浦野烋興

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浦野 烋興
うらの やすおき
Yasuoki Urano (cropped).jpg
生年月日 (1941-11-03) 1941年11月3日(77歳)
出生地 愛知県西加茂郡挙母村(現・豊田市
出身校 学習院大学政経学部経済学科
前職 衆議院議員
所属政党 自由民主党
称号 旭日重光章
親族 義父・浦野幸男(衆議院議員)

内閣 村山改造内閣
在任期間 1995年8月8日 - 1996年1月11日

日本の旗 衆議院議員
選挙区 旧愛知4区
当選回数 6回
在任期間 1979年10月7日 - 1996年9月27日
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浦野 烋興(うらの やすおき、1941年11月3日 - )は、日本の元政治家衆議院議員(6期)、科学技術庁長官第53代)を歴任した。

自民党内では宮沢派に所属。労働大臣を務めた浦野幸男の女婿。結婚前の旧姓は伊藤。

経歴[編集]

人物[編集]

  • 義父の代から地元のトヨタ自動車グループ企業社員の非労組系の票を中心にまとめて連続当選を果たす。豊田通商OBでもあることからトヨタ自動車グループ企業社員の後援者が多かった。また労相を務めた義父ともども地元の全トヨタ労働組合連合会とも良好な関係にあり、全トヨタ労働組合連合会にとっては組織内議員ではなかったものの自民党側のパイプ役であった。このため自民党議員ながら労働組合関係者に顔が利いた。
  • 警察官時代から柔道に勤しみ、黒帯である。
  • 妻との間に一男一女があるが、いずれも政界には関わっていない。

小選挙区制の下で[編集]

  • 1994年選挙制度改革によって衆議院議員選挙に小選挙区制が導入されると、これまで比較的楽な選挙を戦ってきた浦野を取り巻く状況は一変する。中選挙区制下の旧愛知4区の区割りが変更され、浦野の選挙区はトヨタ関連企業に勤務する有権者が多い愛知11区となり、新進党に移った伊藤英成との一騎討ちに臨むことになったのである。迎えた1996年第41回衆議院議員総選挙では8万5千票と得票が伸びず、全トヨタ労連の組織票に支えられた伊藤に3万7千票の差をつけられて大敗。惜敗率69.5%となり、比例代表復活当選もならなかった。浦野は政界引退を表明したものの、年齢が若かったため自民党や後援会から慰留された。
  • 豊田市幹部からも「豊田市には全トヨタ労連の議員と自民党の議員の二議席が必要」と国政復帰を求める声が上がった。
  • 1998年第18回参議院議員通常選挙に出馬を要請され愛知県選挙区から自民党公認で立候補。しかし自民党苦戦の流れの中、愛知県選挙区のもう一人の自民党公認候補で現職の大木浩と共倒れ落選。議席を獲得できず、政界引退を表明した。
  • 1999年、引退を表明した加藤正一豊田市長の後継者に名前が挙がり、自民党民主党などから2000年2月の豊田市長選挙出馬を要請されるも辞退。市長選には鈴木公平助役が立候補し当選。
  • 2003年第43回衆議院議員総選挙に際し自民党では民主党の組織票が強固な愛知県11区の候補者擁立が難航していたが、伊藤英成が引退を表明したこともあり「知名度や実績がある」候補として浦野の再出馬を要請した。しかし浦野は既に何度も政界引退を表明していることや健康状態等を理由に固辞。自民党は候補者を擁立できず、不戦敗となった。

引退後[編集]

  • 政界引退後は、豊田市四郷町下古屋自治区顧問や義父・幸男が創設した豊田市柔道会の顧問を務めた[要出典]
  • 自邸敷地内に「道満さんの祠」(陰陽師蘆屋道満を祀る塚)があり、地域住民により毎年供養が行われ、自身も毎年祭礼の世話に当たっている[要出典]
  • 中日新聞による引退後の取材では「選挙制度改革に翻弄され、政治家としては不完全燃焼だった」と語っている。

脚注[編集]

  1. ^ a b 東海愛知新聞』1979年9月26日、1面、「総選挙事務所めぐり (5) 浦野候補 自新 中央から大物応援 支持層掘り起こしへ」。
  2. ^ 東海新聞』1977年1月18日、1面、「浦野前労相が死去 稲垣氏繰り上げ当選」。
  3. ^ 稲垣実男 | 衆議院議員 | 国会議員白書
  4. ^ 鈴木紀正は1983年9月の愛知県議会議員補欠選挙(西加茂郡選挙区)で初当選したが、県議2期目の1988年4月21日、西加茂郡藤岡町(現・豊田市)の工場団地開発を巡る汚職事件で収賄容疑で逮捕された。
  5. ^ 朝日新聞』1980年8月3日付朝刊、22面、「なれ合いの構図 自治体にみる 4」。
  6. ^ 木村伊量「全容 無謀の構図 (86)」 『朝日新聞』1981年3月26日付朝刊、三河版西。
  7. ^ 豊田市名誉市民豊田市ホームページ


公職
先代:
田中眞紀子
日本の旗 科学技術庁長官
第53代:1995年 -1996年
次代:
中川秀直