手塚敏雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

手塚 敏雄(てづか としお、1885年10月11日[1] - 1969年7月30日)は、日本の実業家川崎重工業社長、会長を務めた。

経歴・人物[編集]

栃木県河内郡河内町出身[1]1916年東京帝国大学法学部を卒業し、翌年に川崎造船所に入社した[1]。取締役を経て、1950年8月に川崎重工業社長に就任し、1961年7月に会長に就任した[1]1954年1月からは川崎航空機社長も兼任し、1961年11月からは同社会長を務めた[1]

関西テレビ放送取締役、ラジオ関西取締役なども歴任した[1]1965年勲三等瑞宝章を受章した[1]

1969年7月30日急性肺炎のために死去[2]。83歳没。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 興信データ株式會社 1966, て3頁.
  2. ^ 1969年 7月30日 読売新聞 夕刊 p9

参考文献[編集]

  • 興信データ株式會社『人事興信録 第23版 下』興信データ、1966年。