイルドな性格の探偵を登場させ、そういった探偵役の行動を描くことを主眼とした作風を表す用語として定着した。

概要[編集]

「ハードボイルド」は元来、ゆで卵などが固くゆでられた状態を指す。転じて感傷や恐怖などの感情に流されない、冷酷非情、精神的・肉体的に強靭、妥協しないなどの人間の性格を表す。今日ではミステリのサブジャンルとして扱われるのが一般的だが、サスペンスや一般小説など主人公をハードボイルド風の文体で描く作品は他のジャンルにもある。また、ミステリにおいては主人公は私立探偵とするものが一般的だが、必ずしも主人公が私立探偵であることがハードボイルドの条件ではない。特に私立探偵という職業が一般的ではない日本では、小説家(河野典生『殺意という名の家畜』)や非番の日の刑事(矢作俊彦『リンゴォ・キッドの休日』)など、さまざまな職業が探偵役として提案されている。また行動的な探偵が主人公であるが、ハードボイルドとは対照的に非情さを前面に出さず、穏健で道徳的な作品は「ソフトボイルド(soft boiled)」と呼ばれる。マイクル・Z・リューインのアルバート・サムスン・シリーズやハワード・エンゲルのベニー・クーパーマン・シリーズなどがこれに当たる[1]

ハリウッドでは第二次世界大戦中から多くのハードボイルド・スタイルの映画が作られ、『カサブランカ』(1942年)はアカデミー作品賞を受賞した。こうした第二次世界大戦中にアメリカで制作されたハードボイルド・スタイルの映画についてフランスの映画批評家・脚本家のニーノ・フランクが「フィルム・ノワール(film noir)」と呼んだ[2]ことから、映画においては「ハードボイルド」よりも「ノワール」という用語で語られることが多い。また「ノワール」はその後、文芸用語としても使われるようになったものの、本来、「ハードボイルド」と「ノワール」を明確に区切るラインがあるわけではない。フランス・ガリマール社のペーパーバック叢書「セリ・ノワール(série noire)」にはハードボイルド派と目される作家(たとえばダシール・ハメット)もノワール派と目される作家(たとえばウィリアム・アイリッシュ)も収められている。

ハードボイルド小説の歴史[編集]

ミステリのハードボイルド派は、1920年代アメリカで始まる。パルプ・マガジンブラック・マスク』誌(1920年創刊)に掲載されたタフで非情(ハードボイルド)な主人公たちの物語がその原型で、同誌にはキャロル・ジョン・デイリー、ダシール・ハメット、E・S・ガードナーレイモンド・チャンドラーらが寄稿した。特にハメットは『血の収穫』(1929年)や『マルタの鷹』(1930年)などにおいて、簡潔な客観的行動描写で主人公の内面を表現し、ハードボイルド・スタイルを確立した。『大いなる眠り』(1939年)で長篇デビューしたチャンドラーは、ハメットのスタイルに会話や比喩の妙味を加え、独特の感傷的味わいを持つ『さらば愛しき女よ』(1940年)、『長いお別れ』(1953年)などのフィリップ・マーロウ・シリーズを発表した。なお、文芸用語としての「ハードボイルド」は『血の収穫』に対する書評において既に認められるものの、「ハードボイルド派」を意味するhardboiled schoolという語が用いられるようになったのは第二次世界大戦後で、その第1号はエラリー・クイーンだったとされる[3]。またハワード・ヘイクラフトも『ミステリの美学』(1946年)において「ハードボイルド派」という語を用いているものの、同書に収められた「黎明期の問題(The Case of the Early Beginning)」でE・S・ガードナーは「行動派探偵小説(the ACTION type of mystery story)」という言い方をしており、彼自身も「行動派ミステリーの名手」と呼ばれることが多い。

ハードボイルド派という用語が確立するのと時を同じくして、その後継者と目される作家も現れるようになり、『動く標的』(1949年)で私立探偵リュウ・アーチャーを登場させたロス・マクドナルドは先駆者のスタイルを踏襲しつつ、登場人物の動機に関する洞察と心理学的な深みを追加した。一方、『裁くのは俺だ』(1947年)でデビューしたミッキー・スピレインは暴力とセックスを扇情的な文体で描き、本作で「暴力的ハードボイルド」の代名詞となったマイク・ハマー・シリーズはベストセラーとなった。

さらに1940年代終わりから1950年代にかけて、銃と軽口と女の扱いに長けた私立探偵が、おもにペーパーバック・オリジナル[4]で大量に生み出された。『マーティニと殺人と』(1947年)でピーター・チェンバーズを登場させたヘンリイ・ケイン、『消された女』(1950年)でシェル・スコットを登場させたリチャード・S・プラザー、『のっぽのドロレス』(1953年)でエド・ヌーンを登場させたマイクル・アヴァロンThe Second Longest Night1955年)でチェスター・ドラムを登場させたスティーヴン・マーロウなどが主な作家である。極め付きはオーストラリア作家のカーター・ブラウンで、1958年からアメリカのペーパーバックに登場し、健全なお色気とユーモアにあふれた作品を、毎月1冊というペースで発表した。また、G・G・フィックリングの『ハニー貸します』(1957年)で登場したハニー・ウェストはセクシーな女性私立探偵として人気を博し、テレビ・シリーズにもなった。なお、日本ではこれらの作品については往時から「通俗ハードボイルド」と呼び習わされており、小鷹信光が1961年時点で「道化探偵小説、あるいは通俗ハード・ボイルド」と書いているのが確認できる[5]。またこれとほぼ同じ意味で「軽ハードボイルド」という呼び名が使われることもあるが、これは都筑道夫の命名であることがわかっている[6]

1960年代になるとアメリカ社会の問題は、個人の行動だけでは対処できなくなる。ロス・マクドナルドのリュー・アーチャーは事件を見つめるだけで行動しなくなり、次第に内省的になっていく。これを受けて1960年代末から1970年代にかけて、社会的問題を正面から扱うよりも、探偵の個人的問題を通して社会を描くような作品が多くなる。主な作家には、マイクル・コリンズジョゼフ・ハンセンビル・プロンジーニマイクル・Z・リューインロジャー・L・サイモンロバート・B・パーカーローレンス・ブロックなどがいる。なお、これらの作家の作品を「ネオ・ハードボイルド」と呼ぶことがあるが、これは小鷹信光の命名[7]。実際にはハードボイルドの枠組みを超えた要素も多く、近年はあまり使われなくなっている。

また、1960年代後半からはじまったフェミニズム運動と女性の社会進出により、1980年代には女性作家が女性の私立探偵を主人公にした作品を書くようになる。まずマーシャ・マラーシャロン・マコーンが『人形の夜』(1977年)で登場し、続いてサラ・パレツキーV・I・ウォーショースキーが『サマータイム・ブルース』(1982年)で、スー・グラフトンキンジー・ミルホーンが『アリバイのA』(1982年)で登場した。以後、リアリスティックな女性私立探偵小説は一大潮流となる。

1970年代以降の作品の多くは、文体も主人公たちの性格もハードボイルドではないため、私立探偵を探偵役にしたミステリは私立探偵小説(PIノベル、private eye bovel)という名称で呼ぶのが一般的になった。

こうした私立探偵小説の流れとは別に、ハードボイルド文体で描かれた犯罪小説がある。ハメットと同時期の作家で、ハードボイルド文体の創始者として挙げられるのが『リトル・シーザー』(1929年、映画『犯罪王リコ』の原作)のW・R・バーネットと、『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1934年)のジェームズ・M・ケインである。『ブラック・マスク』誌の出身であるが独自の道を歩んだホレス・マッコイは、『彼らは廃馬を撃つ』(1935年)で大恐慌時代の明日なき青春を冷徹な筆致で描く。また『ミス・ブランデッシの蘭』(1939年)で登場したジェイムズ・ハドリー・チェイスは、イギリス人ではあるがアメリカ英語で作品を発表した。『殺人のためのバッジ』(1951年)など警察官を主人公としてアメリカの社会問題を描こうとしたウィリアム・P・マッギヴァーン、ハメット・スタイルで書かれた『やとわれた男』(1960年)でデビューしたドナルド・E・ウェストレイクもハードボイルド小説に新風をもたらした。これらの作品の手法・文体は映画の影響を受けた部分もあり、また多くの作品が映画化されることによる相互作用で、ハードボイルド・タッチは熟成していった。

日本のハードボイルド小説[編集]

現代小説[編集]

日本のハードボイルド史は、第二次世界大戦後に翻訳紹介されたアメリカ製推理小説の受容から始まる。1950年から数年の間に、ハメット、チャンドラーらの代表作が立て続けに日本語訳され、また同時期の映画の影響もあって、「ハードボイルド」という言葉は急速に浸透していった。しかし、短期間に様々な要素が一度に移入されたため、混乱も生じた。昭和20年代から島田一男が行動的な探偵役を用いた作品を発表していたが、先駆的作品にとどまった。

明確にハードボイルドを意識した作品が書かれるようになったのは昭和30年代に入ってからである。その担い手となったのは、当時20歳前後の若者たちだった。1955年(昭和30年)、当時、東北大学文学部の学生だった高城高(本名・乳井洋一)は大学生である「私」(役名・高城)が米軍占領下の仙台で殺人事件を追う「X橋附近」[8](『宝石』1月増刊号)でデビュー。翌年には私立探偵・石原次郎を主人公とする「冷たい雨」(『宝石』1月増刊号)を発表した。デビュー作となった「X橋附近」については「国産ハードボイルドの嚆矢」(池上冬樹)との見方もある[9]。また1958年には当時、早稲田大学教育学部の学生だった大藪春彦が「野獣死すべし」でデビュー(同人誌『青炎』、『宝石』7月号に掲載後、大日本雄弁会講談社より単行本化)。以降、タフで非情な主人公がアクションを繰り広げる作品を多数発表した。さらに1959年には河野典生が「ゴウイング・マイ・ウェイ」(『宝石』12月号)でデビュー。1963年には『殺意という名の家畜』で日本推理作家協会賞を受賞した。この3人には奇しくも生れが1935年で、かつデビュー作が掲載されたのが『宝石』という共通項があり、当時は「ハードボイルド三羽烏」と呼ばれたという[10]

それより前の世代では、1960年、島内透が書き下ろし長編小説『悪との契約』でデビュー。翌年にも同じく書き下ろし長編『白いめまい』を発表。「洗練されたセンス、ドライなタッチ、軽快なスピード」(同書カバー折り返しに記されたブラーヴの一節)を特徴とする作風は「日本に初めて正統ハードボイルドが定着した感がある」(同カバー裏)と評された。また1959年のデビュー以来、様々なジャンルのミステリを手掛けていた結城昌治が『死者におくる花束はない』(1962年)からハードボイルドの分野に進出し、『暗い落日』(1965年)など私立探偵小説の傑作を発表する。さらに早川書房の編集者だった生島治郎も『傷痕の街』(1964年)で作家デビュー、『追いつめる』(1967年)で直木賞を受賞した。また1960年代前半からスパイ小説に新境地を拓いていた三好徹は、1968年から新聞記者を主人公にしたハードボイルド・スタイルの「天使」シリーズを書き始めた。仁木悦子も『冷えきった街』(1971年)などの三影潤シリーズで、優れたハードボイルド私立探偵小説を書く。また当初は純文学作家としてデビューした菊村到江戸川乱歩の勧めもあって推理小説に移行し、1959年には失踪した男の行方を追う新聞記者が麻薬密売事件に巻き込まれてゆく『けものの眠り』を発表。社会派ミステリでありながら、ハードボイルド文体の犯罪小説ともなっており、翌年には鈴木清順監督により映画化もされた。

こうした社会問題を描く手法としてハードボイルドを取り入れた作品とは別に、純粋にアメリカ流のハードボイルド・タッチを楽しもうとする気風も出てきた。その担い手となったのは1958年にアメリカ版MANHUNTの日本版として創刊された『マンハント』に蝟集した作家・翻訳家たちで、その成果物として挙げられるのが中田耕治の『危険な女』(1961年)、山下諭一の『危険な標的』(1964年)、都筑道夫の贋作カート・キャノン・シリーズ(1960年)などである。また人脈としては異なるものの、小泉喜美子が津田玲子名義で新聞連載した『殺人はお好き?』(1962年/連載)もこれに加えても良いかも知れない。さらに時期はずれるものの、『マンハント』でプロの文筆家としてデビューし、その後、翻訳者・解説者としてハードボイルドの普及に貢献した小鷹信光片岡義男も独自のハードボイルド作品を創作している。

1970年代になると、ハードボイルドにこだわり続ける戦後生まれの作家が現れる。短篇「抱きしめたい」(1972年)で小説デビューした矢作俊彦と、短篇「感傷の街角」(1979年)で登場した大沢在昌である。この2人は都会的な作風で、日本国産ハードボイルドの時代を築いた。また2人とも漫画原作も行った。

1970年代末から1980年代にかけて冒険小説がブームとなり、その担い手となった作家には船戸与一佐々木譲志水辰夫逢坂剛藤田宜永など、ハードボイルドにも意欲を見せた者が少なくない。中でも北方謙三は、日本的ハードボイルドのひとつのスタイルを作り上げた。1988年には原尞が登場、沢崎探偵シリーズ第2作の『私が殺した少女』(1989年)で直木賞を受賞する。また1989年には稲見一良が『ダブルオー・バック』でデビュー。肝臓癌による余命宣告を受けての作家デビューであり、1994年に63歳で亡くなるまでに7冊のハードボイルド小説を世に送り出した。

1990年代には東直己藤原伊織香納諒一真保裕一らハードボイルドの書き手が登場した。また、桐野夏生の『顔に降りかかる雨』(1993年)や柴田よしきの『RIKO 女神の永遠』(1995年)、「暗い越流」で第66回日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞した[11]若竹七海葉村晶シリーズ誉田哲也の『ストロベリーナイト』(2008年)松岡圭祐の『探偵の探偵』(2014年)など女性を主役にしたハードボイルド・タッチの作品も現れている。

時代小説[編集]

時代小説にも股旅物を中心にハードボイルド的な要素を持った小説は存在していたが[12]、時代小説におけるハードボイルドは『大菩薩峠』の主人公机竜之助に始まるニヒリズムの系譜の影響が根強いという特徴がある。また、舞台背景が封建社会という制約もあり、地縁や血縁、義理人情、敵討ちなどの「日本的」ともいえる独自色が色濃く絡み合い、その枠の中での葛藤や闘いが描かれるパターンが多いことが、現代小説との比較では大きな相違点として挙げられる。そうした中でも特にハードボイルド的な要素を持った小説としては山本周五郎の『樅ノ木は残った』(1956年)を挙げることができる。本編の合間に登場人物の密談を対話形式で描く断章を挟み込むという構成は従来の時代小説にはなかったもので、生島治郎は海外小説の影響が感じられるとして、「おれは彼がチャンドラーを読んでたような気がする」という感想を語っている[13]。また1970年代に入ると笹沢左保の『木枯し紋次郎』、池波正太郎の『仕掛人・藤枝梅安』の両シリーズがいずれもテレビドラマ化を機に大ブームを巻き起こした。この時代は時代小説家ではないハードボイルド・プロパーの作家である生島治郎も『さすらいの狼』シリーズを書くなど、ハードボイルド・タッチの時代小説は一大ブームとなった。なお、『さすらいの狼』シリーズもドラマ化されており、ペリー荻野は「幻の股旅ハードボイルド大作」と絶賛している[14]

代表的作家と作品[編集]

アメリカ合衆国[編集]

イギリス・オーストラリア[編集]

日本[編集]

先駆者(五十音順/1960年代以前のデビュー/ハードボイルド小説が専門でない作家も含む)

  • 生島治郎:『追いつめる』(1967年/直木賞受賞)ほか志田司郎シリーズ/『男たちのブルース』(1970年)
  • 大藪春彦:『野獣死すべし』(1958年)ほか 伊達邦彦シリーズ/『蘇える金狼』(1964年)など
  • 片岡義男:翻訳/『ミス・リグビーの幸福』(1985年)のアーロン・マッケルウェイ・シリーズのほか多くの短篇
  • 菊村到:『けものの眠り』(1959年)など
  • 小泉喜美子:『殺人はお好き?』(1962年/連載)/その他短篇
  • 高城高:短編集『微かなる弔鐘』(1959年)/長編『墓標なき墓場』(1962年)
  • 河野典生:『殺意という名の家畜』(1963年/日本推理作家協会賞受賞)など×田晨一シリーズ/『探偵はいま鉄板の上』(1976年)など田沢太一シリーズ
  • 小鷹信光:翻訳・解説/『探偵物語』(1979年)ほか工藤俊作シリーズ
  • 島内透:『悪との契約』(1960年)、『白いめまい』(1961年)ほか北村樟一シリーズ
  • 都筑道夫:贋作カート・キャノン『酔いどれ探偵』(1960年/発表)/西蓮寺剛シリーズ(短篇/1978年~)
  • 中田耕治:『危険な女』(1961年)、『暁のデッドライン』(1964年)など川崎隆シリーズ
  • 仁木悦子:『冷えきった街』(1971年)など三影潤シリーズ
  • 三好徹:天使シリーズ(1968年~)
  • 山下諭一:『危険な標的』(1964年)ほか曾根達也シリーズ/『俺だけの埋葬簿』(1965年)ほか殺し屋シリーズ
  • 結城昌治:『死者におくる花束はない』(1962年)ほか佐久シリーズ/『暗い落日』(1965年)ほか真木シリーズ/紺野弁護士シリーズ

後継者(五十音順/1970年代以降のデビュー/戦後生まれ)

  • 東直己:『探偵はバーにいる』(1992年)ほか ススキノ探偵シリーズ
  • 打海文三:『時には懺悔を』(1994年)
  • 逢坂剛:短篇集『クリヴィツキー症候群』(1987年)、『十字路に立つ女』(1989年)ほか岡坂神策シリーズ
  • 大沢在昌:『感傷の街角』(1982年)、『雪蛍』(1996年)など佐久間公シリーズ/『新宿鮫』(1990年)、『無間人形』(1993年/直木賞受賞)ほか新宿鮫シリーズ/『アルバイト探偵(アイ)』(1986年)ほか冴木シリーズ
  • 香納諒一:『幻の女』(1998年/日本推理作家協会賞受賞)
  • 北方謙三:『檻』(1983年)/「ブラディ・ドール」シリーズ
  • 桐野夏生:『顔に降りかかる雨』(1993年/江戸川乱歩賞受賞)ほか村野ミロ・シリーズ
  • 桑原譲太郎:『アウトローは静かに騒ぐ』(1988年)『我が標的は日本』(2002年)ほか多数
  • 志水辰夫:『飢えて狼』(1981年)
  • 真保裕一:『ボーダーライン』(1999年)
  • 関川夏央:『「名探偵」に名前はいらない』(1981年)/ほか漫画原作多数
  • 楢山芙二夫:『冬は罠をしかける』(1981年)ほか日系米人探偵エドワード・タキ・シリーズ
  • 鳴海章:『狼の血』ほか
  • 楡周平:朝倉恭介シリーズ/川瀬雅彦シリーズ
  • 原尞:『そして夜は甦る』(1988年)、『私が殺した少女』(1989年/直木賞受賞)ほか沢崎シリーズ
  • 樋口有介:『彼女はたぶん魔法を使う』(1990年)ほか柚木草平シリーズ
  • 藤田宜永:『ボディ・ピアスの少女』(1992年)ほか竹花シリーズ
  • 藤原伊織:『テロリストのパラソル』(1995年/江戸川乱歩賞、直木賞受賞)
  • 矢作俊彦:『リンゴォ・キッドの休日』(1978年)、『The Wrong Goodbye ロング・グッドバイ』(2004年)ほか二村永爾シリーズ

ハードボイルド小説の執筆経験がある作家(五十音順)

ハードボイルド劇画

映像作品[編集]

洋画[編集]

邦画・テレビドラマ[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ ハードボイルドって本当は何なの?”. 木村仁良. 2020年10月7日閲覧。
  2. ^ レクラン・フランセL'Écran Français)』1946年8月号。詳しくは英語版参照。
  3. ^ 小鷹信光著『私のハードボイルド:固茹で玉子の戦後史』研究編「レポート2 文芸用語としての「ハードボイルド」の発生と推移」
  4. ^ ハードカバーで刊行された小説のリプリントではなく、ペーパーバックのために書き下ろされたオリジナル作品。詳しくは英語版参照。
  5. ^ 「行動派探偵小説史」第2回「孤独と抵抗のH・B魂」(『マンハント』1961年9月号)
  6. ^ 連載「推理作家が出来るまで」第103回(『ミステリマガジン』1984年11月号)
  7. ^ 「ネオ・ハードボイルド」の台頭(小鷹信光:第3回)
  8. ^ 河出文庫版『仙台ミステリー傑作選』に収録以降は「X橋付近」の表記が用いられている。
  9. ^ 荒蝦夷版『X橋付近』巻末「解説 原石の輝き」参照。
  10. ^ 荒蝦夷版『X橋付近』巻末「〈一期有限〉ということ」参照。
  11. ^ 2013年 第66回 日本推理作家協会賞|日本推理作家協会
  12. ^ 『マンハント』日本語版創刊号(1958年8月号)の帯には「眠狂四郎や机竜之助の現代版はこれだ!!」と記されるとともに「創刊のことば」ではハードボイルドについて説明する中で「だいいち、昨今ヤンヤともてはやされた眠狂四郎、古くは丹下左膳E・T・C・すべてこれハードボイルドの主人公ではありませんか」とされていた。
  13. ^ 『生島治郎の誘導訊問 眠れる意識を狙撃せよ』双葉社、1974年、42-43ページ
  14. ^ 「さすらいの狼」萬屋錦之介主演、幻の股旅ハードボイルド大作 十文字の焼印を押された男の追跡劇の結末は(時代劇専門チャンネル「ペリーのちょんまげ」2013年9月20日)
  15. ^ ミッキー・スピレインの小説と同じタイトルが使われているものの、内容は無関係で、興信所の青年所長・志津野一平を主人公とするオリジナル作品。

参考文献[編集]

  • 『探偵小説・成長と時代―娯楽としての殺人』(1941)ハワード・ヘイクラフト 林峻一郎訳(桃源社1961)
  • 『ブラッディ・マーダー―探偵小説から犯罪小説への歴史』(1972/1985増補/1992増補)ジュリアン・シモンズ 宇野利泰訳(新潮社2003)
  • 『名探偵読本6/ハードボイルドの探偵たち』(1979)各務三郎編(パシフィカ)
  • 『ハードボイルド以前』(1980)小鷹信光(草思社)
  • 『ハードボイルド・アメリカ』(1983)小鷹信光(河出書房新社)
  • 『昭和ミステリ大全集 ハードボイルド篇』(1992)解説 長谷部史親(新潮文庫)
  • 『日本ミステリーの100年』(2001)山前譲(光文社文庫)
  • 『私のハードボイルド―固茹で玉子の戦後史』(2006)小鷹信光(早川書房)
  • 『名作で読む推理小説史 わが名はタフガイ/ハードボイルド傑作選』(2006)解説 池上冬樹(光文社文庫)
  • 「続パパイラスの舟 私立探偵の系譜」小鷹信光 ミステリマガジン連載
  • ハードボイルドって本当は何なの?」木村仁良 ザ・ガムシュー・サイト内

関連項目[編集]