大木浩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
大木 浩
おおき ひろし
Hiroshi Ōki.jpg
2002年2月 小泉内閣にて環境大臣就任に際し、官邸が公表した肖像写真
生年月日 (1927-06-30) 1927年6月30日
出生地 愛知県西春日井郡西枇杷島町(現清須市
没年月日 (2015-11-13) 2015年11月13日(88歳没)
出身校 旧制松本高校
海軍兵学校
東京大学法学部
前職 国家公務員外務省
現職 全国地球温暖化防止活動推進センター代表
所属政党 自由民主党
称号 法学士(東京大学)
公式サイト JCCCA Web::全国地球温暖化防止活動推進センターWebサイト - JCCCAについて

日本の旗 第3代 環境大臣
内閣 第1次小泉内閣
在任期間 2002年2月8日 - 2002年9月30日

日本の旗 第35代 環境庁長官
内閣 第2次橋本改造内閣
在任期間 1997年9月11日 - 1998年7月30日

選挙区 愛知8区
当選回数 1回
在任期間 2000年6月26日 - 2003年10月10日

選挙区 愛知県選挙区
当選回数 3回
在任期間 1980年7月8日 - 1998年7月25日
テンプレートを表示

大木 浩(おおき ひろし、1927年6月30日 - 2015年11月13日)は、日本政治家外交官。全国地球温暖化防止活動推進センター代表。

環境大臣第3代)、環境庁長官第35代)、衆議院議員(1期)、参議院議員(3期)等を歴任した。

来歴[編集]

愛知県西春日井郡西枇杷島町(現清須市)出身。愛知県立第一中学校(現愛知県立旭丘高等学校)、第八高等学校を経て、旧制松本高校文科卒業後、海軍兵学校第76期)で終戦を迎え、東京大学法学部卒業。

1952年東大卒業後、外務省に入省した。ワシントンベオグラードジュネーブでの在外公館勤務。外務省欧亜局東西通商課長、欧亜局東欧第一課長、報道課長、官房総務参事官を経て、1978年官房審議官・多角的貿易交渉担当大使、1979年ホノルル総領事1980年に退官。

同年、第12回参議院議員通常選挙自由民主党公認で愛知県選挙区から出馬し、初当選。以後3期連続当選。1983年通商産業政務次官1987年参議院商工委員長。1988年自民党国際局長。1991年参議院文教委員長。1993年自由民主党党副幹事長。1996年参議院自由民主党政策審議会長。1997年9月、第2次橋本改造内閣環境庁長官に任命され、同年12月の京都会議第3回気候変動枠組条約締約国会議)では、日本が議長国のため同会議長を務める[1]。しかし、翌1998年第18回参議院議員通常選挙では、現職閣僚ながら落選。なおこの選挙では、愛知県選挙区から出馬した自民党現職の大木、浦野烋興がいずれも落選の憂き目を見た。

2000年、選挙前に突如引退を表明した久野統一郎衆議院議員に代わり、第42回衆議院議員総選挙愛知県第8区から自民党公認で出馬し当選した。自民党地球環境特別委員長を経て、2002年第1次小泉内閣環境大臣に任命され、2度目の入閣を果たした。なお環境庁長官環境大臣をいずれも務めたのは、省庁再編の際の環境庁長官であり初代環境大臣である川口順子を除けば、歴代の大臣では大木のみである。2003年第43回衆議院議員総選挙では民主党公認の伴野豊に敗れ落選し、政界を引退した。引退後は全国地球温暖化防止活動推進センターの代表を務めた。日本国際フォーラム政策委員[2]

2015年11月13日、脳梗塞のため死去[3]。88歳没。叙従三位[4]

外務省入省同期[編集]

出典[編集]

  1. ^ (日本語) 大木 浩 - 環境立国|理事プロフィール”. 特定非営利活動法人 環境立国. 2014年4月2日閲覧。
  2. ^ 委員”. 日本国際フォーラム. 2014年2月25日閲覧。
  3. ^ 大木浩氏死去=元環境相、京都議定書に尽力 Archived 2015年11月14日, at Archive.is 時事通信 2015年11月14日閲覧[リンク切れ]
  4. ^ 平成27年12月14日官報

関連項目[編集]


議会
先代:
下稲葉耕吉
日本の旗 参議院文教委員長
1991年 - 1992年
次代:
松浦功
先代:
前田勲男
日本の旗 参議院商工委員長
1987年 - 1988年
次代:
宮澤弘
公職
先代:
川口順子
日本の旗 環境大臣
第3代:2002年
次代:
鈴木俊一
先代:
石井道子
日本の旗 環境庁長官
第35代:1997年 - 1998年
次代:
真鍋賢二