岡田良平

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日本の旗 日本の政治家
岡田 良平
OKADA Ryohei.jpg
生年月日 1864年6月7日
出生地 遠江国佐野郡倉真村
没年月日 (1934-03-23) 1934年3月23日(満69歳没)
出身校 帝国大学文科大学卒業
前職 京都帝国大学総長
所属政党 研究会→)
第二次無所属
称号 勲一等旭日大綬章
文学士(帝国大学・1887年)
親族 岡田良一郎(父)
一木喜德郎(弟)

日本の旗 第34代 文部大臣
内閣 加藤高明内閣
第1次若槻内閣
在任期間 1924年6月11日 - 1927年4月20日

日本の旗 第28代 文部大臣
内閣 寺内内閣
在任期間 1916年10月9日 - 1918年9月29日

選挙区 勅選
在任期間 1904年8月22日 - 1929年11月28日

在任期間 1929年11月28日 - 1934年3月23日
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岡田 良平(おかだ りょうへい、元治元年5月4日1864年6月7日) - 1934年昭和9年)3月23日)は、日本文部官僚教育者政治家勲等勲一等貴族院議員京都帝国大学総長文部大臣などを歴任した。

概要[編集]

遠江国佐野郡倉真村(現・掛川市)出身。東京府第一中学では、沢柳政太郎狩野亨吉松崎蔵之助幸田露伴などが同期にあたる。大学予備門を経て、1887年7月、帝国大学文科大学哲学科(のちの東大文学部)卒業、大学院へ。

第二高等中学校教授を経て、1893年(明治26年)に文部省視学官。以後、大臣官房報告課長、参事官を経て、同年12月に山口高等中学校校長心得、翌年1月に同校校長兼文部省参事官、1896年(明治29年)4月から同校校長を専任。1897年(明治30年)3月に大臣官房会計課長、1900年(明治33年)4月、実業学務局長に。フランス派遣を経て、1901年(明治34年)4月より文部省総務長官(文部次官)。その後、兼任普通学務局長事務取扱となり、1904年(明治37年)8月22日[1]から1929年(昭和4年)11月にかけて貴族院勅選議員を務めた。

1907年(明治40年)10月16日、京都帝國大学総長就任[2]。翌年7月21日には再度文部次官となる(京都帝大総長を1908年9月2日まで兼任)[3][4]。1913年(大正2年)2月19日、錦鶏間祗候となる[5]。1916年(大正5年)、寺内内閣文部大臣を拝命。1923年(大正12年)から翌1924年(大正13年)まで東洋大学学長を務め、同年成立の加藤高明内閣で再び文部大臣に就任し、1927年(昭和2年)の第1次若槻内閣の総辞職まで務めた。1929年(昭和4年)11月から没するまで枢密顧問官を務め、その間の1930年(昭和5年)、産業組合中央会会頭に就任。

家族[編集]

岡田家は、政治家や学者を輩出する一族として知られている。良平の父は報徳思想の啓蒙に努めた衆議院議員岡田良一郎である。良平の次弟は宮内大臣枢密院議長を歴任した男爵一木喜徳郎であり、その子には検事の一木輏太郎、行政法学者の杉村章三郎がいる。輏太郎の長男・充は松下電器のシステム推進部長だったが日本航空123便墜落事故の犠牲者となった。良平の三弟・純平は母の実家・竹山家へ養子に行き、その次男は東京大学教養学部教授で小説家竹山道雄である。また、山梨大学教育学部教授の竹山護夫や東京大学名誉教授平川祐弘は、良平の姪孫にあたる。良平には実子がなかったので、末弟の分平が兄の養嗣子となり、岡田本家を継いだ。

栄典[編集]

京都帝大総長
だった頃の岡田
叙位
叙勲
褒章
  • 1915年(大正4年)5月5日 - 銀杯一個[7]
  • 1916年(大正5年)5月18日 - 銀杯一個[7]
  • 1918年(大正7年)9月19日 - 木杯一個[7]
  • 1919年(大正8年)2月11日 - 金杯一個[7]
  • 1920年(大正9年)7月27日 - 銀杯一個[7]
  • 1928年(昭和3年)11月10日 - 金杯一個[7]
  • 1934年(昭和9年)3月23日 - 金杯一組[7]
記念章
外国勲章等佩用允許

出典[編集]

  1. ^ 『官報』第6345号、明治37年8月23日
  2. ^ 『官報』第7292号、明治40年10月18日
  3. ^ 『官報』第7521号、明治41年7月22日
  4. ^ 『官報』第7558号、明治41年9月3日
  5. ^ 『官報』第166号、大正2年2月20日
  6. ^ 『官報』第2545号「叙任及辞令」明治24年12月22日
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 岡田良平』 アジア歴史資料センター Ref.A06051178400 
  8. ^ 『官報』第6148号「叙任及辞令」明治36年12月28日
  9. ^ 『官報』第5848号「叙任及辞令」明治35年12月29日
  10. ^ 『官報』第93号「叙任及辞令」1927年4月23日。

参考文献[編集]

  • 戦前期官僚制研究会編 『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』 東京大学出版会、1981年11月

関連文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]


公職
先代:
高田早苗
日本の旗 文部大臣
寺内内閣
1916年10月9日 - 1918年9月29日
次代:
中橋徳五郎
先代:
江木千之
日本の旗 文部大臣
加藤高明内閣若槻禮次郎内閣
1924年6月11日 - 1927年4月20日
次代:
三土忠造
学職
先代:
木下廣次
京都帝国大学総長
第2代:1907年 - 1908年
次代:
菊池大麓
先代:
境野哲
東洋大学学長
第5代:1923年 - 1924年
次代:
中島徳蔵
非営利団体
先代:
岡田良一郎
大日本報徳社社長
第2代:1912年 - 1934年
次代:
一木喜德郞