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勝田主計

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
勝田 主計しょうだ かずえ
大礼服を着た勝田
生年月日 1869年10月19日
明治2年9月15日
出生地 天皇の旗 日本伊予国温泉郡松山城下一番町(現:愛媛県松山市
没年月日 (1948-10-10) 1948年10月10日(78歳没)
死没地 連合国軍占領下の日本の旗 日本東京都
出身校 東京帝国大学
称号 従三位
勲一等旭日大綬章
配偶者 勝田イヨ
子女 四男・勝田龍夫
六男・勝田高司
親族 甥・勝田正之
孫・勝田和宏
娘婿・広瀬豊作
娘婿・中野善敦
娘婿・黒田康彦
娘婿・早崎文雄
娘婿・玉置敬三
大日本帝国の旗 第37代 文部大臣
内閣 田中義一内閣
在任期間 1928年5月25日 - 1929年7月2日
大日本帝国の旗 第20・24代 大蔵大臣
内閣 寺内内閣
清浦内閣
在任期間 1916年12月16日 - 1918年9月29日
1924年1月7日 - 1924年6月11日
在任期間 1914年3月31日 - 1946年8月3日
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勝田 主計(しょうだ かずえ、1869年10月19日明治2年9月15日〉- 1948年昭和23年〉10月10日)は、日本大蔵官僚政治家理財局長、大蔵次官蔵相文相内閣参議を歴任。同郷の俳人正岡子規海軍軍人秋山真之の友人だった[1]。勝田宰州、勝田明庵は俳号[2]

生涯

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1869年(明治2年)、伊予国松山一番町(現在の愛媛県松山市)に生まれた。松山藩士・勝田久廉の五男。

勝山学校伊予尋常中学一高を経て、1895年(明治28年)に東京帝国大学法科大学を卒業、大蔵省に入省。主税局[3]1901年(明治34年)6月の函館税務管理局長兼税関長時代に関税法などの調査のために2年間ヨーロッパに派遣される。大蔵次官を経て1914年大正3年)3月31日、貴族院勅選議員となり[4]1915年(大正4年)に朝鮮銀行総裁に就任[5]寺内内閣大蔵大臣を務めた[6]

1918年(大正7年)、西原亀三と計り、興業銀行朝鮮銀行台湾銀行からそれぞれ資金を調達し、総額1億4,500万円という莫大な西原借款を提供する。この借款は主に段祺瑞政権の政治資金として使われ、成果を得るどころか、結局は回収できなかったため、帝国議会の轟々たる非難を浴びた。

その後、清浦内閣でも大蔵大臣[7]田中義一内閣文部大臣を務め[7]1939年(昭和14年)に内閣参議となった。

1946年(昭和21年)8月3日、公職追放となり貴族院議員の資格が消滅となった[8]

大臣辞退

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栄典

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位階
勲章等
受章年 略綬 勲章名 備考
1906年(明治39年)4月1日 勲三等旭日中綬章[18]
1913年(大正2年)12月27日 勲二等瑞宝章[19]
1915年(大正4年)11月10日 大礼記念章(大正)[20]
1916年(大正5年)4月1日 旭日重光章[21]
1918年(大正7年)9月29日 勲一等瑞宝章[22]
1920年(大正9年)11月1日 旭日大綬章[23]
1920年(大正9年)11月2日 大正三年乃至九年戦役従軍記章[24]
1921年(大正10年)7月1日 第一回国勢調査記念章[25]
1930年(昭和5年)12月5日 帝都復興記念章[26]
1940年(昭和15年)8月15日 紀元二千六百年祝典記念章[27]
外国勲章佩用允許
受章年 国籍 略綬 勲章名 備考
1909年(明治42年)7月8日 大韓帝国 勲二等太極章[28]
1934年(昭和9年)3月1日 満洲国 満州帝国 建国功労章[29]
1941年(昭和16年)12月9日 満洲国 満洲帝国 建国神廟創建記念章[30]
賞杯等

親族

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イヨ夫人との間に5男7女をもうけたが、長男・力と三男・惇が早世したため次男・浩が嗣子となった。

四男・龍夫日本債券信用銀行頭取を務めたが文筆家としても知られ[37][38]西園寺公望の秘書・原田熊雄の娘婿ということから『重臣たちの昭和史』等の日本現代史に関する著書も多い[38]。五男・祐行はテレビ朝日報道局記者(元アナウンサー)・勝田和宏の祖父[39]。六男・高司東京大学教授を務めた学者工学博士[39]。七男・和男はユニバース開発の社長を務めた[39]

長女・道子は元蔵相の広瀬豊作に[40]、次女・秋子は内務官僚・弁護士中野善敦[39]、三女・真代は元大倉商事社長の黒田康彦[39]、四女・素代子は元東洋レーヨン事業部長の早崎文雄[40]、五女・徳子は元東京芝浦電気社長の玉置敬三に嫁いだ[41]

弟・久貫は元日本電子計算社長・勝田正之の父である[37][40]。正之は久貫の長男で[37][40]三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の孫娘・寿々子と結婚した[37][40]。故に勝田家は三菱の創業者一族・岩崎家と姻戚関係で結ばれたといえる。寿々子の父・康弥は弥太郎の三男で[37][39]児童文学作家勝田紫津子は正之・寿々子夫妻の長女[37][39]。正之の弟・恭行は安倍源基の三女と結婚している[37][39]

脚注

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  1. 松山の偉人 - 政治・行政 - 松山観光ボランティアガイドの会公式サイト内のページ
  2. 勝田 主計(ショウダ カズエ)とは - コトバンク
  3. 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、177頁
  4. 『官報』第501号、大正3年4月2日。
  5. 『閨閥』 347頁。
  6. 『閨閥』 347頁、350頁。
  7. 1 2 『閨閥』 350頁。
  8. 『官報』第5887号、昭和21年8月28日。
  9. 『官報』第4285号「叙任及辞令」1897年10月12日。
  10. 『官報』第4413号「叙任及辞令」1898年3月22日。
  11. 『官報』第5169号「叙任及辞令」1900年9月22日。
  12. 『官報』第5848号「叙任及辞令」1902年12月29日。
  13. 『官報』第6548号「叙任及辞令」1905年5月2日。
  14. 『官報』第7183号「叙任及辞令」1907年6月11日。
  15. 『官報』第8710号「叙任及辞令」1912年7月2日。
  16. 『官報』第525号「叙任及辞令」1914年5月1日。
  17. 『官報』第3429号「叙任及辞令」1924年1月31日。
  18. 『官報』第7246号「叙任及辞令」19108年8月23日。
  19. 『官報』第427号「叙任及辞令」1913年12月29日。
  20. 『官報』第1311号・付録「辞令」1916年12月14日。
  21. 『官報』第1218号「叙任及辞令」1916年8月21日。
  22. 『官報』第1850号「叙任及辞令」1918年10月2日。
  23. 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。
  24. 『官報』号外「叙任及辞令」1924年8月13日。
  25. 『官報』第2860号・付録「辞令」1922年2月16日。
  26. 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  27. 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
  28. 『官報』第7813号「叙任及辞令」1909年7月12日。
  29. 『官報』第2511号・付録「辞令二」1935年5月20日。
  30. 『官報』第5060号・付録「辞令二」1943年11月24日。
  31. 『官報』第8454号「叙任及辞令」1911年8月25日。
  32. 『官報』第498号「叙任及辞令」1913年3月30日。
  33. 『官報』第1038号「叙任及辞令」1916年1月20日。
  34. 『官報』第1896号「彙報 - 褒賞」1918年11月28日。
  35. 『官報』号外「授爵・叙任及辞令」1928年11月10日。
  36. 『官報』第5277号・付録「叙任及辞令二」1944年8月16日。
  37. 1 2 3 4 5 6 7 『財界家系譜大観』 第3版 - 第5版。
  38. 1 2 『閨閥』 348-351頁。
  39. 1 2 3 4 5 6 7 8 『閨閥』 348-349頁。
  40. 1 2 3 4 5 『閨閥』 348-349頁、351頁。
  41. 『閨閥』 347-349頁。

参考文献

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  • 『財界家系譜大観 第3版』現代名士家系譜刊行会、1977年、511頁。
  • 『財界家系譜大観 第4版』現代名士家系譜刊行会、1980年、416頁。
  • 『財界家系譜大観 第5版』現代名士家系譜刊行会、1982年、450頁。
  • 佐藤朝泰『閨閥 日本のニュー・エスタブリッシュメント立風書房、1981年10月30日第1刷。

外部リンク

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公職
先代
水野錬太郎
大日本帝国の旗 文部大臣
第37代:1928年5月25日 - 1929年7月2日
次代
小橋一太
先代
寺内正毅
井上準之助
大日本帝国の旗 大蔵大臣
第20代:1916年12月16日 - 1918年9月29日
第24代:1924年1月7日 - 同年6月11日
次代
高橋是清
濱口雄幸