鈴木直人 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

鈴木 直人(すずき なおと、1900年明治33年)5月19日 - 1957年昭和32年)9月20日)は、日本の内務官僚政治家。官選熊本県知事参議院議員衆議院議員

来歴・人物[編集]

福島県相馬郡磯部村(現:相馬市蒲庭)に生まれた。鈴木佳衛の二男。

旧制相馬中学水戸高等学校を経て、東京帝国大学法学部に進み、在学中に高等試験に合格した。1927年(昭和2年)に卒業し、ただちに内務省に入った。翌年沖縄県特高課長、さらに山梨県広島県の特高課長を歴任。

その後、埼玉県東京府の経済課長を経て、1939年(昭和14年)に石川県経済部長に昇進した。次いで広島県経済部長、山口県部長・内政部長[1]を歴任した後、終戦前後には愛知県経済部長兼終戦処理局長の職にあった。戦後の1946年(昭和21年)、熊本県内務部長に就任、同県の桜井三郎知事が公選知事選出馬のため辞任したため、1947年(昭和22年)3月12日から4月16日まで約一ヶ月、選挙管理知事として熊本県知事になった。政府が官選から公選知事への切り替え期に、一度に44人の短命知事を作った時の一人である。熱塩加納村出身の遠藤直人兵庫県知事になったのも、全くこれと同じケースであった。

1947年(昭和22年)4月、第1回参議院議員通常選挙全国区に立候補して当選(六年議員)し、逓信政務次官緑風会幹事長、両院法規委員長を務めたほか、1951年(昭和26年)のサンフランシスコ講和会議には議員代表として出席した。

1952年(昭和27年)10月の第25回衆議院議員総選挙で旧福島県第3区自由党より出馬し、五万六千余票の最高点で当選。1953年(昭和28年)4月の第26回総選挙には出馬しなかったが、1955年(昭和30年)2月の第27回総選挙で当選。1957年(昭和32年)9月20日、現職のまま病死した。57歳没。地盤は斎藤邦吉が継承した。

家族・親族[編集]

実子直紀田中角栄首相女婿

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』第4940号、昭和18年7月2日。

参考文献[編集]

  • 『政治家人名事典』(1990年、編集・発行 - 日外アソシエーツ)
  • 『新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。