都築譲
都築 譲 つづき ゆずる | |
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生年月日 | 1950年9月23日 |
出生地 | 愛知県幡豆郡一色町(現:西尾市) |
没年月日 | 2018年4月16日(67歳没) |
出身校 | 東京大学法学部 |
所属政党 |
(あいち改革推進協議会→) (新進党→) (自由党→) (民主党→) (無所属→) (国民の生活が第一→) (日本未来の党→) 無所属 |
称号 | 法学士・経済学修士 |
公式サイト | つづき譲・BLOG |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2006年1月29日 - 2011年3月31日 |
選挙区 | 比例東海ブロック(愛知12区→愛知15区) |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2000年6月25日 - 2004年11月4日 |
選挙区 | 愛知県選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1994年9月11日 - 1998年7月25日 |
都築 譲(つづき ゆずる、1950年9月23日 - 2018年4月16日[1])は、日本の政治家。
参議院議員(1期)、衆議院議員(2期)、愛知県幡豆郡一色町町長(2期)を歴任。
来歴・人物[編集]
愛知県幡豆郡一色町出身。一色町立一色中学校(現西尾市立一色中学校)、愛知県立刈谷高等学校から東京大学へ進学[2]。1975年、同大学法学部を卒業後、労働省(現・厚生労働省)へ入省。1987年から3年間、外務省に出向。経済協力開発機構(OECD)パリ本部の日本代表部に勤務した。1994年7月、労働省を退官[3]。
1994年9月11日、公職選挙法違反で参議院議員・新間正次の当選が無効となったことに伴い行われた参議院愛知県選挙区の再選挙に、あいち改革推進協議会から出馬。新生党、公明党、日本新党、民社党、自由党、新党みらいの推薦を得て初当選した[3]。
1998年7月12日の第18回参議院議員通常選挙に出馬するも、落選。
2000年6月25日の第42回衆議院議員総選挙に愛知12区から自由党公認候補として出馬。小選挙区では3番目の投票数だったが、比例復活で当選。
2003年9月26日、それまで属していた自由党が民主党と合流する。それにより議員たちの競合する選挙区の調整が図られ、都築は出身地の愛知12区から愛知15区に「国替え」して出馬することになった。代わりに民主党は、都築を比例東海ブロックの「名簿」第1位に登載した。同年11月9日の第43回衆議院議員総選挙では、民主党公認で出馬。愛知15区では落選したが、比例復活で当選した。
しかし当選直後の11月15日、選挙運動員の一人が公職選挙法違反の疑いで逮捕される[4]。11月17日、選挙対策幹部2人(元自由党愛知14総支部会長、民主党愛知15総支部役員)も逮捕。以上3名は、別の運動員に対し、電話で有権者に投票を依頼する報酬として計数十万円のアルバイト料の支払いを約束したとして、買収の罪に問われた[5]。11月19日、選対本部事務局次長が警察の聴取直前に自殺[6]。11月27日には公設秘書が逮捕され、続いてその翌日には選対事務局長を務めていた豊橋市議が逮捕された[7]。都築は公職選挙法違反に問われ、連座制適用の危機に遭った。
2004年8月2日、名古屋高等裁判所は被告(都築の選挙対策幹部2人)に有罪判決を下した一審判決を支持し、被告の控訴を棄却。被告側は上告して連座制適用を先送りにしたが、同年11月2日、最高裁判所でも上告が棄却され、一、二審判決が確定。同日、連座制により失職する前に自ら辞職を表明した。11月4日に辞職が受理され、田村謙治が繰り上げ当選した。
辞職の翌年2005年1月、民主党代表・岡田克也の私設秘書(後に政策秘書)になる。公職選挙法の規定により愛知15区からの衆議院議員選挙出馬ができないため、一時期、拠点をかつての選挙区だった愛知12区の岡崎市内に移していたが、2006年1月29日の一色町長選挙に無所属で出馬。現職の大河内光行(無所属・自民党推薦)、元町議ら2候補を破り初当選した[8]。国会議員経験者が町長を務めたのは全国的に珍しい(他に山口県平生町長の山田健一がいる)。2010年1月、無投票で再選。2011年3月31日、一色町が西尾市に編入されたことに伴い、町長を退任。
国民の生活が第一代表の小沢一郎に国政を目指す思いを伝えたところ激励され、2012年8月25日、次期衆院選に同党公認で出馬する意向を明らかにした[9]。
2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙に愛知12区から日本未来の党公認で出馬するも、落選。
2013年5月26日の西尾市長選挙に無所属で出馬するも、落選[10]。
2014年4月6日、旧一色町が、2011年に町内の産業廃棄物処分場跡地で行われた土壌汚染調査の結果を第三者に秘密にするとの契約を、調査した業者との間で結んでいたことが明らかとなった。同契約の締結日は、一色町が西尾市と合併する前日の2011年3月31日であった[11]。契約書の町長公印について、当時一色町長であった都築は「記憶にない」と関与を否定[12]。ところが2014年4月12日には一転して、町が作成した起案文書の町長決裁欄に書かれたサインを自分のものと認めた[13]。
略歴[編集]
経歴[編集]
- 1969年
- 愛知県立刈谷高等学校卒業(3月)
- 1975年
- 1994年
- 労働省退官(7月)
政歴[編集]
- 1994年(平成6年)
- 1998年(平成10年)
- 7月12日 第18回参議院議員通常選挙に愛知県選挙区・無所属・自由党推薦で立候補するも再選ならず - 218,403票
- 2000年(平成12年)
- 6月25日 第42回衆議院議員総選挙に愛知12区・比例東海・自由党公認で立候補し、衆議院議員として初当選(比例復活) - 33,052票
- 2003年(平成15年)
- 2004年(平成16年)
- 11月4日 衆議院議員辞職。
- 2006年(平成18年)
- 2010年(平成22年)
- 1月31日 愛知県幡豆郡一色町長選挙(無所属)無投票再選
- 2011年(平成23年)
- 3月31日 一色町が西尾市に編入されたことに伴い、町長退任
- 2012年(平成24年)
- 12月16日 第46回衆議院議員総選挙に愛知12区・比例東海・日本未来の党公認で立候補するも、落選 - 30,850票
- 2013年(平成25年)
脚注[編集]
- ^ a b “元衆院議員の都築譲さん死去 愛知県一色町長も務める”. 朝日新聞 (2018年4月17日). 2018年4月17日閲覧。
- ^ つづき譲・BLOG 都築 譲 Profile
- ^ a b 中日新聞(1994年9月12日付朝刊、12版、1面)
- ^ 中日新聞(1994年11月16日付朝刊、12版広域、31面)
- ^ 中日新聞(1994年11月18日付朝刊、12版広域、27面)
- ^ 中日新聞(1994年11月28日付朝刊、12版、1面)
- ^ 中日新聞(1994年11月29日付朝刊、12版、1面)
- ^ 中日新聞(2006年1月30日付朝刊、市C県内版、22面)
- ^ 中日新聞(2012年8月26日付朝刊、12版、32面)
- ^ “実績評価、継続を選択 西尾市長に榊原さん再選”. 中日新聞. (2013年5月27日) 2013年6月20日閲覧。
- ^ 中日新聞(2014年4月6日付朝刊、11版、1面)
- ^ “西尾市議会全協で説明 旧一色町の土壌汚染密約”. 中日新聞. (2014年4月8日) 2013年4月13日閲覧。
- ^ “土壌調査の密約、元町長が関与認める(愛知県)”. 日本テレビ. (2014年4月12日) 2013年4月13日閲覧。
関連項目[編集]
- 安積明子 - 都築の政策担当秘書を務めたのち、政治ジャーナリストとなる。