鋳谷正輔

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鋳谷正輔

鋳谷 正輔(いたに しょうすけ、1880年明治13年)3月21日 - 1955年昭和30年)11月15日)は、日本実業家川崎汽船社長や、川崎重工業会長兼社長、川崎航空機工業社長等を歴任した。

人物・経歴[編集]

山口県出身[1]上海租界商業英語を学んだのち[2]山下亀三郎事務長格として採用され[3]、1917年に山下汽船が設立されると常務取締役に就任。同社専務取締役を経て[4]、1924年に山下汽船鉱山部が北海道鉱業として独立すると、同社社長に就任した[5]

1933年に平生釟三郎の招きで経営不振に陥っていた神戸川崎財閥に入り[2]、1935年川崎汽船専務取締役社長[6]川崎造船所社長[7][8]。1936年川崎造船所会長兼社長[8]。1937年川崎航空機工業社長[9]。1943年紺綬褒章受章[10]。1946年公職追放[11]

脚注[編集]

  1. ^ 鑄谷正輔 (男性)日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
  2. ^ a b 「鋳谷正輔 」『時代を創る者. 財界人物編 第2輯』人物評論社編輯部 著 (人物評論社, 1938) (国立国会図書館デジタルコレクション)
  3. ^ 恬澹愛すべき鑄谷正輔氏/174山下亀三郎『沈みつ浮きつ. 地』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 上岡一史「第一次大戦期における船成金の出現 No.132」法政大学
  5. ^ 「山下新日本汽船(株)『社史 : 合併より十五年』(1980.06)」渋沢社史データベース
  6. ^ 「川崎汽船(株)『川崎汽船五十年史』(1969.08)」渋沢社史データベース
  7. ^ 「神戸市文書館 神戸歴史年表」神戸市
  8. ^ a b 「川崎重工業(株)『川崎重工業株式会社百年史 : 1896-1996. 資料・年表』(1997.06)」渋沢社史データベース
  9. ^ 川崎重工業(株)航空機事業本部『川崎重工岐阜工場50年の歩み』(1987.11)渋沢社史データベース
  10. ^ 「彙報 / - / - / 紺綬褒章下賜 鑄谷正輔外十五人(賞勳局) 」『官報. 1943年03月20日 』
  11. ^ >>昭和21年後期(7月~12月)神戸市
先代
平生釟三郎
川崎汽船社長
1935年 - 1946年
次代
君島興一
先代
平生釟三郎
川崎重工業(旧川崎造船所)社長
1935年 - 1946年
次代
手塚敏雄