松方正雄

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松方正雄

松方 正雄(まつかた まさお、1868年5月7日 - 1942年3月25日)は、鹿児島県出身の実業家。父は松方正義で四男。浪速銀行頭取、共同火災保険取締役、豊川鉄道監査役、阪神電鉄社長などを歴任[1][2]

経歴[編集]

1978年に父の従兄・松方勇助の養嫡子となり、学習院大学、東京大学を経て英国留学[1][2]アメリカペンシルベニア大学時代は野球とアメリカンフットボールのレギュラー選手で、帰国してからは関西財界で活躍した[3]

1935年大阪タイガースの初代取締役に就任し、東京巨人軍を越えるチームにするために力を注ぎ、タイガースの基礎を築き上げている[3]。また、戦前のタイガース対阪急軍の試合を「関西の早慶戦」と名付け、関西地区の名物カードとして定着させた[3]

日本職業野球連盟が創立されると安藤信昭と共に副総裁へ就任し、草創期のプロ野球発展に尽力した[3]

1986年野球殿堂入り。

河原要一の長女マス(益子、1880-1911)との間に二男一女[1]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『「家系図」と「お屋敷」で読み解く歴代総理大臣 明治・大正篇』竹内正浩、実業之日本社, 2017, 「第一章 松方正義」の項
  2. ^ a b 松方正雄 (男性)『人事興信録』データベース第4版、大正4(1915)年1月、名古屋大学
  3. ^ a b c d 『野球殿堂 2012 The Baseball Hall of Fame』(2012年、ベースボール・マガジン社)、P.80