秦豊

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1952年

秦 豊(はた ゆたか、1925年2月6日 - 2003年7月29日)は、日本政治家ニュースキャスター参議院議員を2期務めた。

経歴[ソースを編集]

政歴[ソースを編集]

政界引退後[ソースを編集]

人物・主張[ソースを編集]

  • 「ANN 夜のワイドニュース」のメインキャスターを務める。番組冒頭で必ず「(こんばんは!!)秦豊でございます」と名乗り、ニュースに関する自分の意見を表明し、ゲストと議論するなど、ニュースそのものよりもニュースキャスターの個性が前面に出る現在の夜の最終版ワイドニュース番組のスタイルを作った。こうしたスタイルはテレビ朝日の「ニュースステーション」(久米宏)や「報道ステーション」(古舘伊知郎)、TBSの「筑紫哲也 NEWS23」にそのまま引き継がれている。
  • レッド・パージによりNHKを去ることを余儀なくされ、RKB毎日放送で自身が制作したテレビドラマ「ひとりっ子」(「東芝日曜劇場」枠で放送予定だった)が、その内容が左派に偏向していることを理由に放送中止に追い込まれるなど、左派のマスコミ人として知られていた。
  • 「ANN 夜のワイドニュース」でも自民党に批判的で社会党などの野党に好意的な報道姿勢を取っているとして国会で自民党議員からたびたび槍玉に挙げられていた。こうした報道姿勢も後の久米・筑紫らに共通するものであるが、秦は後に自ら政界入りした。
  • 社会党では右派で、田英夫楢崎弥之助久保亘とともに「社会党右派の四人組」と言われた。
  • 同じくニュースキャスター出身の田と政党を結成し話題になる。社民連では副書記長・国会対策委員長を務めたが、通常は専ら党のスポークスマン役であった。
  • 安全保障防衛外交問題を専門としていた。護憲等を掲げてはいたものの、その意見は社会党よりも民社党の主張に近かった。
  • 国会質問内で昭和天皇を「裕仁氏」と呼んだり、天皇国事行為靖国神社参拝について執拗に質問するなどしたが、皇室に冷淡な姿勢はとっておらず、1995年に勲二等瑞宝章を受章した際の宮中伝達式でも大いに喜んでいた。
  • 柔道四段。

受賞歴[ソースを編集]

  • 民間放送連盟民放大賞報道活動奨励賞
  • ラジオ・テレビ記者会賞

著書[ソースを編集]

  • 『隠しマイクのアメリカ 放送記者八十七日の記録』 1958年 春陽堂書店
  • 『赤い国の素顔 写真・ソビエトのくらしと放送』(老鶴圃新書) 1962年 内田老鶴圃
  • 『これが世界の民衆だ 革命と酒と笑いと』(ミリオン・ブックス)(高瀬広居との共著) 1964年 講談社
  • 『変化球はいらない 政治浪漫』 1979年 毎日新聞社
  • 『紙礫の政治学 核軍拡へのフラッシュ・クエッション』 1984年 技術と人間
  • 『挫けざる日々 私の食道癌戦記』 1996年 技術と人間 ISBN 4-7645-0107-4

関連書籍[ソースを編集]

関連項目[ソースを編集]