平生釟三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
平生釟三郎

平生 釟三郎(ひらお はちさぶろう、慶応2年5月22日1866年7月4日) - 昭和20年(1945年11月27日)は、日本実業家教育者(甲南学園創立者)、政治家廣田内閣文部大臣貴族院勅選議員枢密顧問官)。

人物[編集]

明治大正、及び昭和初期に活躍し、移民制限を始めたブラジルに対し経済的貢献により移住を確保しようと海外移住組合連合会長だった平生が訪伯経済使節団長としてブラジルに渡るなどした。その功績により、1935年ブラジルコメンダトール勲章。灘購買組合(日本初の生協)の設立、大阪ロータリークラブの設立にも尽力。政治家の床次竹二郎を後援し、献金をした。甲南大学甲南高等学校・中学校の創立者でもある。 東京商業学校第三部露語科の同級生に二葉亭四迷がいる。二人は首席を争った。

経歴[編集]

家族[編集]

カナモジ論[編集]

平生釟三郎はカナモジカイの会員であった。1930年に講演を行い、その講演をもとに『漢字廃止論』という本を出していた。

1936年3月25日広田弘毅内閣の文部大臣となった。5月の貴族院本会議において、『漢字廃止論』について質問されて、現在でも漢字廃止を信念としていることをあきらかにした[1]

脚注[編集]

  1. ^ 『官報』号外1936年5月10日「第六十九回帝国議会貴族院議事速記録第四号」の30から36頁、『官報』号外1936年5月12日「第六十九回帝国議会貴族院議事速記録第五号」の46頁。

参考文献[編集]

  • 平生釟三郎『漢字廃止論』第4版、カナモジカイ、1936年。
  • 平生釟三郎『平生釟三郎自伝』名古屋大学出版会、1996年。

関連[編集]