天国の駅 HEAVEN STATION

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
天国の駅
Heaven Station
監督 出目昌伸
脚本 早坂暁
製作総指揮 岡田裕介
矢部恒
和田徹
出演者 吉永小百合
西田敏行
三浦友和
津川雅彦
真行寺君枝
音楽 矢野誠
主題歌 吉永小百合
「夢さぐり-天国の駅」
撮影 飯村雅彦
編集 西東清明
製作会社 東映東京撮影所
配給 東映
公開 日本の旗 1984年6月9日
上映時間 133分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
配給収入 8億円[1]
テンプレートを表示

天国の駅 HEAVEN STATION』(てんごくのえき ヘヴン・ステーション)は、1984年の日本映画吉永小百合主演、出目昌伸監督、早坂暁脚本。製作・東映東京撮影所、配給・東映。戦後初の女性死刑執行者となった「ホテル日本閣殺人事件」がモデルとなっている。

概要[編集]

1952年から1960年にかけて二人の夫を殺し、稀に見る凶悪犯として世間から毒婦の汚名を浴びた女性をモデルに、早坂暁が吉永小百合の主役を想定してオリジナルシナリオを執筆した[2]。モデルとなった小林カウは日本戦後初めて死刑を執行された女性死刑囚である[3]。吉永は本作まで手錠をかけられる役さえ演じたことはなく[4]NHKテレビドラマ夢千代日記』で温泉地を舞台に、理想の女性像を演じた直後でもあり、本作では温泉地を舞台に温泉宿を乗っ取るために色仕掛けで男に接近して殺し、その殺人を手伝わせた男をまた殺す、さらにオナニーシーンが二回、初めてヌードになるのではという方向転換ぶりにマスメディアが騒ぎ立て、世のサユリストを震撼させた[4][5][6][7][8]

吉永初の汚れ役(殺人犯)で[9][10]、以降もここまでの役は演じたことはなく、2018年まで、吉永が唯一汚れ役に挑んだ映画となっている[11][12]

あらすじ[編集]

昭和30年春。美人で結城紬の織女の林葉かよは32歳の女盛り。夫は下半身マヒの傷痍軍人。初夜を迎えないままに出征したため嫉妬の塊となって、かよに辛くあたる。巡査の橋本が親切にし、深い仲になる。浮気を見た夫は狂ったように折檻し、かよは夫をパラチオンで毒殺。脳内出血で処理される。かよの世話で東京の大学へ通うようになった橋本は幸子という女を連れ帰る。かよとの噂を打ち消すために、幸子と仮の夫婦になるのだと言い訳をするが、二人は騙されていたことを知り、橋本に手切金を渡す。妙な連帯意識で姉妹と呼び合う二人は錦谷温泉郷にたどり着き、かよは土産物店、幸子は芸者で働く。昔からかよが好きだった知的な障害をもつ雑用係の一雄・ターボも来る。大和閣の主人・福見がかよを大事にし、橋本が金をせびりに来た時、200万円で念書を書かせて帰す。福見には精神病院に入院している妻・辰江がいた。かよに危害がかかるとターボをそそのかし、辰江を殺害させる。二人は雪の中で婚礼を挙げ、全てを話す。幸子も芸者を辞める。手切金を使い果たして再び舞い戻った橋本が許せず、幸子は登山列車からつき落とそうとするが、逆に殺される。復讐のために橋本と会おうとするが許してもらえない。福見もターボが邪魔になり、一度だけ抱かせると連れてきたが、抵抗され、手助けを求めるが、かよは逆に福見を殺す。「神様よりも雪よりもきれいだよ」というターボこそ本当の愛だと知り、二人で逃走。ずっと事件を追ってきた五十沢刑事たちが駅で待ち構えていた。

「何で二人も夫を殺した」と五十沢に聞かれ、「愛がほしかったんだと思います」と答える。

昭和45年6月11日、小菅拘置所で一人の女がこの世に別れを告げ、天国への階段を上っていった。47歳だった。

スタッフ[編集]

出演[編集]

製作[編集]

企画[編集]

現・東映会長・岡田裕介吉永小百合主演で温めていた三年越しの企画[13][14][15][16]1981年の秋頃、岡田が日本閣事件のモデルとなった小林カウ死刑囚を主人公とする脚本を書き[17]、監督の出目昌伸に「吉永さんの主演で映画化したい」と伝えた[5][18][19]。出目は岡田が東宝の俳優時代に世話になった人で[13]、当時はテレビ中心の活動で、東宝時代の黒澤明セカンドイメージが強い人であった[9]。出目は脚本を読み、「吉永さんの持っているイメージとはあまりにかけ離れていて、出演を受けないだろうし、自分も自信がない」と伝えた[19]。岡田は「脚本は吉永さんから信頼されている早坂暁さんに脚本を頼みます」と言うと出目は「それなら考えさせて欲しい」と返事した[17]

岡田は吉永に『細雪』の撮影の前に[5]、自身の脚本を渡さず、小林カウの資料を含む『ひとりぼっちの死刑台』という題名の企画書を渡した[17][18]。カウは金の亡者で食事も切り詰め、身体の調子が悪くなってもどした時、それも取っておいて後でおじやにして食べた、警察での取り調べ中、机の下から手を伸ばし刑事の一物を握った等、吉永の理解が出来る、出来ないの範囲を大きく逸脱する女性像に空いた口がふさがらず[18][20]、岡田に「気分が悪くなった」と伝えた[5]。当時、同じ温泉場を舞台にして人気を博していた『夢千代日記』とはあまりにかけ離れているため、「脚本を読んで答えさせて下さい」と返事を保留した[20][21]。早坂の脚本が遅いという問題もあり、また1980年代に入り日本映画界を取り巻く状況もどんどん変わり[20]、実現する企画か不透な状況であった[20]。出目も企画は成立しないんじゃないかと考えていたが、岡田は「吉永さんの主演、出目さんの監督で絶対にやりたい」と執念を燃やし早坂に脚本を発注、早坂は二人と違って乗り気だったといわれる[19]

タイトル[編集]

早坂に脚本が移った段階でタイトルが『天国の駅』になったが、タイトル命名は岡田茂東映社長と書かれた文献もある[10]。最初から「HEAVEN STATION」の横文字副題として付いていたが[21]、当時の文献でもほとんど『天国の駅』のみで「HEAVEN STATION」の無い表記であった[21]。また、2018年現在の日本映画製作者連盟文化庁日本映画情報システム、東映ビデオのサイトや東映の社史(2016年発行)でも『天国の駅』表記である[22]。しかし2018年のデータベースや文献では『天国の駅 HEAVEN STATION』表記の物もあり混在している。

製作の決定[編集]

1982年の春頃、早坂から書き出しの10枚の脚本が送られてきて、これを読んだ吉永は企画書ほどの嫌悪感がなく、早坂らしい温かみが滲み出て、殺人を犯した者の哀しみが胸に響いた[18]。岡田以外にも早坂も出演を勧め、また「『細雪』で自分にも魔性みたいなモノがあるのかな」と感じたこともあり[20]、人間の本質的な欲望に触れたドラマはやったことがないし[20]、年齢的にも役の幅を広げて、多少毒のある役にも挑みたいと考えていたこと[19][21][23]日活時代を思い出させてくれる活気のある東映のスタッフとまた仕事をしたいという思いもあり出演を承諾した[18]。出目も吉永の出演を受け「最近、映画監督は恵まれませんから、守備範囲を広げておきませんとね」と監督を引き受けた[5]。「別の女優さんで、いくらでも役に当てはまる人はいると思いますが、吉永さんがやらなければイヤな話になってしまう。割と普通のきれいな女性が辿る薄幸の道。女の闇の欲望やそこから出てくる魔性を描いてみたい。戦後いろんな改革が進んで、女性も強くなり始めて我慢しなくなった。それが昭和30年頃だと思います。今は女性の犯罪も増えていますけど、いろんな意味でモデルになった女性は現代の女性の先駆的な人だと思います」などと抱負を述べた[5]。出目は東映での初演出[24]

脚本[編集]

脚本が遅いことで知られる早坂の脚本が完成したのが二年後の1983年の秋頃[19]。このためこの間に吉永は『細雪』の撮影を終え、テレビドラマ『新 夢千代日記』の撮影中であった[13]。それでも通常の早坂脚本の中ではスムーズに完成し、出目も満足な準備ができたという[18]。岡田は事実の基づいた準備稿を作っていたが、早坂は事実とはかけ離れた脚本を書いた[19]。早坂は「シナリオの扉には"天国の駅はたった独りでしか乗れない"と書き入れてある。正確に言うと、たった独りでしか入れないだが、語感がよくないので、承知でそうしている。天国の駅は、なんとなく空中に浮かんでいるようでもあるので、これでもいいじゃないかの意見もあった」「いつも耐えている女性だけを演じてきた吉永さんに、林葉かよを演じて欲しかった。"天国の駅はたった独りでしか乗れない"の意味をよく聞かれる。愛は天国ゆきの切符のように言われているが、私はそうは思わない。殊に男女の、性のからまる愛は、このドラマにように人を傷つけ、人を殺す。男女の愛に関しては、二人そろって天国ゆきの列車に、すんなり乗れると思えないのである」と解説している[25]

キャスティング[編集]

岡田裕介は当時フリーのプロデューサーで、唯一、吉永を東映に連れて来られるプロデューサーといわれた[26]。吉永は「人間は両極端な性格を持っていると思います。私の中にも、そうした魔性のような部分があるので、それを大きく膨らませて演じたいと思います」[4]「シナリオの扉に早坂さんが"天国の駅はたった独りでしか乗れない"と書かれていますが、最終的に、男と女は幸せになれないのではないか、というのがテーマだと思うんです。でもそこに天国があるんじゃないかと、哀しく求めあう男と女の愛の物語をどしんと腹に伝わってくる話にしたいです」などと決意を述べた[5]。それまでも悪女役を得意とする女優はいたが、吉永のような清純派イメージを持つ主演級女優はCMを持っているため、自己イメージを保たねばならず、殺人犯のような汚れ役をやる者はいなかった[27]

三浦友和は、1983年秋の日本テレビの主演ドラマ『みんな大好き!』が視聴率の不振で打ち切られ[28]、本作の前に公開された東宝の大作『さよならジュピター』もコケ、決定打に欠けていたが、これまでのイメージを一変させるダニのような男を演じた[19][29]。三浦は「今まで正直者ばかりやってきましたから、こういう役、面白いですね。こんな役を三浦にやらせようっていうプロデューサーが今までいませんでしたから、岡田さんから話があったとき、大変驚きましたし、嬉しかったですよ」と話した[5]。吉永相手ではさすがに遠慮があり、濡れ場の撮影では「もっと大胆にやってよ」と吉永から何度もダメ出しをされたという[30]。また三浦同様、それまで善人イメージだった西田敏行[5]、さよに無償の愛を捧げ、さよのためなら殺人を犯すハンディキャップを持つ初めて狂気の役柄を演じた[24]。西田は撮影直前に心臓を悪くして出演を危ぶまれたが、いっぱい着込んだ吉永をおんぶするシーンも演じた[17]。他に、さよを姉のように慕う女性に真行寺君枝精神病院から戻ってくる女に白石加代子、さよの最初の夫に中村嘉葎雄、二番目の夫に津川雅彦、さよの犯行を追う刑事に丹波哲郎といった異色の配役[29]。出演者はみんなこれは面白い作品になりそうだと大変撮影に入れ込んだ[18]

撮影[編集]

1983年秋クランクイン[19]。吉永は出演を承諾したものの、途中で自分では出来ないんじゃないかと何度も悩みクランクイン一週間前からノイローゼ気味になった[5]。しかし撮影に入ると面白くてノリノリ[5]。「戦後、女性が少しづつ解放されていって我慢しなくていい、耐えなくていい時期が来たとき、彼女のエネルギーは、違った方向にいっちゃったんだと思うんです。その哀しさ、怖さを出せればいいと思う。夢千代にも共通する部分があると思います。夢千代の場合は、自分の気持ちを抑えて抑えて、他人に優しくすることで、自分の苦しさを紛らしている女性です。表面的には似ていても、一番元のところにあるしたたかさは、このかよがずっと凄いと思います」などと話した[5]。殺人囚がポチャポチャしていたらリアリティが出せないとクランクイン後に体重を4㎏落とした[20]首吊りのシーンも実際にロープにぶら下がったが、仕掛けが外れたらどうなるんだろうとゾッとしたという[6]。出目も「吉永さんがオナニーやレイプシーンなど、あんなに激しくやってもらえるとは思いもしなかった」と述べた[17]。通常の作品に比べて難しくて5倍は疲れたが撮影終了後は「やってよかった」と思えたが[5]、吉永は9年ぶりの主演映画にプレッシャーが重くのしかかり、完成試写を観て気になるシーンがあり、初めて監督に越権行為である編集の再考を申し出るほど理性を失い、自責の思いは今も尾を引いているという[17][18]

製作費[編集]

製作費・宣伝費合わせて7億円ともいわれた[4]

ロケ地[編集]

栃木県新那須温泉を中心にロケが行われた[19]。その他、群馬県四万温泉[29][31]静岡県修善寺温泉栃木県塩原温泉などを転々として、1950年代の温泉地を再現している[32]。天国行きの電車が通るところは箱根登山鉄道。最後の雪原の中の駅は山梨県北杜市小淵沢駅から長野県小諸市小諸駅までを結ぶ小海線で撮影した[19]。他に八ヶ岳など[32]

ロケ地ではスタッフ・キャストとも同じホテルに泊まり、夜は大広間で全員で箱膳で食事した[17]。宴会係は西田敏行のひとり舞台で[32]、当時流行っていた『夢芝居』をユーモラスに歌い、チームを盛り上げた[17]

主題歌[編集]

吉永は若い頃、100曲以上の歌を吹き込み、コンサート活動などもしていたが、声が出なくなって歌は封印していた[18]。宣伝のため主題歌を吹き込んでみては、という話が持ち上がり、責任感もあり、吉永が大ファンである井上陽水が作曲することになり承諾した[18]。サユリストにとっては久しぶりに歌声が聴けると歓喜した[8]。吉永は陽水から個人レッスンを受けたが、陽水のあまりの美声に愕然。「私でなく彼の方がずっといいのでは」と落ち込んだが、陽水に励まされレコーディングに挑んだ。悪乗り気味に『ザ・ベストテン』にも出演[17]。しかし生放送で上がり、声が出なくなりごまかしも効かず。この時に劇中やむを得ない場合以外は、人前で歌うことはやめようと再び歌の封印を決意した[17][18]

宣伝[編集]

吉永が初めて殺人犯に挑戦し、夫を二人も殺す毒婦、さらにかつてないヨゴレ役を演じると同時に、当時「脱がない」とされていた女優が脱ぐ映画が続出し、各映画会社もそれをセールスポイントに派手な宣伝を打っていたため、吉永も脱ぐのではないか(結局脱がなかったが)とマスメディアが騒いで大きな前宣伝になった[21][33]。吉永も9年ぶりの主演映画で[18]、プレッシャーが懸かり、その責任感から宣伝に積極的に協力し、初めて全国を細かく回った[18]。 

作品の評価[編集]

興行成績[編集]

同じ東映製作で1983年11月に小柳ルミ子主演で公開された『白蛇抄』が、小柳の大胆なヌードと濡れ場で大きなパブリシティ展開となったものの興行には結びつかず[10]、暗いイメージの作品が当時興行的に苦戦していたことから、本作も興行は厳しいという評価もあり[10]、岡田裕介も初号試写を観たとき「これは大コケするかもしれない」と不安だった[26]。しかし貞操イメージがある吉永が初めてヨゴレ役を演じ、夫を二人殺し死刑囚になるという設定が、サユリストだけではなく、予想外に主婦層も騒ぎ、6対4で女性客と呼び込み、アベックも多く動員した[26]。1984年度の日本映画配給収入ベストテン10位にあたる8億円の大ヒット[10][34][35]。岡田裕介は「ヒロインを雪の中で転げまわるシーンもあるし、殺人場面もある。吉永をアクション女優に近い形で使ったこと」をヒットした要因として挙げた[26]。総製作費7億円で、配給収入8億円ではさほどプラスがないように見えるが、テレビ放映料が3億円以上だったともいわれており[26]、東映はビデオが強く[36][37]、二次使用を考慮すると大きなプラスと見られた。こうした背景があり、岡田茂社長は当時「総原価6億円[注 1]で作って確実に7億円を狙え」と指示を出していたため及第点であった[15]

作品評[編集]

  • 増山善万は「早坂脚本の腕も冴え、出目監督も日本情緒溢れる映像を展開させた。また撮影の飯村雅彦もロケーションで素晴らしい絵を撮った。役者陣も充実し各々がイメージから脱却するような演技を見た。特にターボを演じた西田敏行が素晴らしく、このキャスティングには唸った。ただ、ファーストシーンに出る"天国の駅はたった独りでしか乗れない"という映画の宣伝文句は、何の効果もなく貴重なファーストシーンを汚していると思う」などと評している[38]
  • 矢島正雄は「ラストは早坂世界の新たな展開を思わせたが、駅の切符売り場での場面は呆れた」と述べている[39]
  • 尾形敏朗は「もちろん吉永小百合は美しい。しかし吉永が激しい濡れ場を演じても、最後の一線は守られ、ヌードにはならない苛立ち。障害者が三人も登場するのに、声高に差別コトバを飛び交わさせない配慮ぶり。これが映画の匂いを強めていく。許容ギリギリの臭さである。また主人公のあまりの報われなさは、サユリストに欲求不満を残す結果となったのではないか」などと評している [40]

受賞歴[編集]

※吉永小百合の受賞は全て『おはん』と合わせてのもの。

影響[編集]

封切初日の1984年6月9日、銀座の東映本社8階会議室で岡田茂は終始上機嫌。居並ぶ映画記者を前に、横に並んだ岡田裕介を目を細めて見ながら、荒い広島弁で「配収12億円はいくで!」などと"角栄ばり"にブチあげた[41]。一連の女性文芸映画などのアダルト路線や、"お姫様女優"薬師丸ひろ子主演の『里見八犬伝』などのヒット、各種アニメ映画の好調、ビデオ部門の急成長、マンション販売の売上げ急伸などで、1983年の暮れまで200円の後半をウロウロしていた東映の株価は1100円台に伸び注目銘柄になっていた[41][42][43]。こうした好環境のもとで、60歳になった岡田茂は息子に更なる実績を上げてもらい東映の重役として迎えて、自身が築き上げた東映の一部門でも継がせたいという思いがあり、マスメディアを使って裕介を持ち上げる記事を書かせたりし、息子への肩入れが過ぎると揶揄されていた[41][44]。東映は岡田のワンマン体制が長く続き[44][45][46]、1980年代に入り、岡田が右寄り戦争映画を量産するようになり[47]、反岡田派の勢力が増幅しており[48]、岡田裕介も少々の実績ではそうした反勢力を抑えられないという事情があった[41]。岡田茂は本作のヒットを確信して『夢千代日記』のプロデュースも早速、岡田裕介に依頼した[41]

また本作のパブリシティ展開として吉永が多くのマスメディアに露出し、本作を突破口として再び"吉永小百合ブーム"が来たと評された[8][26][49]。以降、各社主演映画のオファーが殺到する状況も生まれた[49]。1970年代は映画会社に「主役が女優では客が来ない」という考えがあり[50]、日本ではほとんど女性映画は作られなかった[50]。1980年代に入って薬師丸ひろ子のような若手のアイドル女優の出現があり、また松田聖子のようなアイドル歌手を主役に、女優を主役とするアイドル映画の量産が始まったが、吉永のような大御所女優の主演映画はなかなか作られなかった[18]。本作も吉永の主演映画としては1975年の『青春の門』以来9年ぶりであった[18]。しかし本作主演を切っ掛けに吉永は東映を中心に各社で主演映画が作られるようになった。

本作のキャンペーン中に吉永は、笑福亭鶴瓶パーソナリティを務めるラジオ番組にゲスト出演した。サユリスト・笑福亭鶴瓶は[51]、本作のラストシーンの再現を吉永に強要し、自身が丹波哲郎扮する刑事役を演じた[17]。後に鶴瓶は「自分がもう少し早く役者業に取り組んでいたら、本作で西田敏行が演じたターボ役を演じてみたかった」と話している[17]

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

  1. ^ この時期の映画は総原価6億円だと直接、製作にかけられる費用は1億5千万円程度。残りが宣伝費[15]角川映画の影響で各社宣伝費が高騰していた。

出典[編集]

  1. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)430頁
  2. ^ 五社巴「日本映画封切作品ガイド」、『ロードショー』1984年7月号、集英社、 212頁。
  3. ^ 週刊文春』1984年4月19号、文藝春秋、 57頁。
  4. ^ a b c d 「これでサユリスト神話も崩壊? 遂に全裸を決意した吉永小百合の内なる事情」、『週刊宝石』1984年2月17日号、光文社、 36–38。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m 服部真・藤井英男・加藤光男「カラー特集/吉永小百合 『今までの私ではないのです』」、『映画情報』、国際情報社、1984年6月号、 3–14。
  6. ^ a b 「いまふたたびサユリストブーム!? 吉永小百合が映画『天国の駅』で注目の体当たり演技!」、『週刊明星』1984年6月7日号、集英社、 11-13頁。
  7. ^ 「頑固に『シュギ』を変えないSAYURISTは"衝撃の画面"を見ても眉ひとつ動かさないという説 吉永小百合『天国の駅』」、『サンデー毎日』1984年6月3日号、毎日新聞社、 174-175頁。
  8. ^ a b c 山内宏一 『女,吉永小百合のすべて』 山手書房、1984年、178–185。ISBN。
  9. ^ a b 執筆・寺脇研 『日本映画テレビ監督全集』 キネマ旬報社1988年、264頁。
  10. ^ a b c d e 「興行価値 クラさが気になる『天国の駅』」、『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1984年6月上旬号、 176頁。
  11. ^ 吉永小百合から山口百恵まで…伝説の昭和女優「30人の今」
  12. ^ 吉永小百合の「過去・現在・未来」(8)試写会場で聞こえたイビキ
  13. ^ a b c 「雑談えいが情報 新作映画ニュース」、『映画情報』、国際情報社、1984年2月号、 53頁。由原木七郎「〔ザ・役者〕 演技力に加えて、ちかごろ、めっきり色気も増した吉永小百合に大接近」、『映画情報』、国際情報社、1984年2月号、 72-73頁。
  14. ^ 「"画になる”北海道は映画人を刺激する」”. 『財界さっぽろ』2015年7号. 株式会社財界さっぽろ. 2018年6月8日閲覧。
  15. ^ a b c 活動屋人生 2012, pp. 188–192.
  16. ^ 吉永小百合 封印された肉食系「愛欲生活」(4)「くわえてしゃぶる」エロ俳句
  17. ^ a b c d e f g h i j k l 映画女優 2015, pp. 147-150.
  18. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 夢一途 1988, pp. 182-190.
  19. ^ a b c d e f g h i j 出目昌伸「『天国の駅』の演出を語る吉永小百合さんが出演してはじめて成立する話だった」、『シネ・フロント』、シネ・フロント社、1984年6月号、 36–39。
  20. ^ a b c d e f g 松島利行「『天国の駅』特集1 吉永小百合インタビュー 吉永小百合の変身は今後の女優史を一変させるかもしれない」、『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1984年6月下旬号、 94–97。
  21. ^ a b c d e 青野丕緒「ああ小百合まで脱ぐのか 東映『天国の駅』 歯止めなき女優のヌード」、『サンデー毎日』1984年4月15号、毎日新聞社、 24 -25頁。
  22. ^ 『東映の軌跡』 東映株式会社総務部社史編纂、東映、2016年、332頁。
  23. ^ 「雑談えいが情報」、『映画情報』、国際情報社、1984年9月号、 70頁。
  24. ^ a b 服部真「フォト・クローズアップ 西田敏行」、『映画情報』、国際情報社、1984年5月号、 15–18。
  25. ^ 天国の駅 1984, pp. 216-217.
  26. ^ a b c d e f 高橋英一・脇田巧彦・川端靖男・黒井和男「映画・トピック・ジャーナル 岡田裕介プロデューサーが仕掛けた『天国の駅』が突破口となり、再び"吉永小百合ブーム"が到来。その要因を探ってみるとー。」、『キネマ旬報』1984年7月下旬号、キネマ旬報社、 170–176。
  27. ^ 「〈This Week〉 映画では悪女を演じても悪妻にはならぬサユリ」、『週刊文春』1984年9月27日号、文藝春秋、 29頁。
  28. ^ 「〈立ち入り禁止ZIG・ZAG〉 百恵夫人も気でない? 小百合と友和の濡れ場演技」、『週刊宝石』1984年1月27日号、光文社、 50頁。
  29. ^ a b c 「製作だより」、『ロードショー』1979年10月号、集英社、 208頁。
  30. ^ 吉永小百合 封印された肉食系「愛欲生活」(4)「くわえてしゃぶる」エロ俳句
  31. ^ 吉永小百合主演映画「天国の駅」新着のお知らせ 【公式】 四万温泉積善館
  32. ^ a b c 夢一途 1988, pp. 184-190.
  33. ^ 「雑談えいが情報」、『映画情報』、国際情報社、1984年3月号、 57頁。
  34. ^ 高橋英一・脇田巧彦・川端靖男・黒井和男「映画・トピック・ジャーナル 東映がプロパー半期配収で9年振りに新記録を樹立。その成功の要因を探ってみるとー。」、『キネマ旬報』1984年10月下旬号、キネマ旬報社、 164–165。
  35. ^ 八森稔「総決算/不調だった84年の映画界」、『映画情報』、国際情報社、1985年5月号、 71頁。『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)430頁
  36. ^ 活動屋人生 2012, p. 186.
  37. ^ 谷岡雅樹 『アニキの時代 ~Vシネマから見たアニキ考~角川マガジンズ、2008年1月、16頁。ISBN 978-4-8275-5023-8
  38. ^ 増山善万「PREVIEW 『天国の駅』 イメージから脱却する俳優陣」、『シネ・フロント』、シネ・フロント社、1984年6月号、 54–55。
  39. ^ 矢島正雄「『天国の駅』特集2 夢千代から林葉かよへ 早坂暁=小百合絶妙のコンビネーション」、『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1984年6月下旬号、 98–99。
  40. ^ 尾形敏朗「MOVIE批評REVIEW 日本映画批評 『天国の駅』」、『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1984年7月下旬号、 152頁。
  41. ^ a b c d e 「東映・岡田茂のジュニア・裕介に対する帝王学伝授の帰結」、『噂の眞相』1984年8月号、株式会社噂の真相、 66-67頁。
  42. ^ 「邦画最前線 『夢千代日記』 今年前半最大の話題作」、『財界にっぽん』1985年5月号、株式会社財界にっぽん、 64-65頁。
  43. ^ 大高宏雄 「映画会社の、映画会社による、映画製作ー30年前をふりかえって見えてくるもの 東映 踏ん張って自主製作を続ける」『キネ旬ムック 1980年代の映画には僕たちの青春がある』 キネマ旬報社、2016年9月、175-177頁。ISBN 978-4-83736-838-0
  44. ^ a b 「〈タウン〉『明暗クッキリ』の松竹と東映の息子」、『週刊新潮』1984年6月28号、新潮社、 17頁。
  45. ^ 活動屋人生 2012, p. 124.
  46. ^ 孤狼の血 : 映画評論・批評 - 映画.com岡本明久・星野行彦・富田泰和「日本映画の現状をどう打開するか(5) 東映の労働運動は岡田社長ワンマン体制を打破し企画と経営の民主化をかちとることが目標です」、『シネ・フロント』、シネ・フロント社、1987年4月号、 52-57頁。西川昭幸 『日本映画一〇〇年史 そうだったのか!あの時、あの映画 明治・大正・昭和編ごま書房新社2012年9月、403頁。ISBN 978-4-341-13250-7
  47. ^ 「東映動画労組がアニメ映画『近未来戦争・198X』の製作に反対」、『シネ・フロント』、シネ・フロント社、1981年6月、 60-61頁。
  48. ^ 「一九八〇年の日本映画を考える(上) 企画が行き詰ったとき、いつでも帰っていける安全な世界だった『二百三高地』 植田泰治・東映テレビ局プロデューサー」、『シネ・フロント』、シネ・フロント社、1981年3月、 19-20頁。
  49. ^ a b 「新作情報 日本映画ニュース・スコープ」、『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1984年9月上旬号、 100頁。
  50. ^ a b 「〈邦画スタート 今週の焦点〉 日本の映画界のギャラが男性上位時代 CМで稼いで欲のない?中堅女優たち」、『週刊平凡』1980年5月8日号、平凡出版、 134-135頁。
  51. ^ 西田敏行、吉永小百合の秘話談議で鶴瓶と対決(Internet Archive)

参考文献[編集]

外部リンク[編集]